コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
小田幸平のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
小田幸平
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Infobox baseball player |選手名 = 小田 幸平 |所属球団 = 中日ドラゴンズ |背番号 = 52 |選手写真ファイル名 = CD-Kohei-Oda.jpg |写真のコメント = |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[兵庫県]][[高砂市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1977|3|15}} |没年月日 = |身長 = 180 |体重 = 84 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[捕手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1997}} |ドラフト順位 = ドラフト4位 |初出場 = 1998年10月1日 |最終出場 = |年俸 = 2,700万円(2014年) |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[市川高等学校 (兵庫県)|市川高等学校]] * [[三菱重工神戸硬式野球部|三菱重工神戸]] * [[読売ジャイアンツ]] (1998 - 2005) * [[中日ドラゴンズ]] (2006 - ) |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''小田 幸平'''(おだ こうへい、[[1977年]][[3月15日]] - )は、[[兵庫県]][[高砂市]]出身の[[中日ドラゴンズ]]に所属する[[プロ野球選手]]([[捕手]])。 愛称は'''ODA'''(オーディーエー)<ref>中日の[[私設応援団]]から呼ばれているもので[[中日スポーツ]]でも紹介されていた。また、ベンチ内のメンバーを記入するホワイトボードにも「ODA」と書かれている</ref>など。 == 来歴 == === プロ入り前 === [[市川高等学校 (兵庫県)|兵庫・市川高校]]では甲子園に出場することはなく、卒業後は[[社会人野球]]の[[三菱重工神戸硬式野球部|三菱重工神戸]]でプレーする。 [[1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1997年のドラフト]]で[[読売ジャイアンツ]]から4位指名を受けて、入団。 === 巨人時代 === 守備は即戦力級であり、ルーキーイヤーの[[1998年]]から毎年一軍での出場機会を得る。しかし[[バッティング|打撃]]に難があり、3番手以降の捕手という評価に止まり、一軍で定着出来ないシーズンがしばらく続く。 [[1999年]]は、開幕一軍だったが、開幕直後の横浜戦で[[村田真一]]の負傷退場に伴い守備に就いたものの、先発[[バルビーノ・ガルベス|ガルベス]]が最大9点あった点差をひっくり返されて逆転負けした責任を取らされ即二軍落ちとなり、10月まで昇格できなかった。 [[2004年]]、プロ7年目で初本塁打を放った。課題であった打撃に成長が見られたこの年以降、出場機会が増えていく。 [[2005年]]には、正捕手の[[阿部慎之助]]、2番手であった[[村田善則]]に次ぐ巨人の3番手捕手として出場することが多かった。結果、巨人在籍時で最多となる31試合に出場した。 [[12月13日]]、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]で巨人に移籍した[[野口茂樹]]の人的補償として、[[中日ドラゴンズ]]に移籍。 === 中日時代 === [[2006年]]、移籍して間もなく正捕手である[[谷繁元信]]が[[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]への出場で戦列を離れたため、オープン戦ではほぼスタメンで出場。打撃はともかく、守備とリードがとても良いと評価された。シーズンが開幕すると谷繁の体力の衰えや打撃面での極度の不調などもあり、主に移動後での1戦目や[[セ・パ交流戦|交流戦]]などで先発起用された。また、[[山本昌]]との相性の良さから、同投手の先発時はスタメンで起用されることが多かった。結果、2番手捕手として一軍に定着し、谷繁の後継者として期待される存在となる。 11月の契約更改では1300万円増の3600万円でサインした。本人は満足できる数字を残したシーズンではなかったが、谷繁の控え捕手として働いたことやムードメーカーとしてベンチからチームを盛り上げたことが高く評価された。 [[2007年]]、背番号が'''40'''から'''26'''へと変更される。これについて落合監督は「26を小田、28を([[プロ野球ドラフト会議|ドラフト]][[希望入団枠制度|希望枠]]で入団した)[[田中大輔 (野球)|田中大輔]]に付けさせ、26、27(谷繁)、28で正捕手を争えばいい」と話していた。シーズンでの起用形態は前年とほぼ同じだが、山本昌の不調もあり、出場機会は若干減少した。 同年オフに視力矯正のために[[レーシック]]手術を受け、視力が回復したことにより以後は眼鏡なしでのプレーとなる。 [[2008年]]、付けていた背番号'''26'''を大学・社会人ドラフト1巡目で[[名城大学]]から入団した[[山内壮馬]]が付けることになり、背番号が'''28'''に変更された。 シーズン当初は控えだったが、5月に谷繁が故障で離脱すると先発マスクを被ることが増えた。しかし、谷繁以上の信頼を得ることはできず、山本昌とのバッテリーも谷繁に奪われてしまい、チャンスを活かせず、課題が残る結果に終わった。それでも、移籍後最多となる41試合に出場し、オフの契約更改では増額を得た。 しかし、秋季キャンプでは両足痛で途中離脱。更に、背番号'''28'''をドラフト5巡目で[[明治大学]]から入団した[[岩田慎司]]が付けることになり、'''52'''に変更され、中日に移籍してから4年連続で背番号を変更することとなった。 [[2009年]]は、シーズン開始直後に谷繁が怪我で離脱し、先発マスクの機会を得るが、4月18日の試合で逆転負けを喫した際に、落合監督からリードの悪さを指摘され<ref>落合監督はこの敗戦のコメントについて、「明日のスタメンを見れば分かるよ」と言い、その日のオーダーに小田が外されていた。</ref>、その翌日以降、前年に[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]から自由契約で移籍してきた[[小山桂司]]に先発マスクを譲ることとなる。谷繁が復帰するまでは主に[[岩瀬仁紀]]が登板する際に出場するなど終盤の守備固めでの出場が多かったが、谷繁の一軍復帰と同時に二軍落ちすることとなった。すぐに復帰したが、程なくして再び二軍落ちした(その後、7月31日に一軍復帰)。勝負どころでの度重なるバントの失敗、また打率が.050を切るなど、打撃面での弱さも仇となって、終盤の守備交代時の起用が多くなった。 [[2010年]]は、中日移籍後初めて同じ背番号を2年連続で付けることになった。新人の[[松井雅人]]が第3捕手として開幕一軍を果たしたため、開幕を二軍で迎えることとなった。しかし、6月18日に谷繁の怪我もあってようやく一軍昇格。以降は先発レギュラーとなり、谷繁の復帰後は併用されるようになった。7月16日から20日にかけてのチームの5試合連続完封に貢献。5試合のうち2試合で先発出場し、16日は2年ぶりのマルチヒット、19日は決勝の3点適時二塁打を放つなど、少ない打席ではあるが、打率.274の成績を残し、チームの優勝に貢献した。10月23日の[[クライマックスシリーズ]]・ファイナルステージ第4戦の4回にも、試合の均衡を破る先制2点適時二塁打を放っている<ref>「大一番もやりました〜小田 先制打」日刊スポーツ・大阪版 2010年10月24日付 6版 3面</ref>。内角を果敢に突く一方で死球も多く、8月20日ナゴヤドームのヤクルト戦ではリーグ最多タイの5死球を与えている。試合は相手投手館山の無四死球完封により、本拠地13連勝を逃す結果となった。 [[2011年]]は、キャンプで足首を痛めたため(後に一時実戦復帰するも体調不良で再び離脱)、開幕を二軍で迎えることとなった。しかし、6月29日に一軍昇格。その後は[[小山桂司]]と併用されている。7月5日の対阪神戦ではプロ入り初となるサヨナラヒットを放った。この年に加入した投手である[[エンジェルベルト・ソト]]が先発する際には、小田がスタメンマスクを被る。オフに国内移籍が可能なFA権を初めて取得したが、残留を決めた。会見では「(球団に)残って欲しいと言われたのと、まだひつまぶしと味噌煮込みうどんを食べたい。あと[[トニ・ブランコ|ブランコ]]から焼き肉を食べようと言われたので」とジョークで笑わせたが、実際には悩みに悩み抜いての残留だった。 [[2012年]]は[[福田永将]]や[[田中大輔]]等の若手捕手の台頭もあって出場機会を減らしたが、引き続き第2捕手としての存在感は示した。しかし、前年とは打って変わって球団と揉め、「別に(来年)おらんでもええんじゃないかという話し方だった。来年残ってほしいなら、そういう言葉や評価があるはず」と怒り、FA移籍を示唆する発言をしたが、球団が態度を改め残留。 [[2013年]]は8月28日のヤクルト戦(神宮球場)で[[マット・クラーク|クラーク]]、[[高橋周平]]に続いてホームランを打ち、2004年以来9年ぶりの一発となった ==プレースタイル== 内角を大胆に突くリードやブロックの良さに定評がある捕手。 最近は、打撃も向上しており[[2010年]]は打率・打点共に自己記録を更新した。 == 人物 == サインを書くときは自身のトレードマークである眼鏡のマークを左側に必ず入れている。また、[[眼鏡]]を掛けたトボけた風貌と鉄砲肩が売り物だったことから、巨人入団時は「[[古田敦也|古田]]二世」の異名をとり、即戦力として期待された。 妻は[[フリーアナウンサー]]の[[石井江奈]]。彼女との間に一男をもうけている。現在は家族を東京に残しての単身赴任となっている。 とても陽気な性格ということもあってか、試合前には選手たちを笑わせてリラックスさせることなどに徹している。また監督コーチ・チームメイトからの信頼も厚い。[[川上憲伸]]は自身の[[ブログ]]でこのことに触れている。2006年のセ・リーグ優勝のビールかけの時には[[セーラー服]]にカツラを被るという奇抜な格好で登場した。本人曰く、[[桜塚やっくん]]の物真似だという<ref>[[2006年]][[10月21日]][[ズームイン!!サタデー]]より</ref>。さらに翌2007年の日本シリーズ制覇の際も白いドレスにカツラという女装で現れた。これは[[IKKO]]の物真似であったというが、あまりにも似ていなかった。ただ巨人、中日両球団のチームメイトからはいじられキャラと位置付けられており、テレビ番組のインタビューに応じていると「幸平にカメラは勿体ない」などと野次られる。 