コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
富士重工業のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
富士重工業
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{画像提供依頼|現本社|date=2014年8月}} {{Otheruses|富士重工業|自動車部門|スバル}} {{基礎情報 会社 |社名 = 富士重工業株式会社 |英文社名 = Fuji Heavy Industries Ltd. |ロゴ = |画像 = [[ファイル:Fuji Heavy Industries Ltd headquarters 2012-02-26.JPG|250px]] |画像説明 = かつて[[新宿]]に存在していた富士重工業の<br/>旧本社(新宿スバルビル) |種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]] |市場情報 = {{上場情報 | 東証1部 | 7270 | 1960年3月}} |略称 = 富士重工、富士重、FHI |国籍 = {{JPN}} |本社郵便番号 = 150-8554 |本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]][[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]]1丁目20番8号 |設立 = [[1945年]][[12月27日]]<br />(東邦化学株式会社) |業種 = 輸送用機器 |統一金融機関コード = |SWIFTコード = |事業内容 = [[自動車]]・[[航空機]]の製造・整備(自動車は[[スバル]]を参照)<br />産業用機器の製造・整備 |代表者 = 代表取締役社長 吉永泰之 |資本金 = 1537億9500万円 |発行済株式総数 = 7億8286万5873株 |売上高 = 連結:1兆5171億500万円<br />(2012年3月期) |営業利益 = 連結:439億5900万円<br />(2012年3月期) |純利益 = 連結:384億5300万円<br />(2012年3月期) |純資産 = 連結:7642億7200万円<br />(2013年3月31日現在) |総資産 = 連結1兆7859億2600万円<br />(2013年3月31日現在) |従業員数 = 連結:2万7296人<br />(2011年3月31日現在) |決算期 = 3月31日 |主要株主 = [[トヨタ自動車]]16.48%<br />(2012年3月31日現在) |主要子会社 =スバル オブ アメリカ<br />[[イチタン]] |関係する人物 = |外部リンク = http://www.fhi.co.jp/ |特記事項 = 事実上の存続会社である富士重工業(旧社)の設立は[[1953年]][[7月17日]]<ref>株式額面金額変更のため、東邦化学→富士重工業(新社)を存続会社として旧社は吸収合併されている。</ref> }} '''富士重工業株式会社'''(ふじじゅうこうぎょう、''Fuji Heavy Industries Ltd.''、英略称:''FHI'')は、[[日本]]の[[重工業]][[メーカー]]。通称「'''富士重工'''」、「'''富士重'''」で、[[自動車]]ブランドの「'''[[スバル]]'''」(''SUBARU'')と呼ばれるケースも多々。 == 歴史 == [[1917年]](大正6年)5月、[[中島知久平]](元[[大日本帝国海軍|海軍]][[機関科|機関]][[大尉]])によって[[尾島町|群馬県新田郡尾島町]](現: [[群馬県]][[太田市]])に設立された民営の'''飛行機研究所'''を前身とし、[[太平洋戦争]]([[第二次世界大戦]])終戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]により[[財閥解体]]の対象となった'''[[中島飛行機]]'''([[1945年]](昭和20年)に富士産業と改称)が、富士重工業のルーツである。 軍需から平和産業への転換、スクーターやバスなどの輸送用機器開発、企業分割などを経て、旧中島系の主要企業の共同により[[1953年]](昭和28年)に富士重工業を設立、[[1955年]](昭和30年)に参画各社が富士重工業に合併されることで企業としての再合同を果たした。 [[1958年]](昭和33年)発売の[[軽自動車|軽乗用車]]「[[スバル・360]]」と、その派生型である[[1961年]](昭和36年)発売の軽商用車「[[スバル・サンバー]]」が技術的・商業的に大きな成功を収めたことで、以後「'''スバル'''」ブランドの自動車メーカーとしての地位を確立し、その他の分野にも多角的に進出しながら現在に至っている。 === 富士重工業の誕生まで === ==== 中島飛行機 ==== [[File:The_Nakajima_Hayate_of_the_73rd_squadron.jpg|250px|thumb|right|四式戦「疾風」]] {{main|中島飛行機}} 中島飛行機は、主として太平洋戦争時までの[[日本軍|陸海軍]]の需要に応え、[[軍用機]]および[[航空用エンジン]]開発に取り組んだメーカーである。[[三菱重工業]]、[[川崎重工業|川崎航空機]]と共に大手航空機メーカーとして、日本最大規模の存在であった。 