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{{Otheruseslist|飲食店としての居酒屋|[[エミール・ゾラ]]の小説|居酒屋 (小説)|[[五木ひろし]]と[[木の実ナナ]]のデュエットのシングル|五木ひろし#ディスコグラフィ}} {{独自研究|date=2011年11月21日 (月) 06:19 (UTC)}} [[File:Izakaya,wakkanai,hokkaido 6240687最果て北海道稚内の居酒屋.jpg|thumb|220px|right|[[最果て]]の居酒屋([[北海道]][[稚内]])。居酒屋にこうした、どことなくうらぶれた雰囲気を求める客も多い。]] '''居酒屋'''(いざかや)とは、[[酒]]類とそれに伴う簡単な[[料理]]を提供する[[飲食店]]である。 主に酒類を提供している点で一般の[[レストラン]]と異なる。また[[バー (酒場)|バー]]や[[パブ]]などは洋風の店舗で[[洋酒]]を中心に提供しているのに対し、居酒屋は和風で[[ビール]]や[[チューハイ]]、[[日本酒]]などを提供している店が多く、バーやパブに比べると料理の種類や量も多い。 == 古代オリエントの居酒屋 == [[紀元前18世紀]]の[[古代バビロニア]]には既に居酒屋が存在していたとされる<ref>「居酒屋の世界史」下田淳 講談社現代新書 P16 平成23年8月20日発行</ref>。当時の居酒屋は無償提供であり、有償の提供は下賤行為とみなされ、居酒屋は下層民の店として上流階級から侮蔑された。この傾向は貨幣経済が浸透した[[紀元前7世紀]]以降も継続する。記録としての居酒屋の最初の記述はバビロニアの法律集[[ハンムラビ法典]]であり、、代金は大麦、謀の禁止や尼僧の来店禁止などの細かい規定が存在した。その後[[紀元前1300年]]頃には[[エジプト]]にも広まっており、この時代の王であった[[ラムセス2世]]の王都では[[ビール]]、[[ワイン]]、[[蒸留酒]]等が売られ、特にビールは国民飲料と言って良いほど頻繁に飲まれたようであるが、ワインは気候柄栽培できなかったため輸入に頼っていた。やがて[[紀元前670年]]頃に[[リディア王国]]の貨幣鋳造が始まると貨幣経済が浸透する。紀元前の二桁の年数になると尼僧禁制も解かれ、居酒屋は娯楽施設に変容した。居酒屋が世界に伝播して行ったのは宗教のおかげであり、[[三大宗教]]のうちの1つである[[キリスト教]]と、その祖先である[[ユダヤ教]]は飲酒を悪としなかったため、この2つの宗教が存在するところには自然と居酒屋が発生した。貨幣経済が当たり前となった[[紀元前5世紀]]頃の居酒屋は[[宿屋]]の機能も兼ね、[[ギリシャ]]では多くの詩人や歴史家、演劇人が居酒屋の記録を残している。ギリシャの居酒屋には、ギリシャ以外の[[外国人]]や、[[商人]]、[[巡礼者]]、ヤクザ者、[[放浪者]]、[[奴隷]]出身の[[水夫]]や[[肉体労働者]]など下層民が溜まり場として、[[売春]]や[[窃盗]]、果ては[[盗賊]]などの[[アジト]]と化していた物まであった。特に[[物流]]が集結する[[アテネ]]や[[植民都市]]であった[[ビザンティウム]]には居酒屋が多く立ち並んだが、上流階級は相変わらず居酒屋を忌み嫌い、アレオパゴス集会で居酒屋入店を禁止したり、哲学者の[[プラトン]]が『飽くなき利益を追求する商売行為』と非難したほどである。またギリシャの居酒屋では、[[ブドウ]]の[[栽培]]やワインの[[醸造]]が発達したためビールよりワインが好まれた。時代が進んだ[[古代ローマ]]の居酒屋兼宿屋は「[[タベルナ]]」と呼ばれ、宿屋と共に[[厩]]が併設された。軒に酒の神[[ディオニソス]](ローマ呼びではバッカス)の化身である[[キヅタ]]の枝束を吊るして[[看板]]としていたようで、ほかにも[[熊]]や[[鷲]]、[[オリーブ]]、[[車輪]]、[[剣]]がモチーフになった。ローマや[[イタリア]]などの[[都市]]を繋ぐ[[街道]]沿いの居酒屋は「カウポーナ」と呼ばれ、1階が[[食堂]]で2階が[[寝室]]と様式化された。純粋な居酒屋は「ポピーナ」と呼ばれ、女性店員は[[売春婦]]として日常的に居酒屋の2階で商売をしていたようである。ローマは[[紀元前2世紀]]ギリシャを征服するが、征服前はビール、征服後はギリシャ文化に倣ってワインを好むようになった。ローマ時代も相変わらず居酒屋は下賤なものとされたが、第2代皇帝[[ティベリウス]]や第3代[[カリグラ]]、第4代[[クラウディウス]]、第5代[[ネロ]]、第8代[[ウィテリウス]]、第17代[[ルキウス・ウェルス]]、第18代[[コンモドゥス]]の歴代皇帝は居酒屋通いをしていたとされる。特にティベリウスは『ビベリウス(のみ助)』のあだ名を称されるほどの酒好きであった。