コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
呼出のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
呼出
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{otheruses||日本の国会の慣行|議事進行係}} [[ファイル:Yobidashi.png|250px|thumb|呼出(服装)]] '''呼出'''(よびだし)とは、[[大相撲]]での[[取組]]の際に[[力士]]を呼び上げる「呼び上げ」や[[土俵]]整備から[[太鼓]]叩きなど、競技の進行を行う者。'''呼び出し'''とも書かれる。[[行司]]と異なり特に受け継がれている名跡はないが、力士・行司と違い、下の名前しかないことが特徴。 == 概要 == 呼出の元々の云われは[[上覧相撲]]の際に、次に土俵に上がる力士の出身地や[[四股名]]を披露する人がおり、「前行司」といって行司の役割に含まれる職種であった。 [[江戸時代]]以後に[[勧進]]相撲になり組織的な制度ができるにつれて独立した職種となった。'''「触れ」'''とか'''「名乗り上げ」'''と呼ばれた時代もあったが、[[享和]]年間([[1801年|1801]]~[[1804年]])になって'''「呼び出し」'''といわれるようになった(しかし、それ以前の[[寛政]]年間([[1789年|1789]]~1801年)の[[番付]]に「呼び出し」の文字が確認されている)。 現在の呼出の定員は45人、停年([[定年]]。以下同)は65歳。大相撲においては、力士、行司、[[床山]]と同様に各[[相撲部屋]]に所属する。 == 役割 == 呼出の主要な役割は、呼び上げ、土俵整備、太鼓叩きであるが、その他にも多種多彩な業務を行っている。 * 呼び上げ :土俵上で[[扇子]]を広げて、独特の節回しにより東西の力士を呼び上げる。初日から数えて奇数日は東方から先に、偶数日は西方から先に一声で呼び上げ、[[十両]]最後の取組および、片やが[[三役]]以上の力士の場合には二声で呼び上げる([[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]を除く)。奇数日の場合、一声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~」、二声は「ひ~が~し~、琴~×~×~、琴~×~×~、に~し~、○~○~やま~、○~○~やま~」となる。 * 土俵整備 :[[本場所]]・巡業・各部屋の土俵造り、取組の合間にほうきで土俵を掃き清める、乾燥する土俵への水打ち、[[力水 (相撲)|力水]]・力紙・塩・タオルの補充と管理、全取組終了後に仕切り線を書くなど。 * 太鼓叩き :触れ太鼓(初日の取組を触れ歩きながら打つ太鼓)、寄せ太鼓(本場所の早朝に打つ太鼓)、はね太鼓(本場所の全取組の終了後に打つ太鼓)など。触れ太鼓の口上は、「相撲は明日が初日じゃぞぇ~、琴~×~×~には、○~○~やま~じゃぞぇ~、ご油断では詰まりますぞぇ~」となる。 * [[拍子木|拍子柝]]打ち :[[土俵入り]]、[[横綱土俵入り]]、土俵の進行などの合図など。 * [[懸賞 (相撲)|懸賞金]] :懸賞幕をもって土俵を一周する、懸賞金を行司に渡すなど。 * 力士の世話 :座布団を交換する、時間制限を伝える、水桶の横にてタオルを渡すなど。 * [[勝負審判|審判委員]]、行司の世話 :審判委員の座布団交換、ひざ掛けの世話、顔触れ言上の介助など。 * 役員室、相撲部屋の雑務 現在では全員が呼び上げを行っているが、古くは分業制で、呼び上げ専門の呼出もいれば、他の仕事を専門とする者、つまり「呼出と名がつくものの、呼び上げない呼出」もいた。現在のように全員が呼び上げを行うようになったのは、1965年(昭和40年)からである。また、呼び上げのときの声の通り具合や声量は評価の対象ともなっている。 == 呼出の階級 == 大相撲において、呼出の番付制が導入されたのは[[1994年]](平成6年)7月場所からで、以下の9階級となる。それまでの階級は、1等から5等までの等級制であった。それと同時に本場所における場内アナウンスでも紹介されるようになった。 