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小田和正
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{{Otheruses|歌手|キャプテン翼に登場する'''小田和正'''|キャプテン翼の登場人物#ふらの中学}} {{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照--> |Name = 小田 和正 |Background = singer |Birth_name = 小田 和正 |Alias = |School_background = [[聖光学院中学校・高等学校]]卒業<br>[[東北大学]]工学部建築学科卒業<br>[[早稲田大学]][[大学院]]理工学研究科修了 |Born= {{生年月日と年齢|1947|9|20}} |Died = |Origin = {{JPN}}[[神奈川県]][[横浜市]][[金沢区]] |Instrument = [[歌]]<br>[[キーボード (楽器)|キーボード]]<br>[[ギター]] |Genre = [[J-POP]]<br>[[AOR]]<br>[[ニューミュージック]] |Occupation = [[シンガーソングライター]]<br>[[音楽プロデューサー]] |Years_active = [[1970年]] - |Label = ファンハウス<br>([[1986年]] - [[1999年]])<br>[[BMG JAPAN]](BMGファンハウス)<br>(1999年 - [[2009年]])<br>[[アリオラジャパン]]/Little Tokyo<br>(2009年 - ) |Production = [[ファー・イースト・クラブ]] |Associated_acts = [[オフコース]]<br>[[松任谷由実]]<br>[[財津和夫]]<br>[[USED TO BE A CHILD]]<br>PLUS ONE<br>オダ☆レビ<br>[[ゆずおだ]]<br>など |Influences = [[サイモン&ガーファンクル]]<br>[[ピーター・ポール&マリー]]<br>[[エルトン・ジョン]]<br>[[カーペンターズ]]<br>[[ギルバート・オサリバン]]<br>[[杉田二郎]]<br>[[小椋佳]]<br>[[井上陽水]]<br>[[吉田拓郎]]<br>など |URL = [http://www.fareastcafe.co.jp Far East Café] |Notable_instruments = [[ローランド|ローランド・RS-202]]<br>[[ヤマハ・CPシリーズ|ヤマハ CP80]]<br>ローランド・RS-09<br>[[ローズ・ピアノ|ローズ・スーツケース]]<br>[[クラビネット|クラビネット D6]]<br>[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5]]<br>[[ヤマハ・DXシリーズ]]<br>[[ヤマハ・KXシリーズ|ヤマハ KX88]]<br>[[ヤマハ・SYシリーズ|ヤマハ SY77]]<br>[[クラビノーバ|ヤマハ・クラビノーバ]]<br>[[コルグ・OASYS]]<br>[[マーティン (楽器メーカー)|マーティン・D-28]]<br>[[フェンダー・テレキャスター]] }} '''小田 和正'''(おだ かずまさ、[[1947年]][[9月20日]] - )は、[[日本]]の[[ニューミュージック]]シンガー、[[シンガーソングライター]]、[[音楽プロデューサー]]。元[[オフコース]]の[[リーダー]]で[[ボーカル]]。株式会社[[ファー・イースト・クラブ]] (FAR EAST CLUB INC.) 代表取締役社長。[[身長]]172cm。[[血液型]]は[[ABO式血液型|A型]]。 == 来歴 == === 生い立ち === [[横浜市]][[金沢区]]出身。[[金沢文庫]]すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として育ち、2歳違いの兄が一人居る。兄は[[栄光学園中学校・高等学校]]から[[東京薬科大学]]を経て[[薬剤師]]となり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。 幼少時代は横須賀中央の[[ヴァイオリン|バイオリン]]教室に通っていた。実父は、[[東京都]][[本郷]]の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築き[[藍綬褒章]]を受賞している。趣味は[[ゴルフ]]、[[油絵]]。[[古今亭志ん生]]のファンである。 [[関東学院六浦小学校]]、横浜市立八景小学校を経て、[[1960年]]、全国でも有数の進学校である[[聖光学院中学校・高等学校|聖光学院]]に進学。小学3年生の時中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、[[京浜急行]]の車中で[[鈴木康博]]と運命の出会いを果たす。鈴木とは第1志望だった[[栄光学園中学校・高等学校|栄光学園中学]]の受験に失敗(2人共に)し、進んだ中高一貫教育である聖光学院では中学校・高等学校を通じて同級生だった。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、[[地主道夫]]、[[須藤尊史]]の4人で演奏を披露した。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホールがある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。なお、[[1999年]]、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。 === オフコース === 聖光学院卒業後、須藤は[[横浜市立大学]]、小田は地主とともに[[東北大学]]に進学、建築工学を専攻。聖光学院在学時に授業で[[建築模型]]を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、[[千葉大学]]医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は[[東京工業大学]]に進学、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。[[1969年]]、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「[[ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト]]」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京だとレベルが高い、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は[[赤い鳥 (フォークグループ)|赤い鳥]]、フォー・シンガーズ([[財津和夫]]のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める<ref name="jpopsnokyojintati">[[田家秀樹]] 『ジャパニーズポップスの巨人たち―21世紀に語り始めた22人の音楽スピリット』(TOKYO FM出版 2002年8日)ISBN 978-4887450714 。TV番組「[[月曜組曲]]・[[風のようにうたが流れていた]]」でも小田自身による同趣旨の発言あり。</ref>。 しかし音楽一本に決めた鈴木、小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた地主に対し、小田は自分の道をまだ定められず、[[1971年]][[早稲田大学]][[大学院]]に進学、建築の研究も続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、[[1976年]]大学院修了時は完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、指導教授に「私的建築論」とタイトルを変更させられている)。 オフコースは数度のメンバー変遷を経て[[1972年]]より小田、鈴木の2人構成、後に[[清水仁]]、[[大間ジロー]]、[[松尾一彦]]を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、[[1970年代]]から[[1980年代]]にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表した[[シングル]]のA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「[[さよなら (オフコースの曲)|さよなら]]」「[[Yes-No]]」「[[君が、嘘を、ついた]]」などがある。[[1982年]]にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、[[1989年]]まで活動した。オフコース時代の活動の詳細は[[オフコース]]の項参照。 === ソロ以降 === [[1986年]]に初めてのソロシングル「[[1985 (小田和正の曲)|1985]]」、初のソロアルバム『[[K.ODA]]』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、[[1989年]]のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。 [[1991年]]、[[フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ|フジテレビ月9ドラマ]]『[[東京ラブストーリー]]』の主題歌として制作した楽曲「[[ラブ・ストーリーは突然に]]」が、ドラマと見事な[[コラボレーション]]を成し、ドラマ・主題歌共に大ヒット。オフコース時代に叶わなかった、「[[オリコンチャート|オリコン]]シングル[[チャート]]第1位」と「シングル[[ミリオンセラー]]突破」を一挙に成し遂げた。 