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山城
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{{Otheruses|山に築かれた城}} '''山城'''(やまじろ)は、険阻な山を利用して築かれた[[城]]。[[日本]]においては、[[江戸時代]]の軍学者によって分類された地形による城の分類法の一つ。 [[ファイル:Marksburg1900.jpg|thumb|right|200px|ヨーロッパの山城([[ドイツ]]・[[マルクスブルク城]])]] == 概要 == 高地は軍事的防御に有利であり、山に城郭を築く行為は場所と時代を問わず普遍的に行われている。山城とは呼ばないが、近代の[[旅順要塞]]や[[マジノ要塞]]も山に築かれた要塞群であって、機能は似ている。 城は、防御に有利な地形に築くことが望ましく、険しい山はその条件を満たすが、住むには不便であり、守るべき対象である人の居住地から離れている。したがって、山城は防御専用として造られることが多かった。城主は、平時には麓に住民と共に住み、敵が来襲すると山上の城に立て籠もる、といった使い方がなされたようである。 == 日本 == [[ファイル:Takeda Castle.JPG|thumb|200px|中世の連郭式山城([[竹田城]]・[[但馬国]])]] [[ファイル:Kozenji tamba01s3200.jpg|thumb|200px|中世山城の下館([[興禅寺 (丹波市)|黒井城下館]]・[[丹波国]])]] 日本の山城には、次の3種類がある。 ;古代山城 :[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]の[[近畿]]から[[九州]]北部にかけて築かれた。 ;中世山城 :[[中世]]・[[戦国時代 (日本)|戦国末期]]まで全国的に築かれた(戦国末期のものを'''戦国山城'''ということもある)。 ;近世山城 :[[安土桃山時代]]後期から[[江戸時代|江戸初期]]までに築かれた。 === 構造 === 中世の山城は、山上に城郭、麓に下館([[居館]])を築いたといわれる。山上の城は主に防御施設であって、日常生活は麓の館で行っていたようである。山上の城には、掘立柱建築や簡易な櫓を建てただけで、長期間居住するための建物は建てられていなかったらしい。 小城の場合は、山の頂上に簡単な建物を造り、食料、武具を保管するだけで、後は自然の地形を利用して、適宜、山の各所に柵、堀、土塀を設けるといった程度であったらしい。中規模の城では、峰々に本丸、二の丸といった曲輪を造り、居住用の施設も備え、長期の籠城に耐えられるようにした。大城では、周辺の山々に支城を設け、山系全体を要塞としていた。<!--堀はあまり深く掘らずに、槍が届く程度の深さに掘るのが一般的であったと思われる。堀に落ちた攻城側の兵を、守城側の兵が槍で突いて攻撃が可能であるほうが、防衛上の利点が大きかったからであろう。←あやしい.そもそも戦国期以前の城がどのようであったか、ほとんど不明。--> 戦国期には、山上の城にも<!-- 礎石建ちの{←戦国期の要害山城および一乗谷の山城にはないのでは?}-->恒久的な建物を建てて、長期の滞在ができるように備えたものもある。典型的な例として、[[武田氏]]の[[要害山城]]や[[朝倉氏]]の[[一乗谷朝倉氏遺跡|一乗谷城]]などがある。一乗谷城は、谷間に[[城下町]]と居館としての下館を築き、有事に備えて山頂に城郭を築いていた。 平城・平山城に比べて、山城の規模は小さい傾向がある。しかし、都市化を免れて中世の広大な城域全体の遺構が保存されている[[月山富田城]]、[[竹田城]]、[[高取城]]、[[岡城 (豊後国)|岡城]]などもある。 === 山への築城 === [[ファイル:Kinojo stone wall 1.JPG|thumb|200px|古代の山城([[鬼ノ城]]・[[備中国]])]] [[ファイル:KasugayamaCastle-print.jpg|thumb|200px|戦国期の山城を描いた絵図([[春日山城]]・[[越後国]])]] [[ファイル:Haga Castle 01.jpg|thumb|200px|戦国期の山城([[波賀城]]・[[播磨国]])]] 日本において初めて山に軍事的防御施設が築かれるのは[[弥生時代]]の[[高地性集落]]である。その後、[[飛鳥時代]]から[[奈良時代]]にかけて、[[唐]]や[[新羅]]の侵攻に備えて西日本各地に[[古代山城]]が築かれた。 中世には、[[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]までに後醍醐天皇の率いる反幕府勢力が幕府に抵抗するため、山への築城が始まったようである。その初例と考えられているのは、楠正成の[[千早城]]や[[赤坂城]]、または山岳[[寺院]]「[[金胎寺]]」を利用した[[金胎寺城]]である。その後、南朝はそれらに倣って各地に山城を築いた。武士が山麓の平地に居館を、背後の山に山城を築き、戦闘になると山城に立て篭もるといった様式が一般化したといわれている。 戦国時代には、戦いが常態化したので、山上の城にも恒久的な施設を建てて長期の戦いに堪えられるように備えた。戦国後期には、山上の主曲輪に領主の居館を構え、中腹に家臣たちと人質としてその一族を住まわせた<ref group="出典" name="西ヶ谷">西ヶ谷恭弘編著『城郭の見方・調べ方ハンドブック』東京出版、2008年。</ref>。安土桃山時代後期から江戸初期には石垣を多用した城も現れ、山城にも導入された。平山城と平城が中心になるのは、江戸時代の[[一国一城令]]以降といわれている。 === 山から平地への移行 === 戦国後期になると[[城下町]]を伴う[[平山城]]・[[平城]]が主流となった。それには、次の理由が考えられている。 ;戦の常態化<!-- ← 戦が常態化したから平地に移行したというのは無理がある --> :戦時だけに山城に立てこもるという形態が不便になり、常時城に待機して戦に備える必要が生じた。それで山城に居住施設を設けるようになったが、そのために常時麓と往復することになり、不便を生じた。 ;[[戦国大名]]による支配の確立 :大名の領地の支配を固めるためには、山上は不便であった。また、領地が広大となった大名の支配の象徴として威容を見せつけるほうがよいので、険阻な山岳地でなく、目立つ場所に城が建てられるようになった。 ;[[火縄銃]]の導入 :木柵と浅い堀で防御した山城は、火縄銃による攻撃に脆弱であった。そのため何重もの深い掘と塀によって防御するようになった。また守城側も火縄銃で攻城側の兵を攻撃できるようになったので、堀の深さをあえて槍の届く程度にとどめる必要がなくなった<ref>平井聖監修・三浦正幸ほか執筆『城 6 中国』毎日新聞社 1996年</ref>。 ;大規模化 :戦国大名が支配権を確立するにつれ、各地に割拠していた国人領主などを完全に家臣として組み込むにあたり、城下町に集住させるようになった。そのため城も大規模化する必要があったが、山城では規模に限界があった。 山城から平山城・平城に移行するにあたっては、麓に新たに主郭を築いて旧山城を詰の城(萩城など)とする例や、城地を低い丘や平地に移転する例([[福山城 (備後国)|備後福山城]]など)があった。[[小田原城]]のように、元々は山城であったものが、城と麓の城下町が拡張を繰り返した結果、両者が一体化し、城下町全体を[[惣構え]]で囲んだ大規模な平山城に発展した例もある。 ただし、すべての山城を平山城や平城に置き換える必要はなかった。平城化は大名自身が居住する大規模な居城にとどまり、各地の山城は健在であった。また小大名では、従来どおり山城のままであって、平山城・平城に移行しなかった場合もある。こうした山城の中には、[[火縄銃]]などに対応するためにむしろ従来より発展した例もある。たとえば西国においては、放射状竪堀の導入が盛んになった。また従来の木柵ではなく、平山城や平城の建築様式を取り入れ、[[狭間]]をもつ土塀で囲まれた、さながら[[トーチカ]]のような鉄壁の要塞と化した山城もある([[鷹取城]]など)。