コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
吉野敬介のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
吉野敬介
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{独自研究|date=2013年5月13日 (月) 17:10 (UTC)}} {{記事名の制約|title=[[画像:Tsuchiyoshi.svg|18px]]野 敬介|disablerealtitle=yes}} '''吉野 敬介'''(よしの けいすけ、[[1966年]][[6月25日]] - )は、[[日本]]の[[予備校]][[講師 (教育)|講師]](古文)。[[東進ハイスクール]]客員講師([[2008年]] - )。元[[代々木ゼミナール]]講師(1991年 - 2007年1月)。元[[札幌大学]]客員教授(2009年4月 - 2010年3月)。 == 人物 == [[神奈川県]][[鎌倉市]]出身。[[逗子開成高等学校]]を経て、[[國學院大學]][[文学部]]二部文学科卒業<ref>國學院大學学報平成3年3月10日第4面(縮刷版第4巻1839頁)における新卒業生氏名一覧で、「文学部(二部) 文学科」の欄、1組の20番目(当該第4面の最下部の段落、いちばん左の行)に「吉野敬介」(ただし「吉」は「士」の部分が「土」)という記載がある。また、吉野の大学時代の友人として著書に登場するTとY(著書ではフルネームで実名)も、同じ学報において文学部二部の1組と3組にそれぞれ名前の記載がある。</ref>。[[1991年]]に代々木ゼミナール講師となる。[[授業]]の特徴として、[[雑談]]の時間を取ること<ref>長いときで30分を超える場合もあった(代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文(読解編)第12回』)。</ref>と、[[言葉]]の繰り返しが多いことが挙げられる<ref>繰り返しの理由について、本人は「特に女子校出身の女の子は、男言葉になれていないものだから一回聞いただけじゃ、何を言ってるのか理解できない。だから二、三回繰り返す」と述べている(『さらば』93頁、『自分で決められない!』95頁、『砂漠』84頁)。</ref>。 講師になって間もなく[[日本テレビ]]『[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]』に下記の経歴を伴って定期的に出演し、全国的に有名となる。同時に、講師1年目と3年目に出版した自伝風の著書が売れ、[[Vシネマ]]化されるほどであった。その後も、[[1990年代]]はテレビの[[バラエティ番組]]<ref>『[[ウンナンの桜吹雪は知っている]]』や『[[EXテレビ]]』など。</ref>に出演、[[2000年代]]以降は出版活動が目立つようになる。[[2002年]]、授業中に生徒を殴り傷害容疑で書類送検された<ref>毎日新聞2002年7月10日夕刊第9面</ref>。[[2006年]]、[[杉村太蔵]]のブログが自著の内容に酷似していたとして、「杉村さんは確信犯じゃないか。顔出せ」<ref name="sugimura">http://www.nikkansports.com/general/p-gn-tp0-20060523-35673.html(日刊スポーツ2006年5月23日。リンク切れ)</ref>と怒ったことが話題となった。 [[2007年]][[1月31日]]付で代々木ゼミナール退職。その際[[参議院選挙]]への出馬の可能性を報道され、本人も意欲を見せていたが、結局出馬しなかった<ref>[[2007年]][[2月1日]]日刊スポーツ</ref><ref>本人によると、「当時の安倍内閣はいろんな問題が噴出して、おれが代ゼミを辞めたときには支持率はガタガタになっていた。そんな逆風の中、いろいろ検討した結果」であるという(『大好きに』164頁)</ref>。同年、個別指導の吉野塾を設立。自身の[[ノウハウ]]を伝えたアルバイト学生に指導させる方針であったため、自身は講師業から退く形となったが、[[2008年]]より東進ハイスクールで復活し、同年には芸能プロダクション([[生島企画室]])とも業務提携を結んだ<ref>http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080707-380709.html</ref>(現在は解消)。他方で吉野塾での活動も継続し、士気を上げるとの方針で校舎を港区で家賃が月40万円のマンション21階に構え<ref>『大好きに』98頁、『吉野塾』81頁</ref>、[[2009年]]には塾の学習方針を伝える著書も出版した。その後、[[2010年]]10月に校舎を[[代々木上原]]に移転した。移転後は2年以上にわたって「準備中」とHPに表記されていたが、[[2013年]]3月に完全紹介制に移行したとしてHPによる募集を中止した。現在はHP自体が削除されている。 講師業以外にも、自己啓発本・教育論も執筆するほか、教育評論家として[[教育機関]]での講演活動も行っており、地方公共団体主催の講演においても下記の経歴が称されている<ref>http://www.city.unnan.shimane.jp/kyouiku/iinkai00-00115.html</ref>。個人ブログも開設しているところ、講演・公開授業ではほぼ毎回大成功に終わったなどの内容になっており、これらは大筋の内容を先に書いているという<ref>『砂漠』197~198頁</ref>。