ローマの居酒屋は大体夕方の16時に開店し、[[祭日]]ともなると深夜営業を行った。日没後は[[香]]を炊くなど客への配慮も怠らなかった。ローマ時代の居酒屋には飲酒と売春業の他に[[賭博]]業が新たに加わり、特にサイコロ賭博が盛んに興じられ娯楽性が強調されていく。居酒屋はローマ帝国の発展と共に各[[属州]]に広まっていくが、ローマ帝国の終焉と共に一度全滅の憂き目に遭う。[[中世]]初期の[[領主]]たちがギリシャやローマの[[貴族]]たちのように、自分の[[領地]]内での酒類の[[地産地消]]を行い、[[商売]]としての居酒屋を認めなかったためだ。 == ヨーロッパの居酒屋 == ヨーロッパで居酒屋が登場するのは[[11世紀]]頃である。[[荘園]]制度による[[農地改革]]で[[農奴]]たちが土地を経営できるようになったからだ。各村々や都市との交流が再び活発化し、折しも[[十字軍]]の時代であったために多くの[[巡礼者]]がこの交流に拍車をかけた。王が最後まで居酒屋認可の利権を独占したイギリスと異なり、ヨーロッパ大陸では権力者たちが早々と認可権を手放したため、地方の有力者や教会、修道院などが積極的に居酒屋を経営するようになった。やがて彼らは自分たちが開いた居酒屋以外での飲酒を禁止する居酒屋禁制を公布することとなる。ドイツではビール、フランスではワインが主だった禁制対象であり、長らく諸侯たちの利権であり続けた。こうして誕生した居酒屋には都市と農村で明確な違いが現れる。都市の居酒屋は上流と下流の人々による棲み分けが行われ、上流では嗜好品としての酒類の提供、下層ではそれに加えての売春、賭博による娯楽の提供に特化していく。一方農村では居酒屋自体が村のコミュニケーションの場となり、世代や性別を問わず人が集うだけでなく、行政や司法などの村の機能を代行する一大コミュニティーセンターとなっていった。[[1647年]]に[[イタリア]]の[[ベネチア]]にアラブ発祥である[[カフェ]]が伝来すると、やがて勃発した[[フランス革命]]による封建制の崩壊と上流社会文化の開放により、瞬く間に欧州全土に広がる。1[[8世紀]]の後半に大衆向けのカフェが出来るようになると[[リキュール]]などの酒類の提供が盛んに行われ、加えて[[レストラン]]や[[ホテル]]といった[[外食産業]]による酒類の提供も盛んになった。居酒屋の役割はこれら新興の飲食店が果たすようになる。また[[低温殺菌]]や冷凍保冷など、酒類を長期間保存できる技術革新も居酒屋を衰退させる間接的な要素となった。革命の伴う封建制の崩壊は、農民たちを都市部に招く結果となり、多くの労働者が発生した。[[19世紀]]になって登場した週払いの給金システムによって、居酒屋は労働者たちの週末の息抜きの場になっていく。二日酔いに伴う月曜日の欠勤が多発し、「聖月曜日」が一時期習慣化する事態となった。19世紀から[[20世紀]]にかけて、アメリカに端を発した[[禁酒運動]]の影がヨーロッパに広がったが、いずれの国でも禁酒法が成立されることはなく、仮に成立してもすぐに廃止された。しかし禁酒運動は、酒類輸送を人員輸送に転換した鉄道旅行の発達や識者たち啓蒙によるスポーツの振興を促す要因となった。 == イギリスの居酒屋 == 西暦[[43年]]にローマが[[ブリタニア]]に侵攻する以前、[[ケルト人]]は古代[[フェニキア人]]から教わったビールを、[[紀元前2世紀]]か[[紀元前1世紀]]頃には既に常飲していたようである。ローマ以後、[[455年]]に[[民族大移動]]に伴う[[アングル人]]と[[サクソン人]]の入植、そして[[1066年]]の[[ノルマン人]]の侵攻でも、ビールを飲む習慣は変わらなかった。イギリスのビールは[[エール]]と呼ばれ、[[常温]]での[[上面発酵]]させた[[ホップ]]なしのビールである。イギリスでのビールは各個人の家庭で作られ、それを近隣住民や旅行者たちに分け与えたのが居酒屋の始まりで、居酒屋が「エールハウス」と呼ばれるのもここから来ている。初期の居酒屋は家庭発祥の経緯から女性経営者が多かったが、専業となるに伴い醸造等の肉体労働に対応するため、男性経営者が増えていく。特にイギリスの場合は身分の低い者たちが経営者となり、毛織物業や皮革業などの[[兼業]]で生計を立てることが多かったそうで、居酒屋が専業として免許による認可制になったのは[[1552年]]である。その後居酒屋は、[[宗教改革]]に伴う価値観の変化によって聖と俗の分離がなされ、飲酒が瀆神行為とみなされるようになる16世紀から17世紀にかけて爆発的にその数を増やしていく。この頃の居酒屋は、宿屋の側面が強い「[[イン]]」、「エールハウス」、ワインを専門とする「タヴァン」の3種類に分かれていた。このうちタヴァンにはイギリスの上流階級が頻繁に通うようになり、格差が生じるようになった。