特に技師長[[小山悌]]を設計主務者に開発され、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]([[陸軍飛行戦隊|陸軍航空部隊]])の歴代主力戦闘機となった[[九七式戦闘機]]、[[一式戦闘機|一式戦闘機「隼」]]、[[二式単座戦闘機|二式戦闘機「鍾馗」]]、[[四式戦闘機|四式戦闘機「疾風」]]<ref>終戦後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に接収されて、140[[オクタン価|オクタン]]の高品質な燃料を使用しての綿密なテストの結果、アメリカをして「第二次大戦の日本戦闘機のベストワン」と絶賛させた。</ref>など、多数の著名な軍用機を送り出した。 エンジンメーカーとしては、一式戦「隼」や[[零式艦上戦闘機|零式艦上戦闘機(零戦)]]に搭載された「[[栄 (エンジン)|榮(ハ25)]]」、四式戦「疾風」や「[[紫電改|紫電改]]」に搭載された「[[誉 (エンジン)|誉(ハ45)]]」などを開発している。 ==== 企業解体と平和産業への転進 ==== 日本の敗戦とともに、GHQより航空機の研究・製造の一切が禁止され、中島飛行機は新たに富士産業<ref>「富士」は「[[富士山]]」に由来する。中島飛行機の創立者である中島知久平は、日本を代表する名山である富士山をこよなく愛した。</ref>と改称された。戦時中、最先端の航空機開発に取り組んだ優秀な技術者たちの生活は、各工場毎に、自転車、リヤカー、自動車修理、果ては鍋や釜、衣類箱、乳母車などを作って糊口を凌ぐ日々へと一変した。 このような状況の中、太田と三鷹工場の技術者たちは、当時[[進駐軍]]の兵士たちが移動に利用していたアメリカ製の簡易な[[スクーター]]「[[パウエル自動車|パウエル]]」に着目する。軽便な移動手段としての販路を見込めると考えられたことからスクーターの国産化が計画され、早速、敗戦後も残っていた陸上爆撃機「[[銀河 (航空機)|銀河]]」の尾輪をタイヤに利用して試作、[[1947年]](昭和22年)に「[[ラビットスクーター]]」として発売した。「ラビット」は運転が簡易で扱いやすかったことから、戦後日本の混乱期において市場の人気を博し、メーカーの屋台骨を支える重要な商品となった。「ラビット」シリーズのスクーターは、モデルチェンジを繰り返しつつ富士重工業成立後の[[1968年]](昭和43年)まで生産された。 また航空機製造で培った板金・木工技術を活用し、[[1946年]](昭和21年)から[[バス (車両)|バス]]ボディ架装にも進出、特に従前の「[[ボンネットバス]]」より床面積を大きく取れるキャブオーバー型ボディの架装で、輸送力不足に悩むバス会社から人気を得た。さらに[[1949年]](昭和24年)にはアメリカ製[[リアエンジン]]バスにならい、得意の航空機製造技術を生かした、日本初の[[モノコック]]ボディ・リアエンジンバス「ふじ号」が完成。フロントエンジン型キャブオーバーバスよりさらにスペース効率に優れることから成功を収め、以降、日本のバスボディ・シャーシの主流は続々とリアエンジンへ移行していく。 このようにして平和産業へ転進した[[富士産業]]であったが、[[1950年]](昭和25年)8月、当時の政策によって[[財閥解体]]の対象となり、工場毎に15社以上に分割されてしまった。 ==== 富士重工業成立 ==== [[1950年]](昭和25年)6月に勃発した[[朝鮮戦争]]は、戦後不況にあえぐ日本に「朝鮮特需」をもたらしただけでなく、GHQの日本の占領政策を一変させた。[[1952年]](昭和27年)4月、[[サンフランシスコ講和条約]]が発効すると、旧・財閥から民間賠償用としてGHQに接収されていた土地・建物の所有者に返還がはじまり、富士工業([[太田市|太田]]、[[三鷹市|三鷹]]工場)、富士自動車工業([[伊勢崎市|伊勢崎]]工場)を中心とした旧・中島飛行機グループ内での再合同の動きがにわかに活発化、1952年(昭和27年)12月、大宮富士工業([[大宮市|大宮]]工場)、東京富士産業(旧・中島飛行機・本社)を加えた4社が合併同意文書に調印した。 同じ頃、[[1953年]](昭和28年)の[[保安庁]](現:[[防衛省]])予算に練習機調達予算が計上され、航空機生産再開に向けて、[[ビーチクラフト|ビーチ・エアクラフト]][[T-34 (航空機)|T-34 メンター]]の製造ライセンス獲得に国内航空機メーカー各社は一斉に動き出した。当時、再合同の途上にあった旧・中島飛行機グループも再合同の動きを加速。1953年(昭和28年)5月には、鉄道車両メーカーとなっていた宇都宮車輛([[宇都宮市|宇都宮]]工場)が新たに再合同に参加することが決まり、1953年(昭和28年)7月15日、5社出資による航空機生産を事業目的とする新会社'''富士重工業株式会社'''が発足<ref>本社は東京都[[新宿区]][[角筈]](現:富士重工業本社・スバルビル所在地)である</ref>。 [[1954年]](昭和29年)9月、6社が合併契約書に調印。[[1955年]](昭和30年)4月1日、富士重工業は、富士工業、富士自動車工業、大宮富士工業、宇都宮車輛、東京富士産業の5社を吸収し、正式に富士重工業株式会社としてスタートした(当時の資本金:8億3,050万円、従業員:5,643名)。ロゴは「富士重工」で、「重」の1画目がない形になっており、長らく使用された。 