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少弐資元
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 少弐資元 | 時代 = [[室町時代]] - [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] | 生誕 = [[延徳]]3年([[1491年]]) | 死没 = [[天文 (元号)|天文]]4年[[12月29日 (旧暦)|12月29日]]([[1536年]][[1月22日]]) | 改名 = | 別名 = 不詳 | 諡号 = | 戒名 = | 墓所 = | 官位 = 大宰少弐 | 幕府 = | 主君 = | 氏族 = [[藤原氏|藤原姓]][[少弐氏]] | 父母 = 父:[[少弐政資]]、母:不詳 | 兄弟 = [[少弐高経|高経]]、'''資元''' | 妻 = 正室:[[大友親治]]の娘 | 子 = [[少弐冬尚|冬尚]]、[[千葉胤頼]]、[[少弐政興|政興]]、[[少弐元盛|元盛]]、[[松浦鎮]] | 特記事項 = }} '''少弐 資元'''(しょうに すけもと)は、[[室町時代]]から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]にかけての[[大名]]。 == 生涯 == [[少弐氏]]第十六代当主。[[1497年]]、父政資と兄[[少弐高経|高経]]が幕府からの追討令を得た[[周防国]]の[[大内氏]]に攻め滅ぼされ非業の死を遂げたのち、[[横岳資貞]]ら旧臣たちや[[豊後]][[大友氏]]の後押しを受けて、少弐氏を再興する。[[1530年]](享禄3年)、[[大内義隆]]の命を受けた[[筑前国|筑前]][[守護代]]の[[杉興連]]の侵攻を受けるが[[田手畷の戦い]]にて家臣の[[龍造寺家兼]]らの働きによりこれを撃退した。しかしこのため、[[龍造寺氏]]の力が台頭することにもなり、少弐氏の力は次第に衰退してゆく。また、資元も度重なる大内氏の侵攻に耐えられなり家兼の進言を受け義隆と和議を結ぶが、この和議は謀略で、[[1535年]](天文4年)、資元は義隆に領地をすべて取り上げられてしまった。[[1536年]](天文5年)、大宰大弐の官を得た義隆は[[陶興房]]に資元を攻撃させ、資元は自害して果てた。子の冬尚は[[蓮池城]]の[[小田資光]]([[小田政光|政光]]の祖父)の下に落ち延び、少弐氏の血脈を保った。 なお、資元最期の地となった[[梶峰城]]は、父政資が自決をした場所でもある。 == 偏諱を与えた人物 == *[[江上元種|江上'''元'''種]]([[江上氏]]、[[江上武種]]の叔父にあたり、資元の擁立に貢献) *[[小田元光|小田'''元'''光]]([[小田氏]]、資光の子、政光の父) *[[少弐元盛|少弐'''元'''盛]](四男、※資元が自害した当時まだ1歳であり、[[元服]]の際に亡き父・資元の1字を取った。) {{少弐氏当主}} {{DEFAULTSORT:しように すけもと}} [[Category:少弐氏|すけもと]] [[category:守護大名]] [[category:佐賀県の歴史]] [[category:戦国大名]] [[Category:1491年生]] [[Category:1536年没]]
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