また農村では共同体の交流の場となり、会合や商談、選挙投票や裁判などが行われた。19世紀頃になると居酒屋は「パブリックハウス」、通称[[パブ]]と呼ばれるようになるが、居酒屋としての多機能性は徐々に失われ、純粋に酒類を提供する店に特化する。当時有名だったパブは「ビクトリアンパブ」であり、パブ内において上流(サールン、パーラ)・中流・下流に階層順に別れていた。やがて上流向けは会員制クラブやサロンに移行し、パブは下層民の店となる。当初パブでは、エールとビールが良く飲まれたが、17世紀にオランダから伝来した[[ジン]]を主立って提供する立ち飲み形式の「ジンパレス」が猛威を振るう。その後は踊りやショーを提供する[[ミュージックホール]]が主流となるが、[[1843年]]の劇場法によって演劇が禁止され、音楽と踊りのみ認可されて今日に至る。 == フランスの居酒屋 == フランスでは教会や修道院が居酒屋の起源であり、客は多くが巡礼者たちであった。しかし[[カエサル]]が[[紀元前1世紀]]に[[ガリア]]に侵攻を行った時まではビールが主に飲まれており、今日フランスの代名詞であるワインはカエサル率いるローマ人によってもたらされたものである。ワインはまず南部でのブドウ栽培が盛んになり、[[10世紀]]頃から[[セーヌ川]]や[[ロワール川]]流域で王権と繋がりの深い[[クリュニー会]]の教会や修道院で盛んに醸造され、ミサなどに使用されたが、[[11世紀]]頃に[[バイキング]]の侵攻を受けたのを機に、現在の[[ブルゴーニュ]]地方に栽培拠点を移してからはクリュニー会に異を唱えた[[シトー会]]の修道士たちによって、フランス全土に広まっていったのである。フランスの居酒屋は、宿屋の機能を持つ「オベルジュ」や「ホテル」、大衆飲み屋としての「キャバレー」や「タヴェルン」、安価で食事を提供する「ガルゴット」、そして[[18世紀]]のパリ郊外で多く見られた「ギャンゲット」がある。18世紀から19世紀にかけてワインが大衆化されるようになってから居酒屋の進化が起こり爆発的にその数を増やした。「ガルコット」は「ターブル・ドート」、「タヴェルン」は「アソモワール」に呼び名が替わり、また喫煙者限定の酒場である「タバジー」、ビ-ルを主に提供する「ビストロ」や「ブラスリ」が登場するが、実際には居酒屋の種類の境界は曖昧であった。居酒屋の数は19世紀に激増し、[[1789年]]は10万だったのが、[[1830年]]に28万、[[1914年]]にはおよそ50万店舗にまで拡大した。首都のパリだけでもフランス革命時代に公式で3000ほどだった店舗が、1840年代後半には4500、[[1870年]]には2万2000、19世紀末では3万に達する。パリの居酒屋は中世時代の多機能が色濃く残り、労働者たちの出会いの場や職業斡旋、ストライキの会合まで行われた。賃金が居酒屋で支払われたメタルコインの換金システムも、居酒屋の多機能性を残す要因となった。やがて居酒屋内に音楽と芸能が流入し、「カフェ・コンセール(音楽カフェ)」と呼ばれる店舗が登場してくる。[[1867年]]に芸人の衣装に関する規定が緩和されたことで、居酒屋の娯楽性はさらに高まる。[[1881年]]にロドルフ・サリによって、近代的な居酒屋である[[キャバレー]]「黒猫」が登場したことで、居酒屋は各界著名人が集う一大サロンと化していった。 == ドイツの居酒屋 == ドイツでも、居酒屋は領主でもあった教会や修道院が巡礼者のために酒類を提供するようになったのが起源であり、修道院内に「修道院居酒屋」と呼ばれる施設を堂々と開いていた。「修道院居酒屋」は開かれたものであり、村人たちが気軽に飲みに来られる場所であった。最初ドイツではワインが主体であったが、[[16世紀]]頃に発生した後氷河期によって南部地方のブドウ栽培が不可となり、[[18世紀]]頃になるとビールが主体となった。世界最古のビール醸造所があるヴァイエンシュテファンは、[[ベネディクト会]]の修道士たちが中心となって[[1021年]]に建てた修道院が発祥となっている。またビールに付き物のホップも直後から添加されていた。[[1516年]]に[[バイエルン公]]であった[[ヴィルヘルム4世]]が発布した[[ビール純粋令]]によって、ドイツのビールはより洗練された物となっていき、[[1871年]]のドイツ統一までの間、ドイツではビール令を順守した上で様々な地域性のあるビールが醸造され続けた。[[1524年]]から1年間起きた[[ドイツ農民戦争]]や[[17世紀]]の[[30年戦争]]では、村々の居酒屋が蜂起した農民たちの集会所となり、集会のみならず平常時でも雑貨屋や、食料品店、商談事や裁判、銀行業務、軍人募集まで請け負う多機能性を有していた。利用する人間も富裕層から貧困層まで幅広く、男女や年齢による制限も比較的ゆるいものであった。