旧・中島飛行機の発動機開発の拠点で、[[荻窪 (杉並区)|荻窪]]工場と浜松工場を引き継いだ[[プリンス自動車工業|富士精密工業]]は、中島飛行機再合同の動きが本格化した1952年(昭和27年)には、事実上、すでに[[タイヤ]]メーカーの[[ブリヂストン]]の資本下に入っており<ref>当時、ブリヂストン会長でもあった石橋正二郎個人が筆頭株主の会社(つまり、厳密にはブリヂストンの資本系列ではなかったが、銀行は事実上のブリヂストン支配の会社と認定していた)となっていた。</ref>、再合同には参加しなかった<ref>1954年(昭和29年)、戦前の[[立川飛行機]]の転進で、同じくブリヂストン傘下にあった[[プリンス自動車工業]]と合併、富士精密工業としてスタートした後、[[1961年]](昭和36年)、[[プリンス自動車工業]]と名称を変更、[[日産・スカイライン|スカイライン]]、[[日産・グロリア|グロリア]]、[[皇室]][[御料車]][[プリンスロイヤル]]などを開発。[[1966年]](昭和41年)、[[日産自動車]]に吸収合併された。</ref>。また、この時再合同に加わらなかった、富士機械工業<ref>のちの富士ロビン。[[2007年]]に富士重工系列を離れ[[マキタ沼津]]を経て[[マキタ]]に吸収合併。</ref>など3社は、のちに富士重工業の関連会社として加わっている。 富士重工業は、1966年(昭和41年)に東邦化学株式会社と合併し、存続会社を東邦化学株式会社とした。この存続会社の東邦化学株式会社は[[1965年]](昭和40年)に商号を富士重工業株式会社と改めた上で合併しているため、一貫して継続した同一名称ではあるが、法律的には従来の富士重工業は1965年(昭和40年)に一旦消滅している。これは株式額面金額変更が目的の事務的なものである<ref>[http://www4.atwiki.jp/sysd/pages/1513.html]企業情報@Wiki 富士重工業</ref>。 === その後の推移と業務提携 === {{main|スバル}} [[スバル・レオーネ|レオーネ]]を発売した1970年代初頭から、本格的な[[アメリカ合衆国|アメリカ]]市場への進出を開始。[[オイルショック]]や[[排気ガス規制]]などの消費者の自動車に対する要求の変化や、当時の[[円安]]を背景とした廉価性を武器に、国産他メーカーと同じくアメリカ市場での販売台数を飛躍的に伸ばすことに成功した。 [[1968年]](昭和43年)から[[1999年]](平成11年)まではメインバンク([[日本興業銀行]]/現: [[みずほ銀行]])が同じ[[日産自動車]]と提携、[[日産・チェリー]]、[[日産・パルサー|パルサー]]、[[日産・サニー|サニー]]などの委託生産を請負い、工場稼働率のアップを図っていたが、設計の共同化や部品の共用化などが本格的に行われることはなかった。 1970年代中盤からは、[[南アメリカ|南米]]、[[オーストラリア]]を中心とした[[アジア]]・[[オセアニア]]地方、[[中東]]、[[ヨーロッパ]]などにも進出。1970年代以前には年産10万台にはるかに満たなかった生産台数を、1970年代後半には20万台規模にまで増やし順調に企業規模を拡大した。 しかし、[[1985年]](昭和60年)[[9月]]の[[プラザ合意]]以降の急激な[[円高]]とアメリカ市場との「共生」が求められるようになった時代背景の中で、北米市場での深刻な販売不振に直面。[[1987年]](昭和62年)、[[いすゞ自動車]]との共同出資で、[[スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ|スバル・イスズ・オートモーティブ (SIA)]]を設立して現地生産も開始した<ref>[[OEM]]による完成車の相互供給も行なわれたが、[[2003年]](平成15年)にいすゞのSIAからの撤退をもって関係を解消している。</ref>が、主に魅力的な車種展開が図れなかったことや、企業規模から他国産メーカーと比べ製造コストを劇的に下げることができなかったことなどから、[[1989年]]には300億円もの営業赤字を抱え、深刻な経営危機が報じられるまでになった。 しかし、折からの「[[バブル景気]]」によって資金調達のめどが順調に立ったことや、[[1989年]][[1月]]、[[スバル・レガシィ|レガシィ]]の発売以来、順調に国内市場、北米市場での販売を回復することに成功。[[1990年]](平成2年)には[[UDトラックス|UDトラックス(旧: 日産ディーゼル)]]の経営再建に手腕を発揮した川合勇のもとで地道なコスト削減努力が続けられ、[[世界ラリー選手権|WRC]]への出場など、CI(コーポレーテッド・イメージ)の積極的な訴求効果とあわせ、年産30万台規模の世界的に見て比較的小規模なマスプロダクツ・メーカーとして現在に至っている。 [[バブル崩壊]]後、日産自動車が経営不振に陥り、経営再建の一環として日産自動車保有の富士重工業株の売却を決め、[[2000年]](平成12年)に放出株全てが[[ゼネラルモータース]](GM)に売却された<ref>GM傘下在籍中には、同傘下の[[サーブ・オートモービル|SAAB]]にインプレッサ・スポーツワゴンの[[OEM]]車種[[サーブ9-2X]]を提供したり、GMのタイ工場から[[オペル]]車のOEMである[[スバル・トラヴィック|トラヴィック]]などの供給を受けていた。また[[2003年]](平成15年)から開発がスタートした「B9トライベッカ」ではサーブ版を最初からサーブ側と共同開発する計画だった。</ref>。 