現在は十両呼出以上の名前が番付に書かれており、それ以前は[[1949年]](昭和24年)5月場所から[[1959年]](昭和34年)11月場所までの10年間、呼出が番付に掲載された(番付には'''「呼出し」'''と書かれた)。初めて呼出として番付に掲載された者は太郎、夘之助、栄次郎、源司、安次郎、栄吉、福一郎、小鉄、徳太郎、茂太郎、粂吉、松之助、寅五郎、雄次、多賀之丞、島吉の16人。 === 現在の階級 === 9階級の役責に分類され、行司の階級と違い、幕内格、十枚目格といった「格」という名称は用いない。 * 立呼出 * 副立呼出 * 三役呼出 * [[幕内]]呼出 * 十枚目呼出 * [[幕下]]呼出 * [[三段目]]呼出 * [[序二段]]呼出 * [[序ノ口]]呼出 力士・行司はすべての階級が番付に表記されているが、呼出は十枚目呼出以上が番付表に表記されていて幕下呼出以下は番付表に表記されない。 また、幕下格以下の行司と同様、幕下呼出以下は本場所の取組における場内アナウンスでの紹介は行われていない。ただし、[[千秋楽]]の幕内土俵入りの前に行われる十枚目以下各段の優勝決定戦では、幕下格以下の行司・幕下呼出以下でも「呼出は○○、行司は木村(式守)○○、○○(階級)優勝決定戦であります」との場内アナウンスが行われる。 基本的にはほぼ年功序列であるが、昇格のときに地位の追い抜きが発生することもある。例えば、1999年1月場所から2000年11月場所までは次郎と克之の序列が現在と入れ替わっていた。 なお階級とは別に、[[行司]]の[[松翁 (行司)|松翁]]に相当する名誉称号として[[松扇]]が制定されているが、これまで1人も出たことがない。 ===昇格規定=== * 三役呼出以上(立呼出:1人、副立呼出:2人以内、三役:4人以内) ** 勤続40年以上で成績優秀な者、または勤続30年以上40年未満で特に優秀な者。 * 幕内呼出(8人以内) ** 勤続30年以上で成績優秀な者、または勤続15年以上30年未満で特に優秀な者。 * 十枚目呼出(8人以内) ** 勤続15年以上で成績優秀な者、または勤続10年以上15年未満で特に優秀な者。 == 装束 == * 着物 - 「紀文」([[紀文食品]])、「なとり」([[なとり]])、「[[スギヨ]]」など広告が入る場合がある。 * [[袴#裁付|裁付袴]](たっつけばかま) * 足袋 * 扇子 ==呼出一覧== ===現役の呼出=== 2014年1月場所現在 {| class="wikitable" !階級!!名前!!所属部屋 |- |立呼出||[[秀男_(呼出)|秀男]]||[[伊勢ヶ濱部屋|伊勢ヶ濱]]→[[桐山部屋|桐山]]→[[朝日山部屋|朝日山]] |- |副立呼出||[[拓郎 (呼出)|拓郎]]||[[三保ヶ関部屋|三保ヶ関]]→[[春日野部屋|春日野]] |- |rowspan="3"|三役呼出||[[次郎 (呼出)|次郎]]||三保ヶ関→春日野 |- |[[克之 (呼出)|克之]]||[[放駒部屋|放駒]]→[[芝田山部屋|芝田山]] |- |[[志朗 (呼出)|志朗]]||[[押尾川部屋|押尾川]]→[[大嶽部屋|大嶽]] |- |rowspan="7"|幕内呼出||重夫||[[九重部屋|九重]] |- |吾郎||押尾川→大嶽 |- |幸吉||[[大鳴戸部屋|大鳴戸]]→桐山→[[友綱部屋|友綱]] |- |旭||[[大島部屋|大島]]→友綱 |- |隆二||[[宮城野部屋|宮城野]] |- |琴三||[[佐渡ヶ嶽部屋|佐渡ヶ嶽]] |- |[[琴吉 (呼出)|琴吉]]||佐渡ヶ嶽 |- |rowspan="10"|十両呼出||大吉||[[東関部屋|東関]] |- |照喜||[[安治川部屋|安治川]]→伊勢ヶ濱 |- |幸司||桐山→朝日山 |- |利樹之丞||[[高砂部屋|高砂]] |- |光昭||[[鳴戸部屋|鳴戸]]→[[田子ノ浦部屋|田子ノ浦]] |- |邦夫||[[若松部屋|若松]]→高砂 |- |松男||[[松ヶ根部屋|松ヶ根]] |- |弘行||[[峰崎部屋|峰崎]] |- |禄郎||押尾川→[[尾車部屋|尾車]] |- |正男||[[花籠部屋|花籠]]→峰崎 |- |rowspan="7"|幕下呼出||悟||[[荒磯部屋|荒磯]]→松ヶ根 |- |太助||[[北の湖部屋|北の湖]] |- |重太郎||九重 |- |富士夫||安治川→伊勢ヶ濱 |- |啓輔||芝田山 |- |陽平||[[出羽海部屋|出羽海]] |- |総一||[[二十山部屋|二十山]]→北の湖 |- |rowspan="5"|三段目呼出||照矢||[[間垣部屋|間垣]]→伊勢ヶ濱 |- |護||[[時津風部屋|時津風]] |- |駿佑||[[玉ノ井部屋|玉ノ井]] |- |耕平||[[高島部屋|高島]]→[[春日山部屋|春日山]] |- |悠斗||[[立浪部屋|立浪]] |- |rowspan="5"|序二段呼出||貴大||大嶽 |- |節男||[[錣山部屋|錣山]] |- |直起||[[木瀬部屋|木瀬]]→北の湖→木瀬 |- |竜||[[八角部屋|八角]] |- |慎||[[陸奥部屋|陸奥]] |- |rowspan="6"|序ノ口呼出||海人||九重 |- |誠之||[[伊勢ノ海部屋|伊勢ノ海]] |- |鶴太郎||[[錦戸部屋|錦戸]] |- |大将||北の湖 |- |幹夫||千賀ノ浦 |- |俊太朗||友綱 |} ===引退した主な呼出=== <div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;明治・大正の名人 *多賀之丞 ;頭 *太郎 ;立呼出 * [[寛吉_(呼出)|寛吉]](2008年6月7日死去、享年77) * [[兼三_(呼出)|兼三]] * [[米吉_(呼出)|米吉]] * [[康夫_(呼出)|康夫]] ;副立呼出 * [[善三郎_(呼出)|善三郎]] * [[栄太呂_(呼出)|栄太呂]](2012年1月2日死去、享年74) * [[三平_(呼出)|三平]] ;三役呼出 * [[永男 (呼出)|永男]](2012年4月14日死去、享年82) * 政弘 * 長八 * 勝己 * 琴二 ;幕内呼出 * 幸太郎 * 安伍朗 ;十両呼出 * 勲 * 秀行 </div><div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;"> ;幕下呼出 * 和也 ;三段目呼出 * 友太郎 * 進介 * 新太郎 ;序二段呼出 * 祥吉 * 鶴吉 * 太郎太 * 扇太郎(2008年6月19日死去、享年25) ;序ノ口呼出 * 英二、正平、[[ソフト今井|大輔]]、直樹 * 信男、春樹、敏行、一朗 * 卓也、圭祐、孝、玉吉 * 栄次郎、一郎、誠一、謙一 * 清吉、隆一、春輝、和歌吉 * 風人、慎平、琴朗、友也 * 三豊、友輔、陸、誠佑 </div><br style="clear: left;" /> ==呼出し太郎伝== [[1888年]]、[[本所 (墨田区)|本所南二葉町]](現在の[[墨田区]][[亀沢]])の[[人力車|俥屋]]の長男に生まれた。本名:戸口貞次郎。すぐ隣が[[大関]][[朝汐太郎 (初代)|初代朝汐太郎]]の家だったこともあり、相撲の盛んな町に育った。その朝汐の口利きで[[1898年]]、11歳のとき呼出親分の勘太郎の弟子となり、朝汐にあやかって「太郎」の名をもらう。入門5年目に[[小結]][[源氏山頼五郎]]以下40余名の脱走事件があり、そのとき太郎も一緒に飛び出している。これが苦労の始まりで、いろいろ地方を渡り歩く長い放浪時代もあり、無謀なことも数々やったが、やがて[[大坂相撲]]に縁ができ、呼出として再起。大坂相撲の呼出は満足に太鼓を叩ける者がおらず、太郎はにわかに頭角を現すこととなる。ここで行司の木村金八(後の木村錦太夫、[[木村庄之助 (22代)|22代木村庄之助]])と知り合い意気投合、生涯の交遊が始まる。大坂相撲時代、巡業先で太鼓を[[質屋|質]]に入れたため、宿でカラの醤油樽を借りて叩いたが、仲間の内誰も気がつかなかったという。その後、昭和時代の幕開けとともに、東京と合併。太郎は大坂の呼出を全員東京に売り込んで男を上げた。親分の下地はそのときからで、太鼓も東京の呼出の誰にも負けなかったという。停年退職した[[1960年]]まで63年間を貫き、「太鼓の名人」「相撲界の名物男」「呼出の親分」として知られた。また[[両国 (墨田区)|両国]]の自宅を長年[[記者クラブ|相撲記者クラブ]]に解放し世話係を務め(停年後も続けていた)、確固たる地位を築いた。