その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『[[自己ベスト (小田和正のアルバム)|自己ベスト]]』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。 [[1998年]]7月22日夜、愛車[[トヨタ・セルシオ|セルシオ]]を自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催の[[ゴルフ場]]へ向かうため、[[栃木県]][[都賀町]]の[[東北自動車道]]下り線を走行中、自損事故を起こし、全治4週間の重傷を負う。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制が出されていたところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行しており、スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。同乗者はいなかった。幸いにも、後続車による追突や、横転、反対車線への飛び出しといったことがなかったため、一命を取りとめる。約2週間の入院を経た後奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、[[福岡県]]にある「[[海の中道]]」で行われた、[[スターダスト・レビュー]]とのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。 [[2005年]]にはオリジナルアルバム『[[そうかな]]』、2007年にはシングル「[[こころ (小田和正の曲)|こころ]]」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。 [[コマーシャルメッセージ|CM]]との[[タイアップ]]や、他のアーティストへの楽曲提供や、[[コラボレーション]]も行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。{{see also|#テレビでの活動}} また、音楽以外の分野では[[映画]]や[[ドキュメンタリー]]の制作なども行った。 [[博物館明治村|明治村]]が好きで、何度も足を運ぶ(特に[[フランク・ロイド・ライト]]が設計した[[帝国ホテル|帝国ホテル中央玄関]]の[[ミニチュア]]がお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する[[名古屋鉄道]]の企業CMで小田の曲が使われている<ref>2010年2月25日付 日本経済新聞夕刊に掲載された名古屋鉄道の企業広告</ref><ref>[http://www.meitetsu.co.jp/cm/ 名古屋鉄道、CMギャラリー 2013年6月5日閲覧。]</ref>。 [[2007年]]母校の東北大学が創立百周年で、文化功労賞を、ノーベル賞受賞者でOBの[[田中耕一]]、トヨタの[[豊田章一郎]]らと共に受ける。さらに母校である聖光学院創立50周年祭で招待公演をパシフィコ横浜で行った。 [[2008年]][[11月]]、[[京急本線]][[金沢文庫駅]]の駅メロに「my home town」が決まった。 [[2009年]][[3月]]「ツアー2008 今日もどこかで」で[[文化庁]]第59回[[芸術選奨]]文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県[[大船渡市民文化会館・市立図書館 リアスホール|大船渡市民文化会館・リアスホール]]の落成記念公演を行った。 [[2010年]][[10月20日]]発売の松尾一彦のミニ・アルバム『[[せつなくて]]』にピアノ&ピアノ・アレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。 2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新<ref>[http://www.oricon.co.jp/news/confidence/2012113/full/ 小田和正、ソロ最多74万人動員ツアー完走 地元横浜で客席乱入!]、2012年5月27日、オリコン。</ref>。 ==== 映画制作 ==== 中学生時代に見た映画『[[ティファニーで朝食を]]』の主題歌「[[ムーン・リバー]]」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。 オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかった[[ミュージック・ビデオ|ビデオクリップ]]を制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。 [[1992年]]、第1回監督作品となる映画『[[いつか どこかで (映画)|いつか どこかで]]』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。 [[1997年]]、監督第2作目となる映画『[[緑の街 (映画)|緑の街]]』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。 ==== プロデュース / コラボレーション ==== ソロになった1989年以降、他の[[音楽家|アーティスト]]との交流が急速に活発化する。 ソングライターとして[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]、[[中村雅俊]]、[[島倉千代子]]や[[松たか子]]らの楽曲を全面的にプロデュースする他、[[ASKA]]や[[Sing Like Talking|佐藤竹善]]、[[スキマスイッチ]]らと[[コラボレーション]]する。 また、[[チャリティ]]のための[[USED TO BE A CHILD]]主催、[[泉谷しげる]]らとのチャリティライブ、[[スターダストレビュー]]、[[CHAGE and ASKA]]らとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。 小田自身のソロライブでも、コーラスに[[安部恭弘]]、[[佐藤竹善]]、[[山本潤子]]、[[加藤いづみ]]らを起用している。 == 作品 == '''{{Main|小田和正の作品一覧}}''' == コンサート == === ツアー === {|class="wikitable" style="text-align:left;font-size:small" !style="width:13%"|年 !style="width:25%"|タイトル !style="width:13%"|公演規模 !style="width:13%"|公演日程 !style="width:20%"|会場 !style="width:35%"|備考 |- |[[1990年]] |[[第一生命保険|第一生命]]サウンドスペシャル<br>K.ODA TOUR 1990 Far East Club Band |style="font-size:smaller"|全国40か所、56公演 |style="font-size:smaller"|[[5月31日]] - [[11月7日]] |style="font-size:smaller"|[[千葉県文化会館]]<br>[[茨城県立県民文化センター]]<br>[[宇都宮市文化会館]]<br>[[福岡サンパレス]]<br>[[長崎市公会堂]]<br>[[鳥栖市民文化会館]]<br>[[熊本市民会館]]<br>[[鹿児島市民文化ホール]]<br>[[四日市市文化会館]]<br>[[岐阜市民会館]]<br>[[静岡市民文化会館]]<br>[[松本市社会文化会館]]<br>[[長野県県民文化会館]]<br>[[大宮ソニックシティ]]<br>[[群馬県民会館]]<br>[[山梨県立県民文化ホール]]<br>[[高知県立県民文化ホール]]<br>[[徳島市立文化センター]]<br>[[香川県県民ホール]]<br>[[松山市民会館]]<br>[[フェスティバルホール|大阪フェスティバルホール]]<br>[[神戸国際会館]]<br>[[さっぽろ芸術文化の館|北海道厚生年金会館]]<br>[[神奈川県民ホール]]<br>[[北陸電力会館 本多の森ホール|石川厚生年金会館]]<br>[[フェニックス・プラザ|福井フェニックスプラザ]]<br>[[富山市公会堂]]<br>[[新潟県民会館]]<br>[[周南市文化会館|徳山市文化会館]]<br>[[広島県立文化芸術ホール|メルパルクホール広島]]<br>[[倉敷市民会館]]<br>[[京都会館]]<br>[[岩手県民会館]]<br>[[青森市文化会館]]<br>[[秋田県民会館]]<br>[[郡山市民文化センター]]<br>[[仙台市泉文化創造センター|イズミティ21]]<br>[[横浜アリーナ]]<ref>東京公演として10月2日、3日の2日間実施。10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。</ref><br>[[名古屋市民会館]]<br>[[大阪城ホール]]<br>[[日本武道館]]<ref>追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。最終日にあたる11月7日公演は体調不良で予定より30分遅れで開演([[三井住友VISA太平洋マスターズ|VISA太平洋マスターズトーナメント]]プロアマ戦出場後に声が出なくなったため)、MCで「この落とし前は必ず着けます」とコメント。</ref> | |- |[[1991年]] - [[1992年]] |第一生命サウンドスペシャル<br>Sometime Somewhere K.ODA TOUR FAR EAST CLUB BAND 1992 |style="font-size:smaller"|全国33か所、59公演 |style="font-size:smaller"|[[12月1日]] - [[4月25日]] |style="font-size:smaller"|大宮ソニックシティ<br>[[市川市文化会館]]<br>福井フェニックスプラザ<br>石川厚生年金会館<ref>終了後にFNS歌謡祭に出演。</ref><br>[[伊那文化会館]]<br>長野県県民文化会館<br>郡山市民文化センター<br>[[仙台サンプラザ]]<ref>1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。