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大衆車
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{{Pathnav|自動車|frame=1}} '''大衆車'''(たいしゅうしゃ)とは、一般的な[[大衆]]が購入・維持できるような、[[廉価版|廉価]]な価格帯の[[乗用車]]のことである。同義、類義の呼称として、「国民車(こくみんしゃ)」や 「ファミリーカー」などがある。 大衆車[[市場]]の拡大は[[モータリゼーション]]の強力な牽引力となる。 ==概要== [[19世紀]]末に登場した乗用車は、当初は[[貴族]]や[[大富豪]]など一部の[[上流階級]]のみが道楽として所有するものであり、大衆車/[[高級車]]という区分はされ得なかった。20世紀初頭、[[大量生産]]手法を導入した[[フォード・モデルT]]に始まる乗用車の普及・大衆化により初めて、一般所得層であっても所有できる乗用車が現実化し、以後各国で大衆がその日常生活において自家用車を求める需要に応じて、様々な[[企業]]から発売された。特に企業が自主的に設計・開発・生産を行って販売したものもあれば、企業が[[政府]]の依頼を受けて開発したものもある。 基本的な大衆車では、以下の点が重要視された。 *その国の一般的な所得層でも十分に購入できる価格帯であること *その国の一般的な道路状況をみて日常利用が十分可能な走破能力があること *その国の一般的な所得層からみて、燃料、維持費などの所有コストに無理がないこと *家族(夫婦と子供2人といった4名程度)が乗車できること その後、大衆車の普及により、初期の大衆車にはない様々な価値が求められ、現在では多種多様な大衆車が存在する。 ===大衆車と国民車=== 大衆車が普及する以前に、自国において一般的な所得層でも所有が可能な乗用車を開発・販売し、その国の[[モータリゼーション]]のはしりとなる構想が各国で有った。こうした構想により開発された車を一般的には「国民の誰もが乗れる車」として国民車として呼称することがある。 また、結果的にその国のなかで高いシェアを獲得した車についても、「国民の誰もが乗っている車」として国民車として呼称することがある。 国民車では、大衆車にもとめられるよりも一層厳しい要件として、「ともかくその国の一般的な所得層でも十分に購入できる価格帯」と「家族全員が乗れる一定の室内」「未舗装の道路や坂道登攀などでの一定の走行性能」「壊れにくく修理しやすい」があった。実際にこの要件を全て満たす自動車の設計は特有の難しさがあり、広く国民車として認識された車種は、世界的にも非常に限られる。 ===日本の「国民車構想」=== 太平洋戦争終結から、日本の自動車工業を取り巻く環境の変化は次のようになる。 <TABLE bgColor=#999999 cellSpacing=0 cellPadding=3 width="700" border=1> <td bgColor=#ffffcc width="23%" align='center' class='textm'>[[1947年]]([[昭和]]22年)</td> <TD bgColor=#ffffff width="7%" align='center' class='textm'>8月</TD> <td bgColor=#ffffff width="70%" align='left' class='textm'>自動車輸出の再開</td> </TR> <TD vAlign=top bgColor=#ffffcc rowspan="2" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1948年]](昭和23年)</TD> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>2月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が貿易業者入国制限を解除</td> </TR> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>4月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[トヨタ自動車|トヨタ]]、[[日産自動車]]、ヂーゼル自動車<ref>[[いすゞ自動車]]と[[日野自動車]]の前身。</ref>、[[三菱重工業|新・三菱重工業]]、[[オオタ自動車工業|高速機関工業]]の5社を会員とする「[[日本自動車工業会|自動車工業会]]」が発足</td> </TR> <TD bgColor=#ffffcc rowspan="2" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1949年]](昭和24年)</td> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>7月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[軽自動車]]の規格が制定される</td> </TR> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>10月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が日本の[[乗用車]]生産制限を解除<br />[[中華人民共和国]]成立</td> </TR> <TD bgColor=#ffffcc rowspan="2" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1950年]](昭和25年)</td> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>6月</TD> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[朝鮮戦争]]勃発([[朝鮮特需]])</TD> </TR> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>-</TD> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「自動車工業不要論」をめぐる論議</TD> </TR> <td