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城之内邦雄
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{{Infobox baseball player |選手名 = 城之内 邦雄 |英語表記 = |所属球団 = |背番号 = |選手写真ファイル名 = |写真サイズ = |写真のコメント = |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[千葉県]][[佐原市]](現・[[香取市]]) |生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|2|3}} |没年月日 = |身長 = 177 |体重 = 79 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[投手]] |プロ入り年度 = 1962年 |ドラフト順位 = |初出場 = 1962年4月7日 |最終出場 = 1974年 |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[千葉県立佐原高等学校|千葉県立佐原第一高等学校]] * [[サッポロビール|日本ビール]] * [[読売ジャイアンツ]] (1962 - 1971) * [[千葉ロッテマリーンズ|ロッテオリオンズ]] (1974) |経歴補足題 = コーチ歴 |経歴補足 = <nowiki></nowiki> * ロッテオリオンズ (1975 - 1976) |選出国 = |選出年 = |得票率 = |選出方法 = }} '''城之内 邦雄'''(じょうのうち くにお、[[1940年]][[2月3日]] - )は、[[千葉県]][[香取市]](旧[[佐原市]])出身の元[[プロ野球]][[投手]]。 == 来歴・人物 == 佐原中学校入学と同時に野球部に入部し本格的に取り組むが、中学時代は万年控えであり、3年生の春には野球部を退部。その後進学した佐原一高(現・[[千葉県立佐原高等学校|佐原高校]])では入学時に[[バレーボール]]部に入部した。しかし部員不足の野球部から勧誘を受け同年6月に野球部に移籍。2年時まで控え選手であったが、一念発起し毎朝10キロのランニング、[[ハンドグリッパー]]を握り続けながら登校するなどの努力を続け、3年生のとき投手に抜擢、[[1957年]]の[[全国高等学校野球選手権大会]]の地区予選では、エースとして活躍し、チームが東関東大会準決勝まで進出する原動力となった。その後、佐原高校の先輩である[[北川芳男]]の誘いにより、日本ビール(現・[[サッポロビール]])に入社。4年間所属し[[都市対抗野球大会|都市対抗野球]]で活躍した。 [[1962年]]、[[読売ジャイアンツ|巨人]]に入団。新人ながら[[開幕投手]]を務める<ref>その後新人の開幕投手は1984年 [[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]の[[高野光]]まで出現しなかった</ref>。この年24勝、防御率2.21で新人王を獲得。豪快なフォーム(一旦打者に背を向ける、[[野茂英雄]]の「[[トルネード投法]]」の先祖ともいうべきスタイル)から投げ込む速球と曲がって落ちる[[シュート (球種) |シュート]]を武器に<ref>[http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110317/bbl1103171626010-n1.htm 巨人49年前の“破格の新人”城之内邦雄氏]</ref>、入団から5年で101勝を挙げ、7年連続で2桁勝利を記録した。入団から5年で100勝に到達した投手は城之内以降、現れていない。プロ4年目の[[1965年]]には21勝を挙げ、この年から[[1973年]]にかけて続いた[[V9 (読売ジャイアンツ)|V9]]時代の初期におけるエースとして活躍。愛称は『'''エースのジョー'''』([[宍戸錠]]のニックネームにあやかったもの)。[[1968年]][[5月16日]]の[[横浜ベイスターズ|大洋]]戦([[後楽園球場]])で[[ノーヒットノーラン]]を達成した。 [[1969年]][[10月10日]]の[[中日ドラゴンズ|中日]]戦では先発するも3-1でリードした5回にベンチの指示で[[金田正一]]にマウンドを譲り降板。金田はそのまま勝利投手となり通算400勝を達成した<ref>{{G5000|p.45}}</ref>。同年、登板過多から腰を痛めると、成績が下降し登板機会も減少。[[1971年]]には腰痛は回復し球威も全盛期に近い状態まで戻っていた(本人談)が、キャンプから二軍に落とされ一軍でも敗戦処理に甘んじた<ref>[http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110510/bbl1105101556003-n1.htm 沢村で再び脚光「エースのジョー」巨人退団の真相は?]</ref>。「シーズン後、「巨人の城之内」で終わりたいという本人の希望もあり、任意引退となった。 [[文化放送]]の[[野球解説者]]を経て、巨人時代の同僚の金田監督に請われ[[1974年]]に1シーズンだけ[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]で現役に復帰した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_march/KFullNormal20080224227.html 【3月2日】1974年(昭49) 帰ってきた“エースのジョー”、893日ぶりのマウンド]</ref>。2度目の引退後はロッテの投手コーチ(1975-76年)、スカウト(1977-83年)を経て、巨人のスカウトとなる。ロッテ時代に[[落合博満]](元・[[中日ドラゴンズ|中日]]監督)を入団に導いたスカウトとして知られており、口説き文句は一切言わない物静かなスカウトらしくないスカウトで、ある種の信頼感さえあったという。 歌手の[[城之内早苗]]の[[大叔父]]。また俳優の[[地井武男]]とは親戚関係(城之内の兄と地井の姉が夫婦、2013年3月10日放送の「[[ウチくる!?]]」より)である。 ==詳細情報== === 年度別投手成績 === {| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1962}} |rowspan="10" style="text-align:center;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]] |56||31||14||5||2||24||12||--||--||.667||1091||280.2||207||11||62||5||8||173||3||0||78||69||2.21||0.96 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1963}} |45||34||12||3||3||17||14||--||--||.548||994||247.2||219||15||53||4||9||112||3||0||97||74||2.69||1.10 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1964}} |52||32||17||'''5'''||4||18||16||--||--||.529||1040||262.0||238||15||39||2||6||119||2||0||79||65||2.23||1.06 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1965}} |52||'''40'''||13||6||'''5'''||21||12||--||--||.636||1008||258.0||206||12||52||2||'''12'''||121||2||0||80||70||2.44||1.00 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1966}} |40||'''35'''||21||6||5||21||8||--||--||.724||1108||282.0||231||11||53||11||7||134||0||0||70||63||2.01||1.01 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1967}} |33||33||16||'''5'''||'''3'''||17||8||--||--||.680||895||227.0||190||23||37||4||4||94||2||0||73||65||2.58||1.00 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1968}} |30||26||9||4||1||11||7||--||--||.611||654||162.0||147||19||40||3||6||83||0||0||63||55||3.06||1.15 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1969}} |20||19||5||1||1||4||5||--||--||.444||492||120.1||106||20||29||3||6||41||2||0||56||55||4.13||1.12 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1970}} |21||20||5||1||4||7||6||--||--||.538||475||118.0||111||13||16||3||2||50||0||0||42||39||2.97||1.08 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1971}} |5||0||0||0||0||1||0||--||--||1.000||41||9.0||12||1||1||0||1||0||0||0||6||5||5.00||1.44 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1974}} |style="text-align:center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]] |5||1||0||0||0||0||0||0||--||----||43||11.0||11||0||1||0||0||9||0||1||5||5||4.09||1.09 |- !colspan="2"|通算:11年 |359||271||112||36||28||141||88||0||--||.616||7841||1977.2||1678||140||383||37||61||936||14||1||649||565||2.57||1.04 |} === 表彰 === * [[最優秀新人 (日本プロ野球)|新人王]](1962年) * [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]最優秀投手賞:2回 ([[1966年の日本シリーズ|1966年]]、[[1967年の日本シリーズ|1967年]]) === 記録 === * [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場 4回(1963年、1965年 - 1967年) * [[ノーヒットノーラン]]:1回(1968年5月16日、対大洋ホエールズ戦、後楽園球場) ※史上39人目 === 背番号 === * '''15''' (1962年 - 1971年) * '''12''' (1974年) * '''86''' (1975年 - 1976年) === テレビ出演 === * [[土曜ワイド劇場]]「いのちある限り 燃えろ!熱球」(1977年、[[テレビ朝日]]) == 出典、脚注 == {{Reflist}} == 参考文献 == *[[澤宮優]]『後楽園球場のサムライたち 沢村栄治から城之内邦雄まで』 [[現代書館]] [[2006年]] ISBN 978-4768469286 *和田正樹 『房総白球伝 野球王国ちばの100年』[[崙書房]] 1992年 == 関連項目 == * [[千葉県出身の人物一覧]] * [[読売ジャイアンツの選手一覧]] * [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]] * [[ノーヒットノーラン達成者一覧]] {{Navboxes|title=業績 |list1= </span> {{日本シリーズ最優秀投手賞}} {{セントラル・リーグ新人王}} {{日本シリーズ第1戦先発投手 (セ・リーグ)}} {{読売ジャイアンツ開幕投手|読売ジャイアンツ}} }} {{DEFAULTSORT:しようのうち くにお}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:サッポロビール硬式野球部及びその前身チームの選手]] [[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]] [[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]] [[Category:セントラル・リーグ最優秀新人 (NPB)]] [[Category:野球指導者]] [[Category:野球解説者]] [[Category:千葉県出身の人物]] [[Category:1940年生]] [[Category:存命人物]]
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