</ref><br>新潟県民会館<br>北海道厚生年金会館<br>神奈川県民ホール<ref>1月18日、19の2日間実施。1月19日公演では映画『[[いつか どこかで (映画)|いつか どこかで]]』の出演者[[時任三郎]]、[[藤原礼美]]、[[宅麻伸]]がゲスト出演。</ref><br>[[名古屋国際会議場|名古屋国際会議場センチュリーホール]]<br>静岡市民文化会館<br>京都会館<br>神戸国際会館<br>[[広島市文化交流会館|広島厚生年金会館]]<br>[[愛媛県県民文化会館]]<br>徳島市立文化センター<br>福岡サンパレス<br>大阪フェスティバルホール<br>名古屋市民会館<br>秋田県民会館<br>岩手県民会館<br>青森市文化会館<br>[[国立代々木競技場|国立代々木競技場第一体育館]]<ref>4月1日、2日の2日間実施。</ref><br>鹿児島市民文化ホール<br>[[宮崎市民会館]]<br>[[大分文化会館]]<br>長崎市公会堂<br>日本武道館<ref>追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。最終日に当たる4月25日はアンコールでCHAGE and ASKAがゲスト出演、3人で「[[SAY YES]]」を歌う。小田は「駆け出しの2人が来ています」と紹介。</ref> | |- |[[1995年]] |FUN MORE TIME! KAZUMASA ODA TOUR 1995 |style="font-size:smaller"|全国36か所、60公演 |style="font-size:smaller"|[[1月7日]] - [[5月23日]] |style="font-size:smaller"|群馬県民会館<br>宇都宮市文化会館<br>[[アクトシティ浜松]]<br>静岡市民文化会館<br>北海道厚生年金会館<br>大宮ソニックシティ<br>仙台サンプラザ<br>新潟県民会館<br>神奈川県民ホール<br>徳山市文化会館<br>[[岡山市民会館]]<br>広島厚生年金会館<br>四日市市文化会館<br>[[岐阜市民会館]]<br>[[鳥取県立県民文化会館]]<br>[[島根県民会館]]<br><del>神戸国際会館</del><ref>2月に2公演を予定していたが、[[阪神淡路大震災]]による倒壊のため中止。代替公演として4月に[[御影 (神戸市)|御影公会堂]]裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。コンサート・グッズなどの売り上げの一部を[[義援金]]に充てた。その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。このときのゲストは泉谷しげる。</ref><br>[[府中の森芸術劇場|府中の森芸術劇場どりーむホール]]<br>[[近江八幡市文化会館]]<br>徳島市立文化センター<br>高知県立県民文化ホール<br>松山市民会館<br>香川県県民ホール<br>鹿児島市民文化ホール<br>熊本市民会館<br>福岡サンパレス<br>名古屋国際会議場センチュリーホール<br>青森市文化会館<br>岩手県民会館<br>京都会館<br>長野県県民文化会館<br>[[長野県松本文化会館]]<br>大阪フェスティバルホール<br>福井フェニックスプラザ<br>富山市公会堂<br>石川厚生年金会館<br>日本武道館<ref>4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。4月28日公演では島倉千代子と佐藤竹善、5月22日公演では鈴木雅之がそれぞれゲスト出演した。5月23日公演はVTR収録が行われ、その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。</ref><br>大分文化会館<br>[[宮崎市民会館]]<br>長崎市公会堂<br>[[佐賀市文化会館]]<br>郡山市民文化センター<br>[[宮城県民会館]] |以後「ご当地紀行」と呼ばれる、ツアー先の名所などを小田が訪れるVTR上映がスタート。 |- |[[1997年]] - [[1998年]] |[[日産自動車|日産]][[日産・エルグランド|エルグランド]]Presents<br>K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW |style="font-size:smaller"|全国50か所、65公演 |style="font-size:smaller"|[[9月2日]] - [[2月3日]] |style="font-size:smaller"|[[神戸国際会館]]<ref>前回のツアー終了後、「次にツアーをやるときには神戸から始めたい」という小田の申し出により実現したもの。</ref><br>島根県民会館<br>鳥取県立県民文化会館<br>[[守山市民ホール]]<br>[[和歌山市民会館]]<br>宇都宮市文化会館<br>山形県民会館<br>青森市民会館<br>岩手県民会館<br>仙台サンプラザ<ref>9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、アンコールの前にスタッフが用意したバースデーケーキとファンからの「ハッピーバースデー」の大合唱に驚く場面があった。</ref><br>北海道厚生年金会館<br>[[旭川市民文化会館]]<br>[[富山市芸術文化ホール|富山オーバードホール]]<br>長野県県民文化会館<br>山梨県立県民文化ホール<br>[[ひたちなか市文化会館]]<br>市川市文化会館<br>[[豊橋勤労福祉会館]]<br>[[三重県総合文化センター|三重県文化会館]]<br>岐阜市民会館<br>静岡市民文化会館<br>秋田県民会館<br>郡山市民文化センター<br>群馬県民会館<br>[[金沢歌劇座|金沢市観光会館]]<br>福井フェニックスプラザ<br>新潟県民会館<br>佐賀市文化会館<br>大分文化会館<br>京都会館<br>[[大宮ソニックシティ]]<br>高知県立県民文化ホール<br>徳島市立文化センター<br>香川県県民ホール<br>[[山口市民会館]]<br>松山市民会館<br>倉敷市民会館<br>広島厚生年金会館<br>福岡サンパレス<br>[[アルモニーサンク|九州厚生年金会館]]<br>[[東京国際フォーラム|東京国際フォーラム・ホールA]]<ref>12月10日、11日の2日間実施。翌年2月3日には追加公演として実施。[[K.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW|ライブビデオ]]の収録も行われた。</ref><br>名古屋市民会館<br>大阪フェスティバルホール<br>[[横浜国際平和会議場|パシフィコ横浜]] 国立大ホール<br>アクトシティ浜松<br>名古屋国際会議場センチュリーホール<br>[[宮崎市民文化ホール]]<br>鹿児島市民文化ホール 第1ホール<br>長崎市公会堂<br>熊本市民会館<br>[[奈良県文化会館]]<br>日本武道館<ref>1月30日、31日の2日間実施。1月31日公演ではツアーメンバー[[山本潤子]]と[[今滝真理子]]のソロコーナーがそれぞれ設けられたほか、佐藤竹善がゲスト出演。PLUS ONE「クリスマスが過ぎても」を披露。</ref> |日本武道館公演で、ステージ上に客席の設置が試みられ、以後オンステージ・シートとして定着していく。 |- |[[2000年]] |SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000 |style="font-size:smaller"|全国45か所、59公演 |style="font-size:smaller"|[[5月11日]] - [[10月12日]] |style="font-size:smaller"|千葉県文化会館<br>山梨県立県民文化ホール<br>秋田県民会館<br>[[八戸市公会堂]]<br>山形県県民会館<br>[[滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール|びわ湖ホール]]<br>大阪フェスティバルホール<br>三重県文化会館<br>[[長良川国際会議場]]<br>[[瀬戸市文化センター]]<br>宇都宮市文化会館<br>大宮ソニックシティ<br>長野県県民文化会館<br>佐賀市文化会館<br>[[長崎ブリックホール]]<br>九州厚生年金会館<br>[[大分県立総合文化センター|大分グランシアタ]]<br>京都会館<br>島根県民会館<br>鳥取県立県民文化会館<br>高知県立県民文化ホール<br>香川県県民ホール<br>松山市民会館<br>倉敷市民会館<br>徳山市文化会館<br>[[ふくやま芸術文化ホール|ふくやまリーデンローズ]]<br>広島厚生年金会館<br>神戸国際会館 こくさいホール<br>東京国際フォーラム・ホールA<ref>7月26日、27日の2日間実施。</ref><br>富山オーバードホール<br>石川厚生年金会館<br>静岡市民文化会館<br>神奈川県民ホール<br>新潟県民会館<br>宮城県民会館<br>[[會津風雅堂]]<br>郡山市民文化センター<br>岩手県民会館<br>北海道厚生年金会館<br>名古屋国際会議場センチュリーホール<ref>[[松山千春]]がゲスト出演。</ref><br>熊本市民会館<ref>『ご当地紀行』で市内の動物園を訪れたとき、中高年の女性ファンから財津和夫に間違えられるというハプニングが起きた。このとき「もう二度と熊本には来ません!」と冗談交じりにコメントしたが、以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった(2005年のツアーのご当地総集編(12月の日本武道館公演)で熊本を取り上げたときにもその映像が使われ、「それ以来、熊本には一度も来ていない」という字幕が付けられた)。</ref><br>鹿児島市民文化ホール<br>福岡サンパレス<br>日本武道館<ref>10月11日、12日の2日間実施。最終日でアンコールの最中にカウントダウン・コンサートの開催を発表し、観客を驚かせた。</ref> |このツアーから[[加藤いづみ]]がコーラスに参加(2002年のツアーまで)。 |- |[[2002年]] |[[ファミリーマート]]<ref>明治生命も協賛。