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大岡昇平
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{{Infobox 作家 | name = 大岡 昇平<br />(おおおか しょうへい) | image = Syouhei Oooka.jpg | image_size = 200px | caption = | pseudonym = | birth_name = | birth_date = [[1909年]][[3月6日]] | birth_place = {{JPN}}・[[東京市]][[牛込区]]<br />(現・[[東京都]][[新宿区]]) | death_date = {{死亡年月日と没年齢|1909|3|6|1988|12|25}} | death_place = | resting_place = | occupation = [[小説家]] | language = [[日本語]] | nationality = {{JPN}} | education = [[学士]]([[文学]]) | alma_mater = [[京都帝国大学]][[仏文科]] | period = [[1949年]] - [[1988年]] | genre = [[小説]]・[[文芸評論]] | subject = [[日本の歴史|日本史]]、[[太平洋戦争]] | movement = [[第二次戦後派]] | notable_works = 『[[俘虜記]]』(1949年)<br />『[[武蔵野夫人]]』(1950年)<br />『[[野火 (小説)|野火]]』(1952年)<br />『[[花影]]』(1961年)<br />『[[レイテ戦記]]』(1971年)<br />『[[事件 (大岡昇平)|事件]]』(1977年) | awards = [[横光利一賞]](1949年)<br />[[読売文学賞]](1952・1989年)<br />[[毎日出版文化賞]](1961年)<br />[[新潮社文学賞]](1961年)<br />[[毎日芸術賞]](1972年)<br />[[野間文芸賞]](1974年)<br />[[朝日文化賞]](1976年)<br />[[日本推理作家協会賞]](1978年) | debut_works = | spouse = | partner = | children = | relations = | influences = | influenced = | signature = | website = <!--| footnotes =--> }} '''大岡 昇平'''(おおおか しょうへい、[[1909年]]([[明治]]42年)[[3月6日]] - [[1988年]]([[昭和]]63年)[[12月25日]])は、日本の[[小説家]]・[[評論家]]・フランス文学の[[翻訳家]]・研究者。 == 略年譜 == {{年譜のみの経歴|date=2013年7月}} *[[1909年]]([[明治]]42年) :3月6日 - [[東京市]][[牛込区]]新小川町に父・貞三郎、母・つるの長男として生まれた<ref name="少年3頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、3頁)</ref>。父貞三郎は[[和歌山市]]近郊の[[農家]]の三男で、昇平の生まれる前年上京して、[[株式]]仲買店に勤めていた<ref name="少年3頁"/>。 *[[1919年]]([[大正]]8年) :[[従兄]]洋吉に勧められ「[[赤い鳥]]」に童謡を投稿、入選<ref name="新潮日本文学アルバム104頁">『<span style="font-size:90%;">新潮日本文学アルバム</span> 大岡昇平』104頁</ref>。 *[[1921年]](大正10年) :4月 - [[東京都立日比谷高等学校|府立一中]]受験に失敗。[[青山学院中等部・高等部|青山学院中学部]]に入学、[[キリスト教]]の感化を受ける<ref name="少年4頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、4頁)</ref>。秋、母・つるが[[芸妓]]だったことを知った<ref name="少年98頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、98頁)</ref>。 *[[1925年]](大正14年) :12月 - [[成城学園高等学校|成城第二中学校]]4年に編入<ref name="新潮日本文学アルバム104頁"/>。同級に[[古谷綱武]]、[[富永次郎]]、[[安原喜弘]]、[[加藤英倫]]らがいた。