このことを都市部の人々は快く思っておらず、[[ルター]]などは、『祝日に行われているあらゆる悪徳の場』と蔑んでいる。[[フランス革命]]が勃発すると教会や修道院の領地は没収され、「修道院居酒屋」も閉鎖されてしまう。このフランスでの革命を機に、ドイツ国内でも近代的なカフェやキャバレーが登場し、1901年にエルンスト・フォン・ヴォルツォーゲンによるキャバレー「彩色劇場」の登場によって一層の娯楽性を強調していったが、より劇場型に特化して政治風刺の強い社会性を強めていく。[[ワイマール共和国]]時代になってこの傾向は一時期廃れるが、共和制末期の4年間に再び活気づく。しかし1[[935年]]、登場したナチスによって最後の一軒が閉店し、ドイツキャバレーの歴史は幕を閉じる。一方でドイツのカフェは、バイエルン王政時代からの醸造所を改造した[[ミュンヘン]]の「[[ホフブロイハウス]]」を筆頭に、[[1928年]]時点のベルリン市内で1万6000軒を数える規模にまで発展する。特にホフブロイハウスは、[[アドルフ・ヒトラー]]が[[1920年]]に[[ナチス]]の前身となる[[国民社会主義ドイツ労働者党]]を結成した場所として有名である。1928年にはベルリン市内に、2500人収容可能な巨大カフェ「[[ハウス・ファターランド]]」が完成し、ドイツのみならず、スペイン、トルコ、東欧、日本などの、様々な様式の居酒屋がカフェ内に開設され、ダンスホールや映画館、オーケストラによるショーを連日行う世界最大の娯楽施設として、年間100万人の来場者を記録したという。この来客層は当時の中産階級であり、ナチスの支持基盤層であったためカフェは禁止されなかった。ハウス・ファターランドは第二次世界大戦で爆撃を受けて損傷し、[[1953年]]に破壊されている。ドイツは最も遅くショービジネス形式の居酒屋が伝来し、居酒屋の持つ多機能性を最も残した国となった。 == スペイン・東欧の居酒屋 == スペインでは、聖[[ヤコブ (ゼベダイの子)|ヤコブ]]の墓への[[サンティアゴ・デ・コンポステーラ|サンティアゴ]]への巡礼を行う者たちのための居酒屋が、宿屋の併設という形で[[11世紀]]頃から[[レコンキスタ]]の余波もあって北部から南部にかけて急速に発達していった。街道沿いの宿屋は「ベンタ」と呼ばれたが、治安や設備等が粗悪であり、待遇は良くなかった。一方東欧では、[[1453年]]の[[ビザンツ帝国]]の崩壊で、[[バルカン半島]]一帯は[[オスマントルコ]]の勢力下となり、北部のスラブ地方では[[ドイツ騎士団]]による[[プロイセン]]の建国により、居酒屋も大きく様変わりする。東欧南部では都市型の居酒屋が、北部では農村型の居酒屋が多くみられるようになっていく。 == ロシアの居酒屋 == ロシアの居酒屋の歴史は[[13世紀]]頃に[[アラビア]]から伝来した[[ウォッカ]]に始まる。[[1480年]]に[[モスクワ大公国]]の都市部に「カバキ」と呼ばれる居酒屋が誕生する。飲まれたのはやはりウォッカであった。初期のカバキは国営であり、貴族専用店であったが、直ぐに富裕層に解禁され、[[17世紀]]には私営店も認可されるようになった。この辺りまでのウォッカは高級品で、低所得の市民や農民は雑穀から作ったクワスと呼ばれるアルコールの度数が低い酒を飲んでいたようである。農村部までにウォッカの出す居酒屋が広まるのは[[19世紀]]になってからである。この頃になると、カバキは高所得者向けの居酒屋の名称となり、低所得者向けの居酒屋は、「シノーク」と呼ばれるようになる。 == アメリカの居酒屋 == 英国の植民地政策が始まると、居酒屋は宿泊機能を持った「タヴァン」と呼ばれ、欧州の多機能性を有したコミュニティセンターであった。[[19世紀]]中頃になると高級宿泊施設の[[ホテル]]が大陸北部に登場し、フランスの入植も始まって居酒屋は「サロン」あるいは「サルーン」と呼ばれた。19世紀末期の居酒屋はアメリカ大陸に約30万軒ほどが大陸北部の工業地区に集中して存在しており、労働者たちの週末の息抜き場だった。しかし19世紀に起こった[[禁酒運動]]と1919年に成立した[[ボルステッド法]]([[禁酒法]])によって、居酒屋は存続に危機に晒される。だが飲酒行為そのものは禁止されなかったため、非合法の居酒屋が存続し、[[1931年]]当時には22万軒を数えるまでに発達した。この急速な居酒屋の発展には、[[アル・カポネ]]などの[[ギャング団]]や[[マフィア]]が大きく関わっていた。[[1933年]]に禁酒法が撤廃されると、居酒屋は一気に酒類を専門に提供する店へと変わっていくが、これは禁酒法時代に発展した映画観賞や野球観戦など娯楽が多様化したためである。 == アラビア地域の居酒屋 == [[7世紀]]の[[622年]]に[[イスラム教]]が成立する以前は、アラビア地域ではごく普通に酒が飲まれ、アラビア語で「ハーヌート」と呼ばれる居酒屋が存在していた。