しかし、GMの業績悪化に伴い[[2005年]](平成17年)[[10月5日]]には、GMが保有する富士重工株20%をすべて放出。放出株のうち8.7%を[[トヨタ自動車]]が買い取って筆頭株主となり、富士重工業とトヨタ自動車が提携することで合意した。GMグループの[[スズキ (企業)|スズキ]]と、[[軽自動車]]の部品の共通化などをすすめてきていたが、今後、トヨタ自動車および[[トヨタグループ]](トヨタ傘下)の[[ダイハツ工業]]との開発部門の交流や部品共通化によるコスト削減効果が期待される。 [[2008年]](平成20年)4月10日、軽自動車の自社開発・生産を行わない方針を発表。[[2012年]](平成24年)2月を以って軽自動車の生産を終了した。以降、登場する新型の軽自動車は全てダイハツからの供給によるOEM車となっている。 [[2010年]](平成22年)8月、かつて東京都新宿区にあった本社ビル(新宿スバルビル)が老朽化したことなどに伴い、建物を[[小田急電鉄]]に売却した上で本社機能を[[2014年]]8月18日に東京都[[渋谷区]][[恵比寿 (渋谷区)|恵比寿]]のエビススバルビルへ移転させることを発表した。 2013年(平成23年)1月、[[ロボット]]開発で国からの[[補助金]]を不正受給していたことが判明し、[[経済産業省]]と[[新エネルギー・産業技術総合開発機構]](NEDO)から計8億250万円の返還処分及び補助金交付停止処分を受ける<ref>[http://mainichi.jp/select/news/20130201ddm012040186000c.html 不正受給:富士重に補助金8億円返還処分] 毎日新聞 2013年2月1日</ref>。 === 航空機再生産 === [[ファイル:Beech T-34C Turbo Mentor - GPN-2000-001989.jpg|thumb|right|200px|T-34 メンター]] [[ファイル:T-1B.JPG|thumb|right|200px|富士 T-1]] [[1953年]](昭和28年)9月、富士重工業は「[[ビーチクラフト|ビーチ・エアクラフト]]」と「[[T-34 (航空機)|T-34 メンター]]」製造ライセンス契約に調印。[[1955年]](昭和30年)10月、国産1号機を完成させ、防衛庁への納入が始まった。 さらに[[1957年]](昭和32年)11月、戦後初の国産ジェット機「[[T-1 (練習機)]](初鷹)」の開発に成功。中等練習機として[[1963年]](昭和38年)までに66機を[[防衛庁]](現: [[防衛省]])に納入した。 [[1965年]](昭和40年)8月、民間向け軽飛行機[[FA-200|FA-200「エアロスバル」]]の初飛行に成功。翌[[1966年]](昭和41年)10月から販売を開始。低翼式の機体を採用したFA-200は低速時の安定性に優れ、アクロバット飛行なども可能な万能機として好評を博し、298機を生産した。 戦後初の国産旅客機「[[YS-11]]」の開発にも参加。[[主翼]]桁と[[尾翼]]を担当。この経験はのちに、[[1973年]](昭和48年)12月、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ボーイング|ボーイング社]]と[[ボーイング747]]の生産分担契約に実を結び、[[1974年]](昭和49年)には新世代旅客機[[ボーイング767]]の国際共同開発プロジェクトに参加。国際分業に大きな役割を果たした。 1974年(昭和49年)、富士重工業は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ロックウェル・インターナショナル]]社と双発ビジネス機、[[FA-300]]の共同開発を開始。[[1975年]](昭和50年)11月に初飛行に成功、[[1977年]](昭和52年)から販売を開始した。しかし、その後、ロックウェル社が軽飛行機部門からの撤退したため、計画が頓挫。42機の生産実績に留まった。 == 生産部門 == === スバル自動車部門 === {{main|スバル}} === 航空宇宙部門 === * 宇都宮製作所([[栃木県]][[宇都宮市]]) * 宇都宮製作所半田工場([[愛知県]][[半田市]]) === 産業機器部門 === * 埼玉製作所([[埼玉県]][[北本市]]) === 環境技術部門 === * エコ宇都宮工場(栃木県宇都宮市) ** かつて鉄道車両や塵芥収集車・[[フジマイティー]]を生産していた。業界ではトップシェアを誇っていた。 === 住宅事業部門 === * 伊勢崎事業所([[群馬県]][[伊勢崎市]]) == 航空宇宙部門 == 日本航空業界の草分けである中島飛行機の後身で、現在も日本の航空宇宙業界で第三位であり、小型練習機やボーイング社向け分担生産を中心としているが、[[日本興業銀行]]が株主となり、役員を派遣して経営陣を占めるようになると、冒険的な航空宇宙事業への理解は低くなり、T-1の後継機である[[T-4 (練習機)|T-4]]の受注競争に敗れると決定的になった。[[三菱重工業]]や[[川崎重工業]]、[[IHI]]などと違い、現在の自社[[ウェブサイト]]には航空事業の詳しい項目が無い。[[US-1|US-1A改]]開発の際、防衛庁関連で汚職事件を起こしたことも、社名に傷を残すこととなった。一方、主翼など翼部製造の優秀さについては、[[ボーイング]]からも表彰されているほか、国内開発でも貢献している。複合材製品については世界屈指の技術力を持つ。 [[YS-11]]開発参加や[[FA-200]]販売で国産機の実績を積んだものの、日米共同で開発した[[FA-300]]が大失敗した為、民間機の自主制作からは手を引いていたが、[[21世紀]]に入ってから三菱や川崎が独自の旅客機計画を進め、また、経営陣も富士重工業の生え抜き社員が多くなってきたことから航空機事業に前向きになったこともあり、10~15席程度の小型民間旅客機の開発計画を発表し、実現が期待されている。また、日本国外の企業とも共同開発を行っている。 === 沿革 === * [[1958年]](昭和33年)[[1月16日]] - [[第二次世界大戦]]後日本初のジェット機[[T-1 (練習機)|T-1練習機]]を開発し初飛行に成功する。 * [[1978年]](昭和53年)[[1月17日]] - [[T-3 (練習機)|T-3練習機]]が初飛行。3月から量産機が納入された。生産機数は50機。 * [[1987年]](昭和62年)[[4月27日]] - [[T-5 (練習機)|T-5練習機]]が初飛行。 ** 主力であった航空機製造から[[ベルエアクラフト]]との[[ライセンス]]契約による[[ヘリコプター|ヘリコプタ]]製造([[UH-1 (航空機)|UH-1]]と[[AH-1 コブラ|AH-1]])へと傾き、長年低迷していたが、富士重工業初の生え抜き社長であった竹中恭二(前社長)体制時の中期経営計画FDR-1により航空機製造を中心として息を吹き返し[http://www.jqa.jp/service_list/management/jisq9100.html JIS-Q-9100]制定にあたり中心的役割を果たした。 * [[1994年]](平成6年)[[4月9日]]、[[ボーイング777]]の1号機がロールアウト。「世界最大の双発旅客機」の開発・製造に参加し中央翼を分担する。 * [[2002年]](平成14年)[[7月9日]] - T-3改が初飛行。[[2003年]](平成15年)4月に[[T-7 (練習機)|T-7練習機]]として制式採用された。 * 2002年(平成14年)6月 - [[エアバスA380]]に参加。垂直尾翼前縁・翼端、フェアリングを分担する。 * [[2005年]](平成17年)に開発が決定した[[ボーイング787]]の開発にも参加している(詳しくは[[YX]]共同開発を参照)。 * [[2008年]](平成20年)から、[[MRJ]](三菱リージョナルジェット)の設計のために技術者4名が出向している。 === 納入実績 === ==== [[防衛省]](自衛隊)向 ==== * [[T-1 (練習機)|T-1A/B中等練習機]] * J/AQM-1 無人標的機 * [[遠隔操縦観測システム|遠隔操縦観測システム FFOS]] * [[フライトシミュレーション|航空機用シミュレータ]] ===== ライセンス生産 ===== * [[T-34 メンター|T-34A練習機]]([[ビーチクラフト]]) ** [[LM-1|LM-1/2多座席連絡機]](国内開発) ** [[KM-2|KM-2練習機・TL-1練習連絡機]](国内開発) ** [[T-3 (練習機)|T-3初等練習機]](国内開発) ** [[T-5 (練習機)|T-5初等練習機]](国内開発) ** [[T-7 (練習機)|T-7初等練習機]](国内開発) * [[UH-1 (航空機)|UH-1B/H/J]] 多用途ヘリコプタ([[ベルエアクラフト]]) * [[AH-1 コブラ|AH-1S対戦車ヘリコプター]](ベルエアクラフト) * [[AH-64D アパッチ・ロングボウ|AH-64D戦闘ヘリコプター]]([[ボーイング]]) * [[パトリオットミサイル|ペトリオット中距離地対空誘導弾]]用アンテナマストグループ([[レイセオン]]) ===== 分担生産 ===== * [[F-2 (航空機)|F-2戦闘機]](主翼・尾翼等) * [[T-4 (練習機)|T-4中等練習機]](主翼・尾翼・[[キャノピー|キャノピィ]]) * [[OH-1|OH-1小型観測ヘリコプタ]](尾翼・キャノピィ等) * [[US-1|US-1A救難飛行艇]](主翼外翼・[[ナセル (曖昧さ回避)|ナセル]]・尾翼)等 * [[P-3 (航空機)|P-3C対潜哨戒機]](主翼ライセンス生産) * [[U-125 (航空機)|U-125A救難捜索機]](装備品取り付け・納入前整備)等 ==== 民間向 ==== ===== 自社開発 ===== * [[FA-200|FA-200 エアロスバル]] * [[FA-300]](富士710、ロックウェル・インターナショナル社と共同開発) * ドライビング・シミュレータ * [[遠隔操縦観測システム]] 防衛省向け無人ヘリコプター(民間向けに同型機種でRPH-2が存在) ===== 分担生産 ===== * [[ボーイング737]]([[昇降舵]]) * [[ボーイング747]]([[補助翼]]、[[スポイラー (航空機)|スポイラー]]) * [[ボーイング757]](アウトボード[[翼#高揚力装置|フラップ]]) * [[ボーイング767]]([[YX]]共同開発、主脚扉・翼胴フェアリング) * [[ボーイング777]](共同開発、中央翼・主脚扉・翼胴フェアリング) * [[ボーイング787|ボーイング787 ドリームライナー]](共同開発、中央翼) * [[エアバスA380]](垂直尾翼構造) * [[ホーカー]] ホライゾン M4000(主翼構造およびシステム開発) * [[ベルエアクラフト|ベル]]・[[アグスタウェストランド]] [[AW609 (航空機)|AW609]] [[ティルトローター]]機(胴体構造開発) * [[エクリプス (航空機メーカー)|エクリプス・アビエーション]] [[エクリプス 500]](主翼) * [[ボンバルディア]][[デ・ハビランド・カナダ DHC-8|DASH-8]] ===== ライセンス生産 ===== * [[UH-1 (航空機)|204B]] 中型物輸ヘリコプタ([[ベルエアクラフト]]) * 205B 中型物輸ヘリコプタ(ライセンスを受けて独自改良) ==== 宇宙関連機器 ==== * [[H-IIAロケット]] * [[ピギーバック衛星]] * テレジット(人工衛星) == 産業機器 == 「ロビン」ブランドの小型汎用エンジンを開発・生産し、汎用エンジン業界ではシェア世界第4位。