bgColor=#ffffcc rowspan="2" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1951年]](昭和26年)</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>6月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「[[道路運送車両法]]」を公布</td> </TR> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>9月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[サンフランシスコ講和条約]]・[[日米安全保障条約]]調印</td> </TR> <td bgColor=#ffffcc rowspan="3" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1952年]](昭和27年)</td> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>3月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「企業合理化促進法」の成立</td> </TR> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>4月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>サンフランシスコ講和条約発効</td> </TR> <TD bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>10月</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「乗用自動車関係提携および組立契約関する取扱方針」発表</td> </TR> <td bgColor=#ffffcc rowspan="2" valign='middle' align='center' class='textm'>[[1954年]](昭和29年)</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>4月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[日比谷公園]]で第一回「[[東京モーターショー|全日本自動車ショー]]」を開催</td> </TR> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>9月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「道路交通取締法」改正</td> </TR> <TD bgColor=#ffffcc valign='middle' align='center' class='textm'>[[1955年]](昭和30年)</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>5月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>「国民車育成要綱案(国民車構想)」をめぐる論議</td> </TR> <TD bgColor=#ffffcc valign='middle' align='center' class='textm'>[[1958年]](昭和33年)</TD> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='center' class='textm'>3月</td> <td bgColor=#ffffff valign='middle' align='left' class='textm'>[[スバル・360|スバル 360]]発売</td> </TR> </TABLE> [[1945年]]9月、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は日本の[[貨物自動車|トラック]]生産許可に引き続き、[[1947年]]6月に台数限定つきで小型乗用車の生産を許可。とはいえ、戦後の急激な[[インフレーション]]を抑制するためにGHQが実施した[[金融]]引き締め政策([[ドッジ・ライン]])による[[不況]]に翻弄されていた当時の日本人には、乗用車の所有など、考えることすらできなかった。 ところが、[[1949年]]の[[中華人民共和国]]の成立と[[1950年]]6月の「[[朝鮮戦争]]」の勃発で状況は一変する。GHQは早急な占領政策の終結に向け、平和条約の締結と、日本の経済的自立のため、国内産業育成の必要性に迫られた。 また[[朝鮮戦争]]の軍需物資調達のための、いわゆる[[朝鮮特需]]により、[[1956年]]の経済白書で「もはや[[戦後]]ではない」という言葉に象徴される空前の好景気に日本は沸き、[[1960年]]の池田勇人内閣の「[[所得倍増計画]]」の発表など、日本の戦後[[復興]]は着実な歩みを進めていた。 そうした中、[[1954年]]9月、「道路交通取締法」が改正され、全長×全幅×全高(mm)=3,000×1,300×2,000、[[2サイクルエンジン|2ストローク]]、[[4サイクルエンジン|4ストローク]]エンジンともに排気量360cc以下と統一され<ref>それ以前は、[[4サイクルエンジン|4サイクル]]が360cc以下、[[2サイクルエンジン|2サイクル]]が240cc以下と定められ、[[2サイクルエンジン]]での成立は不可能だった。