</ref>Presents<br>K.ODA TOUR 2002 「Kira Kira」 |style="font-size:smaller"|全国25か所、39公演 |style="font-size:smaller"|[[5月2日]] - [[8月18日]] |style="font-size:smaller"|[[SHIBUYA-AX]]<ref>当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。</ref><br>[[大阪府立国際会議場|大阪国際会議場]] メインホール<br>[[米子コンベンションセンター]]<br>[[Zepp|Zepp FUKUOKA]]<br>福岡サンパレス<br>鹿児島市民文化ホール<br>三重県文化会館<br>静岡市民文化会館<br>アクトシティ浜松<br>北海道厚生年金会館<br>岩手県民会館<br>[[福島県文化センター]]<br>仙台サンプラザ<br>[[東京厚生年金会館]]<br>パシフィコ横浜 国立大ホール<br>神戸[[チキンジョージ]]<br>名古屋国際会議場センチュリーホール<ref>[[ASKA]]と[[大友康平]]がゲスト出演。</ref><br>[[新潟勤労者総合福祉センター|新潟テルサ]]<br>石川厚生年金会館<ref>コンサート終了後、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]「[[音楽旅人]]」の収録で[[笑福亭鶴瓶]]と対談。</ref><br>[[広島国際会議場]] フェニックスホール<br>[[さぬき市野外音楽広場テアトロン]]<br>国立代々木競技場第一体育館<ref>8月6日、7日の2日間実施。8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。</ref><br>大阪城ホール<br>[[愛知県体育館]]<ref>8月17日、18日の2日間実施。</ref> |このツアー以降、オンステージ・シートのほか、客席内への[[花道]]設置が恒例となった。 |- |[[2005年]] |[[明治安田生命]]Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2005<br>"大好きな君に" |style="font-size:smaller"|全国20か所、40公演 |style="font-size:smaller"|[[6月3日]] - [[12月22日]] |style="font-size:smaller"|[[静岡県小笠山総合運動公園アリーナ|静岡エコパアリーナ]]<br>[[マリンメッセ福岡]]<br>[[朱鷺メッセ|朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンター]]<br>さぬき市野外音楽広場テアトロン<br>青森市文化会館<br>岩手県民会館<br>パシフィコ横浜 国立大ホール<ref>8月と10月に2公演ずつ実施。</ref><br>[[万博記念公園]] もみじ川芝生広場<ref>鈴木雅之がゲスト出演する予定だったが、体調不良のためキャンセル。</ref><br>[[名古屋港]] オープンエアパーク<ref>財津和夫がゲスト出演。</ref><br>[[真駒内屋内競技場|真駒内アイスアリーナ]]<br>[[仙台市体育館]]<br>長野県松本文化会館<br>石川厚生年金会館<br>[[広島県立総合体育館|広島グリーンアリーナ]]<br>[[沖縄コンベンションセンター|沖縄コンベンション劇場]]<ref>ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。10月13日公演では[[根本要]]がゲスト出演、「[[銀座カンカン娘]]」と「[[木蘭の涙]]」を披露した。</ref><br>山梨県立県民文化ホール<br>日本武道館<ref>7月6日、7日、9月21日、22日、12月6日、7日にそれぞれ2公演ずつ(計6公演)。7月6日公演では[[ムッシュかまやつ]]、9月22日公演では[[松たか子]]、12月6日公演では[[矢野顕子]]と[[ゆず (音楽グループ)|ゆず]]、12月7日公演では[[スキマスイッチ]]がゲスト出演。</ref><br>大阪城ホール<ref>12月10日、11日の2日間実施。12月11日公演では[[スガシカオ]]がゲスト出演し、「[[夜空ノムコウ]]」をデュエット。</ref><br>愛媛県県民文化会館<br>宮崎市民文化ホール<br>[[名古屋市総合体育館|名古屋市総合体育館 レインボーホール]]<ref>12月20日、21日の2日間実施。12月20日は親交のある[[星野仙一]](現:[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]監督。当時の役職は[[阪神タイガース]]・シニアディレクター)がゲスト出演し、小田とトークセッションを繰り広げた。</ref> |動員数約32万人。 |- |[[2008年]] |明治安田生命Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2008<br>"今日も どこかで" |style="font-size:smaller"|全国29か所、52公演 |style="font-size:smaller"|[[4月5日]] - [[9月26日]] |style="font-size:smaller"|静岡エコパアリーナ<ref name="2kouen">4月に2公演実施。</ref><br>[[ワールド記念ホール|神戸ワールド記念ホール]]<ref name="2kouen"/><br>米子コンベンションセンター<br>[[徳島県立産業観光交流センター|アスティとくしま]]<br>マリンメッセ福岡<ref>4月と9月にそれぞれ2公演ずつ。9月20日の小田の誕生日当日にも実施され、アンコールでは観客による「ハッピーバースデー」の大合唱が起こった。</ref><br>三重県文化会館<br>長野県県民文化会館<br>青森市文化会館<br>岩手県民会館<br>横浜アリーナ<ref>ソロ初のツアーとなった1990年以来。5月21日、22日と8月12日、13日にそれぞれ2日間ずつ実施。</ref><br>[[釧路市民文化会館]]<ref>オフコース時代の1987年以来。</ref><br>旭川市民文化会館<br>富山オーバードホール<br>大阪城ホール<ref>6月6日、7日と9月27日、28日にそれぞれ2日間ずつ。6月7日公演の終了後、[[めざましテレビ]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2008年6月23日放送。当初は同年6月16日の放送予定だったが、[[岩手・宮城内陸地震]]報道を優先したため変更された)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの[[大塚範一]]と、[[軽部真一]]、[[中野美奈子]]、[[生野陽子]]([[高島彩]]と[[皆藤愛子]]は不参加)。</ref><br>日本ガイシホール<ref>6月と9月2日、3日にそれぞれ2日間ずつ。9月3日公演では松たか子がゲスト出演し、「おやすみ」を披露。またアンコールでの「今日も どこかで」ではコーラスを担当。</ref><br>国立代々木競技場第一体育館<ref>6月18日、19日に2日間実施。</ref><br>鹿児島市民文化ホール<br>[[宜野湾市海浜公園]]屋外劇場<br>広島グリーンアリーナ<br>[[宮城県総合運動公園総合体育館|ホットハウススーパーアリーナ]]<br>朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンター<br>京都会館 第一ホール<br>さぬき市野外音楽広場テアトロン<ref>[[スターダストレビュー|スターダスト・レビュー]]がゲスト出演。</ref><br>[[栃木県総合文化センター]]<br>山梨県立県民文化ホール<br>真駒内セキスイハイムアイスアリーナ<ref>8月に2公演実施。8月24日の公演では松山千春がゲスト出演し、小田のギターに合わせて「[[恋 (松山千春の曲)|恋]]」を歌った。</ref><br>岡山市民会館<br>日本武道館<ref>9月10日、11日に2日間実施。9月11日の公演では、2001年の同日に起きた[[アメリカ同時多発テロ事件]]に因んで[[ニュー・クリスティ・ミンストレルズ|New Christy Minstrels]]の「Today」を演奏した。</ref><br>愛媛県県民文化会館 |関東地区の公演(一部)の主催が[[TBSテレビ|TBS]]に変更<ref>それまでは[[ニッポン放送]]や、[[エフエム東京|TOKYO FM]]、フジテレビ、[[テレビ朝日]]などが主催を受け持ったことがあった。東京公演は[[キョードー東京]]、横浜公演は[[KMミュージック]]がプロモートに付く。</ref>、前回を上回る約33万人を動員。 |- |2008年 |明治安田生命Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2008<br>"きっと またいつか♪今日も どこかで FINAL♪" |style="font-size:smaller"|全国3か所、4公演 |style="font-size:smaller"|[[11月26日]]、[[11月27日|27日]]<br>[[12月6日]]、[[12月20日|20日]] |style="font-size: maller"|[[東京ドーム]]<ref>オフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。</ref><br>[[ナゴヤドーム]]<ref>開演前に急病人の看護があり、予定より45分遅れで開演。</ref><br>[[大阪ドーム|京セラドーム大阪]]<ref>終了後スタッフから胴上げされ、感極まり涙を見せた(同年12月22日の[[民放]]各局の[[ワイドショー]]でもこの日の公演の模様が一部放送)。</ref> |ドームツアー、約20万人動員。 |- |[[2011年]] |明治安田生命Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2011<br>"どーも どーも その日が来るまで" |style="font-size:smaller"|全国25か所、48公演<ref>当初の予定では全国28か所、55公演だった。