一般的なタブロイド誌やバラエティを通した野球視聴者には[[清原和博]]を中心に[[元木大介]]や[[福井敬治]]などとともに「清原軍団舎弟その3」もしくは「清原一派の”子分”その2」などといった“配役”を当てられている「おとぼけ顔」のキャッチャーである。実像は[[岡島秀樹]]とともに、大先輩の[[桑田真澄]]の自主トレに毎年必ず同行している選手であり、自身研究熱心な桑田が打者研究の熱心さに舌を巻き、巨人・中日両球団で同僚であった[[川相昌弘]]が守備を絶賛した選手である。2012年には阿部ら巨人選手のハワイ自主トレに参加している様子が[[ズームイン!!サタデー]]で取り上げられた。 中日に移籍する際に、監督である[[落合博満]]は「'''なぜ彼がプロテクトされなかったのか不思議だ。彼ほどの選手をドラフトで取ろうとすれば、1億円の契約金が必要だ'''」、「'''人的補償で残っているとは思わなかった。これが最大の補強だ'''」と獲得を即決したとコメントしている。 基本的には打撃は期待されておらず、試合前に首脳陣から「打撃練習はしなくていい」と言われたこともあった。リードではレギュラー捕手の谷繁が相手の弱点をつくリードをするのに対して、小田はピッチャーのいい部分を引き出すリードをする。2010年シーズンは本人曰く「意識の持ち様を変えた」事で打撃での好調ぶりを発揮した。 中日移籍後からは、一時期[[ナゴヤドーム]]で打席に入った際に[[長渕剛]]の『CLOSE YOUR EYES』が流れた。ビジターでは私設応援団が[[トランペット]]でこの曲を演奏した。ファンが掛け声を交えながら「O, D, A」の三文字を両手を使って表現する応援スタイルが定着した。長渕剛ファンで、コンサートでは清原和博に連れられて長渕の楽屋を訪れたこともある。『CLOSE~』の使用許可は長渕本人から承諾を得ていた。なお2009年以降は[[TUBE]]の「ロケットハナビ」を、2010年途中からは[[矢沢永吉]]の「SOMEBODY`S NIGHT]使用している。 2010年7月19日のヒーローインタビューで元々は[[中部日本放送]]の[[佐藤幹朗]]アナウンサー(元[[槍投げ]]選手)が、[[東海地方]]のローカル番組「[[サンデードラゴンズ]]」で使っていたセリフ「やリましたーっ!!」と何度も絶叫。その後もヒーローインタビューを受けるたびにしつこく連発したため監督から「相手チームを刺激する」と苦言を呈され、しばらく封印していたが、その後しばらく他の選手もヒーローインタビューで「やリましたーっ!!」とコメントしたり、優勝祝賀会で選手会長の[[森野将彦]]が使う、優勝記念グッズとしてタオルやTシャツなどが発売されるなどした。なお2010年[[クライマックスシリーズ]]ファイナルステージ終了後にも小田が試合終了後に観客とともに「やリましたーっ!!」と叫んだ。なお本人はやれとは全く言ってないようで([[サンデードラゴンズ]]より)、後にお立ち台で「今日はやりました!!」と絶叫した[[浅尾拓也]]は「[[和田一浩|和田]]さんにやれと言われた」と発言している([[月刊ドラゴンズ]]より)。また、2010年10月20日に開催された優勝報告会でも、和田一浩の勧めから万歳三唱の前にも叫んでいる。 2011年7月5日のサヨナラ勝ちの際にもヒーローインタビューで2回、1回目は衝動を抑えきれずアナウンサーからマイクを奪い、2回目はアナウンサーからマイクを渡されて「やリましたーっ!!」と叫んでいる。また、リーグ連覇したこの年のビールかけでも森野が前年に引き続き「やりましたーっ!!」の掛け声でスタートさせた。同年12月6日には、サンデードラゴンズの企画の一環として[[名古屋競馬場]]で「小田幸平やりましたーっ!!特別」を[[個人協賛競走]]として実施し、自らも表彰式に駆けつけた<ref>東京中日スポーツ・2011年12月7日付 2面</ref>。 2011年末から2012年始にかけて、[[中日スポーツ]]とのタイアップ企画として、よりファンに喜んでもらえるように「やりましたーっ!!」と同時にできる決め台詞を募集した。118通のアイデアの中から小田が選んだのは「でら、うれしいがや!」。まずは掴みとして「でら、うれしいがや!」と叫び、続いて「スリー、ツー、ワン!やりましたーっ!!」という段取りになり<ref>中日スポーツ 2012年2月28日付</ref>、実際に9月6日の対広島戦(ナゴヤドーム)でのヒーローインタビューで披露した。 ベンチに待機している状態でチームがサヨナラ勝ちになった時は、真っ先にサヨナラ打を打った選手に駆け寄ると同時に、事前に用意した水を選手に頭から浴びせる。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1998}} |rowspan="8" style="text-align:center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]] |2||4||4||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||2||0||.000||.000||.000||.000 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |5||12||12||0||2||0||0||0||2||2||0||0||0||0||0||0||0||2||0||.167||.167||.167||.333 