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'''嘘つき解散'''(うそつきかいさん)は[[1993年]][[6月18日]]に行われた[[衆議院解散]]の通称<ref>朝日新聞 1993年06月23日 朝刊 3社 「何て呼ぼう? 命名乱立、今度の衆院解散(メディア)」</ref><ref>読売新聞 2003年10月12日 東京朝刊 解説 13頁 「総選挙は与党常勝? 政権交代、わずか2例(解説)」</ref>。 == 経緯 == 1993年[[5月31日]]に[[宮澤喜一]]首相が、ジャーナリスト・[[田原総一朗]]からインタビューを受けたテレビ番組『総理と語る』内において、「(今国会中に[[衆議院]]の[[小選挙区比例代表並立制#日本における導入の経緯|選挙制度改革]]を)やります。やるんです」と公約するも、[[自由民主党 (日本)|自民党]]内の意見をまとめきれずに次の国会へ先送りした事に野党が反発。[[通常国会]]閉幕直前に[[日本社会党]]・[[公明党]]・[[民社党]]が共同で[[内閣不信任決議|内閣不信任決議案]]を提出。衆議院の過半数を占める自民党の反対多数で否決されると思われたが、党内から造反者が続出して可決。内閣不信任決議可決は1980年以来13年ぶり、[[日本国憲法]]施行後4回目であった。 なお、内閣不信任案可決による衆議院解散はこの年が最後である。 この造反劇は、前年に党内最大派閥・[[経世会]]の会長・[[金丸信]]が[[東京佐川急便事件]]で逮捕された事に端を発している。金丸が去った後、派内人事や金丸の処遇を巡って、[[小渕恵三]]・[[橋本龍太郎]]・[[梶山静六]]らと、[[小沢一郎]]・[[羽田孜]]・[[奥田敬和]]・[[渡部恒三]]らとの対立が表面化し、[[竹下派七奉行]]による激烈な主導権争いを繰り広げた。最終的には派閥オーナーである[[竹下登]]の工作もあって、小渕が経世会会長に就任。小沢らは小渕派経世会を脱会して羽田を先頭に[[改革フォーラム21]](羽田派)を結成した。これによって党内最大派閥は完全分裂し、小渕派は党内第4派閥、羽田派は第5派閥に転落した。 そして、その後の[[党三役|党役員]]の人事にあたって、宮澤が小渕派を優遇し羽田派を冷遇した事で、羽田派は宮澤内閣に対して態度を硬化させる。羽田派は非主流派として、宮澤内閣に「[[政治改革4法|政治改革関連法案]]を絶対に通すべきだ」と強く迫り続けたが、結局、同法案は党内からの反対もあり廃案となり、これが羽田派の内閣不信任案へ賛成票を投じる結果に至った。羽田派に属していた[[船田元]]・[[中島衛]]の二閣僚も、それぞれ大臣の職を辞して不信任案に賛成票を投じた。自民党内閣への内閣不信任案採決の際に自民党議員が欠席・棄権した例は他にもあるが、不信任票を投じたのはこの時のみである。 宮沢内閣はこれを受けて衆議院を解散した。解散の際、[[櫻内義雄]]衆議院議長が「[[日本国憲法第7条|憲法第7条]]により衆議院を解散する」と[[衆議院解散#解散詔書|解散詔書]]を朗読した時、野党から「[[日本国憲法第69条|第69条]]ではないのか」と野次が飛んだ<ref>日本国憲法下での解散としては初の[[第2次吉田内閣]]の解散を除き、あとの3回([[第4次吉田内閣]]、[[第2次大平内閣]]、[[宮澤内閣]])について、内閣不信任可決を受けた解散でも「第7条により衆議院を解散する」と読み上げるのが慣例となっている。</ref>。朗読のあと、真っ先に「7条じゃないぞ!」と叫んだのは[[上田哲]]である(自著で紹介されている)。騒然とする議場は通例として行われる[[万歳]]三唱のタイミングを逸し、まとまった万歳がないまま前議員たちが退場する異例の幕切れとなった。 解散後、[[武村正義]]・[[田中秀征]]ら若手議員10人(うち武村、田中を含む8人は不信任案に反対票を投じていた)が、自民党を離党して[[新党さきがけ]]を結成した。羽田・小沢らは当初自民党を離党する気はなく、党内で改革運動を行うつもりであり、一連の不信任騒動を巡って逆に執行部を懲罰にかけるといった作戦を練っていたが、不信任に反対した武村らまでが離党したことにより方針を転換し、自民党を離党して[[新生党]]を結成した。自民党は過半数を大きく割り込んだ状況の中で[[第40回衆議院議員選挙]]を迎えた。 政治改革法案を巡って意見が対立した[[自由民主党総務会|自民党総務会]]では、若手議員が議事妨害を企み、[[労働争議#ピケット|ピケ]]を張る中、「人柱」役を買って出て総務会メンバーを中に入れようとした[[浜田幸一]]が実力を行使してピケ破りを図り、躓いて「この人殺しが」と叫ぶシーンがよくテレビで放映された。 「嘘つき解散」という名称がどのような経緯で誕生したのかは不明だが、解散当日に放送された[[テレビ朝日]]の『[[ニュースステーション]]』ではキャスターの[[久米宏]]が使用している。また、同日に公明党の[[神崎武法]]国対委員長が「首相がこの国会で必ず『改革を実現する』と言ってきたのに、やらなかったのだから、うそつき解散だ」と批判している<ref>朝日新聞 1993年06月18日 夕刊 2総 「野党、宮沢首相の政治責任をさらに追及 衆院解散・総選挙で」</ref>。 == 年表 == 以下、日付はいずれも1993年。 *[[6月14日]] 宮澤が自民党執行部の意向をうけて、開会中の第126[[通常国会]]での政治改革関連法案の成立を断念。 *[[6月17日]] 社会党、公明党、民社党が内閣不信任決議案を提出。自民党羽田派が不信任決議案に賛成の意向を表明。 *[[6月18日]] ** 昼頃から宮沢と羽田や櫻内との会談がもたれ、不信任を回避しようと協議されたものの不調。 **18:30 衆議院本会議が開会し、内閣不信任決議案が賛成255、反対220で可決。本会議は休憩に。 **20:30 臨時閣議を開き、衆議院の解散を決定。船田経済企画庁長官、中島科学技術庁長官が辞任したため、宮澤がこれらを兼任。 **22:00 衆議院本会議が再開。 **22:04 解散詔書が朗読され、[[日本国憲法第7条]]により衆議院が解散。 *[[6月21日]] 武村ら衆議院10人が離党して新党さきがけを結成。 *[[6月25日]] 羽田らが新生党を結成。 *[[7月18日]] 衆議院議員総選挙。自民党は過半数を回復できず。新生党、新党さきがけ及び前年に[[細川護煕]]が結成した[[日本新党]]の保守3新党が躍進した。社会党は歴史的大敗。 *[[7月29日]] 新生党の小沢代表幹事が提唱した[[非自民・非共産連立政権]]が合意し首相統一指名候補を細川とすることで一致。 *[[7月30日]] 宮澤総裁の辞意表明で行われた[[自民党総裁選]]で[[河野洋平]]が[[渡辺美智雄|渡邉美智雄]]を破り当選。 *[[8月5日]] 第127[[特別国会]]が召集。衆議院議長に[[土井たか子]]を選出。細川が首相に指名される。 *[[8月9日]] [[細川内閣]]が成立。 [[55年体制]]が崩壊し38年ぶりの政権交代が実現。 == 自民党議員の動向 == ※カッコ内に不信任案への賛否を示す。 ===離党、新生党に参加=== *羽田派 **(賛成)[[羽田孜]]、[[小沢一郎]]、[[奥田敬和]]、[[左藤恵]]、[[佐藤守良]]、[[渡部恒三]]、[[石井一]]、[[中島衛]]、[[愛野興一郎]]、[[愛知和男]]、[[船田元]]、[[熊谷弘]]、[[中西啓介]]、[[二階俊博]]、[[北村直人]]、[[畑英次郎]]、[[魚住汎英]]、[[仲村正治]]、[[金子徳之介]]、[[前田武志]]、[[粟屋敏信]]、[[古賀正浩]]、[[村井仁]]、[[井上喜一]]、[[岡島正之]]、[[井奥貞雄]]、[[高橋一郎 (衆議院議員)|高橋一郎]]、[[藤井裕久]]、[[星野行男]]、[[松田岩夫]]、[[杉山憲夫]]、[[岡田克也]]、[[増田敏男]]、[[松浦昭]](解散後、出馬せず引退)。計34人。 **(欠席)[[木村守男]] *無派閥 **(賛成)[[小沢辰男]] ===離党、新党さきがけに参加=== *河本派 **(賛成)[[簗瀬進]] **(反対)[[井出正一]] *三塚派 **(反対)[[武村正義]]、[[園田博之]]、[[佐藤謙一郎]]、[[渡海紀三朗]] *小渕派 **(反対)[[鳩山由紀夫]]、[[三原朝彦]] *宮澤派 **(反対)[[田中秀征]] **(欠席)[[岩屋毅]] ===その他の離党者=== *渡辺派 **(賛成)[[山口敏夫]]、[[笹川尭]]、[[石破茂]] **(欠席)[[小坂憲次]] *加藤グループ **(欠席)[[加藤六月]]、[[吹田愰]]、[[古賀一成]] **(反対)[[田名部匡省]]、[[山岡賢次]] *河本派 **(欠席)[[前田正]]、[[今津寛]] *小渕派 **(欠席)[[鳩山邦夫]] *無派閥 **(反対)[[西岡武夫]] ===不信任案に賛成・欠席したが自民党に残留した議員=== *渡辺派 **(賛成)[[大石千八]] **(欠席)[[山口俊一]]、[[光武顕]](解散後、落選し国政引退) *河本派 **(欠席)[[渡瀬憲明]]、[[赤城徳彦]]、[[山本有二]] ==別名== 別名として自爆解散、無責任解散、造反解散などがある<ref>読売新聞 1993年06月19日 東京朝刊 三面 03頁 「[社説]政治の危機を示す“自爆解散”」</ref>。 ==脚注== <references /> ==関連項目== *[[衆議院解散]] *[[内閣不信任決議]] *[[第40回衆議院議員総選挙]] *[[55年体制]] ==外部リンク== *[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/126/0001/12606180001034a.html 国会議事録] {{DEFAULTSORT:うそつきかいさん}} [[Category:衆議院解散|1993]] [[Category:自由民主党内の政治抗争]] [[Category:平成時代の政治]] [[Category:1993年の日本]]
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