当時は、同じ排気量であれば、[[4サイクルエンジン]]より[[2サイクルエンジン]]のほうがより高出力を得やすいと考えられていたことによる</ref>、この新規格に沿って開発された日本初の本格的[[軽自動車]]として、[[1955年]]10月、[[鈴木自動車工業]]が[[ドイツ]]の[[ロイト (自動車)|ロイト]]を手本に、[[スズキ・スズライト|スズライトSF]]を発売している。 そして、[[1955年]]5月18日、通商産業省(現・[[経済産業省]])の「'''国民車育成要綱案([[国民車構想]])'''」が当時の新聞等で伝えられた<ref>一般的には通産省が発表したと思われているが、あくまで日本経済新聞、日刊工業新聞によるスクープ記事で通産省は発表していない</ref>。同構想では一定の要件を満たす自動車の開発に成功すれば、国がその製造と販売を支援するというものであった。要件は以下のとおりである。 *4名が搭乗した状態で時速100kmが出せる(ただし、定員のうち2名は、子供でもよい) *時速60kmで走行した場合、1リッターのガソリンで30kmは走れる *月産3,000台(構造が複雑ではなく、生産しやすいこと) *工場原価15万円/販売価格25万円以下 *排気量350 - 500cc *走行距離が10万km以上となっても、大きな修理を必要としないこと *[[1958年]]秋には生産開始できること この計画に、国内各自動車メーカーは「実現不可能」と消極的な反応が多かったが、[[1956年]]9月には[[トヨタ自動車|トヨタ]]が、[[空冷エンジン|空冷]]4ストローク2気筒700cc、[[二輪駆動|FF]]方式の「A1型<ref>のちに空冷[[水平対向2気筒]]エンジン、700ccの「[[トヨタ・パブリカ]]」に結実した</ref>」計画を発表したり、[[小松製作所]]が国民車政策を発表するなどの動きはあった。 当時、自動車市場への新規参入を狙った[[スバル・1500|スバル・1500(P-1)]]の発売断念から、[[1955年]]から新規軽自動車規格に沿った新型軽自動車の開発に取り組んでいた[[富士重工業]]は、[[航空機]]製造で培った経験を取り入れ、[[1957年]]2月に試作第一号車を完成。[[1958年]]3月に「[[スバル・360]]」として発表、5月から発売した。 [[スバル・360|スバル360]]は、それまで各メーカーが「実現不可能」と冷遇していた通産省の「国民車構想」をほぼ満足させる内容で、たちまち軽乗用車市場を確立した。ただし、[[富士重工業|富士重工]]の首脳陣および[[百瀬晋六]]麾下の開発スタッフの念頭にあったものとしては、[[シトロエン・2CV]]のスペック等を参考とした以下の要求の実現を図ったものであり、「国民車構想」にそのまま沿って開発されたものではない。 *定員は大人4名 *車両本体価格35万円以下(実際の発売時は42.5万円) *当時未[[舗装]]が多かった日本の主要道路で、60km/hで[[巡航]]できる事 *生産台数を確保するため、[[三鷹市|三鷹]]工場(合併前の富士産業)で生産していた[[ラビットスクーター]]用のエンジンの生産[[ライン生産|ライン]]を転用できること *簡易的な自動車ではなく、海外メーカーの[[ノックダウン生産#自動車におけるノックダウン生産|ノックダウン生産]]車や[[トヨタ・クラウン]](初代)と比較して遜色のない「[[乗用車]]」であること これに続き、[[1959年]]9月、[[鈴木自動車工業]]も[[スズキ・スズライト|スズライト]]をモデルチェンジした「[[スズキ・スズライト|スズライトTL]]」を発売。[[1960年]]には[[マツダ|東洋工業]]が[[マツダ・R360クーペ]]を、[[1962年]]10月には、[[三菱重工業|新・三菱重工業]]が[[三菱・ミニカ]]を、[[1966年]]には[[ダイハツ工業|ダイハツ]]が「[[ダイハツ・フェロー|フェロー]]」を発売。軽自動車市場は一気に活況を呈することになった。 また、[[小型車]]では[[1960年]]4月に発売された[[三菱自動車|新・三菱重工業]]の「[[三菱・500|三菱500]]」、[[1961年]]4月の[[トヨタ自動車|トヨタ]]の「[[トヨタ・パブリカ|パブリカ]]」の発売に結実した。三菱500はパブリシティにおいても「国民車」を銘打っており、車体に「三菱500国民車」と書かれた発表時の写真が残されている<ref>『60年代 街角で見たクルマたち 日本車・珍車編』p. 122 。同書によれば「国民車」を銘打ったのは三菱500が初という</ref>。 結果的に「'''国民車構想'''」は、通産省が自ら企画したそれに沿って開発・発売された「'''大衆車'''」に対して補助を行うことはなかった。しかし、それまで自動車とは縁がなかった一般大衆に自動車を身近なものとして定着させ、欧米の自動車先進国に対し、著しく立ち遅れていた日本の自動車産業に画期的な技術革新を促したという意味では、同構想は非常に大きな貢献があったとされる。一方、日本の自家用車の普及は、政府の方針にとらわれることなく開発されたスバル360の功績であり、国民車構想の影響はほとんどないとする意見もある。 ==大衆車の例== 初期の乗用車は上記要件を満たすため、その多くが小型のエンジンを搭載し、そのエンジンで駆動できるよう軽量化のために、やや小型のものが多い。またこの他にも国によって異なるニーズにより、一定の違いも見られる。特にこれらの多くが第二次世界大戦以降に開発されたのは、[[軍需産業]]の民生品への転換と、経済復興による大衆の購買力向上に関係する。 なお生産国の経済成長が大衆の所得を押し上げ、一般の労働者が持つ購買力が一定以上に達したため、これら一般大衆車の多くは「自動車の普及」という役割を終え、装備の充実した次の世代の大衆車に市場を譲ることとなった。 === 日本 === [[日本]]では[[第二次世界大戦]]以降の[[1960年代]]より大衆車の開発と販売が進んだ。特に起伏に富んだ国土のため登坂性能は重要視され、夏場には高温になるため、高[[負荷]]でも[[オーバーヒート]]しにくいエンジンが求められた。また、1960年代までは未舗装路が多かったことから、丈夫な[[サスペンション|足回り]]が求められた。 [[画像:1958 Subaru 360 01.jpg|thumb|スバル・360<br />愛称は「てんとう虫」]] *'''[[スバル・360]] ([[富士重工業]])''' : ネジ一本に至るまで吟味された日本製大衆車の元祖。後[[スバル・R-2|R-2(初代)]]、[[スバル・レックス|レックス]]、[[スバル・ヴィヴィオ|ヴィヴィオ]]、[[スバル・プレオ|プレオ]]と受け継がれていき、最終的に[[スバル・R2|R2(2代)]]・[[スバル・ステラ|ステラ]]に至る。これら富士重工の軽自動車(商用の[[スバル・サンバー|サンバー]]も含む)は、当初からコンパクトな車体で大人4人乗りに必要十分な車内スペースを確保し、さらに乗り心地を良好な物にするため4輪[[独立懸架]]を用い、最後までそれを貫いた事が特徴として挙げられる。文字通り歴史を作り上げたスバルは、トヨタ自動車の資本参加後登録車生産に特化することになり、[[2012年]]の[[スバル・サンバー|サンバーシリーズ]]の生産終了をもって軽自動車生産の歴史の幕を閉じた。なおスバルブランドの大衆車としては、近年の[[WRC]]への参加とその影響によるラリーベース仕様車の存在からイメージと離れるが、価格帯としては[[スバル・インプレッサ|インプレッサ]]がそれにあたる。 {{-}} [[画像:Toyota Corolla First-generation 001.jpg|thumb|KE10D型<br />初代カローラ<br />2ドアセダン1100デラックス]] *'''[[トヨタ・カローラ]] ([[トヨタ自動車]])''' :大衆向けでも家族3人以上で出かけることの多いニーズに向け、実用性と経済性に優れ乗り降りしやすい3ボックスの[[ノッチバック]][[セダン]]型の小型乗用車として開発され、のちにクーペやステーションワゴン、ライトバン、ハッチバックなどの派生モデルも追加され<ref>当初は2ドアセダンのみで販売を開始したが、翌年に4ドアセダンとバンがそれぞれ追加され、のちにクーペ(初代のみ[[トヨタ・カローラスプリンター|カローラスプリンター]]という車名で登場。5代目以降は[[トヨタ・カローラレビン|カローラレビンシリーズ]]として正式に独立する)やハッチバック(例:[[トヨタ・カローラFX|カローラFX]]、[[トヨタ・カローラランクス|カローラランクス]]等。今日でいう[[トヨタ・オーリス|オーリス]])、[[ステーションワゴン]](今日でいう[[トヨタ・カローラフィールダー|カローラフィールダー]])などの派生モデルが追加される。それ以降は4ドアセダンが長年に渡りカローラシリーズの基本形となる。</ref>幅広いニーズに応えた。元来、トヨタ自動車が国民車構想に反応して作られたのは[[トヨタ・パブリカ|パブリカ]]であったが、コスト削減から全般的に省略され過ぎていたため、生き残ったのはこのカローラであった。しかしパブリカの販売戦略における経験はカローラに活かされ、同社の低価格帯車両は[[トヨタ・スターレット|スターレット]]<ref>スターレットは初代が「パブリカ・スターレット」と呼称されたほか形式名における車両識別記号も同じ"P"であるように、直接のパブリカ派生(事実上の後継)車種である。</ref>および[[トヨタ・ターセル|ターセル]]・[[トヨタ・コルサ|コルサ]]・[[トヨタ・カローラII|カローラII]]を経て[[トヨタ・ヴィッツ|ヴィッツ]]及びそのセダンである[[トヨタ・プラッツ|プラッツ]]→[[トヨタ・ベルタ|ベルタ]]と、[[トヨタ・パッソ|パッソ]]と[[トヨタ・アクア|アクア]]が受け継いでいった。カローラは高信頼かつ高品質な[[Cセグメント]]クラスのファミリーカーへ確実に進化しているが、E140型以降は国内市場向けセダンは'''5ナンバーサイズの専用ボディが用意され海外市場モデルから完全に独立'''<ref>ちなみに現行モデルとなる2代目(通算11代目・E160型)カローラアクシオは2013年2月より[[香港]]、および[[マカオ]]へ輸出が開始されたため、事実上、国内専用車扱いでなくなった。</ref>し、販売の主力もアクシオ・フィールダー共に[[トヨタ・プリウス|プリウス]]/[[トヨタ・プリウスα|プリウスα]](7人乗り仕様を除く)に移りつつある。 {{-}} [[画像:B10 sunny.jpg|thumb|B10型<br />初代サニー<br />2ドアセダン1000デラックス]] *'''[[日産・サニー]] ([[日産自動車]])''' : カローラとサニーはメーカーこそ違えど、日本の大衆車として世界に通用した両雄である。上記のカローラ同様セダンがメインだったが、全盛期にはクーペ、ハッチバック、ステーションワゴン、バン、ピックアップトラックといったさまざまな派生モデルを追加し、ベストセラーカーとなったものの、1990年代からユーザーの高齢化などで徐々にラインナップを縮小していき、晩年には4ドアセダンのみの展開となったのち、大衆向け小型実用セダン市場の低迷に伴い、国内向けのサニーは2004年9月をもってブランドを終了した。現在ではハッチバックの[[日産・ティーダ|ティーダ]](ただし国内向けおよび欧米向けモデルは1代限りでブランド終了)、および[[日産・ノート|ノート]](国内向け2代目モデルではティーダの後継車種として位置付け)、セダンの[[日産・ティーダラティオ|ラティオ]](北米ではヴァーサセダン、中国ではサニーとして販売)がそれぞれその歴史を引き継いでいる。 {{-}} [[画像:Suzuki Alto Shodai.jpg|thumb|SS30V型<br />初代アルト]] *'''[[スズキ・アルト]] ([[スズキ (企業)|スズキ]])''' :[[スズキ・スズライト|スズライト]]がその起源で、その後[[スズキ・フロンテ|フロンテハッチ]]で[[税金]]・任意[[保険]]料が安い[[商用車]]でありながら、[[車検]]は2年毎、という軽の利点をフルに生かして顧客を開拓し、'''軽ボンネットバンブーム'''の草分け的な車種となった。