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山本寛斎
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{{Infobox 芸術家 | name = 山本寛斎 | image = | imagesize = | alt = | caption = | birthname = | birthdate = {{生年月日と年齢|1944|2|8}} | location = {{JPN}} [[神奈川県]][[横浜市]] | deathdate = | deathplace = | nationality = | field =[[ファッションデザイナー]]<br />イベントプロデューサー | years active = | training = [[日本大学]]中退 | movement = | works = | patrons = | influenced by = | influenced = | awards = 第21回「装苑賞」<br/>「ファッション・エディターズ・クラブ賞」<br/>第7回「日本イベント大賞 審査員特別賞」<br/>第7回「東京クリエイション大賞 国際賞」<br/>第21回「民俗衣装文化功労者・国際文化大賞」<br/>[[2004年]]「ベストジーニスト賞」 | elected = | website = [http://www.kansai-inc.co.jp/ KANSAI YAMAMOTO,Inc.]<br/>[http://www.kansaiyamamoto.jp/ www.kansaiyamamoto.jp] }} '''山本 寛斎'''(やまもと かんさい、本名の読み:やまもと のぶよし、[[1944年]]([[昭和]]19年)[[2月8日]] - )は、[[日本]]の[[ファッションデザイナー]]、[[イベント]][[プロデューサー]]である。寛斎スーパースタジオ会長。[[太田プロダクション]]所属。[[通名]]で、'''やまもと寛斎'''と表記することもある。 == 人物 == [[神奈川県]][[横浜市]]生まれ。[[岐阜県]][[岐阜市]]出身。[[岐阜県立岐阜工業高等学校]]を経て、[[日本大学]]文理学部英文科中退。 [[1971年]](昭和46年)に、日本人として初めて、[[ロンドン]]でファッション・ショーを開催したことでも知られる。<ref name= primeshow></ref> ===経歴=== 幼少期に横浜で両親が離婚、3人兄弟で伯父を頼り[[高知県]]に移るが補導され、児童相談所に収容されたが脱走した。その後、父に引き取られ、父方の祖母がいた[[岐阜市]]に落ち着く。この間、高知や大阪などで10数回の転校を繰り返す。父が洋服縫製業を始め、寛斎も縫製の手伝いをするようになった。そのうちに中学の友人から制服の改造を頼まれ、中学生にしてミシンを踏むようになり<ref name="asahi"/>、のちにお針子を目指すようになった。<ref name= primeshow></ref>そのきっかけとなったのが、映画「[[太陽がいっぱい_(映画)|太陽がいっぱい]]」のファッションセンスに惹かれたからであった。<ref name= primeshow>「[[渋谷LIVE! ザ・プライムショー]]」、[[2013年]][[3月13日]]放送、[[WOWOW]]制作</ref>また、応援団長となり、さまざまな応援の振り付けを考えるようになった。<ref name="asahi">2010年1月4日朝日新聞{{要ページ番号|date=2013年10月}}</ref> 高校へ通う折、建築科に通いたかったもののその学校にはなく、建築科と課程が同じだろうと思って土木建築科に通った。<ref name= primeshow></ref>実際に通ってみると、建築の基礎となる土木工事に関するものが中心とする課程で、かつ現場では賄いのおばさんしかいなかったので、挫折する経験をした。<ref name= primeshow></ref> ある時、[[電柱|電信棒]]に貼ってあった第2回日本アマチュア[[シャンソン]]コンクールのポスターを見て、これに応募。<ref name= primeshow></ref>[[オクターブ]]違いの「[[愛の讃歌]]」で出場するも結果は鐘一つだった。<ref name= primeshow></ref><ref>当該コンクールでの優勝の副賞がパリ行きのチケットで、その当時の寛斎は芸術の街である[[パリ]]に憧れており、棚ぼたで優勝できるかもしれないと思っていた。そのため、何の心得もなく出場しており、選曲とキーをピアニストに一任していた。出典:「[[渋谷LIVE! ザ・プライムショー]]」、[[2013年]][[3月13日]]放送、[[WOWOW]]制作</ref>この時の優勝者が[[加藤登紀子]]で、のちに所属事務所との縁で彼女と一緒に仕事することになり、「あの時寛斎さんが受からなくてよかったね。だから今、私たちの舞台に来て、挨拶ができるようになりました。」と感謝されており、以後親しい友人となっている。<ref name= primeshow></ref><!--この番組では発言の元となった舞台について、言及していません。--> [[コシノジュンコ]]、細野久などのデザイナーの下で働いた後、1971年(昭和46年)に独立して、株式会社「やまもと寛斎」を設立した。同年、ロンドンで、日本人初となるコレクション 『Kansai in London』を実施した。[[1973年]](昭和48年)には、[[デビッド・ボウイ]]のステージ衣装も手がけ、[[1975年]](昭和50年)には[[パリ]]で既製服のコレクションを発表した。 また、山本は[[2010年]]([[平成]]22年)に開業した日本の[[京成電鉄]]・[[京成成田空港線|成田スカイアクセス]]の[[京成AE形電車 (2代)|新AE形]]の車輌デザインを担当したが、車体色の選定は候補の7色を直接車両に塗って行ったという<ref>{{要出典範囲|2010年7月17日J-WAVE|title=放送されたタイトルを提示願います。|date=2013年10月}}より</ref>。 ===家族=== *娘 - [[山本未來]](女優) *婿 - [[椎名桔平]](俳優) *弟 - 山本斎彦(やまもと よしひこ、寛斎スーパースタジオ副社長) *異母弟 - [[伊勢谷友介]](俳優) == 主なデザイン作品 == *兵庫県[[白陵中学校・高等学校]] [[制服]] *岡山県[[岡山白陵中学校・高等学校]] 制服 *茨城県[[水戸葵陵高等学校]] 制服 *京都成安女子高等学校 制服 *[[長崎南山中学校・高等学校|長崎南山高校]] 制服 *[[国士舘大学|国士舘大学世田谷キャンパス・梅ヶ丘校舎]]10Fスカイラウンジ・B1F学生食堂 *[[京成電鉄]] 制服<ref>{{Cite news |url=http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/100519/chb1005192128008-n1.htm |title=京成電鉄の制服イメチェン |newspaper=MSN産経ニュース |publisher=産経デジタル |date=2010-05-19 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20101027025446/http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/chiba/100519/chb1005192128008-n1.htm |archivedate=2010-10-27}}</ref>、[[スカイライナー]]車両([[京成AE形電車 (2代)|京成AE形電車]]、2009年5月落成) *長野県[[長野県中野高等学校]] 制服 *[[富田高等学校 (岐阜県)|岐阜県私立富田高等学校]] *[[岐阜県立岐阜工業高等学校]] 制服 {{節stub}} == 著書 == *「熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条」(PHP新書、[[2008年]]) *「死にゃしない! OK!!」(日本実業出版社、[[2004年]]) *「山本寛斎 ハロー・自己表現―別冊課外授業ようこそ先輩」(KTC中央出版、[[2000年]]) *「寛斎 鉄丸全行動―未来へ向けて」(筑摩書房、[[1987年]]) *「寛斎完全燃焼」(新潮社、[[1983年]]) *「スーパーファッション」(講談社、[[1974年]]) == パフォーミング・アート == 山本寛斎は「KANSAI SUPER SHOW」という名称で、ファッション、音楽、舞台芸術を混合したパフォーミング・アートのイベントを開催している。 * [[1993年]]:「ハロー!! ロシア」([[ロシア]]・[[モスクワ]] [[赤の広場]]にて) * [[1995年]]:「ハロー!! ベトナム」([[ベトナム]]・[[ハノイ]]・レーニン公園・バイマウ湖上にて) * [[1997年]]:「ハロー!! インディア」([[インド]]・[[ニューデリー]] [[ジャワハルラール・ネルー・スタジアム]]にて) * [[2000年]]:「ハロージャパン・ハロー21!! インぎふ」(出演:[[山本未來]]、[[松田美由紀]]、[[笑福亭鶴瓶]]など。岐阜・[[長良川陸上競技場|長良川競技場]]にて) * [[2001年]]:「やまぐち元気伝説」([[山口きらら博]]・[[山口きらら博記念公園多目的ドーム|スーパーテーマ館]]にて) * [[2004年]]:「アボルダージュ -接舷攻撃-」(出演:[[哀川翔]]、[[上戸彩]]、[[三池崇史]]、[[小池栄子]]、[[山本未來]]、[[椎名桔平]]、[[千原兄弟]]など。[[日本武道館]]にて) * [[2007年]]:「太陽の船」(出演:[[松岡昌宏]]、[[上戸彩]]、[[アントニオ猪木]]、[[工藤夕貴]]、[[長渕剛]]など。[[東京ドーム]]にて) * [[2009年]]:「いのちの祭り -FESTIVAL OF LIFE-」([[インドネシア]]・[[バリ島]]ガルーダ・ウィシュヌ・クンチャナ・カルチュラルパークにて) * [[2010年]]:「七人の侍」(東京・[[有明コロシアム]]にて) == テレビ == *[[愛の流刑地]] *[[ターニングポイント]] *[[中学生日記]] == 映画 == *[[青の炎]] == CM・広告活動等 == *[[ネスレ日本|ネッスル日本(現:ネスレ日本)]]「ゴールドブレンド」 *[[トヨタ自動車]]「[[トヨタ・カローラ|カローラアクシオ]]」(10代目/E140型(後期型)) - 「ジャストサイジング -カローラアクシオが新鮮だ-」篇([[2008年]][[10月]] - [[2009年]][[3月]])※実娘の[[山本未來]]と共演 == 特記事項 == *[[大阪芸術大学]]の客員教授を務めている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク== *[http://www.kansaiyamamoto.jp www.kansaiyamamoto.jp] *[http://www.ohtapro.co.jp/talent/YamamotoKansai/ 太田プロのプロフィール] *[http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2003/yamamoto.html プロフィール] *[http://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/skyliner/jp/ae_design/index.html 京成電鉄スカイライナー 車内設備・デザイン] {{太田プロダクション}} {{DEFAULTSORT:やまもと かんさい}} [[Category:日本のファッションデザイナー]] [[Category:大阪芸術大学の教員]] [[Category:太田プロダクション]] [[Category:京成電鉄|人やまもとかんさい]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:岐阜県出身の人物]] [[Category:1944年生]] [[Category:存命人物]]
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