富士重工業内では唯一、米国と中国に生産拠点を持っている。 これらのエンジンは取り扱いの容易さと抜群の耐久性などで、主に土木工事現場で使われる[[ランマー]]や[[発電機]]、コンクリートカッター、灌漑用の[[ポンプ]]、構内作業車([[モートラック]])などに動力源として搭載される。また、[[ゴルフカート]]、[[スノーモービル]]、[[全地形対応車|ATV]](バギー車)などに搭載されるエンジンも開発、生産している。これらのエンジンのほとんどは[[OEM]]供給されているため、一般人の目に触れる機会はほとんど無い。 * [[ロビンエンジン]] ** EY15(汎用) ** EY20(汎用) ** EX17(汎用) ** EX30(汎用) ** EH29(ゴルフカート用) ** EH50(ATV用) ** ES50(ATV用) ** EC55(スノーモービル用) * [[ロビンジェネレーター]] * スバル・ナイター([[投光機]]) * 電動刈払い機 * [[スノーモービル]] == 環境技術 == 現在は各種環境用プラント設備のみを生産している。それ以外の製品については後述。 == 住宅事業 == 富士重工では、小型の[[プレハブ住宅]]を製造しており、以前は[[通信販売]]で名高い[[セシール]]でも扱っていたことがある。 == 過去の商品 == === 軽三輪 === *「ダイナスター」 === 二輪車(スクーター) === *「[[ラビットスクーター]]」 === 二輪車(オートバイ) === *「ハリケーン」 === バス車体架装事業 === [[ファイル:FHI Fuji-go 001.JPG|thumb|right|200px|「ふじ号」(富士TR014X-2)]] [[ファイル:Nissann Diesel and FHI Makers plates 001.JPG|thumb|right|140px|バス車体のメーカーズプレート]] [[1946年]](昭和21年)に小泉ボデー製作所(当初別会社)でスタートし、日本で初めてのフレームレス[[モノコック]]構造による[[リヤエンジン]]バス「ふじ号」([[1949年]](昭和24年))の開発に成功。のちに富士自動車工業となり、スバル360等の開発を行ない、現在の主力であるスバルブランドの乗用車にも発展した事業である。 一時期は[[UDトラックス|UDトラックス(旧: 日産ディーゼル)]]を中心に大型自動車メーカー4社の[[バス (交通機関)|バス]]車体を架装し、バス車体シェア1位を誇っていたが、シャーシメーカーのバス車体内製化(子会社での生産)で生産台数が減少した。[[1998年]](平成10年)に[[三菱ふそう]]と[[日野自動車]]の架装から撤退、[[2002年]](平成14年)[[1月]]に日産ディーゼルがバス車体の架装を[[西日本車体工業]](西工、[[福岡県]][[北九州市]][[小倉北区]])に集約することを決定したため、同年[[5月]]に事業存続は困難と判断し、伊勢崎製作所で行なっていたバス車体架装事業を終了する決定をした。このため、バス車体架装事業は日産ディーゼルとごく少数の[[いすゞ自動車]]を最後に[[2003年]](平成15年)[[3月]]で終えた<ref>最終生産車は、[[東濃鉄道]]に納入された日産ディーゼル[[日産ディーゼル・スペースアロー|大型観光バス]]。</ref>。また[[ボルボ]]社のシャシーを輸入し、[[ボルボ・アステローペ|アステローペ]]シリーズと[[連節バス]]を製造していたが、これらも[[2000年]](平成12年)に生産が終了している。 なお、伊勢崎製作所はその後[[スバルカスタマイズ工房]](現:[[桐生工業]]伊勢崎工場)となり、販売済みの車両に対するアフターサービスを行なっている。 {{main|スバルカスタマイズ工房}} {{-}} === 鉄道車両事業 === [[ファイル:Builder's plate of FHI 001.JPG|thumb|right|200px|[[東武9000系電車]]の車内銘板]] [[1950年]](昭和25年)頃から主に[[客車]]と[[気動車]]を旧[[日本国有鉄道|国鉄]]や[[JR]]、[[私鉄]]、[[第三セクター鉄道|第三セクター]]向けに、また、群馬・栃木に路線を持つ[[東武鉄道]]向けには[[電車]]を生産していたが、生産両数の低下により[[2002年]](平成14年)5月に事業存続は困難と判断し、宇都宮車両工場(現在のエコ宇都宮工場)で行っていた[[鉄道車両]]事業を終える決定をした。[[2003年]](平成15年)[[2月]]に[[新潟トランシス]]新潟事業所([[新潟県]][[北蒲原郡]][[聖籠町]])へ事業譲渡。[[JR四国2000系気動車]]などの振り子式気動車はすべて富士重工製。 