また、[[山口二矢]]の実父である山口晋平も同級である<ref>[[沢木耕太郎]]『テロルの決算』より</ref>。 *[[1926年]](大正15年・[[昭和]]元年) :4月 - 成城中学校が7年制の[[成城高等学校 (旧制) |成城高等学校]]となったため、高等科文科乙類に進学<ref name="新潮日本文学アルバム104頁"/>。 *[[1927年]](昭和2年) :9月 - [[アテネ・フランセ]]の夜学で[[フランス語]]を学ぶ。 *[[1928年]](昭和3年) : - 村井康男を通じて[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]を紹介され、小林からフランス語の個人教授を受ける。詩人[[中原中也]]とも小林を通じて知り合った。 *[[1929年]](昭和4年) :3月 - 成城高等学校を卒業<ref name="新潮日本文学アルバム104頁"/>。 :4月 - [[京都帝国大学]]文学部文学科に入学<ref name="新潮日本文学アルバム104頁"/>。[[河上徹太郎]]や[[中原中也]]らと同人雑誌「白痴群」を創刊<ref name="新潮日本文学アルバム104頁"/>。 *[[1932年]](昭和7年) :3月 - 京都帝国大学卒業<ref name="新潮日本文学アルバム105頁">『<span style="font-size:90%;">新潮日本文学アルバム</span> 大岡昇平』105頁</ref>。 *[[1933年]](昭和8年) :[[スタンダール]]への傾倒始まる<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1934年]](昭和9年) :2月 - [[國民新聞|国民新聞社]]に入社<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1935年]](昭和10年) :2月 - 国民新聞社を退社<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1938年]](昭和13年) :10月 - [[日本エア・リキード|帝国酸素]]に翻訳係として入社<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1943年]](昭和18年) :6月 - [[日本エア・リキード|帝国酸素]]を退社<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 :11月 - 川崎重工業に入社<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1944年]](昭和19年) :3月 - 教育召集で、東部第二部隊に入営<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 :7月 - フィリピンの[[マニラ]]に到着<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属し、[[ミンドロ島]]警備のため、暗号手としてサンホセに赴いた<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 *[[1945年]](昭和20年) :1月 - 米軍の捕虜になり、[[レイテ島]][[タクロバン]]の俘虜病院に収容される<ref name="新潮日本文学アルバム105頁"/>。 :8月 - 敗戦。同年12月、帰国し、家族の[[疎開]]先の[[兵庫県]][[明石市]]大久保町に着いた<ref name="新潮日本文学アルバム106頁">『<span style="font-size:90%;">新潮日本文学アルバム</span> 大岡昇平』106頁</ref>。 *[[1949年]](昭和24年) :3月 - 『俘虜記』により[[横光利一賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム106頁"/>。 :4月 - [[明治大学]]文学部仏文学講師に就任。 *[[1952年]](昭和27年) :2月 - 『野火』を創元社より刊行、5月[[読売文学賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム106頁"/>。 *[[1961年]](昭和36年) :5月 - 『花影』を中央公論社より刊行<ref name="新潮日本文学アルバム107頁">『<span style="font-size:90%;">新潮日本文学アルバム</span> 大岡昇平』107頁</ref>。 :11月 - 『花影』により[[毎日出版文化賞]]、[[新潮社文学賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 *[[1964年]](昭和39年) :3月 - 中国作家協会などの招きで中国を訪問<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 *[[1971年]](昭和46年) :9月 - 『レイテ戦記』を中央公論社より刊行<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 :11月 - [[芸術院]]会員辞退<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 *[[1972年]](昭和47年) :1月 - 『レイテ戦記』により[[毎日芸術賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 *[[1974年]](昭和49年) :1月 - 『中原中也』を角川書店より刊行<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 : - [[野間文芸賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム107頁"/>。 *[[1976年]](昭和51年) :1月 - [[朝日文化賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム108頁">『<span style="font-size:90%;">新潮日本文学アルバム</span> 大岡昇平』108頁</ref>。 *[[1978年]](昭和53年) :3月 - 『事件』により[[日本推理作家協会賞]]を受賞<ref name="新潮日本文学アルバム108頁"/>。 *[[1988年]](昭和63年) :12月25日 - 死去。遺志により葬儀・告別式は行われなかった<ref name="新潮日本文学アルバム108頁"/>。 *[[1989年]](平成元年) :2月 - 『小説家夏目漱石』により[[読売文学賞]]を受賞。 == 人物像・逸話 == {{出典の明記|date=2011年2月|section=1}} === 旺盛な好奇心 === 今日では『俘虜記』『レイテ戦記』といった戦争ものが最もよく知られるが、創作のバックボーンであった仏文学にとどまらず、幅広い分野に強い関心を抱き続け、文壇を代表するディレッタントだった。手がけた作品のジャンルも多様である。 [[推理小説]]の愛読者でもあり、1950年代には海外推理小説『[[赤毛のレドメイン家|赤毛のレッドメーン]]』([[イーデン・フィルポッツ]]作)や『すねた娘』([[E・S・ガードナー]]作)を翻訳、自らも推理小説を執筆して、とりわけ『若草物語』の題で連載し、後に『事件』と改題した作品は[[日本推理作家協会賞]]を受賞し、映画やテレビドラマになるなど、高い評価を受けている。 『[[武蔵野夫人]]』は『[[ボヴァリー夫人]]』に倣って書いた[[姦通]]小説で、ベストセラーとなったが、1980年代、ポルノ小説にこの題が使われたため抗議した。 また、[[河上徹太郎]]、小林秀雄らの愛人で、[[白洲正子]]の友人だった[[坂本睦子]]を8年あまり自らも愛人とし、妻の自殺未遂騒ぎを何度か経たのちに睦子と別れたが、その翌年、睦子が自殺。その後、彼女をモデルに『花影』を書き、[[新潮社文学賞]]と[[毎日出版文化賞]]を受賞した。しかし[[高見順]]は、肝心の大岡自身の苦悩が描かれていないと批判、白洲正子も睦子が描かれていないと大岡の死後批判している。この小説は睦子を救えなかった[[青山二郎]]を指弾するものではないかという解釈があるが、大岡自身は、限定版『[[花影]]』のあとがきにおいて「ヒロインはその生れと性情の自然の結果として自殺するのですが、そのきっかけは、彼女の保護者で、父代わりである高島が黄瀬戸の盃を二重売りして、彼女を裏切ったためでした。(中略)あとは私が作った物語ですが、もし高島にモデルがあるなら、私の想像はその人を傷つけることになるでしょう」と述べているだけで、大岡自身が青山二郎を指弾する目的で書いたと言及しているわけではない。 後述のように歴史小説を巡って多くの論争を引き起こしたが、自身でも『将門記』『天誅組』などの歴史小説を書いた。これらは、事実に対して強いこだわりを持っていた大岡らしく、小説というより史伝に近いものである。 また、若い頃から演劇にも関心を示し続け、舞台「[[赤と黒]]」の台本を書いたりした。しかしこの際、演出の[[菊田一夫]]と対立し、初演を愛知での「レイテ同生会」への出席を理由に欠席した。また後年、[[仲代達矢]]の演じる「[[ハムレット]]」には、「未熟」との厳しい評価を下している。 好奇心の対象は芸術の外にもおよび、50歳を過ぎて本格的に始めたゴルフにのめりこんだあげく、『アマチュアゴルフ』なるゴルフ指南書を出版したほどである。