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塚原卜伝
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{{Otheruses|人物|テレビドラマ|塚原卜伝 (テレビドラマ)}} {{基礎情報 武士 |氏名=塚原卜伝 |画像=Musashi vs. Bokuden.jpg |画像サイズ=250px |画像説明=武蔵塚原試合図([[月岡芳年]]画) |時代=[[戦国時代 (日本)|戦国時代]] |生誕=[[延徳]]元年([[1489年]]) |死没=[[元亀]]2年[[2月11日 (旧暦)|2月11日]]([[1571年]][[3月6日]]) |改名=朝孝(幼名)→高幹→卜伝([[号]]) |別名=新右衛門、土佐守、土佐入道(通称) |戒名=宝剣高珍居士 |墓所=[[茨城県]][[鹿嶋市]]須賀の梅香寺 |主君=[[鹿島景幹]]→[[鹿島義幹|義幹]] |氏族=[[卜部氏|吉川氏]]→[[塚原氏]] |父母=父:[[卜部覚賢|吉川覚賢]]、養父:''[[塚原安幹]]'' |兄弟= |妻=妙([[塚原安幹]]の娘) |子='''[[塚原幹重|幹重]]''' |特記事項= }} '''塚原 卜伝'''(つかはら ぼくでん)は、[[日本]]の[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[剣豪]]、[[兵法家]]。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、[[天真正伝香取神道流]]を修めて、[[新当流|鹿島新当流]]を開いた。 == 生涯 == [[File:Statue of Tsukahara Bokuden.JPG|thumb|180px|right|塚原卜伝像([[茨城県]][[鹿嶋市]])]] [[鹿島神宮]]の神官で[[大掾氏]]の一族・[[鹿島氏]]の四家老の一人である[[卜部覚賢]](吉川覚賢)の子として[[常陸国]][[鹿嶋市|鹿島]]に生まれる。[[幼名]]は朝孝。時期は不明だが後に[[塚原安幹]]の養子となる。同時に[[諱]]を'''高幹'''(たかもと)とした。[[塚原氏]]の[[本姓]]は[[常陸平氏|平氏]]で、鹿島氏の分家である。 実父からは鹿島古流(鹿島中古流とも)を、義父からは天真正伝香取神道流をそれぞれ学んだ。『[[関八州古戦録]]』『卜伝流伝書』によれば、松本政信の奥義「一の太刀」も養父の安幹から伝授されたという(松本から直接学んだという説、卜伝自身が編み出したとする説もある)。やがて武者修行の旅に出て、己の剣術に磨きをかけた。卜伝の弟子である加藤信俊(相模守)の孫の手による『卜伝遺訓抄』<ref>卜伝自身が詠んだとされる「卜伝百首」の他、[[沢庵宗彭]]による序、加藤信俊の孫(本名不明)による後書によって構成される伝書。正確な成立年代は不明だが、寛永年代後半以降と推測される。</ref>の後書によると、その戦績は「十七歳にして洛陽清水寺に於て、真剣の仕合をして利を得しより、五畿七道に遊ぶ。真剣の仕合十九ヶ度、軍の場を踏むこと三十七ヶ度、一度も不覚を取らず、木刀等の打合、惣じて数百度に及ぶといへども、切疵、突疵を一ヶ所も被らず。矢疵を被る事六ヶ所の外、一度も敵の兵具に中(あた)ることなし。凡そ仕合・軍場共に立会ふ所に敵を討つ事、一方の手に掛く弐百十二人と云り」と述べられている。よく知られている真剣勝負に[[川越城]]下での[[梶原長門]]との対決がある。 弟子には唯一相伝が確認される[[雲林院松軒]](弥四郎光秀)と、[[諸岡一羽]]や[[真壁氏幹]]、[[斎藤伝鬼房]](勝秀)ら一派を編み出した剣豪がいる。また、[[足利義輝]]や[[北畠具教]]にも剣術を指南したという。また、この両者には奥義である「一の太刀」を伝授したとされている。 剣聖と謳われ、好んで[[講談]]の題材とされ、広く知られた。著名な逸話のひとつで勝負事にまつわる訓話としてもよく引き合いに出されるものに、『[[甲陽軍鑑]]』に伝わる「無手勝流」がある。[[琵琶湖]]の船中で若い剣士と乗り合いになり、相手が卜伝だと知ったその若者が決闘を挑んでくる。卜伝はのらりくらりとかわそうとするが、血気にはやる若者は卜伝が臆病風に吹かれて決闘から逃れようとしていると思いこみ、ますます調子に乗って彼を罵倒する。周囲に迷惑がかかることを気にした卜伝は、船を降りて決闘を受けることを告げ、若者と二人で小舟に乗り移る。そのまま卜伝は近傍の小島に船を寄せるのだが、水深が足の立つ程になるやいなや、若者は船を飛び降り島へ急ごうとする。卜伝はそのままなにくわぬ調子で、櫂を漕いで島から離れてしまう。取り残されたことに気付いた若者が大声で卜伝を罵倒するが、卜伝は「戦わずして勝つ<ref>『[[孫子]]』謀攻篇第三に曰く、凡そ用兵の法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。</ref>、これが無手勝流だ」と言って高笑いしながら去ってしまった。 また、若い頃の[[宮本武蔵]]が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、彼はとっさに[[囲炉裏]]の鍋の蓋を[[盾]]にして武蔵の刀を受け止めたとする逸話があるが(当記事の冒頭の画像などを参照)、実際には武蔵が生まれるよりも前に卜伝は死んでいるため、卜伝と武蔵が直接出会うことは有り得ず、この逸話は史実ではない。 『鹿島史』によれば卜伝は元亀2年(1571年)2月11日、83歳で死去。『天真正伝新当流兵法伝脉』では鹿島沼尾郷田野(現[[鹿嶋市]]沼尾)の[[松岡則方]]の家で死去としている。墓は須賀村(現鹿嶋市須賀)の[[梅香寺]]にあったされるが同寺は焼失し、墓のみが現存している。[[位牌]]は近くの長吉寺にある。 == 門下 == 伝承上弟子とされる人物も含む * [[雲林院松軒]] * [[諸岡一羽]] * [[真壁氏幹]] * [[斎藤伝鬼房]] * [[松岡則方]] * [[足利義輝]] * [[北畠具教]] * [[細川幽斎]] * [[今川氏真]] * [[林崎甚助]] * [[上泉信綱]] == 登場作品 == === 書籍 === *[[池波正太郎]]『卜伝最後の旅』角川グループパブリッシング、1980年 *[[津本陽]]『[[塚原卜伝十二番勝負]]』講談社、1983年 *[[中山義秀]]『塚原卜伝』徳間書店、1989年 *[[峰隆一郎]]『日本剣鬼伝 塚原卜伝』祥伝社、1993年 *[[石ノ森章太郎]]『塚原卜伝』小学館、1996年 *[[矢作幸雄]]『無敗の剣聖 塚原卜伝』講談社、2011年 === テレビドラマ === * 『[[塚原卜伝 (テレビドラマ)|塚原卜伝]]』(2011年10月2日-11月13日、[[NHK BSプレミアム]] 演:[[堺雅人]]。原作は上述の「十二番勝負」) == 脚注 == {{reflist}} == 関連項目 == * [[兵法三大源流]] * [[卜伝の郷運動公園]] * [[卜伝流]] {{DEFAULTSORT:つかはら ほくてん}} [[Category:室町・安土桃山時代の武士]] [[Category:剣客]] [[Category:常陸国の人物]] [[Category:1489年生]] [[Category:1571年没]]
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