アラビア圏では主に「[[アラック]]」と呼ばれる[[蒸留酒]]や「ナビーズ」と呼ばれる[[醸造酒]]が飲まれたが、地域によっても特色があり、中部では[[ナツメヤシ]]、[[イエメン]]では[[蜂蜜]]から作られた酒があり、北部にかけてはワインやビールが古代から常飲された。イスラム教成立以後も権力者たちの飲酒行為は止まらなかった。これはイスラム教自体が禁酒を厳格化しなかったためである。歴代の[[カリフ]]たちは公然と酒に溺れ、例外は居酒屋禁止令を行った[[ウマイヤ朝]]の第8代目、[[ウマル2世]]くらいだと言われている。特にウマイヤ朝の第11代目である[[アル・ワリード2世]]は、禁酒を説く[[コーラン]]を破壊するパフォーマンスを行うほどの享楽家であった。その後[[アッバース朝]]の時代になると、異教徒であるキリスト教徒やユダヤ教徒が運営する居酒屋が普通に出店されるようになる。酒や関連する店舗は王朝に多大な税収をもたらしたため、黙認されたのである。[[16世紀]]になってアラビア圏に[[カフェ]]が発生する。ただしアラビアのカフェは[[15世紀]]の中頃にアフリカから伝わった[[コーヒー]]が主体であった。カフェは16世紀の中頃までにはアラビア圏を網羅し、後期には[[モスク]]に隣接するような大規模な店も出店するようになった。アラビア圏ではカフェの隆盛が契機となって禁酒の傾向が進み、コーヒーの飲用が奨励された。しかし酒類の提供は水面下続けられ、現在でも都市部などで細々と行われており、厳格な[[サウジアラビア]]や[[スーダン]]でも密造酒が流通しているほどである。 == インドの居酒屋 == インドは[[10世紀]]や[[16世紀]]にイスラムの支配をうけたが、イスラム教の浸透は支配者階級のみであり、大多数の市民たちはヒンドゥー教の教えを守り通した。そして飲酒の規律も、古代の法典である[[マヌ法典]]によって、蒸留酒である[[スラー酒]]の飲酒が禁止され、醸造酒である[[ソーマ酒]]が認められていたが、それはごく建前であり、都市部には両者を提供する多くの居酒屋が軒を並べていた。しかし近代に入ると、インド独立を指揮した[[マハトマ・ガンジー]]の禁欲主義と、彼が率いた[[インド国民会議派]]の政策により、居酒屋の数はごく少数となっている。 == 中国の居酒屋 == 中国でこれまでに確認されている最古の酒の痕跡は、[[紀元前7000年]]頃の土器に付着していた酒粕である。内訳は米や葡萄、蜂蜜などの成分が含まれていた。当初は[[華北]]に[[殷]]や[[周]]の王都が建国されたため、麦栽培が盛んになる[[紀元前270年]]以前は[[黍]]や[[粟]]の酒が、それ以後は麦の酒が飲まれた。稲作は気象条件の都合上、[[華中]]と[[華南]]でしか栽培できなかったため、米の酒が流通するのは、[[秦]]の中国統一による[[紀元前3世紀]]頃と言われている。その後、[[紀元前6世紀]]頃の[[春秋時代]]に[[布銭]]や[[刀銭]]、そして[[紀元前403年]]から[[紀元前221年]]までの[[春秋戦国時代]]にかけては青銅貨の[[円銭]]が流通した。これら貨幣経済の誕生と共に居酒屋や酒類を提供する宿屋は誕生したと見られている。古代中国では、民衆の酒盛りは禁止されており、[[漢]]の法律には『三人以上故なくして酒を群飲すれば、罰金4両』と規定されていた。ただし、国家の慶事の際には民衆の宴会は許されたようである。このことから古代の居酒屋は、富裕層向けに特化した店だったようである。その後居酒屋は、[[唐]]の時代ごろになると、各都市部に庶民向けの店が出始め、「酒肆(しゅし)」や「酒楼(しゅろう)」、「酒家(しゅか)」などと呼ばれた。これらは、当時の[[詩人]]であった[[李白]]や[[杜甫]]によって歌に詠まれている。各都市の街道沿いには宿屋を兼ねる居酒屋が軒を並べ、看板である「酒旗」を掲げ、ウイグル系の[[酌婦]]などが働いていた。当時は夜間の営業が禁止されており、深夜営業は[[宋朝]]の時代まで待たなくてはならなかった。またこの唐の時代に、詩人の[[王翰]]が[[葡萄酒]]を歌に詠んでいるが、ワインのような代物ではなく米と葡萄汁をブレンドした醸造酒だったようである。その後アラビアから[[蒸留酒]]が伝来し、「白酒(パイチュウ)」呼ばれて富裕層が嗜んだ。蒸留酒が庶民に出回るのは[[20世紀]]になってからである。宋の時代になると居酒屋は「酒壚(しゅろ)」と呼ばれるようになり、[[12世紀]]初頭の[[北宋]]の頃には、酒を蒸気で蒸して加熱殺菌する世界初の試みがなされている。居酒屋が庶民に広がった頃、同時に仏教の寺院等で[[茶館]]と呼ばれる[[飲茶]]の文化が広まった。居酒屋の持つ多機能性は茶館に集約され、[[共産党]]による一党支配がなされるまで、その機能を維持し続けた。現在では「酒家」はレストランを差し、「居酒屋」は日本から逆輸入されて使用されている。 == 日本の居酒屋 == 酒の醸造は、[[古事記]]に登場する逸話や歌から、[[8世紀]]初頭までには定着していた。「造酒司(みきのつかさ)」と呼ばれる役所の管轄の基、醸酒料としての米が租税として徴収された[[733年]]の記録が残っている。[[797年]]に書かれた[[続日本紀]]には、[[761年]]に居酒屋が存在した記録が残っている。ただしこの時は大陸の言葉である「酒肆(しゅし)」と書かれていた。[[奈良時代]]になると貨幣経済も始まり、寺院などで酒の醸造と提供が始まり、神社関連も醸造を行うようになる。やがて[[平安時代]]から[[室町時代]]にかけて民間業者が醸造を負高揚になり「醸造屋」と呼ばれるようになった。「醸造屋」は当初、貴族階級の富裕向けであり、庶民の飲酒行為は、[[811年]]の規制法等によって、祭り以外の飲酒が規制されていた。醸造屋が全国に波及するのは、[[11世紀]]頃と言われている。[[鎌倉時代]]になると貨幣経済が都市部で本格化し、武士階級に酒を提供する醸造屋が現れた。これらは「好色家」と呼ばれ、酒類の提供だけでなく売春業も行っていたようである。酒を巡ってのトラブルも多発したため、[[1252年]]の[[建長4年]]の10月には、酒壺の破棄指令が出たほどである。その後鎌倉時代の末期になると、ようやく商人階級に酒類を提供する醸造屋が登場する。[[室町時代]]になると醸造屋は一定の権力を持ち、幕府から課税対象とみなされるようになる。この頃の醸造屋は同時に金貸しをやっており、庶民に対して積極的に金を貸すと同時に、酒類も提供していた。また室町時代から、醸造と提供の分離が始まり、酒の提供に特化した「酒屋」や茶も出す「茶屋」が登場するようになる。その後戦国時代になると各大名が領内の経済強化のために酒屋や茶屋を積極的に保護した。都市部や街道沿いには庶民相手の居酒屋が建つようになる。居酒屋の本格的な発展は[[江戸時代|江戸期]]頃になる。酒の量り売りをしていた[[酒屋]](酒販店)で、その場で酒を飲ませるようになり、次第に簡単な[[肴]]も提供するようになった。<ref> 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p29 昭和33年12月25日発行</ref>。酒屋で飲む行為を「居続けて飲む」ことから「居酒」(いざけ)と称し、そのサービスを行う酒屋は売るだけの酒屋と差別化するために「居酒致し候」の貼紙を店頭に出していた。現在でもこうした酒販店に付属する形式の[[立ち飲み]]スタンドは残存しており、近隣[[住民]]の気軽な[[社交]]場として機能している例も見られる。他にも[[煮売屋]]が酒を置くようになったことに始るもの、また[[屋台]]から発展したものなどの別系統もある。[[江戸]]は男女比率が極端に男性に偏っており、一人住まいの[[独身]]男性が多かったことから酒が飲めて簡便に[[食事]]も取れる居酒屋は大いに広まっていった。一方農村部は最後まで居酒屋の普及が遅れ、[[18世紀]]後半まで待たなくてはならなかった。[[明治時代]]になると[[文明開化]]の名の下、[[ビール]]など洋酒が流入し、[[1899年]]には[[銀座]]に富裕層向けの「恵比寿ビアホール」が設立された。その後、[[カフェ]]や[[キャバレー]]等の洋風居酒屋が相次いで流入、戦後の[[1960年]]を境に日本酒と洋酒の消費量が逆転することになった。 [[1970年代]]頃までは居酒屋といえば[[男性]][[会社員]]が[[日本酒]]を飲んでいる所というイメージが強かったが、近年は女性にも好まれるように[[チューハイ]]や[[ワイン]]など飲み物や料理の種類を豊富にしたり、店内装飾を工夫したお店が多くなり、女性だけのグループや家族連れを含め、誰でも気軽に利用できる場所というイメージが定着しつつある。 特に[[1980年代]]頃から居酒屋の[[チェーン店]]化が進んだ。このことで、居酒屋は安く、大人数が集まることができ、少々騒いでもよく、様々な人の好みにあわせて飲み物や料理を選べるというメリットを持つようになった。このため、[[学生]]・会社員・[[友人]]同士などのグループで「簡単な[[宴会]]」を催す際の会場としてよく用いられている。チェーン店を中心に基本的には低価格で気軽に飲食できることを売りにしている店が多く、そのため男女に関わらず広い層を顧客としている。 店内の装飾や提供する飲食類は[[和風]]のことが多いが、あえて洋風にすることにより他店との[[差別化戦略|差別化]]を図る店もある。また、新鮮な[[魚介類]]を提供していることを強調するため店内に[[活魚]]用の[[生け簀]]を作る店や、[[カウンター]]を作って目の前で調理をしてみせる店など、様々な工夫を凝らした店が多い。