なお、腕前はハンディ22。 旺盛な好奇心は晩年になっても変わらず、[[1980年]](昭和55年)から『文学界』に約5年間『成城だより』を、二回の中断をはさみ連載。この中では、[[記号論]]や[[不完全性定理]]、さらに漫画([[萩尾望都]]、[[高野文子]]、「[[じゃりン子チエ]]」など)、ロック([[村八分 (バンド)|村八分]]、[[ザ・クラッシュ]]、[[ジミ・ヘンドリックス]]、[[ドアーズ]]など)、ポップス([[中島みゆき]]、[[ABBA|アバ]]など。当人は「残念ながら、音楽は洋楽種の方がいいようなり」と述べている)、映画(フィリピンをロケ地とした[[地獄の黙示録]]など)などに言及した。これらのセレクトには、長男の貞一の影響が大きい。また[[YMO]]の[[坂本龍一]]が自分の担当編集者であった[[坂本一亀]]の息子であることを知り、「『げっ』と驚くのはこっちなり」とも述べるまでの若々しい関心を示す様が、カリスマ的な人気を呼んだ。 === 論争家 === 「ケンカ大岡」と呼ばれるほどの[[文壇]]有数の論争家であり、言動が物議を醸すことも少なくなかった。[[井上靖]]の『[[蒼き狼 (小説)|蒼き狼]]』を史実を改変するものとして批判し、歴史小説をめぐって論争となった。同じく史実を改変するものとして、[[海音寺潮五郎]]の『二本の銀杏』や『悪人列伝』等を批判し、これに反論する海音寺と『群像』[[1962年]](昭和37年)8月号上で論争した。[[松本清張]]の『日本の黒い霧』等の作品を謀略史観に基づくものとして批判したり、[[中原中也]]の評価について、[[篠田一士]]と論争したこともあった。 また[[江藤淳]]の『漱石とアーサー王伝説』が出た時もこれを厳しく批判し、次いで[[森鴎外]]の『[[堺事件]]』は明治政府に都合のいいように事実を捻じ曲げていると批判し、国文学者と論争になった。そして自身で『堺港攘夷始末』の連載を始めたが、その中で鴎外が依拠した資料に既にゆがみがあったことが明らかになった。本作が未完のまま大岡は急逝し、ほぼ九割は完成していたため、中央公論社から刊行された(のち中公文庫に収録)。 === 賞を巡って === 『レイテ戦記』は日本の代表的な戦記といえるが、[[野間文芸賞]]を辞退した。これは選考委員の[[舟橋聖一]]との軋轢による。のち『[[中原中也]]』で同賞を受賞するが、選評で舟橋は難癖をつけた。 [[1972年]](昭和47年)、[[日本芸術院]]会員に選ばれたが「捕虜になった過去があるから」と言って辞退した。この記者会見の席にいた[[加賀乙彦]]によると、記者が帰った後に大岡は「うまいだろ」と言って舌をぺろりと出したという<ref>加賀乙彦著『加賀乙彦 自伝』 集英社 2013年 </ref>。皮肉をこめた国家への抵抗との見方もある。 しかし最晩年に[[昭和天皇]]の重態に際して「おいたわしい」と書いた(どちらも波紋を呼んだが、ともにウラを読まなければ普通の発言という見方もできる)。 == 受賞歴 == * 1949年『俘虜記』で[[横光利一賞]] * 1952年『野火』で[[読売文学賞]] * 1961年『花影』で[[毎日出版文化賞]]、[[新潮社文学賞]] * 1972年『レイテ戦記』で[[毎日芸術賞]] * 1974年『中原中也』で[[野間文芸賞]] * 1976年『全集』刊行ほかで1975年度[[朝日文化賞]] * 1978年『事件』で[[日本推理作家協会賞]] * 1989年『小説家[[夏目漱石]]』で[[読売文学賞]](歿後) == 家族・親族 == === 大岡家 === ; ([[和歌山市]]、[[東京都]]) ; 家系 [[File:Oooka Family.jpg|thumb|300px|right|[[1922年]](大正11年)左より、姉文子、弟辰弥、父貞三郎、[[大岡昇平|昇平]]、弟保、母つる<br />]] : 大岡家の[[家紋]]は「瑞籬」で、[[大岡忠相]](越前守)を出した[[三河国|三河]]の[[大岡氏]]と同紋である<ref name="少年58頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、58頁)</ref>。[[徳川頼宣|頼宣]]が[[駿河国|駿河]]にいた頃からの[[家臣]]で、[[元和 (日本)|元和]]5年([[1619年]])和歌山移封にいっしょに随いて来たが、後、帰農したと伝える<ref name="少年58頁"/>。 : 大岡家には[[系図]]はないが、[[菩提寺]]の松島聞光寺の[[過去帳]]は[[寛文]]8年から始っている<ref name="少年59頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、59頁)</ref>。 : 『南紀徳川史』第八巻に[[曽祖父]]'''大岡利兵衛'''が、[[天保]]12年([[1841年]])金20両を献金して、「地士([[郷士]])」に取り立てられたてられたとの記事(「松島新田村、年頭お目見得の節のしめ者、[[1841年|天保十二年]]、地士に、大岡利兵衛」)がある<ref name="少年59頁"/>。なお年頭御目見得節慰斗目着用御免」は献金地士の中で一番安い口で、「代々同断が」40両、御[[代官]]支配がこれと同額、[[勘定奉行]]支配が70両「平地士」100両以上である<ref name="少年60頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、60頁)</ref>。 : [[祖父]]'''弥膳'''は三十町持ちの[[寄生地主制|地主]]で、[[陸奥宗光]]の有力な後援者であり、鷺宮の本願寺別院の[[檀家|檀家総代]]だった<ref name="少年58頁"/>。弥膳は「利兵衛の代には二町しかなかった田地を、自分の代に三十町にした」と威張っていたという<ref name="少年60頁"/>。弥膳は[[明治]]22年([[1889年]])[[和歌山県]][[海草郡]]四箇郷村の初代[[村長]]、20年代の未詳の年に郡会議員となった<ref name="少年62頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、62頁)</ref>。 : 祖母'''ゆう'''は那賀郡畑毛の[[寄生地主制|地主]]'''吉村家'''の出身で、当主[[吉村角次郎|角次郎]]は多額[[納税]][[貴族院議員]]、父貞三郎の[[従兄]]に当る[[吉村友之進|友之進]]も[[貴族院議員]]で、吉村製糸社長だった<ref name="少年58頁"/>、<ref>{{cite web |url=http://www.nihonsyu-nihonjyou.co.jp/yoshimura/06-kizuki/genryu.html |title=6.築き:源流 |work=和歌山の日本酒・米焼酎【日本城蔵元 吉村秀雄商店】 |publisher=[[吉村秀雄商店]] |accessdate=2013-08-31}}</ref>。 [[File:Oooka Syouhei and Wife.jpg|thumb|200px|right|昭和28年([[1953年]])10月、[[神奈川県|神奈川]]・[[大磯町|大磯]]の自宅庭にて、妻・春枝と<br />]] ; 家庭 *妻・'''春枝'''([[旧姓]]上村) *長女・'''[[長田鞆絵|鞆絵]]'''(児童文学者) *長男・'''貞一''' === 高村家 === ;([[和歌山市]]) : 母の実家高村家は[[和歌山市]]の[[商家]]だった。高村家の[[戸籍]]は混乱している<ref name="少年109頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、109頁)</ref>。 : [[祖母]]'''くに'''は[[安政]]5年([[1858年]])生まれ、[[大叔母]]'''友枝'''は[[明治]]6年([[1873年]])生まれで16も年が違う<ref name="少年109頁"/>。[[戸籍]]上は姉妹になっているが、実は親子だといううわさがあった<ref name="少年109頁"/>。しかし友枝が[[昭和]]27年([[1952年]])死亡するまで身辺に付添っていた姉は、そのうわさを否定している<ref name="少年109頁"/>。 : [[曽祖父]]'''高村平助'''は[[和歌山市]]の湊方面のかなりの[[材木]]商いだったそうだが、[[明治]]10年代([[1877年]]-[[1886年]])に没落した<ref name="少年109頁"/>。 : くにと友枝の姉妹は芸事で身を立てることになった<ref name="少年109頁"/>。くには[[料亭]]の[[仲居]]に、友枝は[[芸妓]]になった<ref name="少年109頁"/>。くにには[[明治]]17年([[1884年]])[[私生児]]として、母つるを生んだほかに子はない<ref name="少年109頁"/>。[[戸籍]]上は妹になっている<ref name="少年109頁"/>。そのうち友枝が[[和歌山市]]内のある工業会社の[[社長]]の庇護を受けて丸の内十一番丁に[[置屋]]兼お[[茶屋]]「明月」を出し、くにとつるを養った。母はやがてそこから内娘として出た<ref name="少年109-110頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、109-110頁)</ref>。 : 大岡昇平によれば〔私は「明月」がただの料理屋ではなく[[講談]]や時代小説にあるような[[芸妓]]屋であることを疑うことができなくなったのである。