また[[1980年代]]後半に入ると、[[1987年]]当時軽自動車としてはクラス初の[[DOHC]][[インタークーラー]]付[[ターボチャージャー|ターボ]][[エンジン]]+[[四輪駆動|フルタイム4WDシステム]]を搭載し、64馬力(ネット値)の高出力を誇った[[ホットハッチ|ホッテスト(高性能)バージョン]]の「'''アルトワークス'''」もラインアップに加わった。現在もブランドは存続しているが、パーソナルとしての地位を派生モデルの[[スズキ・アルトラパン|ラパン]]に、スペシャルティとしての地位を[[スズキ・セルボ|セルボ]]に、主力(大衆車)としての地位を[[スズキ・ワゴンR|ワゴンRシリーズ]]や[[スズキ・スペーシア|スペーシア]]に、そしてエコカーとしての地位を派生モデルにあたる[[スズキ・アルトエコ|アルトエコ]]にそれぞれ譲っている。 {{-}} [[画像:L55v.jpg|thumb|L55V型<br />初代(L55)ミラ]] *'''[[ダイハツ・ミラ]] ([[ダイハツ工業]])''' :「[[ダイハツ・フェロー|フェロー バン]]」の後継として、発売当初は乗用の「[[ダイハツ・クオーレ|クオーレ]]」の[[商用車]]仕様として登場した。「アルト」最大のライバルである。こちらも現在は、主力としての地位を[[ダイハツ・ムーヴ|ムーヴシリーズ]]や[[ダイハツ・タント|タントシリーズ]]に、エントリーおよびエコカーとしての地位を[[ダイハツ・ミライース|ミライース]]にそれぞれ譲っている。 {{-}} *'''[[マツダ・ファミリア]] ([[マツダ|東洋工業→マツダ]])''' *'''[[ホンダ・シビック]] ([[本田技研工業]])''' *'''[[三菱・ランサー]]([[三菱自動車工業]])''' *'''[[いすゞ・ジェミニ]]([[いすゞ自動車]])''' === フランス === {{seealso|[[フランス車]]}} 農業大国で不整地も多かった事から、悪路での走破性が求められる上、石畳での乗り心地も重要なため、他国の車に比べて、[[ホイールベース]]が長い、サスペンションストロークが大きい、シートは大柄でソフトなものが多い、などの特徴を持つ。使用速度域が高いことから、キャスターアクションも強く、直進性が非常に高い。このため、フランス車は安いクルマでも、椅子の出来がよく、木の根が盛り上がった並木道でも運転が楽といわれている。 *'''シトロエン・2CV''' {{main|シトロエン・2CV}} [[画像:Citroen2CV prototype.JPG|thumb|シトロエン・2CV 試作車]] [[画像:Citroen Dyane 6.jpg|thumb|[[:en:Citroën Dyane|シトロエン・ディアーヌ 6]]]] : 1948年~1990年で累計生産台数385万台。2CVは発売当時の税制の分類によるコード名。基本コンセプトは「コウモリ傘に4つの車輪」。 : 当時まだ手押し車や馬車に頼っていた地方の農業従事者を主なターゲットとして開発され、生産物である生卵を商品として輸送する際に悪路でも割れることのないようなサスペンション(乗り心地)を設計の絶対要件とするなど独特の仕上がりとなっていた。悪路走破性と積載能力、そして経済性を最重点に置いて高級感は無視という設計思想であり、農村部の実地調査など徹底した市場調査により細部まで良く練られた設計であった。当時としても独特なデザインは「醜いアヒルの子」「[[乳母車]]」「[[缶詰]]」などと表現されたが、むしろこれらの評価は同車の見た目とは裏腹の使い易さに対する信頼や愛着の表現へと変化していった。[[工具]]を使うことなく[[キャンバストップ|屋根のキャンバス]]や[[ドア]]を外すことが可能で、その積載力は[[アップライトピアノ]]が積めた。 : フランスに限らず、ヨーロッパ中の大衆に高い支持を受け、イギリスをはじめ、各国で生産された。また、フランス的な美意識や合理性を体現した製品として愛され続けた。 : 後継車は[[シトロエン・ディアーヌ|ディアーヌ]]([[:en:Citroën Dyane|Dyane]])であったが、先代を越えることができず、先に生産を終えている。 {{-}} *'''ルノー・4''' {{main|ルノー・4}} [[画像:Renault 4 earlier grill 845cc 1967.JPG|thumb|[[1967年]]型ルノー・4]] : 1961年~1993年(フランスでは1986年に生産終了)。累計生産台数813万台。 : 「4」は車名。排気量の小さい「3」も当初併売されていた。フランス読みでは「カトル」だが、日本では「キャトル」とも愛称される。またフランス本国ではバリエーション「4L」の読み「カトレール」が愛称として定着している。 : 当時既に大ヒットとなっていたシトロエン2CVの対抗製品として開発され、ドライブトレインのレイアウトも2CVと同様だった。デザインはやや近代化されているが、やはり積載能力を最大限に重視し、荷役を考慮したテールゲートを装備していた。またリアサスペンションは荷室の広さを損なわないよう、横置きトーションバーを使ったフルトレーリングアームとされ、石畳でも運転に影響する振動が少ないうえ、安定性も優れていた。その積載性は、子牛も積めたと言う。 : シトロエン・2CVと同様、実用に徹したコンセプトは消費者に受け入れられ、最終的にフォルクスワーゲン・ビートル、フォードT型に次ぐ単一モデルとして史上3位の台数を記録した。 : 直接の後継車は[[ルノー・6]]。 {{-}} === イギリス === 都市部では狭い路地が極めて多いことから、小型の物が求められたが、欧州人の長身が収まる必要性から、広い室内も重要視され、当然ながら、石畳で故障しにくいサスペンションも求められた。 ただ第一次世界大戦前までは自動車と言えば高級品かつ贅沢品であった。米国では一般向け市場でも1900年代当初のオールズモービルやその後につづくフォードが先んじていたものの、[[社会階層|階層社会]]も根強いこともあってか英国では、大衆車というよりも、単に小型車というカテゴリーに属する車両である場合も少なくない。その中で労働者階級でも手の届く大衆車は連綿と作られていた。