最後に製造された電車は[[東武30000系電車]](31406Fの4両)。最終製造車両は地元を走る[[真岡鐵道]]の[[真岡鐵道モオカ14形気動車|モオカ14形一般型気動車]](2両)となった。 なお、先述の伊勢崎事業所でも、[[東京都電車|東京都電]]2500形(軌間1,067mmの杉並線専用車で、足回りは戦前の車両のものを利用。杉並線廃止後は車体のみ荒川線で再利用された)を製造していた。 ==== 生産された鉄道車両 ==== ===== 気動車 ===== * [[南部縦貫鉄道]][[南部縦貫鉄道キハ10形気動車|キハ101・102]]、[[羽幌炭礦鉄道]]キハ11(富士重工業版レールバス) * [[LE-Car]](バス車体の中・小型気動車) * [[LE-Car#LE-DCシリーズ|LE-DC]](ボギー台車 一般型気動車) * [[JR四国2000系気動車]](振り子型特急型気動車) * [[智頭急行HOT7000系気動車]](振り子型特急型気動車)等、第三セクターの特急・普通型気動車 * [[日本国有鉄道|国鉄]]型気動車の一部 ** [[国鉄キハ20系気動車|20系]]・[[国鉄キハ58系気動車|58系]]・[[国鉄キハ45系気動車|45系]]・[[国鉄キハ40系気動車 (2代)|40系]]・[[国鉄キハ181系気動車|181系]]・[[国鉄キハ183系気動車|183系]]・[[国鉄キハ185系気動車|185系]]の一部・[[国鉄キヤ191系気動車|191系検測車]] * [[JR北海道キハ281系気動車]]・[[JR北海道キハ283系気動車|283系]]・[[JR北海道キハ261系気動車|261系]][基本番台のみ](振り子型特急型気動車) * [[真岡鐵道]][[真岡鐵道モオカ14形気動車|モオカ14形]]気動車(1・2のみ)(富士重工業最後の製造車両) * [[北近畿タンゴ鉄道]][[北近畿タンゴ鉄道KTR001形気動車|KTR001形]]・[[北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車|KTR8000形]] 他 ===== 電車 ===== * 東武鉄道 ** [[東武2000系電車|2000系・2080系]] ** [[東武5000系電車|5000系・5050系・5070系]] ** [[東武6050系電車|6050系]] ** [[東武8000系電車|8000系]] ** [[東武9000系電車|9000系・9050系]] ** [[東武10000系電車|10000系・10030系・10080系]] ** [[東武30000系電車|30000系]] ** [[東武100形電車 (軌道)|100形]]([[東武日光軌道線|日光軌道線]]用車両) ** 200形(日光軌道線用車両) * 営団地下鉄(現在の東京地下鉄) ** [[営団2000形電車|2000形]] * 東京都電2500の改造等(国鉄型特急車両の製造歴もあり) ===== 客車 ===== * 国鉄・JR関連の一部の車両等 ** [[国鉄12系客車|12系]]・[[国鉄24系客車|24系]]・[[国鉄50系客車|50系]]・[[JR東日本E26系客車|E26系]] ===== 貨車 ===== * 私有貨車の一部の車両等 ** タキ2800形([[水酸化ナトリウム|苛性ソーダ]]専用タンク車) ** タキ5450形([[液化]][[塩素]]専用タンク車) ** タキ7750形([[水酸化ナトリウム|苛性ソーダ]]専用タンク車) ** タキ9800形([[石油]]類専用タンク車) ** タキ12200形([[セメント]]類専用タンク車) ** タキ18600形(液化[[アンモニア]]専用タンク車) ** タキ45000形(石油類専用タンク車) ** ホキ10000形([[石炭]]専用ホッパ車) * 国鉄所有コンテナ(5000形(試作・量産)・6000形) ===== 軌道モーターカー ===== * TMC300 == スノーボード・自転車・望遠鏡 == * [[1998年]](平成10年)には、宇宙関連機器および航空機部門の技術を使って、中空桁構造オールドライカーボンの[[スノーボード]]「VTOL」が少数販売された。尚、販売は[[インターネット]]のみ当初は50枚限定で販売された。スバルと名乗らず別ブランドで販売された。現在は販売されておらず、貴重な製品である。 * [[2008年]](平成20年)12月には、99台限定で自転車(クロスバイク)「SUBARU XB」が発売された。価格は36万円。マウンテンバイクに軽量大口径ホイールを装着して、オンロードでの走行性能を向上させた自転車で、レガシィなど富士重工の車と同様、オンロードとオフロード双方の走破性を合わせもつ自転車として「クロスバイク」と呼称している。また、[[2013年]](平成25年)1月に、[[ブリヂストンサイクル]]とのコラボレーションによるクロスバイクが、[[スバル#外部リンク|SUBARU Online Shop]]にて販売している(但し、仕様は全く異なる)。 ** [http://web.archive.org/web/20081211104611/http://www.e-saa.co.jp/seihin/bicycle/index.html SUBARU XB](2008年12月11日時点の[[インターネット・アーカイブ|アーカイブ]]) * [[2009年]](平成21年)12月には、屈折式天体望遠鏡「SUBARUメローペ80A」を発売した。