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宮地克彦
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{{Infobox baseball player |選手名 = 宮地 克彦 |所属球団 = 埼玉西武ライオンズ |役職 = コーチ |背番号 = 85 |選手写真ファイル名 = |写真サイズ = |写真のコメント = |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[大阪府]][[大東市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1971|8|28}} |没年月日 = |身長 = 175 |体重 = 82 |利き腕 = 左 |打席 = 左 |守備位置 = [[外野手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1989}} |ドラフト順位 = ドラフト4位 |初出場 = 1994年4月10日 |最終出場 = 2006年9月19日 |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[尽誠学園高等学校]] * [[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]] (1990 - 2003) * [[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス<br />福岡ソフトバンクホークス]] (2004 - 2006) * [[富山サンダーバーズ]] (2007) |経歴補足題 = コーチ歴 |経歴補足 = <nowiki></nowiki> * 富山サンダーバーズ (2007) * 福岡ソフトバンクホークス (2008 - 2010) * [[埼玉西武ライオンズ]] (2011 - ) |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''宮地 克彦'''(みやじ かつひこ、[[1971年]][[8月28日]] - )は、[[大阪府]][[大東市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]])、野球指導者。現在は[[埼玉西武ライオンズ]]で一軍打撃コーチを務めている。 愛称は同姓の[[城南電機]]・[[宮路年雄]]社長にちなんだ「'''社長'''」。 == 来歴・人物 == [[尽誠学園高等学校|尽誠学園高校]]3年生だった{{by|1989年}}に主将・エースとして[[第61回選抜高等学校野球大会|春]]・[[第71回全国高等学校野球選手権大会|夏]]ともに甲子園に出場(1学年下に[[谷佳知]]がいた)。[[第71回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]準決勝、[[仙台育英学園高等学校|仙台育英高校]]・[[大越基]]との延長10回に及ぶ投手戦は有名。[[1989年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト]]4位で[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]に入団。 入団当初は[[投手]]。高卒ルーキーで開幕一軍に抜擢された<ref>西武では彼以降は[[松坂大輔]]まで高卒ルーキーの開幕一軍はない</ref>。オープン戦で勝ち星を挙げるなど期待されていたが、当時の変則フォームが[[ボーク]]と取られて以降は調子を崩し、その後{{by|1993年}}に持ち前の打撃センスと投手出身ならではの[[強肩]]を生かして[[外野手]]に転向。 {{by|1995年}}8月30日の対[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]戦でプロ初本塁打を放ったが、外野手には[[大友進]]、[[小関竜也]]、[[垣内哲也]]などがいたため、出番に恵まれなかった。{{by|1998年}}には[[イースタン・リーグ]]で[[首位打者]]を獲得。{{by|2000年}}の初の一軍登録となった9月2日の[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]]25回戦では「1番・ライト」でスタメン出場し、両リーグ史上6人目でパ・リーグ史上2人目となる先頭打者[[本塁打|ランニングホームラン]]を記録<ref>「2001ベースボール・レコード・ブック」 ベースボールマガジン社 104,363頁</ref>。{{by|2002年}}には[[伊原春樹]]のいわゆる'''日替わり3番打者'''<ref>主に[[犬伏稔昌]]との併用で、左投手が先発の時は犬伏、右投手の時は宮地が起用された</ref>として100試合に出場、リーグ優勝に貢献。 {{by|2003年}}はひざの故障が原因で出場機会が激減。オフには若返りを図るチームの構想から外れ、[[戦力外通告]]を受ける。現役続行を目指して、[[横浜ベイスターズ]]・[[大阪近鉄バファローズ]]・[[千葉ロッテマリーンズ]]の入団テストを受けるも不合格。[[12球団合同トライアウト]]にも参加したが、獲得球団はなかった。台湾行きの意思を固めていたが、主力外野手・[[村松有人]]を[[フリーエージェント (日本プロ野球)|FA]]移籍で失った[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]が獲得に名乗りを上げ、ダイエーにテスト入団。{{by|2004年}}シーズン途中から[[右翼手|ライト]]のレギュラーに定着。[[規定打席]]未到達ながら打率.310の好成績を残し、[[2004年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]でも先発出場を果たした。 {{by|2005年}}は開幕スタメンの座を勝ち取り、レギュラーに定着。プロ16年目にして初めて[[2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に出場。同年は初の規定打席に到達。16年目での初の規定打席到達は元[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]の[[八重樫幸雄]]を抜いて、ドラフト制度が確立した{{by|1965年}}以降では最も遅い記録。[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]外野手部門にも選出された。その活躍から「'''リストラの星'''」とも呼ばれた。 {{by|2006年}}、開幕直後のオリックス戦([[スカイマークスタジアム]])でのライト守備で[[中村紀洋]]の[[ライナー]]を捕球した際に右[[手首]]を捻り、この故障により出場機会が激減。10月15日に自身二度目の戦力外通告を受ける。合同トライアウトにも参加したが、獲得球団はなかった。{{by|2007年}}は[[日本野球機構|NPB]]での現役復帰を目指して、[[ベースボール・チャレンジ・リーグ|北信越BCリーグ]]・[[富山サンダーバーズ]]の選手兼任コーチに就任。71試合に出場し、打率.332、4本塁打、47打点。入団した際の年齢は30代も半ばで、コーチも兼任するという状況であったが流石とも言える打撃技術をもってNPB入りを目指すチームメイトに強い影響を与えた。11月7日に12球団合同トライアウトに参加したが獲得球団はなく、古巣ソフトバンクからコーチ就任の要請を受け現役を引退。 {{by|2008年}}からはフロント入りした[[湯上谷宏|湯上谷竑志]]に代わり、ソフトバンク二軍育成担当コーチに就任し{{by|2010年}}まで務めた<ref>http://sportsnavi.yahoo.co.jp/baseball/npb/team/hawks/headlines/headlines/20101003-00000068-kyodo_sp-spo.html</ref>。{{by|2011年}}シーズンからは[[埼玉西武ライオンズ]]の二軍外野守備走塁コーチを務めることになり、8年ぶりに古巣に復帰した<ref>http://www.seibulions.jp/news/detail/3639.html</ref>。[[2014年]]からは一軍打撃コーチを務める<ref>[http://www.seibulions.jp/news/detail/8316.html 2014年度 コーチングスタッフ発表!] - 埼玉西武ライオンズ・オフィシャルサイト 2013年10月22日</ref>。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1994}} |rowspan="8" style="text-align:center;"|[[埼玉西武ライオンズ|西武]]||4||2||2||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||.000||.000||.000||.000 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1995}} ||13||26||23||3||3||1||0||1||7||2||2||1||0||0||3||0||0||3||1||.130||.231||.304||.535 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1997}} ||6||8||7||0||1||0||1||0||3||3||0||0||0||0||1||0||0||1||0||.143||.250||.429||.679 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1998}} ||7||5||5||0||0||0||0||0||0||0||0||1||0||0||0||0||0||1||0||.000||.000||.000||.000 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2000}} ||21||68||60||8||16||3||0||2||25||9||0||1||2||2||4||0||0||7||0||.267||.303||.417||.720 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2001}} ||15||26||22||1||4||0||0||0||4||0||0||0||0||0||4||0||0||3||0||.182||.308||.182||.490 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2002}} ||100||285||247||27||66||7||2||3||86||29||8||4||18||3||16||0||1||38||1||.267||.311||.348||.659 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2003}} ||25||60||53||5||10||3||0||0||13||6||2||0||4||0||3||0||0||12||1||.189||.232||.245||.477 |- |style="text-align:center"|{{by2|2004}} |rowspan="3" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[福岡ソフトバンクホークス|ダイエー<br />ソフトバンク]] |93||276||252||33||78||10||0||3||97||24||1||2||6||1||15||0||1||23||4||.310||.349||.385||.734 |- |style="text-align:center"|{{by2|2005}} |125||451||409||46||127||22||1||3||160||36||1||3||7||1||29||1||4||43||9||.311||.361||.391||.752 |- |style="text-align:center"|{{by2|2006}} |48||77||71||9||11||1||0||0||12||2||0||0||1||0||5||0||0||11||0||.155||.210||.169||.379 |- !colspan="2"|通算:11年 |457||1284||1151||132||316||47||4||12||407||111||14||12||38||7||80||1||6||142||16||.275||.323||.354||.677 |} * ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更 === 表彰 === * [[ベストナイン]]:1回(2005年=外野手部門) === 記録 === * 初出場:1994年4月10日、対[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]2回戦([[西武ドーム|西武ライオンズ球場]])、9回表に[[右翼手]]として出場 * 初先発出場:1995年8月29日、対[[千葉ロッテマリーンズ]]21回戦(西武ライオンズ球場)、7番・[[左翼手]]として先発出場 * 初安打:同上、2回裏に[[小宮山悟]]から二塁打 * 初本塁打・初打点:1995年8月30日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(西武ライオンズ球場)、6回裏に[[荘勝雄]]から2ラン * 初盗塁:1995年9月30日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]25回戦(西武ライオンズ球場)、4回裏に二盗(投手:[[渡辺智男]]、捕手:[[坊西浩嗣]]) === 独立リーグ時代の成績 === {| class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small" |-bgcolor="#efefef" ![[年度|年<br><br>度]]!![[ベースボール・チャレンジ・リーグ|球<br><br>団]]!![[試合|試<br><br>合]]!![[打数|打<br><br>数]]!![[得点|得<br><br>点]]!![[安打|安<br><br>打]]!![[二塁打|二<br>塁<br>打]]!![[三塁打|三<br>塁<br>打]]!![[本塁打|本<br>塁<br>打]]!![[塁打|塁<br><br>打]]!![[打点|打<br><br>点]]!![[三振|三<br><br>振]]!![[四球|四<br><br>球]]!![[死球|死<br><br>球]]!![[犠打|犠<br><br>打]]!![[犠飛|犠<br><br>飛]]!![[盗塁|盗<br><br>塁]]!![[失策|失<br><br>策]]!![[併殺打|併<br>殺<br>打]]!![[残塁|残<br><br>塁]]!![[打率|打<br><br>率]]!![[長打率|長<br>打<br>率]]!![[出塁率|出<br>塁<br>率]]!![[OPS (野球)|O<br>P<br>S]] |- |style="text-align:center"|{{by2|2007}} |rowspan="1" style="text-align:center;"|[[富山サンダーバーズ|富山]] |68||204||46||56||7||2||3||88||35||39||30||{{Color|red|'''27'''}}||8||4||3||6||3||60||.275||.431||.426||.857 |- !colspan="2"|通算:1年 |68||204||46||56||7||2||3||88||35||39||30||27||8||4||3||6||3||60||.275||.431||.426||.857 |} {{Color|red|'''赤太字'''}}はBCリーグにおける歴代最高。 === 背番号 === * '''58''' (1990年 - 2003年) * '''37''' (2004年 - 2006年) * '''8''' (2007年) * '''97''' (2008年 - 2010年) * '''85''' (2011年 - ) == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == * [[大阪府出身の人物一覧]] * [[埼玉西武ライオンズの選手一覧]] * [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]] * [[富山サンダーバーズの選手一覧]] == 外部リンク == * [http://bis.npb.or.jp/players/11813881.html 個人年度別成績 宮地克彦] {{埼玉西武ライオンズ}} {{パシフィック・リーグ ベストナイン (外野手)}} {{西武ライオンズ1989年ドラフト指名選手}} {{DEFAULTSORT:みやし かつひこ}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:埼玉西武ライオンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手]] [[Category:富山サンダーバーズの選手]] [[Category:野球指導者]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1971年生]] [[Category:存命人物]]
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