コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
山名時熙のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
山名時熙
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{基礎情報 武士 | 氏名 = 山名時熙 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]] - [[室町時代]] | 生誕 = [[正平 (日本)|正平]]22年/[[貞治]]6年([[1367年]]) | 死没 = [[永享]]7年[[7月4日 (旧暦)|7月4日]]([[1435年]][[7月29日]]) | 改名 = | 別名 = | 諡号 = | 戒名 = 大明寺殿巨川常熙大居士 | 墓所 = [[兵庫県]][[朝来市]][[大明寺 (朝来市)|大明寺]] | 官位 = [[宮内省|宮内少輔]]、[[衛門府|右衛門佐]]、右衛門督 | 幕府 = [[室町幕府]][[相伴衆]]、[[侍所]]頭人、[[但馬国|但馬]]・[[備後国|備後]]・[[安芸国|安芸]]・[[伊賀国|伊賀]][[守護]] | 主君 = [[足利義満]]→[[足利義持|義持]]→[[足利義量|義量]]→[[足利義教|義教]] | 氏族 = [[山名氏]] | 父母 = 父:[[山名時義]] | 兄弟 = '''時熙'''、[[山名時長|時長]]、''[[山名氏之|氏之]]'' | 妻 = 正室:[[山名氏清]]の娘([[山名師義]]の娘とも) | 子 = [[山名満時|満時]]、[[山名持熙|持熙]]、'''[[山名宗全|持豊]]'''(宗全)、猶子:''[[山名熙高|熙高]]'' | 特記事項 = }} '''山名 時熙'''(やまな ときひろ)は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]の[[武将]]、[[守護大名]]。[[室町幕府]][[相伴衆]]、[[侍所]]頭人、[[但馬国|但馬]]・[[備後国|備後]]・[[安芸国|安芸]]・[[伊賀国|伊賀]]守護。父は[[山名時義]]で長男。養子として入った兄弟(従兄)に[[山名氏之|氏之]]。正室は[[山名氏清]]の娘([[山名師義]]の娘とも)。子に[[山名満時|満時]]、[[山名持熙|持熙]]、[[山名宗全|持豊]](宗全)。猶子に[[山名熙高|熙高]](ひろたか)。官位は[[宮内省|宮内少輔]]、[[衛門府|右衛門佐]]、右衛門督。法名、'''常熙'''(じょうき)。 == 生涯 == [[康応]]元年/[[元中]]6年([[1389年]])に父が死去し、家督を相続。しかし、[[山名氏]]の惣領権を巡る争いから[[明徳]]元年/元中7年([[1390年]])3月には氏之と共に3代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義満]]から討伐を受け、伯父の山名氏清、従兄の[[山名満幸]](氏之の弟)らに攻められ、但馬から備後へ逃れ、但馬を取り上げられ氏清に替えられた。翌明徳2年/元中8年([[1391年]])には義満に赦免され、氏清らが挙兵した[[明徳の乱]]では義満の馬廻勢に加わり戦い、戦後氏清の分国但馬を拝領する。[[応永]]6年([[1399年]])に[[堺市|堺]]で[[大内義弘]]が蜂起した[[応永の乱]]でも戦い、備後の守護となる。 相伴衆として幕政にも参加し、4代将軍[[足利義持]]から6代[[足利義教]]時代まで仕える。応永21年([[1414年]])、永享4年([[1432年]])には侍所頭人を務め、[[畠山満家]]と共に[[宿老]]となる。応永23年([[1416年]])に[[鎌倉府]]で起こった[[上杉禅秀の乱]]では、同時期に[[京都]]から出奔しようとした[[足利義嗣]]と共に内通疑惑をもたれる。応永34年([[1427年]])の[[赤松満祐]]出奔事件では討伐軍に加わる。永享5年([[1433年]])に家督を持豊に譲り、[[日明貿易]]に関する横領疑惑で失脚。 永享7年(1435年)7月4日、京都で69歳で死去。法名は大明寺殿巨川常熙大居士。但馬黒川([[兵庫県]][[朝来市]])の[[大明寺 (朝来市)|大明寺]]に葬られた。また、父時義と並ぶ墓と木像が兵庫県[[豊岡市]]の[[円通寺_(豊岡市)|円通寺]]にあり、この2つの寺や[[大同寺]]・[[楞厳寺 (新温泉町)|楞厳寺]]など時熙が中興開基・創建した寺が多く残されている。 山名氏は明徳の乱で没落したが、時熙の代で勢力を取り戻し、[[石見国|石見]]守護に従兄の[[山名氏利|氏利]](うじとし、氏清の子)が、[[因幡国|因幡]]守護に猶子で従弟の熙高(ひろたか、叔父[[山名高義|高義]]の子)が任命され、時熙と氏之の領国[[伯耆国|伯耆]]と合わせて7ヶ国の領有を果たした。山名氏の家督は時熙の家系が受け継いでいった。 == 偏諱を与えた人物 == ※「熙」については異体字で「煕」や「熈」とも書く。 *[[山名満時|山名満'''時''']](長男) *[[山名持熙|山名持'''熙''']](次男) *[[山名熙高|山名'''熙'''高]](猶子・従兄弟) *[[山名時高|山名'''時'''高]](熙高の長男) *[[山名熈成|山名'''熈'''成]](熙高の次男) *[[山名熈幸|山名'''熈'''幸]](熙高の三男) *[[山名熙之|山名'''熙'''之]](氏之の子) *[[山名熙貴|山名'''熙'''貴]]([[従甥]]) *[[垣屋氏#室町時代後期の当主・一族|垣屋'''熙'''忠]](遠江入道) *[[垣屋氏#室町時代後期の垣屋氏|垣屋'''熙'''続]](熙忠長男:越前守) *[[垣屋氏#室町時代後期の垣屋氏|垣屋'''熙'''知]](熙忠次男:越中守) *[[小早川煕平|小早川'''煕'''平]]([[小早川氏#沼田小早川氏|安芸沼田小早川氏]]) *[[浦煕氏|浦'''煕'''氏]](浦'''熈'''氏とも、[[浦氏]]当主、小早川煕平の[[続柄|三従兄弟]]にあたる) *[[三吉熈秀|三吉'''熈'''秀]]([[三吉氏|備後三吉氏]]) *[[毛利煕元|毛利'''煕'''元]]([[毛利氏|安芸毛利氏]]) *[[山内煕通|山内'''熙'''通]]([[備後山内氏]]、[[山内直通]]の曽祖父) == 参考文献 == *[[佐藤和彦]]、[[錦昭江]]、[[松井吉昭]]、[[櫻井彦]]、[[鈴木彰]]、[[樋口州男]]共編『日本中世内乱史人名事典』[[新人物往来社]]、2007年。 *[[川岡勉]]『山名宗全』[[吉川弘文館]]([[人物叢書]])、2009年。 == 関連項目 == *[[南北朝時代 (日本)の人物一覧]] *[[室町時代の人物一覧]] ==外部リンク== *[http://www.tanshin.co.jp/zaidan/3rekisi/06ryougon/index.html 楞厳寺(但馬百科事典)] {{先代次代|[[山名氏]]当主|1389年 - 1433年|[[山名時義]]|[[山名宗全]]}} {{DEFAULTSORT:やまな ときひろ}} [[Category:山名氏|ときひろ]] [[Category:守護大名]] [[Category:室町時代の人物]] [[Category:1367年生]] [[Category:1435年没]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:先代次代
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:基礎情報 武士
(
ソースを閲覧
)
山名時熙
に戻る。
検索
検索
山名時熙のソースを表示
話題を追加