外部の専門メーカーと富士重内部の開発チームの共作で、スバルブランドをイメージさせるブルーで塗装されているが、車の色とはやや異なり、車のボディに比べて曲率が大きい望遠鏡の鏡筒を仕上げるために専用塗料を採用している。現在このクラスの望遠鏡は、大部分が中国製だが光学系の製作や検査をすべて日本のメーカーが行っているのが特徴となっている。「メローペ」は[[プレアデス星団]]の最も下にある星の名称。 ** [http://www.e-saa.co.jp/originaldescription/seihin_in154.html SUBARU メローペ80A] === 環境技術 === * [[フジマイティー]](塵芥車) ** 塵芥収集車部門は2012年12月21日を以って生産を終了<ref>{{PDFlink|[http://www.fhi.co.jp/contents/pdf_86552.pdf 富士重工業 塵芥収集車フジマイティーの生産を終了]}} - 富士重工業 2012年12月21日</ref>し、2013年1月1日に傘下の販売会社の[[大和商工]]及び[[フジ特車]]と共に[[新明和工業]]に事業譲渡された<ref>{{PDFlink|[http://www.shinmaywa.co.jp/ir/pdf/13-01-07.pdf 事業譲り受けに関するお知らせ]}} - 新明和工業 2013年1月7日</ref>。 * スバル風力発電システム ** [[風力発電]]。同部門は2012年7月1日を以って[[日立製作所]]に事業譲渡された。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 関連項目 == {{Commonscat|Fuji Heavy Industries}} * [[新井敏弘]] * [[桐生工業]](特装車架装メーカー。過去にはサンバーを受託生産していた) * [[富士重工業硬式野球部]] * [[おおたコミュニティ放送|FM TARO]] * [[FJ1600]] * [[コローニ]] * [[エンフィールド=ロビン・D-R400D]] * [[ジオット・キャスピタ]] * [[矢島タクシー]] * [[北宇都宮駐屯地]] * [[ディノス・レックス]](通信販売会社・[[ディノス]]から販売されたレックス) * [[サーフジェット]] * [[スバルビジターセンター]] * [[チームミヤタ]] * [[マキタ沼津]] * [[富士重工産機販売]] * [[総合太田病院]](富士重工業健康保険組合が開設・看護学校も併設) * [[百瀬晋六]] * [[ステラタウン]](富士重工業旧大宮製作所跡地に出来た大型ショッピングモール。この土地は中島飛行機時代から使われており、富士重工にとって由緒ある場所である。) * [[:en:subaru|subaru]] - 英語版 Wikipedia * [[:en:Flat engine|Flat engine]] - 英語版 Wikipedia * [[黒井千次]] == 外部リンク == * [http://www.fhi.co.jp/ 富士重工業株式会社] * [http://www.kiryu-kougyo.co.jp/ 桐生工業株式会社] * [http://www.subaru.com/ Subaru of America] * [http://rally.subaru.com/ Subaru Rally Team USA] {{TOPIX 100}} {{DEFAULTSORT:ふししゆうこうきよう}} [[Category:富士重工業|*]] [[Category:トヨタ自動車]] [[Category:興銀グループ]] [[Category:芙蓉グループ]] [[Category:車体架装メーカー]] [[Category:日本の鉄道車両メーカー]] [[Category:かつて存在した日本のオートバイメーカー]] [[Category:多国籍企業]] [[Category:渋谷区の企業]] [[Category:東証一部上場企業]] [[Category:日本の軍需産業]] [[Category:日経平均株価]] [[Category:日本の自動車メーカー・ブランド]] [[Category:日本の航空機メーカー]] [[Category:日本のバス車両メーカー]] [[Category:1953年設立の企業]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:-
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Commonscat
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Main
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:PDFlink
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:TOPIX 100
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:基礎情報 会社
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:画像提供依頼
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:脚注ヘルプ
(
ソースを閲覧
)
富士重工業
に戻る。
検索
検索
富士重工業のソースを表示
話題を追加