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'''山手樹一郎'''(やまて きいちろう、[[1899年]][[2月11日]] - [[1978年]][[3月16日]])は、日本の[[小説家]]。[[栃木県]]生まれ。本名は、井口長次。(旧制)[[明治大学付属明治高等学校・中学校|明治中学校]]卒業。長男は同じく小説家の[[井口朝生]]。孫は[[詩人]]の[[井坂洋子]]。 小学新報社『少女号』の編集者を経て、[[博文館]]に入社。のち『少年少女譚海』編集長。1932年頃より兼業作家となり、1939年より専業作家。前後して[[長谷川伸]]の門下。翌年より新聞連載した「[[桃太郎侍]]」で人気を得る。 一貫して明朗、壮快な作風で、[[時代小説]]作家として支持される。唯一の[[歴史小説]]である『[[渡辺崋山|崋山]]と[[高野長英|長英]]』で第4回[[野間文芸賞]]を受賞。1977年には、勲三等[[瑞宝章]]を受章。 1978年3月16日、[[肺癌]]のため[[東京都]]内の病院で死去。[[享年]]79。 ==人物像== 栃木県生まれなのは、父親が[[鉄道員]]として[[黒磯駅]]に勤務していた当時に生まれた為。 雑誌編集者との兼業作家として活動を始めたのは30代に入ってからであり、さらに専業作家となったのは40歳を過ぎてからである。 編集者としては[[山本周五郎]]などの担当をする傍ら、自身が編集に携わる雑誌を中心に作品を発表した。その際、編集者の「井口長次」名義では会社の規定で原稿料が支払われない事から、原稿料をもらう為に筆名「山手樹一郎」を名乗った。このため、当初は編集者井口長次しかその素性を知らない謎の[[覆面作家]]であり、『少年少女譚海』編集長時代に、ライバル誌であった『[[講談倶楽部]]』の編集長から執筆依頼の相談が来てしまい、たいへん困ったがさすがに断ったという逸話がある(専業作家となった後には『講談倶楽部』でも作品を発表している)。 作品は一貫して大衆文芸に求められるものとして読み手側の爽快感を重要視した作りで、ほぼ全ての物語が明朗爽快・[[勧善懲悪]]・人情話・ハッピーエンドという要素でまとめられている。このため時に偉大なるワンパターン作家などと言われる事もある。だが、別の見方をすれば、実在の人物をテーマにした歴史小説などでは時折見られる、破滅的で何も救いの無い悲劇の結末に辿り着くという展開が山手の作品には無い為、日本の大衆文芸史上、最も安心して結末まで読む事のできる作家でもあり、この点や人物描写・人情描写の秀逸さが長く人気を支えた。 ==主な作品== [[春陽堂書店|春陽堂]]の春陽文庫から、『山手樹一郎全集』が刊行されている。 *[[桃太郎侍]] *[[夢介千両みやげ]] *[[又四郎行状記]] *[[江戸名物からす堂]] *[[遠山の金さん]] *[[ぼんくら天狗]] *[[浪人市場]] *[[八幡鳩九郎]] {{DEFAULTSORT:やまてきいちろう}} [[category:日本の小説家]] [[Category:栃木県出身の人物]] [[Category:1899年生]] [[Category:1978年没]]
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