チェーン店においては[[セントラルキッチン]]において調理済みの料理を提供する店が多いが、近年は「店内調理」を前面に出してセールスポイントとするチェーンも少なくない。 == 呼びかた == [[画像:cyochin2.jpg|thumb|200px|居酒屋の軒下につるされる赤提灯]] * 料理として主に[[焼き鳥]]を提供する店は、「焼き鳥屋」と呼ばれることが多い。焼き鳥屋は店内に焼き鳥を焼く台を設置してあり、客の目の前で焼いていることが多い。 * 料理として主に[[おでん]]を提供する店は、「おでん屋」と呼ばれることが多い。おでん屋はしばしば店舗の形式ではなく[[屋台]]の形式で営業される。 *[[焼肉]]店の中にも居酒屋の形式で営業をしているところもある。そういった店ではしばしば肉(筋肉部)よりも[[ホルモン焼き]]を主として出す場合が見られる。 * [[お好み焼き]]の看板が掛かっていても、ビールの看板も一緒に出ている店や夕方から深夜にかけて営業する店などはお酒を飲む店であり、「お好み焼き屋」でないことがあるので注意が必要である(お好み焼きを提供しない店すら存在する)。 * 店内に大きな[[炉]]を設置し、そこで焼いた料理を出す店は、「[[炉端焼き]](ろばたやき)」と呼ばれることがある。炉端焼きでは、炉越しに料理などを渡すために[[しゃもじ]]を巨大にしたような特別な道具を使うことがある。 * 1人または2人の少人数で運営し、あまり大きくない店舗(しばしばカウンター席のみ)で営業している店は「小料理屋」と呼ばれることもある。特に、料理に凝ったものを用意している場合にこの名称が用いられる。 * 飲料として主にビールを提供することを目的としている店は、[[ビアホール]]と呼ばれる。一般の居酒屋よりも開放的に作られていることが多く、屋外で営業されるものは[[ビアガーデン]]と呼ばれる。 * かつての居酒屋は、[[看板]]代わりに赤い[[提灯]]を店先に掲げていたことが多かったため、居酒屋を「赤提灯(あかちょうちん)」と呼ぶ人はいまだに多い。同様に、[[ロープ|縄]]で作った[[暖簾]]を入り口に下げていた店が多かったことから、「縄暖簾(なわのれん)」と呼ぶ人もいる<ref> 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p29 昭和33年12月25日発行</ref>。近年のチェーン店化された居酒屋をこれらの名前で呼ぶ人は少ない。むしろ昔ながらの居酒屋をチェーン店と区別するときにこれらの名前を使う。 == 文化 == 現在は老若男女を問わず利用されているが、かつては居酒屋は主に男性会社員や[[肉体労働者]]の大衆的な[[社交場]]として機能していた。これが日本の[[文化]]に与えている影響も少なくない。 [[歌謡曲]]の題材として取り上げられることが多く、特に[[演歌]]で居酒屋の情景が歌われることが多い。 また、[[日本映画]]の舞台として取り上げられることもある。 * 小説「居酒屋兆治」([[山口瞳]]) - 居酒屋を営む、まっすぐにしか生きられない男を描いた作品。[[高倉健]]主演で[[映画]]化もされた。 * 歌謡曲「居酒屋」- [[五木ひろし]]と[[木の実ナナ]]が歌い[[1982年]](昭和57年)に流行した。いまでも[[カラオケ]]でよく歌われている。 * 歌謡曲「居酒屋サンバ」 - [[南かなこ]]が歌い[[2003年]](平成15年)に流行。居酒屋のメニューが出ることで有名。 * 映画「居酒屋ゆうれい」- [[1994年]](平成6年)に[[渡邊孝好]]監督により映画化された。同年の[[キネマ旬報]]日本映画ベストテンに入った。 * 落語「居酒屋」- 酔っぱらい客が居酒屋で働く小僧をからかうという噺。 また、海外でも居酒屋(に相当するもの)を題材とした文芸作品などがある。 * 小説「[[居酒屋 (小説)|居酒屋]]」''L'Assommoir'' ([[エミール・ゾラ]]の[[ルーゴン・マッカール叢書]]) == 定番メニュー == 居酒屋は様々な形態のお店があるが、「居酒屋といえばたいていこれは提供している」という、「定番メニュー」がある。主なものを下に列挙する。 === 酒類 === * [[日本酒]]([[燗酒|熱燗]]、吟醸酒) * [[ビール]](ビールと称して[[発泡酒]]や[[第三のビール]]を出す店がある) * [[焼酎]] * [[サワー]](主に関東地方、ハイサワーが有名。