“大将、大将”といって卑(いや)しく男を取巻く慣習を、初枝<ref>母が“姉さんのようにしていた”女性である</ref>さんだけでなく、[[祖母]]が持っているのである。…私はそのような卑(いや)しい母から生れたことを情なく思った。〕という<ref name="少年103頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、103頁)</ref>。 : 父と馴染んで姉'''文子'''を生んだのは、[[明治]]37年([[1904年]])で、20歳の時である<ref name="少年110頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、110頁)</ref>。父と母の[[結婚]]上京は姉を[[認知]]した明治40年([[1907年]])の末か明治41年([[1908年]])の初め、やがて昇平を妊娠することによって母は正式に[[入籍]]し、姉文子も[[嫡出子]]の資格を得る<ref name="少年111頁">大岡昇平著『少年─<span style="font-size:90%;">ある自伝の試み</span>』(1975年、筑摩書房、111頁)</ref>。[[入籍]]は昇平の生まれる3ヶ月前の明治41年([[1908年]])12月である<ref name="少年111頁"/>。 == 著作 == * [[俘虜記]] (1949)のち新潮文庫、角川文庫、講談社文庫 * サンホセの聖母 (作品社、1950)のち角川文庫 * [[武蔵野夫人]] 新潮社(1950)のち新潮文庫 * 来宮心中 (新潮社、1951)のち集英社文庫 * 妻 (池田書店、1951)「妻・母」角川文庫 * [[野火 (小説)|野火]] (1952)のち新潮文庫、角川文庫 * 母 (文藝春秋新社、1952) * 詩と小説の間 (創元社、1952) * わが師わが友 (創元社、1953) * 化粧 (新潮社、1954) * 酸素 (新潮社、1955)のち新潮文庫 * 振分け髪 (河出書房、1955) * ザルツブルクの小枝 新潮社、1956)のち中公文庫 * 雌花 (新潮社、1957) * 作家の日記 (新潮社、1958) * 朝の歌 (角川書店、1958) * 夜の触手 (光文社 カッパ・ブックス、1960)のち集英社文庫 * 扉のかげの男 (新潮社、1960) * 真昼の歩行者 (角川書店、1960) * アマチュアゴルフ (アサヒゴルフ出版局、1961)のち潮文庫 * 花影 (中央公論社、1961)のち新潮文庫、講談社文芸文庫 * 常識的文学論 (講談社、1962)のち講談社文芸文庫 * 逆杉 (新潮社、1962) * 現代小説作法 (文藝春秋新社、1962)のちレグルス文庫 * 文壇論争術 (雪華社、1962) * 歌と死と空 (光文社、1962)のち中公文庫 * 文学的ソヴィエト紀行 (講談社、1963) * 将門記 (中央公論社、1966)のち文庫 * 遥かなる団地 (講談社、1967) * 在りし日の歌 (角川書店、1967)のち文庫 * 昭和文学への証言 (文藝春秋、1969) * ミンドロ島ふたたび (中央公論社、1969)のち文庫 * 愛について (新潮社、1970)のち文庫、講談社文芸文庫 * [[レイテ戦記]] (中央公論社、1971)のち文庫 * コルシカ紀行 (中公新書、1972) * 私自身への証言 (中央公論社、1972) * 凍った炎 (講談社、1972)のち文庫 * 幼年 (潮出版社、1973)のち文春文庫、講談社文芸文庫 * 萌野 (講談社、1973)のち文庫 * 作家と作品の間 (第三文明社、1973) * わがスタンダール (立風書房、1973)のち講談社文芸文庫 * 中原中也 (角川書店、1974)のち角川文庫、講談社文芸文庫 * 天誅組 (講談社、1974)のち講談社文庫、文芸文庫 * 作家の体験と創造 (潮出版社、1974) * 歴史小説の問題 (文藝春秋、1974)のち再編「歴史小説論」同時代ライブラリー * 富永太郎 (中央公論社、1974) * 少年 (筑摩書房、1975)のち新潮文庫、講談社文芸文庫 * わが文学生活 (中央公論社、1975)-インタビュー集、のち文庫 * 文学における虚と実 (講談社、1976) **※堺事件、「漱石とアーサー王伝説」などに関する評論を収める * わが美的洗脳 (番町書房、1976)のち講談社文芸文庫 * 桜と銀杏 (毎日新聞社、1976) * ゴルフ酒旅 (番町書房、1976) * ある補充兵の戦い (現代史出版会、1977)のち徳間文庫、[[岩波現代文庫]] * [[事件 (大岡昇平)|事件]] 新潮社(1977)のち文庫、双葉文庫 * 無罪 (新潮社、1978)のち文庫 * 雲の肖像 (新潮社、1979)のち文庫 * 最初の目撃者 (集英社、1979)のち文庫 * ハムレット日記 (新潮社、1980)のち「野火・ハムレット日記」岩波文庫 * 成城だより 1-3 (文藝春秋、1981-86)のち[[講談社文芸文庫]].