この中で育まれた設計は後に世界各地で主要部品を輸入して現地で製品を製造する[[ノックダウン生産]]が行われるなど、大衆車のみならず自動車産業の初期において英国が果たした役割も大きい。こういった中で、メーカー一社に収斂されない複雑なシリーズ車の系譜も見られる。 ; オースチン(メーカー) {{main|オースチン (自動車)}} : 第一次世界大戦後の不況期の[[1922年]]、オースチンが[[オースチン・7|オースチン・セブン]]を販売し大成功し、これが世界の小型車、そして大衆車の最初の標準となった。ドイツではオースチン・セブンの[[ノックダウン生産]]から[[BMW]]の自動車生産が始まった。フランスローザンギャールもノックダウン生産をした。日本では[[快進社|ダット自動車]]のダットソンがオースチン・セブンのコピーといわれており、オースチン社の歴史には日産もオースチン・セブンを作ったと記録されている。 : 第二次世界大戦後の同社は最低価格帯のモデルのみを生産していたわけではないが、A40サマーセット、A40ケンブリッジ、A50ケンブリッジなどが各[[車格]]における最低価格帯の車両として販売された。その後、英国自動車業界はオースチンだけでなく、国全体が停滞し、[[国策]]にもてあそばれることとなる。いわゆる「[[英国病]]」である。現在の英国では、低価格で低性能の代名詞として[[オースティン・パワーズ]]などで使われているが、ことはそう単純ではない。 : 日産自動車がA40サマーセットを日産・オースチンとしてノックダウン生産したのは[[1952年]]([[昭和]]27年)であり、これは後に[[ライセンス生産]]に切り替えられ、日本製乗用車の[[生産技術]]向上に貢献した。英国では最低価格帯のモデルであったが、当時の日本ではこれが最高級品となった。A40サマーセット、A50ケンブリッジは全て日本製の部品で置き換えられ、乗用車の国産化ともてはやされた。1952年の提携の背景には、日本の乗用車生産が産業として世界に対抗できるかどうかの議論が[[国会]]でなされ、輸入業者はこぞって反対したものの、これを契機に[[日本政府]]が日本国産乗用車育成を図り、日産、日野、いすゞなどの提携につながった。オースチンの技術は日産・オースチンの後継となる[[日産・セドリック|セドリック]]に生かされている。 *'''ミニ(BMC ADO 15 シリーズ)''' [[Image:Morris Mini Minor Traveller 1966.jpg|thumb|[[1966年]]型[[モーリス (自動車)|モーリス]]<br>[[:en:Mini|ミニ マイナー]] トラベラー<br>]][[Image:Mini clubman.jpg|thumb|[[1976年]]型 [[ブリティッシュ・レイランド]]<br>ミニ クラブマン エステート]] {{main|ミニ (BMC)}} : 1959年~2000年10月。累計生産台数530万台。 : [[BMC]](British Motor Corporation)によって開発されたADO 15と呼ばれるこのシリーズは、初期は、「オースチン・セブン」「モーリス・ミニ・マイナー」という名で発売され、1962年に「オースチン・ミニ」と「モーリス・ミニ」に名を変えた。1961年にはバリエーションとしてサルーン型の「ライレー・エルフ」と「ウーズレー・ホーネット」が加わっており2種4ブランドの[[バッジエンジニアリング]]カーとなっていた。サルーンタイプは1969年で終了し、同時に「ミニ」自体がブランド名となった。 : 量産車としては革新的なイシゴニス式と呼ばれる、横置きエンジンと二階建て[[トランスミッション]]を採用し、ミニで採用されたFF実現のための機構は[[等速ジョイント]]はじめその後の小型車の標準となった。当時としても一際小さなボディに対して、最大限の客室容量と、優れた運動性能を実現していた。このため、「大衆車であるから」と卑下する必要のない乗用車として広い層に受け入れられた。また同車の堅牢な設計は、国際ラリーでも高く評価されてきた。 : 1994年に[[BMW]]傘下で生産が続けられていたが2000年に生産終了している。ミニのブランドは[[BMW]]に残り、新たに小型プレミアムカー[[MINI (BMW)]]として一新されている。 * '''[[BMC]] [[:en:BMC ADO16|ADO 16]]シリーズ''' * '''[[:en:Austin A35|A35]]、[[:en:Austin A40 Farina|A40 ファリーナ]]''' * '''[[:en:Triumph Herald|トライアンフ・ヘラルド]]''' * '''[[フォード・モーター|フォード]]・[[:en:Ford Prefect (car)|プリフェクト]] / [[:en:Ford Anglia|アングリア]]''' ; [[三輪自動車]] イギリスでは欧州の他国と違い、三輪自動車に関して免許や税の優遇措置が存在していたため、税負担から四輪自動車を所持できない低所得労働者やオートバイ免許しか持っていない層を中心に根強い人気があり、リライアント社は2000年代まで製造を続けていた。 === ドイツ === {{seealso|[[ドイツ車]]}} 当初の国威発揚という趣旨から、[[エリート]]のみでなく、一般国民が自由に、また廉価に旅行できる手段として開発された。購入方法は毎月の積立金制度を利用する。特に長距離走行でも故障を起こさない事が求められ、また燃費の良さも重要視された。国民車開発と平行して世界的にも類を見ない長距離高速道路網[[アウトバーン]]の整備が[[1930年代]]より開始された。 *'''[[フォルクスワーゲン・タイプ1]]''' [[画像:Volkswagen Bubbla sista bilen.jpg|thumb|[[フォルクスワーゲン]]タイプ1<br />2003年まで製造が続いた]] : 1938年~2003年(ドイツ本国では[[1978年]]に生産終了、[[メキシコ]]や[[ブラジル]]などで生産継続されていた)。累計生産台数2100万台。 : "Volkswagen" は[[ドイツ語]]で「大衆の車」の意味がある。正式な車名は製造会社名と同じ「フォルクスヴァーゲン」(日本では[[ヤナセ]]がフォルクスワーゲンと[[商標]]登録した)である。