この頃はもう[[櫓]]に上がることはなかったが、[[花相撲]]のおりの「太鼓の打ち分け」はまさに圧巻、独壇場の名人芸だったという。[[1952年]]1月に行われた[[巣鴨拘置所]]、[[A級戦犯]][[慰問袋|慰問]]大相撲で「太鼓の打ち分け」を披露し、[[荒木貞夫]]、[[鈴木貞一]]、[[畑俊六]]ら10人の[[旧日本軍]]の重鎮、[[軍閥]]の連名からなる礼状が届けられた。所属が角界一の大部屋[[出羽海部屋]]ということも幸いし、[[出羽海]](元横綱[[常ノ花寛市|常ノ花]])、[[春日野]](元横綱[[栃木山守也|栃木山]])の両取締とは気軽に口の聞ける立場にあった。16人の呼出の名前が初めて載った[[1949年]]5月場所前、太郎は協会で取締に「呼出も番付の隅っこに名前を載っけて欲しい」と請願したことがきっかけで、[[世話人]]とともに番付に掲載されることになった。これは[[1959年]]11月場所、太郎が停年退職する直前まで10年間続いた。[[1969年]][[11月3日]]、秋の叙勲で[[勲等|勲六等]][[旭日章|単光旭日章]]を受章。相撲界では初めて生存者叙勲の光栄に浴した。[[1970年]][[1月8日]]には[[出羽ノ花國市|武藏川]]理事長、[[栃錦清隆|春日野]]審判部長をはじめ180人が出席し祝賀会が挙行された。席上、[[高橋義孝]][[横綱審議委員会|横綱審議委員]]は「醤油樽叩いてもらう勲六等」の句を披露し祝福した。[[1971年]][[3月3日]]、83歳で逝去。 ==エピソード== *[[1911年]](明治44年)2月場所2日目、[[小結]][[鳳谷五郎_(横綱)|鳳]] - [[大関]][[西ノ海嘉治郎 (2代)|2代西ノ海]]戦は行司の軍配は鳳に挙がったが、呼出の金次郎はこの相撲に[[物言い]]がついたとは知らず、「ニィーシ、[[千年川佐兵衛|千年川]]、ヒガーシ、[[常陸山谷右エ門|常陸山]]」と美声を張り上げたが、[[勝負審判|勝負検査役]]に注意されてすごすごと引き下がった。 *戦後から[[1960年代]]前半に、館内の隅々までよく通る美声の呼び上げで名を馳せた小鉄が、昔旅の汽車の中である[[横綱]]から[[ミカン]]をもらい無理矢理食べたところ、途端に声が出なくなり、後の巡業に差し支えたことがあったという。東京本場所の時取材のため、宿を取っていた[[小島貞二]]が小鉄を招き入れミカンを出したところ「とんでもない!」と言って小鉄は見えないところにミカンを隠したという。小島はタバコとミカンが好物で、タバコの煙は悪いと知っていたつもりが、まさかミカンが悪いとまでは知らなかったという。小鉄はその後、[[1961年]](昭和36年)1月に停年を迎え引退となるが、本人やファンの希望で“現役”を2年延長され、[[1963年]](昭和38年)1月場所千秋楽([[1月27日]])が最後の勇姿となった。 == 参考文献 == * 木村政勝『古今相撲大全』宝暦13年 * 福寿軒序「珍作鸚鵡石」安永6年(活字本:武藤禎夫編「おとしはなし珍作あふむ石」、古典文庫、平成3年) * 子明山人「相撲今昔物語」天明5年(活字本:国書刊行会(朝倉夢声か)編「新燕石十種」第4、国書刊行会、大正4年) * 成島峰雄「相撲の私記」寛政3年 * 松浦静山「甲子夜話」文政4~天保12年(活字本:中村幸彦・中野三敏校訂「甲子夜話」平凡社東洋文庫、平凡社、昭和52~58年) *綾川五郎次「一味清風」大正3年(復刻:ベースボールマガジン社、昭和60年) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> ==関連項目== *[[相撲用語一覧]] == 外部リンク == * [http://www.sumo.or.jp/sumo_data/kyokai_member/yobidashi 呼出一覧] - 日本相撲協会 {{相撲}} {{DEFAULTSORT:よひたし}} [[Category:大相撲]] [[Category:呼出|*]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:相撲
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:脚注ヘルプ
(
ソースを閲覧
)
呼出
に戻る。
検索
検索
呼出のソースを表示
話題を追加