<!--該当項目に出典がある --> 城のほとんどが平山城・平城に移行するのは、一国一城令によって各地の山城を破却する江戸時代以降になる。ただし、江戸時代の[[大名]]の居城においても、山麓の居館と戦闘時に立て篭もる背後の山城の組合せという中世的様式を受け継いだ城も多く、[[伊予松山城]]、[[鳥取城]]、[[萩城]]、[[津和野城]]などがこれにあたる。[[仙台城]]のように、江戸時代に入ってから山城を建造し、後に拡張により平山城に移行した例もある。 === 日本五大山城と日本五大山岳城 === 特に著名な日本の山城を取り上げた「日本五大山城」(1992年)がある<ref>小和田哲男『戦国大名浅井氏と小谷城』湖北町教育委員会、1992年、p. 4 および 中井均『近江の山城ベスト50を歩く』サンライズ出版、2006年、p. 32。</ref>。 {|class="wikitable" |+日本五大山城 !令制国名 !城名 !主な城主 !所在地 |- |[[越後国]] !style="text-align:left"|[[春日山城]] |[[上杉謙信]] |[[新潟県]][[上越市]]中屋敷 |- |[[出雲国]] !style="text-align:left"|[[月山富田城]] |[[尼子経久]] |[[島根県]][[安来市]]広瀬町富田 |- |[[近江国]] !style="text-align:left"|[[観音寺城]] |[[六角義賢]] |[[滋賀県]][[近江八幡市]][[安土町地域自治区|安土町]] |- |[[近江国]] !style="text-align:left"|[[小谷城]] |[[浅井長政]] |滋賀県[[長浜市]]湖北町伊部 |- |[[能登国]] !style="text-align:left"|[[七尾城]] |[[畠山義綱]] |[[石川県]][[七尾市]]古城町 |} 小谷城の代わりに八王子城を入れた「日本五大山岳城」(2004年)もある<ref>安部龍太郎『戦国の山城をゆく』集英社新書、2004年4月、pp. 45-46。</ref>。 {|class="wikitable" |+日本五大山岳城 !令制国名 !城名 !主な城主 !所在地 |- |出雲国 !style="text-align:left"|月山富田城 |尼子経久 |島根県安来市広瀬町富田 |- |能登国 !style="text-align:left"|七尾城 |畠山義綱 |石川県七尾市古城町 |- |近江国 !style="text-align:left"|観音寺城 |六角義賢 |滋賀県近江八幡市安土町 |- |越後国 !style="text-align:left"|春日山城 |上杉謙信 |新潟県上越市中屋敷 |- |[[武蔵国]] !style="text-align:left"|[[八王子城]] |[[北条氏照]] |[[東京都]][[八王子市]][[元八王子町]] |} すべて国の[[史跡]]に指定されている。 == 関連項目 == *[[日本三大一覧#城|日本三大山城]] **[[岩村城]]([[岐阜県]]) **[[高取城]]([[奈良県]]) **[[松山城 (備中国)|備中松山城]]([[岡山県]]) *甲州流軍学による三大山城 **[[久能城]] **[[吾妻城]] **[[岩殿山城]] * [[古代山城]] * [[平城]] * [[平山城]] * [[日本の城一覧]] *[[山城サミット]] - 山城を有する自治体の交流などを目的に[[平成6年]]から毎年秋頃に行われている。第1回の[[兵庫県]][[和田山町]](現在は[[朝来市]])から始まり第19回([[平成24年]])の[[魚津市]]。第20回は朝来市の予定。 == 注 == {{Reflist}} == 参考文献 == {{Reflist|colwidth=30em|group=出典}} {{DEFAULTSORT:やましろ}} [[Category:城]] [[Category:日本の城]]
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