上下 * 青い光 (新潮社、1981)のち文庫 * [[明日への遺言|ながい旅]] (新潮社、1982)のち文庫、角川文庫 * 姦通の記号学 (文藝春秋、1984) * ルイズ・ブルックスと「ルル」 (中央公論社、1984) * 小説家夏目漱石 (筑摩書房、1988)新版[[ちくま学芸文庫]] * 大岡昇平音楽論集 (深夜叢書社、1989) * 堺港攘夷始末 (中央公論社、1989)のち文庫 * 昭和末 (岩波書店、1989) ===「全集」=== *『大岡昇平全集 (全16巻)』 [[中央公論社]]、1973~76年 *『大岡昇平集 (全18巻)』 [[岩波書店]]、1982~84年 *決定版『大岡昇平全集 (全23巻別巻1)』 [[筑摩書房]]、1994~2003年 == 翻訳 == * スタンダアル ([[エミール=オーギュスト・シャルティエ|アラン]]、創元社、1939年/改訳 創元選書、1948年) * [[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]] (スタンダアル、創元社、1941年、新版1948年) * スタンダール伝 ([[アルベール・ティボーデ]]、青木書店、1942年) * スタンダール論 ([[オノレ・ド・バルザック|バルザック]]、小学館、1944年) * 小説論--パルムの僧院をめぐって (バルザック/スタンダール、創元社、1947年 /「小説について」 創元文庫、1951年)。 * 恋愛論 (スタンダール、創元選書 上下、1948年、新潮文庫、1956年) * [[パルムの僧院]] (スタンダール、思索社、1948年、新潮文庫、1951年) * 恋愛論ノート (スタンダール、小山書店、1949年) * ユリアンの旅 ([[アンドレ・ジッド|アンドレ・ジイド]]、新潮文庫、1952年) - 『ユリアンの旅 他一篇』に収録。 * 赤毛のレッドメーン ([[イーデン・フィルポッツ]]、東京創元社、1956年、創元推理文庫 1959年) * クラクラの日記 ([[マリアンヌ・ベッケル|ベッケル]]、人文書院、1956年) * すねた娘 ([[エール・スタンレー・ガードナー|E・S・ガードナー]]、東京創元社、1957年、創元推理文庫 1959年) * [[赤と黒]]--19世紀年代記 (スタンダール、[[古屋健三]]との共訳、世界文学全集:講談社、1971年、新版1974年、講談社文庫、1972年) == 関連人物 == * [[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]] * [[中原中也]] * [[中村光夫]] * [[福田恆存]] * [[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]] * [[埴谷雄高]] * [[武田泰淳]] * [[三島由紀夫]] * [[大江健三郎]] * [[正岡忠三郎]] * [[天野太郎]] == 関連項目 == * [[大岡氏]] * [[神奈川近代文学館]] * [[神戸文学館]] * [[鉢の木会]] * [[日本近代文学館]] * [[レイテ沖海戦]] == 脚注・出典 == {{脚注ヘルプ}}{{reflist}} == 外部リンク == *[http://www.shinchosha.co.jp/writer/987/ 大岡昇平|新潮社] *[http://www.tokyo-kurenaidan.com/oooka-1.htm 大岡昇平を歩く] {{毎日芸術賞}} {{DEFAULTSORT:おおおか しようへい}} [[Category:大岡昇平|*]] [[Category:大岡氏|しようへい]] [[Category:日本の文学研究者]] [[Category:フランス文学者]] [[Category:日本の小説家]] [[Category:日本の推理作家]] [[Category:日本の翻訳家]] [[Category:日本推理作家協会賞受賞者]] [[Category:川崎重工業の人物]] [[Category:国民新聞社の人物]] [[Category:太平洋戦争の人物]] [[Category:明治大学の教員]] [[Category:京都大学出身の人物]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:捕虜となった人物]] [[Category:1909年生]] [[Category:1988年没]]
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