</ref> |style="font-size:smaller"|[[5月7日]] - 10月26日<ref>当初は3月26日から9月29日までの予定だった。</ref> |style="font-size:smaller"|[[長野市若里多目的スポーツアリーナ|長野ビッグハット]]<br>[[福井県産業振興施設|サンドーム福井]]<br>[[愛媛県武道館]]<br>[[三重県営サンアリーナ]]<br>[[スカイホール豊田]]<br>[[横浜文化体育館]]<ref>6月8日、9日の2日間実施。6月9日は公演中に地震が発生したが、混乱もなく予定通り行われた(この時の[[中区 (横浜市)|横浜市中区]]の震度は2)。</ref><br>京都会館 第一ホール<br>びわ湖ホール<br>[[鹿児島アリーナ]]<ref>4月22日、23日に実施予定だったが、6月18日、19日に延期、実施。</ref><br>[[熊本産業展示場|グランメッセ熊本]]<ref>2000年のツアーでの熊本市民会館以来の熊本公演。</ref><br>宜野湾市海浜公園屋外劇場<br>広島グリーンアリーナ<br>朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンター<br>さぬき市野外音楽広場テアトロン<br>[[岡山市総合文化体育館]]<ref>4月8日、9日の2日間を予定していたが、7月29日、30日に延期、実施。</ref><br>国立代々木競技場第一体育館<ref>5月3日、4日に実施予定だったが、8月9日、10日に延期、実施。8月10日公演分ではアコースティック・コーナーでNew Christy Minstrelsの「Today」を演奏。また、アンコールの最後では「生まれ来る子供たちのために」を演奏した。</ref><br>神戸ワールド記念ホール<ref>4月と8月にそれぞれ2公演実施予定だったが、4月公演分(4月1日、2日)は8月19日、20日に延期、実施。8月公演分(8月19日、20日)は10月13日、14日に延期。</ref><br>横浜アリーナ<ref>4月と8月に2公演ずつ実施を予定していたが、4月公演分(4月26日、27日)は8月24日、25日に延期、実施。8月25日公演ではアンコールの最後で『ラブ・ストーリーは突然に』を演奏した。8月公演分(8月24日、8月25日)は10月25日、26日に延期、実施され、ツアーとしての最終公演地となった。</ref><br>[[札幌ドーム]]<ref>9月3日実施。[[平成23年台風第12号|台風12号]]の影響で、30分遅れで開演した。</ref><br>[[福岡ドーム|福岡 Yahoo! JAPANドーム]]<ref>9月10日実施。</ref><br>ナゴヤドーム<ref>9月17日、18日に実施。</ref><br>京セラドーム大阪<ref>9月24日、25日に実施。</ref><br>東京ドーム<ref>9月28日、29日に実施。2日間ともVTR収録が行われ、9月28日公演分が[[9月30日]]の民放各局のワイドショーで一部放送されたほか、9月29日公演分がファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2011』に一部収録された。さらにこの模様は2012年6月24日21:00 - 23:00に[[WOWOW|WOWOWライブ]]で放送された。</ref><br>[[横須賀芸術劇場|よこすか芸術劇場]]<ref>8月11日、12日に実施予定だったが、他会場の延期日程調整の都合上により、8月11日公演分は見送り。8月12日公演分は10月18日に延期、実施。</ref><br>静岡エコパアリーナ<ref>3月26日、27日に実施予定だったが、10月21日、22日に延期、実施。</ref><br><del>秋田県立体育館</del><ref>4月16日、17日の2日間を予定していたが、地震の影響で見送り。</ref><br><del>セキスイハイムスーパーアリーナ</del><ref>6月18日、19日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。</ref><br><del>岩手産業文化センター アピオ</del><ref>7月29日、30日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。</ref> |自身初の5大ドーム公演を含む。東京、神奈川を除き、日程の大半が週末に組み込まれた<ref>原則として1会場2公演だが、京都会館、びわ湖ホール、テアトロン、札幌ドーム、福岡 Yahoo! JAPANドーム公演は1公演のみとなる。</ref>が、<br>一部公演が東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響により、延期および見送り(公演中止)となった。<br>動員数は約67万人。 |- |[[2012年]] |明治安田生命Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2012<br>"どーも どーも その日が来るまで" |style="font-size:smaller"|東北地区、横浜市6か所、11公演 |style="font-size:smaller"|[[4月14日]] - [[5月26日]] |style="font-size:smaller"|[[秋田県立体育館]]<ref>4月14日、15日の2日間実施(前年4月16日、17日の振り替え公演)。</ref><br>セキスイハイムスーパーアリーナ<ref>4月21日、22日の2日間実施(前年6月18日、19日の振り替え公演)。4月22日公演では[[MONKEY MAJIK]]がゲスト出演し、『[[空はまるで]]』を披露した。</ref><br>[[青森県営スケート場|サンワアリーナ青森]]<ref>4月28日、29日の2日間実施。</ref><br>[[岩手産業文化センター|岩手産業文化センター アピオ]]<ref>5月12日、13日の2日間実施(前年7月29日、30日の振り替え公演)。</ref><br>[[福島県営あづま総合体育館|あづま総合体育館]]<ref>5月19日、20日の2日間実施。</ref><br>[[横浜赤レンガ倉庫|横浜赤レンガパーク特設野外ステージ]]<ref>雨天決行。荒天の場合は[[5月27日|翌日]]に延期となっていたが、予定通り実施。またこの模様は[[5月28日|翌々日]]の民放各局のワイドショーで放送。</ref> | 東北ツアーは東日本大震災の影響により、中止となった宮城、岩手、秋田を含む5県<ref>2012年1月25日付の公式ホームページ上で正式に発表された。</ref>での開催。<br>横浜赤レンガパーク野外特設ステージは追加公演で、関東地区で唯一の週末開催となった。<br>このツアーにあわせて新曲『その日が来るまで』を制作、披露した。動員数は約7万人。 |- |[[2013年]] |明治安田生命Presents<br>小田和正コンサート<br>"その日が来るまで" |style="font-size:smaller"|東北地区3か所、6公演 |style="font-size:smaller"|[[5月15日]] - [[5月31日]] |style="font-size:smaller"|仙台サンプラザホール<br>岩手県民会館<br>福島県文化センター |『東北さくらライブプロジェクト[http://www.sakulalala.org]』の支援の一環として、東北3か所にて開催。また10月には沖縄公演を実施した。 |- |[[2014年]] |明治安田生命Presents<br>KAZUMASA ODA TOUR 2014<br>"本日 小田日和" |style="font-size:smaller"|全国18か所、36公演(予定) |style="font-size:smaller"|[[6月28日]] - [[10月29日]](予定) |style="font-size:smaller"|[[和歌山ビッグホエール]]<ref>6月28日、29日の2日間実施。[[6月30日|2日後]]の民放各局のワイドショーで初日公演の模様をダイジェスト放送。</ref><br>宜野湾海浜公園屋外劇場<ref>7月5日、6日の2日間実施。</ref><br>[[東京体育館]]<ref>7月12日、13日の2日間実施。東京公演が週末に行われたのは1991年12月から1992年4月にかけて行われたツアーでの日本武道館公演(1992年4月23日、24日、25日)以来22年ぶり。7月12日公演の終了後、めざましテレビ(フジテレビ、2014年7月16日放送)の取材を受ける。インタビュアーはキャスターの[[三宅正治]]と、軽部真一、生野陽子、[[三上真奈]]([[加藤綾子]]は不参加)。</ref><br>真駒内セキスイハイムアイスアリーナ<ref>7月18日、19日の2日間実施予定。</ref><br>さぬき市野外音楽広場テアトロン<ref>7月26日、27日の2日間実施予定。</ref><br>横浜アリーナ<ref>8月5日、6日の2日間実施予定。</ref><br>マリンメッセ福岡<ref>8月13日、14日の2日間実施予定。</ref><br>日本ガイシホール<br>大阪城ホール<br>セキスイハイムスーパーアリーナ<br>ワールド記念ホール<br>[[岐阜メモリアルセンター|岐阜メモリアルセンターで愛ドーム]]<br>本多の森ホール<br>朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター<br>エコパアリーナ<br>あづま総合体育館<br>日本武道館<ref>10月22日、23日の2日間実施予定。日本武道館で行われるのは2008年ツアー以来6年ぶり。</ref><br>岩手産業文化センター・アピオ<ref>10月28日、29日の2日間実施予定。最終公演地。</ref> |約25万人動員予定。園山光博(Sax)が不参加。 |} === 野外コンサート === {|class="wikitable" style="text-align:right;font-size:small" |-style="font-size:smaller" |style="width:9%"|年 |style="width:10%"|形態 |style="width:25%"|タイトル |style="width:8%"|公演規模 |style="width:20%"|公演日程 |style="width:10%"|会場 |style="width:10%"|ゲスト |style="width:10%"|協賛 |- |[[1992年]] |スタジアム |MY HOME TOWN<br>KAZUMASA ODA/FAR EAST CLUB BAND |style="font-size:smaller"|全3公演 |style="font-size:smaller"|[[8月25日]]、[[8月29日]] - [[8月30日]] |style="font-size:smaller"|[[阪急西宮スタジアム]]<br>[[横浜スタジアム]] |style="font-size:smaller"|鈴木雅之(8月29日)<br>[[徳永英明]]、富樫要(8月30日) |style="font-size:smaller"|第一生命<br>[[三菱自動車工業|三菱自動車]] |- |[[2000年]] - [[2001年]] |style="font-size:smaller"|カウントダウン |ちょっと寒いけどみんなでSAME MOON! |style="font-size:smaller"|全1公演 |style="font-size:smaller"|[[12月31日]] - [[1月1日]] |style="font-size:smaller"|[[横浜・八景島シーパラダイス]]・マリーナヤード |style="font-size:smaller"|山本潤子<br>鈴木雅之<br>[[佐橋佳幸]] |style="font-size:smaller"|明治生命<br>[[日本中央競馬会]] |} === 他アーティストとのジョイント === *[[エフエム仙台|FM仙台]] 20th Anniversary / [[仙台放送]] 40th Anniversary - Super [[コラボレーション|Collaboration]] 「FROM S」。その他の出演者:[[稲垣潤一]]、[[清貴]]、[[坂本サトル]]、[[HOUND DOG]]、[[中川晃教]]([[2002年]][[8月31日]]、[[スポーツランドSUGO]])。 *[[サウンドコニファー229]]〜青春の影〜 CHAGE and ASKAと共演。財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、[[富士急ハイランド]]・コニファーフォレスト) *LIVE KiroroKobukuro LIVE in EXPO'70にゲスト出演。[[Kiroro]]、[[コブクロ]]、佐藤竹善、[[夏川りみ]]らと共演(2004年8月12日、大阪・[[万博記念公園]]もみじ川芝生広場) *[[Golden Circle]]にゲスト出演。[[寺岡呼人]]、[[スキマスイッチ]]、[[亀田誠治]]、[[ミドリカワ書房]]と共演(2005年11月20日、[[エプソン品川アクアスタジアム|品川ステラボール]]) *[[J-WAVE LIVE 2000+6]]での[[平井堅]]のコーナーに飛び入り出演。「[[瞳をとじて]]」と「たしかなこと」をセッション(2006年8月19日、国立代々木競技場第一体育館)。 *スターダストレビュー結成25周年記念ライブ『25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き』にゲスト出演。オダレビ(小田とスタレビのジョイントユニット)としてそれぞれの代表曲を演奏したほか、このイベントのために即興で作った「思い出はうたになった」<ref>後にスターダスト・レビューのアルバム『ALLWAYS』(2008年11月17日発売)に収録された。</ref>(未発表曲)を根本要とデュエット(2007年5月19日、さいたまスーパーアリーナ) *[[東北大学]]創立100周年記念祝賀会(野外)の坂本サトルのコンサートに飛び入り出演(2007年8月26日、東北大学片平キャンパス・屋外特設ステージ) *[[京都音楽博覧会]]にて[[くるり]]と共演(2007年9月23日、2008年9月6日、京都[[梅小路公園]]) *[[INGNI]] Presents『Your Songs Our Songs』にゲスト出演。[[CHARA]]、[[奥田民生]]、[[トータス松本]]、矢井田瞳、スガシカオ、[[Salyu]]と共演(2007年11月4日、大阪城ホール) *[[情熱大陸|情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザ]]にゲスト出演。葉加瀬太郎、佐藤竹善と共演。その他の出演者は[[藤井フミヤ]]、[[押尾コータロー]]、[[森山直太朗]]、[[河村隆一]]、[[西村由紀江]]、[[古澤巌]](2008年8月9日、[[江東区夢の島陸上競技場]]) *[[J-WAVE LIVE 2000+8]]でのくるりのコーナーに飛び入り出演し、「[[ばらの花]]」をセッション(2008年8月17日、国立代々木競技場第一体育館)。 *[[めざましテレビ|めざましテレビ15周年記念特別企画ファイナル『元気のミナとも』]]グランドフィナーレにゲスト出演し、出演者、観客とともに『今日も どこかで』を歌う。このときの共演者は大塚範一、高島彩、中野美奈子、[[松尾翠]]、[[遠藤玲子]]、生野陽子、[[加藤綾子]]、[[中村光宏]]、皆藤愛子、[[JUJU]]<ref>軽部真一と[[伊藤利尋]]はスケジュールの都合で不参加。</ref>(2009年2月15日、[[東京国際展示場|東京ビッグサイト西4ホール]]) *[[コスモアースコンシャスアクト・アースデー・コンサート]]にゲスト出演し、[[絢香]]と共演(2009年4月22日、日本武道館) *[[FM802]] STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGICに出演し、松たか子、佐藤竹善、[[一青窈]]らと共演(2009年5月31日、大阪城ホール) *情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、森山直太朗と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、[[クリスタル・ケイ]]、[[柴田淳]]、一青窈、[[CHEMISTRY]]、[[SALT&SUGAR]](佐藤竹善&[[塩谷哲]])、[[秦基博]](2009年8月1日、万博記念公園もみじ川広場) *サマーピクニック・フォーエバーinつま恋にゲスト出演。南こうせつ、[[伊勢正三]]、[[イルカ (歌手)|イルカ]]、[[森山良子]]、[[尾崎亜美]]、[[坂崎幸之助]]、山本潤子、松山千春らと共演。サプライズゲストとして[[加藤和彦]]が出演(2009年9月20日、[[ヤマハリゾートつま恋]]特設会場<ref>この日は自身の62歳の誕生日であり、南こうせつの音頭で観客から『ハッピーバースデー』の合唱で祝福した。また、[[NHK衛星ハイビジョン|NHK BS-hi]]でもイベントの模様が生中継されたが(13:00-18:00、18:45-20:00)、自身が出演した時間帯は大河ドラマ『[[天地人 (NHK大河ドラマ)|天地人]]』を放送していたため、出演部分が放送されなかったが、同年10月18日に[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS-2]]で放送された総集編ではオンエアされた。ちなみに演奏曲目は『ひとりきり』([[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]。シングル『[[僕は何をやってもだめな男です]]』のB面曲)と『今日も どこかで』。</ref>) *[[MONGOL800]] ga FESTIVAL 『What a Wonderful World!! 09』にゲスト出演。MONGOL800と共演。その他の出演者は[[古謝美佐子]](元[[ネーネーズ]])、[[サンボマスター]]、[[ジッタリン・ジン]]、JUJU、[[DOBERMAN]]、[[Dragon Ash]]、[[MAJESTICS]]、[[マキシマムザホルモン]]、[[山嵐 (バンド)|山嵐]]、[[与世山澄子]]&[[仲本正国]]グループ、[[RIP SLYME]]、[[RYUKYUDISKO]](以上、五十音順。2009年10月3日、[[沖縄県]][[読谷村]][[ヨミタンリゾート]]特設会場) *[[THE BOOM]] Special Live Tour2010 “BOOMANIAにゲスト出演。THE BOOMと共演(2010年5月29日、静岡県[[浜名湖ガーデンパーク]]屋外ステージ)。 *なごや・きよす夢まつり「夢花火音楽祭 音市音座」にゲスト出演。その他の出演者は[[KAN]]、[[杉山清貴]]、STARDUST REVUE、[[平松愛理]]、[[渡辺美里]](以上、五十音順。2010年10月16日、[[愛知県]][[清須市]][[西枇杷島町]]南六軒付近 特設ステージ([[みずとぴぁ庄内]]前) *OTODAMA FOREST STUDIO 2010にゲスト出演。その他の出演はキマグレン、THE BOOM、スターダスト・レビュー、Chara with [[laidbook]](2010年10月17日、神奈川県・[[湘南国際村]]めぐりの森) *[[めざましテレビ|めざましLIVE ISLAND TOUR 2013 FINAL]]に出演<ref>「たしかなこと」、「Yes-No」、「ラブ・ストーリーは突然に」、「キラキラ」、「言葉にできない」、「その日が来るまで」の6曲を演奏。</ref>。アンコールでは[[miwa]]、[[JUJU]]、[[Flumpool]](以上、出演順)とともに「今日も どこかで」を演奏した(2013年10月27日、日本武道館) === チャリテイコンサート === *[[アフガニスタン]]復興支援のためのチャリティーコンサート『KAZUMASA ODA TOUR 2003「Kira Kira」』(2003年5月4日 [[早稲田大学戸山キャンパス]]内記念講堂) == テレビ == === テレビメディアへの見方 === [[オフコース]]時代よりテレビという[[メディア (媒体)|メディア]]には不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であったが、ソロ活動を始めて以降、[[ネスカフェ]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できる余地のないオファーは論外のようである(ネスカフェのCMも、自分の注文が受け入れられたからOKしたと語っている)。 [[2001年]]『[[クリスマスの約束]]』の成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。[[2004年]]には『クリスマスの約束』の発展形である『[[風のようにうたが流れていた]]』を、3か月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったようであったが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと見え、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。[[2005年]]には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。 2005年末に一部で、[[NHK紅白歌合戦]]への出演依頼を受けているとの噂が流れた。小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「[[スキウタ~紅白みんなでアンケート~|スキウタ]]」上位にランクインしたためであるが、結局出演することはなかった。小田自身はコンサート(2005年ツアー、日本武道館)で、同年の紅白歌合戦に選出された[[スキマスイッチ]]をゲストに迎えた際、この番組に対し'''「大きな偏見を持っている」'''と話している。 === クリスマスの約束 === {{main|クリスマスの約束}} === ドキュメンタリー === *キャディ 青木功/小田和正 〜怒られて、励まされて、54ホール(1994年5月5日、[[テレビ東京]]) :[[プロゴルファー]][[青木功]]のキャディをつとめた時のドキュメンタリー。 *[[日本をすくえ]](1994年9月14日、テレビ朝日) :[[チャリティ]]ライブ制作のドキュメンタリー。 === その他テレビ出演 === *[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]](1984年2月14日、フジテレビ) :[[テレフォンショッキング]]に、[[明石家さんま]]からの紹介で出演、普段から「苦手な芸能人」の1人と公言していた[[タモリ]]を手こずらせ、終始気まずい雰囲気の中で放送された。小田は翌日のお友達に[[星野仙一]]を紹介している<ref>[[FLASH (写真週刊誌)|FLASH]]([[光文社]])2013年9月10日号(29ページ)より。</ref>。 *[[FNS歌謡祭]](1991年12月3日、フジテレビ) * 追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界(1992年1月24日、NHK[[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]) : ファンを公言する[[小宮悦子]]によるロングインタビュー(小宮のテレビ朝日退社後、フリーとしての初仕事となった)がメイン。その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、[[Far East Club Band]] リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同一)。 *音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日、NHK) :映画「いつかどこかで」監督風景や[[Far East Club Band]] リハーサル・ライブ映像 *[[ニュースステーション]](1996年2月9日、1997年12月19日、テレビ朝日 ピアノ弾き語りによる歌唱あり) *[[トップランナー]](1997年9月19日、NHK総合) :このほか、1997年の映画「緑の街」公開の際にはさまざまな映画プロモーションも兼ねてTV番組に多数出演している。 *[[LOVE LOVE あいしてる]](2000年4月3日、フジテレビ) *[[月曜組曲]]「[[風のようにうたが流れていた]]」(2004年10月 - 12月、TBS)全11回 *[[にんげんドキュメント]]「小田和正 58歳を歌う」(2006年1月22日、NHK総合)(2006年1月26日、NHK[[NHK衛星第2テレビジョン|BS2]]) *居酒屋の[[星野仙一]](2006年1月26日、NHKBS2)※元[[中日ドラゴンズ]]の[[大豊泰昭]]が経営する台湾料理店でのトーク番組 *[[山本昌]]200勝達成記念特別番組「夢の途中〜だから僕は投げ続ける〜」(2009年1月2日、[[東海テレビ放送|東海テレビ]])ナレーション *笑った!歌った!涙した!元気のミナとも感動スペシャル(2009年3月2日、フジテレビ) *[[佐野元春のザ・ソングライターズ]](2009年7月4日、11日、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) *[[情熱大陸|情熱大陸700回記念特別企画]]『[[井上真央]]が撮る小田和正』(2012年6月10日、6月17日、[[MBSテレビ|MBS]]) *[[KAZUMASA ODA TOUR"どーもどーも その日が来るまで"]](2012年6月24日、[[WOWOW]]) :※2011年から2012年にかけて行われた全国ツアーから2011年9月28日、29日の東京ドーム公演の模様を放送。同年7月16日に再放送、同年8月15日に再々放送。 == CM == === 本人出演 === *[[ネスカフェ]] ゴールドブレンド :*goodtimes & badtimes(1988年)、Little Tokyo(1989年) *[[第一生命]] :*君にMerry Xmas(1989年 [[クリスマス]]2日間限定)、Oh! Yeah!(1991年)、my home town(1992年) *アルバム『Oh! Yeah!』(1991年) :*Oh! Yeah! *アルバム『自己ベスト』(2002年) *アルバム『そうかな』(2005年) *[[トヨタ]][[トヨタ・アリオン|アリオン]](2005年) :*Re *シングル「こころ」(2007年) *アルバム『自己ベスト-2』(2007年) *[[明治プロビオヨーグルトLG21]]<ref>オフコース時代に[[明治ブルガリアヨーグルト]]のCMソングを歌ったことがある。</ref>「希望の歌声」編(2009年) :* 今日も どこかで === タイアップ === *[[第一生命]] :*野球編・ラグビー編 - 哀しみを、そのまま(1986年) ※野球編は小田、ラグビー編は[[市川崑]]がそれぞれ演出。 :*卒業編 - 僕の贈りもの(1988年) :*仲直り編・床屋編 - 恋は大騒ぎ(1990年) ※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。 :*いつか どこかで(1991年) ※映画『いつか どこかで』の撮影風景を使用 *[[三菱自動車]] [[三菱・ミラージュ|ミラージュ]] :*風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年) *[[シャープ]] 液晶ビューカム :*風の坂道(1993年) *[[味の素]] ほんだし :*またたく星に願いを(1993年) *[[日産自動車|日産]] [[日産・エルグランド|エルグランド]] :*風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年) *[[日本中央競馬会|JRA]] ブランドCM :*woh woh(2000年・2011年)、19の頃(2000年・2012年)、風の街(2001年)、かなた(2013年) *[[明治安田生命保険|明治生命]] / 明治安田生命 :*言葉にできない(2000年 - 2003年 ※一時期、小田のライブ映像を使用)、たしかなこと(2004年)、オリジナル曲(2010年)、愛になる(2014年) *[[ハウス食品]] 北海道シチュー :*大好きな君に(2003年)、 *[[日本コカ・コーラ]] 緑茶「[[一 (緑茶飲料)|一(はじめ)]]」 :*オリジナル曲(2006年3月 - 6月) *[[名古屋鉄道]] :*大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)、「Re」(2013年)、この街(2014年) *[[マックスファクター]] :*若葉のひと(2009年3月) *[[ソニー]][[BRAVIA|BRAVIA 4K]] :*今のこと(2013年6月) == 関連書籍 == *Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、[[朝日新聞社]]) *キャディ(小田和正 著、1994年初版、[[スタジオシップ]]) *YES-NO小田和正ヒストリー([[小貫信昭]] 著、1998年初版、[[角川書店]]) *たしかなこと(インタビュアー/著 小貫信昭、2005年初版、[[ソニー・マガジンズ]]) *小田和正歌詞集 風うた〜恋〜(小田和正 著、2006年初版、[[主婦と生活社]]) *小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、[[ジービー (出版社)|ジービー]]) *小田和正という生き方([[陥合真司]] 著、2009年初版、[[青弓社]]) *小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、[[幻冬舎]]) *ダイジョウブ(小田和正 著、2011年初版、[[講談社]]) == 記録 == *[[1985年]] シングル「[[今だから]]」([[松任谷由実]]・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。 *[[1991年]] シングル 「[[Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に]]」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。 *[[2001年]] アルバム 『[[LOOKING BACK 2]]』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は[[井上陽水]]『GOLDEN BEST』[[1999年]][[7月]] 51歳0か月) *[[2002年]] アルバム 『[[自己ベスト (小田和正のアルバム)|自己ベスト]]』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月) *[[2004年]]『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik(ノイエ・ムジーク)』[[1998年]][[11月]] 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は[[河村隆一]]『Love』[[1997年]][[12月]]) *[[2005年]][[6月]] アルバム 『[[そうかな]]』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月) *[[2007年]][[8月]] シングル 「[[こころ (小田和正の曲)|こころ]]」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は[[石原裕次郎]]「[[北の旅人]]」[[1987年]][[8月]] 52歳7か月) *2007年[[12月]] アルバム 『[[自己ベスト-2]]』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。 *[[2010年]][[4月]] アルバム 『自己ベスト|』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初 *2010年[[11月]] アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月 *2011年[[4月]] アルバム 『[[どーも]]』 **ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録は[[ザ・ビートルズ]]のメンバーの[[リンゴ・スター]]『[[ザ・ビートルズ1]]』([[2000年]][[11月27日]]付 60歳4か月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は[[秋元順子]]の61歳7か月(2009年[[1月26日]]付でシングル『[[愛のままで…]]』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は[[吉田拓郎]]の63歳0か月での6位獲得([[2009年]][[4月27日]]付『[[午前中に…]]』))。 **「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録は[[マイケル・ジャクソン]]『[[マイケル・ジャクソン THIS IS IT (アルバム)|マイケル・ジャクソン THIS IS IT]]』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月) *2011年[[5月]] アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月) *[[2013年]][[5月]] アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初 *[[2014年]][[7月]] アルバム 『[[小田日和]]』 - 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は[[高橋真梨子]]の64歳4か月での4位獲得([[2013年]][[6月24日]]付『[[高橋40年]]』))。 == 声 == 男性ながら[[ファルセット]]を使わず[[音域|女声域]]までの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。[[オフコース]]初期には、バンドに女性[[ボーカル]]がいると間違われることもしばしばだったという。その少年のような歌声から[[変声期]]を経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。しかし、2005年のコンサート中の[[司会|MC]]にて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えている。東北大学時代は[[混声合唱]]団で[[テノール]]を担当していた。 混声合唱団では、男性高音パートを受け持つテノールのパート・リーダーを務めた。声楽の褒め言葉として、「テノールのような[[アルト]]」、「アルトのようなテノール」という表現があるが、小田の声はまさに後者に当たる。 「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1[[オクターブ]]低くなる。[[ウィーン少年合唱団]]の声は女声と同じ音域であるが小田の'''話声'''は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。ただ、小田の'''歌声'''の発声領域は、「ヘ音記号」楽譜の下のソ音 (G) 付近から「ト音記号」楽譜の上のレ音 (D) 付近までである。つまり、小田は女性の声域のさらに下に1オクターブ追加された声域ということになる。音域が広いため、よく聴いてみると高音部が目立つ楽曲の中にもアルトの領域を少し下に外れテノールの領域に入る部分が僅かに組み込まれているものもあり、男声として高域の伸びと声の質が小田の天性の魅力となっている。その発声はいわゆる、音の揺らぎ-[[ビブラート]]-の少ないフラットな澄んだ声であることと、音程の正しさも小田の高域の声の美しい印象を高めている。 == ファンクラブ == オフィシャル・ファンクラブはないが、スタッフがパーティーやミーティングなどに活用しているプライベートスペースとして“[[Far East Cafe (店舗)|Far East Cafe]]”が運営されている。通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。 また、Far East Cafeではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFE PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Cafeでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。 そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}}{{reflist|3}} == 関連項目 == *[[聖光学院中学校・高等学校]] *[[藤森照信]]([[建築家]]、大学時代からの友人) ;楽曲提供・プロデュース <div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em"> *[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]] *[[佐藤竹善]] *[[ハイ・ファイ・セット]] *[[山本潤子]] *[[島倉千代子]] </div><div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em"> *[[中村雅俊]] *[[松たか子]] *[[時任三郎]] *[[中西圭三]] *[[ぢ・大黒堂]] </div><div style="float:left;vertical-align:top;white-space:nowrap;margin-right:1em"> *[[坂本サトル]] *[[イルカ (歌手)|イルカ]] *[[加藤いづみ]] *[[KAT-TUN]] *[[RAG FAIR]] </div><br style="clear:left" /> == 外部リンク == *[http://www.fareastcafe.co.jp/ Far East Café 公式サイト] *[http://www.sonymusic.co.jp/bv/oda/ KAZUMASA ODA Sony Music 公式サイト] *[http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/ARI/oda/ Sony Music Online Japan 小田和正] *{{Facebook|KazumasaOda}} *[http://ameblo.jp/negishi-arch/ 根岸俊雄の住まいづくり入門](同じ東北大建築学科の先輩が[http://ameblo.jp/negishi-arch/theme-10001049723.html 小田和正とのエピソード]を掲載) *[http://special.infoseek.rakuten.co.jp/amuse/summer/fes/oda_top.html 小田和正スペシャルインタビュー] {{小田和正}} {{オフコース}} {{DEFAULTSORT:おた かすまさ}} [[Category:1947年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:小田和正| ]] [[Category:日本のフォークシンガー]] [[Category:日本のギタリスト]] [[Category:日本のキーボーディスト]] [[Category:日本のシンガーソングライター]] [[Category:日本の音楽プロデューサー]] [[Category:日本の実業家]] [[Category:日本の映画監督]] [[Category:日本の作曲家]] [[Category:日本の作詞家]] [[Category:日本の映画音楽の作曲家]] [[Category:アニメ音楽の作曲家]] [[Category:横浜市出身の人物]] [[Category:東北大学出身の人物]] [[Category:早稲田大学出身の人物]] [[Category:オフコース]] [[Category:オリコン年間シングルチャート1位獲得アーティスト]] [[Category:アリオラジャパンのアーティスト]]
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