[[英語]]読みは「ヴォルクスワーゲン」。英語圏では「ビートル」と愛称されている。 : その基本設計は[[アドルフ・ヒトラー]]が提唱した国民車計画による。国威発揚という目的をもった同車は、大衆車という位置づけにもかかわらず当時としては欲張った高性能であり、また多彩な気候下でも故障や性能低下がない、いわば万能車であったと言える。その要求性能をほぼ実現した量産車は、丸っこく愛らしいスタイルとあいまって広い人気を得た。ドイツのみならず世界各国で販売・現地生産され、累計2100万台という史上最多単一モデル生産記録を持つ。長く継承され続けた古風で独特のスタイルは幅広い愛好者層を持ち、庶民だけではなく[[秋篠宮文仁親王]]がかつて愛車としていたことでも有名で、生産開始から60年以上経った2000年代でも世界中に熱狂的な愛好者層が存在する。 : 直接的な後継車とは言いがたいが、[[1998年]]には[[フォルクスワーゲン・ゴルフ|ゴルフ]]のフロアパンを利用、かつてのビートルの丸っこいイメージをまとった新型車「[[フォルクスワーゲン・ニュービートル]]」が発売された。 *'''[[BMW・600]]''' *'''[[BMW・700]]''' *'''[[:en:Opel Kadett|オペル・カデット]]''' *'''[[トラバント]](旧[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]])''' : 通称「トラビ」。非常に前時代的な設計でボディーは[[パルプ]]による[[繊維強化プラスチック]]という特徴をもつ同車だが、かつては割り当て制のために、これすら購入できない大衆が多かった。しかし少なくとも大衆が購入できる乗用車は、これ以外にはなかった。その設計は当時としては非常に独創的で理にかなったものであったが、長い間あまり改良されずに生産が続けられ、東西ドイツ統合により市場価値を失って一度姿を消した。 : 2007年に生産開始50年を記念してドイツ大手模型メーカーのヘルパ社により、ビートルやMINI、フィアット500と同様の手法で復活する事が計画された。現在電気自動車「トラバントnT」として2012年の発売を目指している。 === イタリア === {{seealso|[[イタリア車]]}} 狭く入り組んだ路地が多く、また第二次世界大戦の敗戦から経済的に立ち直っていなかった時代には、とにかく小型・安価な物が求められた。 *'''[[フィアット・500]]([[フィアット]])''' : 1957年~1977年。累計生産台数400万台。 : 「500」は排気量で、1936~1955年にかけて生産された同名の車があり、この車はそれに対して「フィアット・ヌオーバ(新)500」としてデビューしたが、後に単に「フィアット・500」とされ、「チンクチェント(イタリア語で「500」)と愛称された。昔のモデルは「トッポリーノ(ハツカネズミ)」の愛称で知られており、どちらもフィアット社を代表する大衆車であった。 : 第二次世界大戦の後、イタリアで安価な移動手段としてスクーターやキャビンスクーターが広く普及していた。フィアット500はそれらからの乗り換えを狙って開発され、初期にはそれらを下取りする戦略を取った。そのコンセプトのため、同時期の車の中でもミニを下回る極めてコンパクトな車体であり、かつ低コストで意外とよく走るため、主に若者や低所得者層向けのシティコミューターとして、ヨーロッパ全域に受け入れられた。特に日本では、アニメ『[[ルパン三世]]』主人公の愛車(の1つ)として有名である。 : 同ポジションの後継車としては「フィアット126」があり、また1991年には700/900ccの小型車「チンクチェント(「500」でなくアルファベット綴り「Cinquecento」)が発売された。いずれも現在は生産中止。 : さらに2007年から同車をモチーフにした「新・500」が発表された。商標名は同車のスタイルイメージにちなんだもので排気量は1200~1400cc。クラスとしては先代同様やはり大衆車のポジションになっている。 === アメリカ === {{seealso|[[アメリカ車]]}} 当初は未開地が多く存在していたため、悪路での走破性や修繕のしやすさが求められる一方、都市間の長距離走行という相反する要求を両立させるため、大きめのボディサイズ、大排気量のエンジン、柔らかめのサスペンションという組み合わせが基本となった。昔からガソリンが安いため、燃費はあまり重視されていない。 *'''[[フォード・モデルT]]([[フォード・モーター]])''' : 1908年~1927年。累計生産台数1500万7033台。 : 世界で最初の大衆車としてアメリカのみならず世界中に大きな影響を与えた車。日本では「T型フォード」とも呼ばれる。途中で[[流れ作業]]方式を導入して大量生産が行われ、低価格化が進行していった。また、その運転方法は他の自動車とは相当に異なっていたが、当時の自動車としては運転のしやすいものであった。 ; [[ピックアップトラック]] : かつては農場で使われていたが、自動車税が州によって無税か割安になることから、所得の少ない若者達が乗り始めたのが人気の始まりである。現在では[[SUV]]も人気車種である。 === 中国 === 経済的に成長過程にある[[中華人民共和国|中国]]では、国内経済発展とともに、自動車利用が大衆にも広まり市場も巨大化したため、自国メーカーの生産数も拡大、海外メーカーも現地生産で価格を抑えた中間層向けの大衆車を発表している。 === イラン === {{seealso|[[イラン]]}} 寒暖の差が激しい砂漠気候の環境における耐久性が重視された。反面、産油国であるために燃費は余り重要視されなかった。 *'''[[ペイカン]]([[イラン・ホドロ]]'''・2005年5月に生産終了''')''' : 燃費は悪く8km/リットルだが、イラン国内の8割が同車だったという。イギリス・[[ルーツ・グループ]]からの技術供与で生産されていた。 === インド === {{seealso|[[インド]]}} *'''アンバサダー([[ヒンドゥスタン・モーターズ]])''' : 英国車の[[モーリス (自動車)|モーリス]]・[[:w:Morris Oxford#Oxford III (1956–59)|オックスフォード]]をベースに開発された。 *'''[[タタ・ナノ]]([[タタ・モーターズ]])''' : バイクからの乗り換えを見込んで新規設計された小型の格安乗用車。 == 日本製大衆車の席巻 == 日本の大衆車は[[アメリカ合衆国|米国]]に輸出され、[[1980年代]]には[[日米貿易摩擦]]からきた[[ジャパンバッシング]]といった感情的な米国内自動車産業界の反発を招くほどに市場を席巻したが、その進出の歴史は最初から順風満帆というわけでもなく、日本国内の自動車産業が大衆車の開発・発展に伴い円熟する[[1970年代]]の頃まで待たねばならなかった。 日本車のアメリカへの本格輸出は、大衆車が生まれる以前の[[1960年]]頃から始まり、トヨタは[[トヨタ・クラウン|クラウン]]と[[トヨタ・ランドクルーザー|ランドクルーザー]]、日産は[[日産・ダットサントラック|ダットサン・トラック]]220型、[[ダットサン・110/210|セダン210型]]、[[ダットサン・フェアレディ|スポーツS210型]]を輸出している。 トラック並の[[シャシ (自動車)|シャシ]]と3900ccの[[排気量]]を持つランドクルーザーは評判が良かったが、クラウンは当時トヨタの最[[高級車]]でありながら、カリフォルニア・ハイウェイパトロール([[w:California Highway Patrol|CHiPs']])のテストでは、高速操安が危険とされるレベルであり、[[オーバーヒート]]や[[焼きつき]]も頻発、早々に輸出が中止されるという状況であった。T20系[[トヨタ・コロナ|コロナ]]もクラウンにあやかった「[[ティアラ]]」の車名で北米進出を果たしたが、良い評価は得られないまま輸出を中止している。トヨタ初の大衆車であるパブリカは極少数しか輸出されなかった。 トヨタは、クラウンやコロナのための販売会社とショールームを[[ロサンゼルス]]に設けたが、肝心の商品が全くない状態となってしまい、[[トヨタ・カローラ|カローラ]]による攻勢が始まるまでは、ランドクルーザーの販売のみで北米会社を支える日々が続いた。 ダットサン各車は、もともと丈夫なオースチンのコピーであったためスピードが足りない以外では大きなトラブルは無かったが、貧相で小さすぎるため、売れ行きは芳しくなかった。しかし、後に北米日産の社長となる[[片山豊]]が、自らのドライブで現地[[自動車ディーラー|ディーラー]]への飛び込み営業を続けた結果、次第に品質が認められ、フェアでフレンドリーな片山の人柄もあって着実に販売網を増やし続け、1970年代の大躍進につながった。 トヨタや日産が本格的な乗用車の輸出を試みて苦戦していたこの時期、一方でスバルやホンダといった軽自動車中心のメーカーは、360ccのエンジンを400 - 600ccのものに換装し、北米や欧州に輸出して、それなりの実績を上げていた。これらは本格的な乗用車ではなく、粗末な[[バブルカー]]の代替となるシティコミューターとして受け入れられたのである。戦後日本車の輸出での強みが小型軽快であることは、この時点で確定していた。 カローラやサニーの輸出は[[1967年]]モデルからと日本車の米国進出ではやや後発の部類に入<!--り、ここから日本車の米市場への挑戦が始まったのであ-->る。 == 大衆車と社会 == [[市場経済]]の成長期に登場したこれら大衆車は、最初の内こそ人々の生活向上心を煽り、盛んに販売・消費されるが、次第に経済的成長傾向が鈍化すると、飽和状態に陥って、消費者の関心が細分化する傾向があることから、これら画一的な大衆車への関心が薄れる傾向が見られる。 このため大衆車の勃興は、一種の経済的指標と見なすことが可能である。日欧や北米といった経済的にも豊かな社会にあっては、これら大衆車の多くは生産を終了しているか、一定の高級感を出すことでファミリーカーへの転換が図られている。 ===先進国におけるダウンサイジング=== [[21世紀]]に入ってからの先進国では、自動車市場の成熟化が進み、乗用車の動力性能が[[過剰性能]]になっていることから、大衆車が再び小型化する傾向([[ダウンサイジングコンセプト|ダウンサイジング]])を見せ、日本では税制面で優遇されている[[軽自動車]]が売上を伸ばしている。欧州各国でも、常態化している都市部の交通渋滞や環境対策として基準を満たした[[Aセグメント]]に税制面での優遇措置が実施されたことで、ダウンサイジングが進んでいる。 2010年代には[[トヨタ・アイゴ]](約7000[[英ポンド]])、[[ヒュンダイ・i10]](約8000英ポンド)、[[日産・ピクソ]](約6900英ポンド)、[[フォルクスワーゲン・up!]](約10000ユーロ)など、装備を極力簡素化して価格を抑えた小型車が各社から相次いで販売されている。これらはシティコミューターとして利用だけでなく、欧州メーカーにとっては高級ラインへの偏重で取り込めなかった低所得者層もターゲットに含めることができる。 ===新興国向け=== 2010年代から各メーカーは東南アジアやインドなど経済発展が著しいアジア市場へ投入する「アジア戦略車」を発表している。これらの市場では収入に見合った価格(新車でも100万円以下)と燃費の良さに加え、未舗装路が残り冠水が頻発する道路事情への対策を施した小型車が好まれる。[[トヨタ・アギア]]や[[ホンダ・ブリオ|ブリオ・サティヤ]](ホンダ)のように現地生産する新規開発車もあるが、コスト削減のため先進国向けを現地仕様にした車種も多い。メーカーにとっては飽和状態で各種規制が厳しい先進国よりも、大量の販売が見込めるため新たな[[世界戦略車]]としての側面も持つ。 == 注釈 == <references /> == 関連項目 == * [[大衆]]・[[庶民]] * [[大衆文化]] {{自動車}} {{DEFAULTSORT:たいしゆうしや}} [[Category:自動車の形態]] [[Category:自動車の種類]] [[Category:交通経済学]]
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