大庭脩のソースを表示
←
大庭脩
移動先:
案内
、
検索
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''大庭 脩'''(おおば おさむ、[[昭和]]2年([[1927年]])[[1月20日]] - [[平成]]14年([[2002年]])[[11月27日]])は、[[日本]]の[[歴史家|歴史学者]]。 専門は[[中華人民共和国|中国]]簡牘学・[[日本]]木簡学・中国法制史・日中関係史。[[皇學館大学]]元学長、[[関西大学]][[名誉教授]]、[[大阪府立近つ飛鳥博物館]]元館長。[[位階|正五位]]。[[勲等|勲三等]][[旭日章|旭日中綬章]]。[[文学博士]](関西大学)。 == 人物・略伝 == [[大阪府]]出身。[[大阪府立北野高等学校|北野中学校]]在学中に歴史研究、とくに日本近世思想史をこころざし、[[浪速高等学校 (旧制) |浪速高等学校]]在学中に[[吉田松陰]]の『講孟余話』の輪読会に参加した。その際、吉田松陰の思想を理解するには中国古典の理解の必要性を感じ、併せて、終戦後の歴史の転換点に遭遇し、日本を理解するには中国を理解せねばならないと思い、東洋史研究に転向した。 大庭の研究分野は多岐に亙るが、彼の語るところによるとその研究分野は3つに大別できるという。それは、 * 中国古代、特に[[漢]]代の法制史の研究 * [[唐]]代を中心とする[[告身]]の研究 * [[江戸時代]]、中国から輸入された漢籍に関する研究 である。 漢代法制史の研究は、大庭の学究生活のなかで一番長く行われた研究領域であった。[[1901年]]に、[[スウェン・ヘディン]]と[[オーレル・スタイン]]が中国西辺で発見した漢代の[[木簡]]を活用した点が、彼の研究の最も大きな特色である。博士学位請求論文である『秦漢法制史の研究』や『漢簡研究』は、大庭の漢代法制史研究の集大成といえる著書である。また、木簡解読のために[[隷書]]を中心とした中国書道史の研究もおこなった。 日中交流史、特に江戸時代の漢籍輸入・受容の研究については、昭和38年([[1963年]])、関西大学教授[[石濱純太郎]]を中心とする[[文部省]]科学研究費補助による総合研究、「江戸時代京阪における漢学の研究」に参加したことが、この分野の研究をはじめる契機となった。内閣文庫(当時。[[国立公文書館]])などに収蔵される輸入漢籍を悉皆調査し、その成果を『江戸時代における唐船持渡書(とうせんもちわたりしょ)の研究』にまとめ、同書の研究編を増補したのが、『江戸時代における中国文化受容の研究』である。 この研究により、昭和61年([[1986年]])に第76回[[日本学士院]]賞を受賞した。また、この分野においては多数の資料集や啓蒙書をのこすとともに、この分野から派生した、輸出陶磁器の蒐集や研究、[[徳川吉宗]]がベトナムから買い寄せた象の研究などをおこなった。 == 経歴 == * 昭和2年(1927年)1月20日 [[京都市]]に生まれる。3ヶ月後、[[大阪府]][[豊能郡]]池田町(現[[池田市]])に移る。 * 昭和7年([[1932年]])池田町立幼稚園入園。 * 昭和8年([[1933年]])大阪府立池田師範学校附属小学校入学。 * 昭和14年([[1939年]])4月 大阪府立北野中学校入学。 * 昭和19年([[1944年]])4月 浪速高等学校文科入学。 * 昭和22年([[1947年]])4月 [[龍谷大学]][[文学部]]東洋史学科入学。 * 昭和25年([[1950年]])3月 同卒業。卒業論文「漢帝国の成立過程」・副論文「中国史の時代区分論」。 * 昭和25年(1950年)4月 龍谷大学大学院東洋史学研究科入学。私立[[三田学園中学校・高等学校|三田学園三田高等学校]]教諭。 * 昭和27年([[1952年]])4月 [[小林聖心女子学院]]高等学校教諭。[[聖心女子大学]]小林分校非常勤講師。 * 昭和28年([[1953年]])3月 龍谷大学大学院文学研究科東洋史学科修了。 * 昭和28年(1953年)4月 聖心女子大学文学部小林分校専任講師。 * 昭和33年([[1958年]])4月 同助教授。 * 昭和35年([[1960年]])4月 [[関西大学]]文学部助教授。 * 昭和40年([[1965年]])4月 同教授。 * 昭和54年([[1979年]])9月 主論文「秦漢法制史研究」・副論文「江戸時代唐船持渡書の研究」により関西大学より文学博士の学位を授与。 * 昭和61年([[1986年]])6月 『江戸時代における中国文化受容の研究』により[[日本学士院賞]]受賞。 * 平成4年([[1992年]])4月 大阪府立近つ飛鳥博物館創設準備委員長。 * 平成6年([[1994年]])1月 大阪府立近つ飛鳥博物館長(初代、関西大学教授と兼務)。 * 平成9年([[1997年]])3月 関西大学停年退職。4月 [[皇學館大学]]大学院教授。 * 平成10年([[1998年]])4月 勲三等旭日中綬章を受章。 * 平成12年([[2000年]])4月 皇學館大学学長。 * 平成14年([[2002年]])11月27日、急性白血病により日生病院で死去(76歳)。正五位に叙される。 == 著書 == === 単著 === * 『江戸時代における唐船持渡書の研究』(関西大学東西学術研究所, 1967年) * 『親魏倭王』(学生社, 1971年。→増補版, 2001年) * 『図説中国の歴史2 秦漢帝国の威容』([[講談社]], 1977年) * 『木簡』([[学生社]], 1979年) * 『江戸時代の日中秘話』(東方書店, 1980年。→増補版『日中交流史話』燃焼社, 2003年) * 『秦漢法制史の研究』([[創文社]], 1982年) * 『江戸時代における中国文化受容の研究』([[同朋舎出版]], 1984年) * 『木簡学入門』(講談社, 1984年) * 『漢簡研究』(同朋舎出版, 1992年) * 『古代中世における日中関係史の研究』(同朋舎出版, 1996年) * 『昭和元年生まれ達』(同朋舎出版, 1997年) * 『漢籍輸入の文化史』(研文出版, 1997年) * 『象と法と』(大庭脩先生古稀記念祝賀会, 1997年) * 『徳川吉宗と康熙帝』([[大修館書店]], 2000年) * 『漂着船物語』([[岩波書店]][[[岩波新書]]], 2001年) * 『大阪府立近つ飛鳥博物館図録32 大庭脩前館長著作集』(大阪府立近つ飛鳥博物館, 2003年) * 『唐告身と日本古代の位階制(皇學館出版部, 2003年) * 『木片に残った文字』(柳原出版, 2007年) === 編著 === * 『関西大学東西学術研究所資料集刊7 舶載書目』上・下(関西大学東西学術研究所, 1972年) * 『近世日中交渉史料集1 唐船進港回棹録・島原本唐人風説書・割符留帳』(関西大学東西学術研究所, 1974年) * 『シルク・ロードの文化交流』(同朋舎出版, 1981年) * 『国立公文書館内閣文庫蔵名家叢書』上・中・下(関西大学東西学術研究所, 1981~82年) * 『江戸時代漂着唐船資料集1 寶暦三年八丈島漂着南京船資料』(関西大学東西学術研究所, 1985年) * 『近世日中交渉史料集2~4 享保時代の日中関係資料』一~三(関西大学東西学術研究所, 1986~95年) * 『大英図書館蔵敦煌漢簡』(同朋舎出版, 1990年) * 『世界の中の日本人 近代日本の表層と深層』(関西大学出版部, 1990年) * 『江戸時代漂着唐船資料集5 安永九年安房千倉漂着南京船元順号資料』(関西大学東西学術研究所, 1991年) * 『漢簡研究の現状と展望』(関西大学出版部, 1993年) * 『東西学術研究所索引シリーズ1 居延漢簡索引』(関西大学出版部, 1995年) * 『江戸時代の日中関係史料 蘭園鶏助集』(関西大学出版部, 1997年) * 『木簡』(大修館書店, 1998年) * 『漢簡の基礎的研究』(思文閣出版, 1999年) * 『卑弥呼は大和に眠るか』(文英堂, 1999年) * 『長崎唐館図集成』(関西大学出版部, 2003年) == 参考図書 == * 大庭脩『象と法と』(大庭脩先生古稀記念祝賀会, 1997年) {{DEFAULTSORT:おおは おさむ}} [[Category:日本の歴史学者]] [[Category:皇學館大学の教員]]<!--元学長。--> [[Category:関西大学の教員]] [[Category:聖心女子大学の教員]] [[Category:大阪府出身の人物]] [[Category:1927年生]] [[Category:2002年没]]
大庭脩
に戻る。
案内メニュー
個人用ツール
ログイン
名前空間
ページ
議論
変種
表示
閲覧
ソースを表示
履歴表示
その他
検索
案内
メインページ
コミュニティ・ポータル
最近の出来事
新しいページ
最近の更新
おまかせ表示
sandbox
commonsupload
ヘルプ
ヘルプ
井戸端
notice
bugreportspage
sitesupport
ウィキペディアに関するお問い合わせ
ツール
リンク元
関連ページの更新状況
特別ページ
ページ情報