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |2||3||3||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||1||0||.000||.000||.000||.000 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2001}} |4||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||----||----||----||---- |- |style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |7||7||5||1||2||1||1||0||5||3||0||0||1||0||0||0||1||1||0||.400||.500||1.000||1.500 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |11||14||13||2||1||0||0||0||1||0||0||0||1||0||0||0||0||4||0||.077||.077||.077||.154 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |24||67||62||6||16||3||0||1||22||6||0||0||2||0||2||1||1||12||2||.258||.292||.355||.647 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |31||66||62||4||13||2||0||0||15||5||0||1||3||0||0||0||1||17||1||.210||.222||.242||.464 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |rowspan="8" style="text-align:center;"|[[中日ドラゴンズ|中日]] |33||42||38||1||6||3||0||0||9||2||0||0||3||0||1||0||0||13||2||.158||.179||.237||.416 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |27||42||36||1||7||1||0||0||8||1||0||0||3||1||1||1||1||8||0||.194||.231||.222||.453 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |41||71||64||2||12||1||0||0||13||4||0||0||2||1||4||2||0||12||2||.188||.232||.203||.435 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |24||27||24||0||1||0||0||0||1||1||0||0||1||1||1||0||0||6||1||.042||.077||.042||.119 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |37||95||84||5||23||8||0||0||31||11||0||0||2||2||6||4||1||14||1||.274||.323||.369||.692 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2011}} |40||69||61||0||10||0||0||0||10||4||0||0||3||0||5||1||0||15||1||.164||.227||.164||.391 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2012}} |35||54||48||2||13||2||0||0||15||4||0||0||4||0||2||1||0||12||0||.271||.300||.313||.613 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2013}} |31||40||37||2||5||0||0||1||8||2||0||0||0||0||3||1||0||7||0||.135||.200||.216||.416 |- !colspan="2"|通算:16年 |354||613||553||26||111||21||1||2||140||45||0||1||25||5||25||11||5||126||10||.201||.240||.253||.495 |} * 2013年度シーズン終了時 === 年度別守備成績 === {{節stub}} {| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;" !rowspan="2"|年<br />度!!colspan="11"|捕手 |- !試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!捕逸!!守備率!!企図数!!許盗塁!!盗塁刺!!