コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
小浜藩のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
小浜藩
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
[[File:Obama-tenshudai.jpg|thumb|230px|小浜城に現存する本丸]] '''小浜藩'''(おばまはん)は、[[若狭国]]一国および[[越前国|越前]][[敦賀郡]]を領した藩。藩庁は[[小浜城 (若狭国)|小浜城]]。 {{出典の明記|date=2012年5月}} == 概要 == === 前史 === [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]後期から[[安土桃山時代]]、若狭は[[丹羽長重]]、次いで[[浅野長政]]が領していた。そして[[関ヶ原の戦い]]前には、[[木下勝俊]]が入った。木下勝俊は若狭の内、遠敷郡・三方郡で6万5000石を領した。大飯郡2万石([[高浜藩]])は勝俊の弟の[[木下利房]]が領していた。[[慶長]]5年([[1600年]])の関ヶ原の戦いで、勝俊は前哨戦としての[[伏見城の戦い]]の直前に戦地離脱をしたため、<!-->よく誤解されるが、本当に西軍側に付いたら勝俊の命はそれこそ失われていただろう。</!-->利房は西軍に与したため、戦後に[[改易]]されてしまった。その後、勝俊は歌人・木下長嘯子として名を残した。また利房は[[大坂の役]]で徳川方に付いたため大名として復活を果たし、[[備中国|備中]][[足守地域|足守]]で大名となった。 === 京極家時代 === 関ヶ原の戦いの戦功により、小浜には[[近江国|近江]][[大津城|大津]]6万石を領し[[大津城]]主であった'''[[京極高次]]'''が[[若狭国|若狭]]一国を与えられ若狭[[小浜市|小浜]]8万5,000石で入ることとなる。 高次は関ヶ原の戦いで東軍として名乗りを挙げ、小勢をもって大津城に籠城し、西軍の[[立花宗茂]]・[[末次元康|毛利元康]]らの大軍勢と激しい攻防戦を繰り広げた。しかし大砲を天守に打ち込まれるなど西軍の激しい猛攻の前に大津城は開城を余儀なくされた。武装解除を命じた後に高次自らは[[高野山]][[金剛峯寺]]に入った。 ところが高次の善戦により、宗茂ら1万5,000人の西軍別働隊は9月15日の関ヶ原本戦に大遅参してしまい西軍が敗退。戦後の論功行賞で家康は高次の功績を高く評価し、高次に若狭一国を与えて'''国持大名'''としたのである。高次は名乗りを若狭守と変え若狭に入った。これが、小浜藩の立藩である。 高次は翌年、近江[[高島郡 (滋賀県)|高島郡]]内において7,000石を加増され、合計9万2,000石を領する大名となった。慶長14年([[1609年]])の高次死後、その家督は子の[[京極忠高]]が継ぐ。大坂の役の功などによりさらに'''[[越前国|越前]][[敦賀郡]]'''一郡全域を加増され、このときに'''若狭から越前敦賀郡までを一円支配する近世小浜藩の藩領'''が確定した。 忠高は義母の[[常高院]]と共に大坂の役などでは和議交渉で活躍した人物である。[[寛永]]11年([[1634年]])に[[出雲国|出雲]][[隠岐国|隠岐]][[松江藩]]へ23万5,000石へ忠高は移封された。 === 酒井家時代 === その後、小浜藩には[[武蔵国|武蔵]][[川越藩]]10万石の藩主だった[[酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)|酒井忠勝]]が[[若狭国|若狭]]および[[越前国|越前]][[敦賀郡]]および[[近江国|近江]]・[[安房国]]の合計11万3,500石に加増転封されて小浜藩に入る。 寛永13年([[1636年]])には[[下野国]]の内においてさらに1万石を加増され、合計12万3,500石を領する譜代有数の大身大名となる(近畿では彦根井伊家に次ぐ)。 ちなみに忠勝はいうまでもなく、[[土井利勝]]らと並ぶ幕府初期の有名な[[老中]]・[[大老]]を兼任した人物である。将軍・家光より、忠勝は、若狭一国の[[国主|国持大名]]とされた。譜代大名で国持の格式となったのは忠勝ただ一人である。家光の忠勝に対する感謝の大きさが窺がわれる。しかし国持待遇は忠勝一代で終わった。 忠勝の後、その家督は4男の[[酒井忠直]]が継ぎ、嫡男の[[酒井忠朝]]は廃嫡された。忠直は[[寛文]]8年([[1668年]])、兄の子である[[酒井忠国]]に1万石を分与して[[安房勝山藩]]が成立する。[[天和 (日本)|天和]]2年([[1682年]])には忠直の次男に越前敦賀郡と近江高島郡の内で1万石を分与して[[越前国|越前]][[敦賀藩]](後期敦賀藩、鞠山藩)が成立する。また同時に五男・[[酒井忠根]]にも3,000石が分与され独立した[[旗本]]となったため、小浜藩の所領は縮小し10万3,500石となった。 藩政においては、初代藩主・忠勝は町奉行や[[代官]]を設置し、さらに税制の確立にも尽力して藩の支配体制を固めた。しかし[[享保]]20年([[1735年]])に小浜一帯を大洪水が襲って藩内に大被害をもたらした。しかもそれに連鎖するように飢饉も相次いで領民は大いに苦しんだ。このため、小浜藩の領民は協力して藩主に窮状を訴えたが、聞き入られなかったため、[[明和]]7年([[1770年]])に百姓一揆が起こった。藩は何とか財政難打開を図ったが、[[天保]]7年([[1836年]])には藩に[[冷害]]による飢饉が襲い、遂に財政は火の車となった。 