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大友氏泰
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'''大友 氏泰'''(おおとも うじやす、[[1321年]]([[元亨]]元年) - [[1362年]][[11月19日]]([[正平 (日本)|正平]]17年/[[貞治]]元年[[11月3日 (旧暦)|11月3日]]))は[[鎌倉時代]]後期から[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]にかけての[[武将]]。[[大友氏]]の第7代当主。父は第6代当主・[[大友貞宗]](氏泰は五男)。母は[[少弐貞経]]の娘。 幼名は千代松丸。[[元弘]]3年/[[正慶]]2年([[1333年]])、父が[[鎮西探題]]・[[北条英時]](赤橋英時)を攻める前、決死の覚悟で幕府に反逆しようとする父から家督を譲られた。五男である氏泰に家督を譲ったのは、当時成人していた四男までの息子より、幼少の氏泰に譲っておけば、仮に自身が敗死してもその後、幕府から咎められて取り潰される可能性は低いであろうと考えたためだと言われている。同年12月、父が京都で急死したため、正式に当主となったが、幼少だったために兄・[[大友貞載]]の補佐を受けた。 [[足利尊氏]]が[[後醍醐天皇]]に叛いて[[九州]]に落ち延びてきたときは、尊氏の再挙に貢献した。その功績により[[室町幕府]]開設後、[[豊後国|豊後]]の他に[[肥前国|肥前]]・[[豊前国|豊前]]・[[日向国|日向]]の守護に任じられた。この頃がちょうど[[元服]]の時期で尊氏から「氏」の字を与えられて'''氏泰'''と名乗ったものとみられる。 正平17年/貞治元年(1362年)に死去し、家督は弟の[[大友氏時]]が継いだ。 {{豊後大友氏当主|第7代|1333年 - 1362年}} {{DEFAULTSORT:おおとも うしやす}} [[Category:大友氏|うしやす]] [[Category:鎌倉時代の武士]] [[Category:南北朝時代の人物 (日本)]] [[Category:守護大名]] [[Category:1321年生]] [[Category:1362年没]]
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