他地域ではチューハイが主) * [[チューハイ]] * [[ワイン]] * [[ウイスキー]]、[[ウイスキー・ソーダ|ハイボール]](近年に取り扱う店舗が増えている) * [[ホッピー]](主に関東地方) === 料理 === * [[サラダ]]([[ポテトサラダ]]・[[マカロニサラダ]]など) * [[おでん]] * [[焼き鳥]] * [[冷や奴]] * [[枝豆]] * [[刺身]] * [[唐揚げ]] * [[どて焼き]](関西ではポピュラー) * [[漬物|漬け物]]([[漬物|お新香]])、[[キムチ]] * 乾きもの([[柿ピー]]、裂き烏賊など) * [[塩辛]] * [[煮込み]] * [[もつ]](ホルモン)料理([[もつ煮込み]]、[[酢もつ]]、[[ホルモン焼き]]、[[もつ鍋]]など) * [[豚足]] * [[ウシ|牛]][[スジ肉]]料理 * [[だし巻き卵]] === お通し、突き出し === 店に入って酒を注文すると、他に何も頼んでいなくても小皿や小鉢に入った一品料理が出てきて代金を取られるケースが多い。これは「お通し」もしくは「突き出し」と呼ばれるもので、最初の注文が入ってから客に出すまでの時間をつなぐためとされるものである。この他「口取」とする店もある。予め作っておいてすぐに出せるもの、あるいは前日の残り物などを上手く処理して出す。枝豆や、前日は刺身で出していた魚を、煮付けにして出すなどはその例である。関東ではお通し、関西では突き出しという所が多いようだが、両者で全く正反対の言葉を同義語として使っている。店側にとって、お通しは「客単価を確実に上げられる上に、質をあまり問われないので利益率が高くありがたい商品」として重宝されている側面もある<ref name=asahi>[https://snet.asahibeer.co.jp/news/column/009/ 「お通し革命」が進行しています] - ご繁昌サポートネット・2013年2月5日</ref>。 「頼んでいないのだから代金は払わない」等のトラブルを回避するため「(お通しを)頂戴致します([[養老乃瀧]]、席料とも取れる表記)」「酒類をご注文のお客様にお召し上がり頂きます([[つぼ八]]、「手始め」と呼称)」などと料金システムとして明示するケースも見受けられる。一方で「頼んでもいない商品を一方的に出すのは客に余計な負担をかける」という理由から、お通しを出さないことをセールスポイントの一つとするチェーン([[鳥貴族]]<ref>[http://ameblo.jp/toriki-ookura/entry-10516793122.html 居酒屋の【お通し】について] - 鳥貴族 社長の焼鳥日記!!・2010年4月24日</ref>など)や、「お通しが要らないお客様には提供しない」ことをメニュー等で明示しているチェーン([[ワタミ|和民]]<ref name=asahi />など)も出てきている。 == 主な居酒屋チェーン == * 「[[白木屋 (居酒屋)|白木屋]]」、「[[魚民]]」、「[[笑笑]]」([[モンテローザ]]) * 若の台所、赤鶏御殿、かまくら御殿、蒼の洞窟物語、京の町に夢が咲く、桜坂、さくらさくら、和桜ひとひら、柚柚、水都の饗宴、竹取御殿、竹取の眞ぼろしなど([[川中商事]]) * やぐら茶屋([[ダイワエクシード]]) * はなの舞、団欒炎([[チムニー (居酒屋)|チムニー]]) * 和民、和み亭など([[ワタミ]]) * [[酔虎伝]]、八剣伝、居心伝など([[マルシェ (企業)|マルシェ]]) * [[甘太郎]]、贔屓屋など([[コロワイド]]) * [[土間土間]]、とりでんなど([[レインズインターナショナル]]) * 庄や、やるき茶屋など([[大庄]]) * 北の家族、ザ・ロックアップ([[NBK]][http://www.kitanokazoku.jp/top/index.html]) * さくら水産([[テラケン]]) * サッポロライオン([[サッポロビール]]系) * 庄屋など([[ニユートーキヨー]]) * [[養老乃瀧]] * 東方見聞録、月の雫など([[三光マーケティングフーズ]]) * [[つぼ八]] * [[村さ来]]など([[ジー・テイスト]]) * わん、千の庭、かっこなど([[オーイズミフーズ]][http://www.oizumifoods.co.jp/]) * 世界の山ちゃん([[エスワイフード]]) * 居酒屋 藩([[西洋フード・コンパスグループ]]) * 天狗([[テンアライド]]) * [[鳥貴族]] * [[八百八町 (居酒屋)|八百八町]][http://e-808.com/] * [[北前そば高田屋]][http://www.takada-ya.co.jp] *とりぞうの新時代([[ファッズ]]) == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[酒場]] * [[飲み会]] * [[コンパ]] * [[合コン]] * [[立ち飲み]] * [[ハッピーアワー]] * [[吉田類]] {{デフォルトソート:いさかや}} [[Category:飲食店]] [[Category:飲酒文化]]
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