第12代藩主・並びに第14代(最後)の藩主となった[[酒井忠義 (若狭国小浜藩主)|酒井忠義]]は、[[幕末]]期の[[京都所司代]]としては有名な人物である。忠義は[[井伊直弼]]に協力して[[安政の大獄]]を積極的に京都で推し進め、[[和宮親子内親王|和宮]]降嫁や[[公武合体]]、[[武田耕雲斎]]率いる[[天狗党の乱]]鎮圧などで活躍した。[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]で、[[酒井忠氏]]は幕府側に与して新政府軍と戦ったが、敗れて降伏した。その後、小浜藩は新政府より北陸道鎮撫使の先鋒を命じられ、奥羽まで転戦した。 [[明治]]2年([[1869年]])の[[版籍奉還]]で酒井忠禄(忠義の再任後の名前)は小浜藩知事となり、明治3年(1870年)9月に[[鞠山藩]]と合併し鞠山藩知事[[酒井忠経]]が小浜藩知事となる。明治4年([[1871年]])7月の[[廃藩置県]]で小浜県となる。同年11月には[[敦賀県]]となり、明治9年([[1876年]])に[[滋賀県]]に編入され、明治14年([[1881年]])には[[福井県]]に編入されたのである。 ちなみに[[解体新書]]で有名な医師、'''[[杉田玄白]]'''はこの小浜藩の藩医であった。杉田の名前を冠して[[杉田玄白記念公立小浜病院]]が小浜城跡近くに設立されている。 == 歴代藩主 == === 京極氏 === {{See also|京極氏}} [[外様]]、9万2000石→11万3000石。 # [[京極高次]](たかつぐ)従三位。若狭守。参議。 # [[京極忠高]](ただたか)従四位下。左近衛権少将。 === 酒井氏 === {{See also|酒井氏}} [[譜代]]、11万3000石→10万3000石。 # [[酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)|酒井忠勝]](ただかつ)従四位上。[[讃岐国|讃岐]]守。左少将。 # [[酒井忠直]](ただなお)従四位下。修理大夫。侍従。 # [[酒井忠隆]](ただたか)従四位下。[[遠江国|遠江]]守。 # [[酒井忠囿]](ただその)従四位下。靭負佐。 # [[酒井忠音]](ただしげ)従四位下。修理大夫。侍従。 # [[酒井忠存]](ただあきら)従五位下。備後守。 # [[酒井忠用]](ただもち)従四位下。修理大夫。侍従。 # [[酒井忠与]](ただよし)従四位下。遠江守。 # [[酒井忠貫]](ただつら)従四位下。修理大夫。 # [[酒井忠進]](ただゆき)従四位下。'''若狭守'''。侍従。 # [[酒井忠順]](ただより)従四位下。修理大夫。 # [[酒井忠義 (若狭国小浜藩主)|酒井忠義]](ただあき)従四位上。'''若狭守'''。修理大夫。少将。 # [[酒井忠氏]](ただうじ)従四位下。'''若狭守'''。 # [[酒井忠義 (若狭国小浜藩主)|酒井忠禄]](ただとし)従四位上。少将。(酒井忠義の再任) == 幕末の領地 == 「[[旧高旧領取調帳]]」ではすでに旧[[敦賀藩]]領を含むが、ここでは「[[角川日本地名大辞典]]」(18・福井県、25・滋賀県)の記述によった。 * [[若狭国]]一円 ** [[遠敷郡]] - 122村 ** [[大飯郡]] - 73村 ** [[三方郡]] - 58村 * [[越前国]] ** [[南条郡]]のうち - 5村 ** [[今立郡]]のうち - 6村 ** [[敦賀郡]]のうち - 38村 * [[近江国]] ** [[高島郡 (滋賀県)|高島郡]]のうち - 5村(木津村、辻沢村、河原市村、上古賀村、南船木村)<!--高島郡の項の再編集までここに記載--> == 関連項目 == * [[高木流]] * [[中西派一刀流]] {{s-start}} {{s-bef|before=([[若狭国]])<hr />[[敦賀藩|鞠山藩]]|表記=前}} {{s-ttl|title=行政区の変遷 |years=[[1600年]] - [[1871年]]<br>|years2=小浜藩→小浜県}} {{s-aft|after=[[敦賀県]]|表記=次}} {{end}} {{江戸時代の藩}} {{DEFAULTSORT:おはまはん}} [[Category:藩]] [[Category:小浜藩|*]] [[Category:若狭国]] [[Category:越前国]] [[Category:京極氏|藩]] [[Category:酒井氏|藩]] [[Category:福井県の歴史]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:End
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:S-aft
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:S-bef
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:S-start
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:S-ttl
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:See also
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:出典の明記
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:江戸時代の藩
(
ソースを閲覧
)
小浜藩
に戻る。
検索
検索
小浜藩のソースを表示
話題を追加