阻止率 |-|- |1998||2||6||1||1||0||0||.875||1||1||0||.000 |- |1999||5||30||3||0||1||2||1.000||6||5||1||.167 |- |2000||2||11||0||0||0||0||1.000||1||1||0||.000 |- |2001||4||2||1||0||0||0||1.000||2||1||1||.500 |- |2002||6||16||1||1||0||0||.944||2||1||1||.500 |- |2003||11||34||6||0||2||1||1.000||4||2||2||.500 |- |2004||23||146||12||2||1||2||.988||15||10||5||.333 |- |2005||27||116||8||3||1||0||.976||7||4||3||.429 |- |2006||32||94||9||1||2||3||.990||9||6||3||.333 |- |2007||26||107||7||1||0||0||.991||10||6||4||.400 |- |2008||41||179||19||2||3||1||.990||13||6||7||.538 |- |2009||24||70||5||0||0||1||1.000||7||5||2||.286 |- |2010||36||196||12||2||2||1||.990||13||11||2||.154 |- |2011||40||169||17||2||2||0||.989||17||15||2||.118 |- |2012||35||110||13||2||2||3||.984||15||10||5||.333 |- |2013||29||100||4||1||0||2||.990||6||6||0||.000 |- !通算 |343||1386||118||18||16||16||.988||128||90||38||.297 |} === 記録 === * 初出場:1998年10月1日、対[[広島東洋カープ]]25回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、6回裏に[[柳沢裕一]]に代わり[[捕手]]で出場 * 初打席:同上、7回表に[[佐々岡真司]]から三邪飛 * 初先発出場:1998年10月2日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)、8番・捕手で先発出場 * 初安打:1999年4月9日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])、5回表に[[福盛和男]]から中前安打 * 初打点:1999年10月10日、対横浜ベイスターズ27回戦(横浜スタジアム)、5回表に[[戸叶尚]]から中前同点2点適時打 * 初本塁打:2004年7月7日、対横浜ベイスターズ15回戦([[東京ドーム]])、5回裏に[[セドリック・バワーズ]]から左越2ラン === 背番号 === * '''46''' (1998年 - 2005年) * '''40''' (2006年) * '''26''' (2007年) * '''28''' (2008年) * '''52''' (2009年 - ) === 登場曲 === * 『ロケットハナビ』[[TUBE]](2009年~2010年、2012年) * 『SOMEBODY`S NIGHT』[[矢沢永吉]](2010年~2011年) * 『マル・マル・モリ・モリ!』[[薫と友樹、たまにムック。]](2011年~) * 『Marry You』[[Bruno Mars]](2013年~) == 関連情報 == === 著書 === *『ODA52:15年以上、プロで生き残った2番手捕手の竜儀』([[洋泉社]]、2013年12月、ISBN 9784800302700) == 脚注 == <references/> == 関連項目 == * [[兵庫県出身の人物一覧]] * [[読売ジャイアンツの選手一覧]] * [[中日ドラゴンズの選手一覧]] {{中日ドラゴンズ}} {{読売ジャイアンツ1997年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:おた こうへい}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:三菱重工神戸硬式野球部の選手]] [[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]] [[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:1977年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:兵庫県出身の人物]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:By2
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Infobox baseball player
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:中日ドラゴンズ
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:年度別打撃成績
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:節stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:読売ジャイアンツ1997年ドラフト指名選手
(
ソースを閲覧
)
小田幸平
に戻る。
検索
検索
小田幸平のソースを表示
話題を追加