ネット上での自己に関する書き込みに対しては、「匿名で一方的に文句をたれるというのは、卑怯者のすることだ。(中略)一方的に文句をたれているだけのようなヤツは、相手にするつもりはない」<ref>『ルーキーズ勝利学』133頁</ref>「そんなヤツらをまともに相手にしたら、自分がそいつらと同レベルに落ちてしまうだけだ」<ref>『頑張れないヤツ。』143頁</ref>との立場を貫いている。 [[2014年]]に[[佐村河内守]]が話題になった際、[[ジャーナリスト]]の[[角田裕育]]によってその経歴について吉野との類似点が指摘された<ref>http://blog.livedoor.jp/abudala777/archives/51784499.html</ref>。 == 著作物 == 著書は学習参考書と自己啓発本が中心。自己啓発本は吉野自身の経験を引き合いに出して書かれているが、そこではおおむね'''暴走族の特攻隊長であった高校時代を経て、卒業後に中古車販売店で働くも20歳の9月に失恋を機に大学受験を決意し、たった4か月間で国語の偏差値を25から86に上げて大学に合格。大学卒業後は代々木ゼミナール採用試験に史上最年少・最高得点で合格し、以後トップ講師として100万人以上を教えてきた'''という経歴が示され<ref>各著書のカバー部分の略歴参照。 http://smpy.jp/%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B/ にも同様のプロフィールがある。</ref>、2014年現在も同様のプロフィールで活動している<ref>『吉野式古典文法スーパー暗記帖 完璧バージョン』(2014年)カバー部分における経歴参照</ref>。しかし、以下で示すように、経歴の内容が著書や授業中の発言ごとに変化しており、喫煙姿の写真や使った教科書・参考書などの写真は載せてあるものの、暴走族姿の写真や模試の成績表など経歴を裏付ける資料は載せていない。以下、カギ括弧内は著作からの引用。ただし算用数字に統一し、中略部分はその旨表示。 === 受験勉強について === *20歳の[[9月20日]]('''1986年9月20日''')に受験を決意して4か月で国語の偏差値を25から86に上げて大学に合格したという肩書きであるが、著書の中には、'''1986年1月1日(高校卒業10か月後、大学合格の1年以上前)の日付'''がついた写真でこたつで勉強している姿が載っているものがある<ref>『やっぱりおまえは』25頁(同著は、1991年の著書を加筆・修正のうえ出版社を変えて1998年に文庫本化したものであるところ、元は当該写真はズームしたもので日付部分は載っていなかったが、文庫本化後は写真全体が載っており日付部分が現れた)。</ref>。また、当初の偏差値が28と記している著作もある<ref>『よく聞け』54頁</ref>。 *「受験勉強を始めた時、まったく現代文がわからなかった。(中略)朝の2時間。俺は朝日新聞の社説をノートに書き写していった。(中略)4カ月間、毎日必死にそれを続けたんだ。(中略)その時のノートをいまだに捨てずに取ってあるよ」<ref>『吉野塾』77~79頁</ref>と述べて、当該ノートの見開き写真を載せている著書が複数あるが、'''ノート左上に書いてある日付'''が1991年の著書<ref>『おまえはバカじゃない』51頁</ref>では'''昭和58年4月15日'''、1998年の著書<ref>『やっぱりおまえは』53頁</ref>では'''昭和58年4月30日'''であり、いずれも吉野が'''高校2年生のときの日付'''である(いずれも日付は不鮮明だが、書き写されている内容がその日の朝日新聞の社説と一致)<ref>もっとも、毎朝続けた旨の記述はほかの著書でもある(『何のために』162頁)一方で、図書館で古い新聞を写したと記述している著書(『おまえはバカじゃない』86頁、『やっぱりおまえは』91頁)もあり、後者であれば古い日付でも矛盾しない</ref>。 *受験勉強を始めたきっかけについて、当初は概ね、“'''8月'''、給料が30万円を超えたので別れた彼女に久々に電話したが、大学くらい行ってくれないとと言われてとりあえず大学受験を決意 → 元家庭教師に私塾を紹介してもらい通うが授業が分からない → 一度は大学を諦める → 「忘れもしない'''9月20日'''」<ref>『やっぱりおまえは』27頁</ref>に再度電話するも彼女の態度は変わらず、専修大学に通っている現在の彼氏の話をされる → '''9月21日'''、彼女とその彼氏が車に同乗しているところを目撃して受験を決意”<ref>『おまえはバカじゃない』22~28頁、『やっぱりおまえは』23~28頁、『だからおまえは』31~36頁、『だからおまえは決定版』33~39頁</</ref> というものであったが、別の機会では、“'''9月19日'''、10カ月ぶりに別れた彼女に電話して給料が上がったことを告げるとやり直そうかと言われた→ 彼女曰く専修大学の彼氏とは別れたが今日は女友達と泊まるかもしれないので今からは会えないということで翌日会うことに → '''9月20日'''、待ち合わせ時間の直前に彼女と大学生の彼氏が車に同乗しているところを目撃して受験を決意 → '''同20日'''、元家庭教師に電話して私塾を紹介される”<ref name="tvnet1"/>と発言しており、日付や時系列が変化している。 *複数の著書で、9月23日の模試では国語の偏差値が25で'''12月17日の全国総合模試(代ゼミの模試<ref name="tvnet1"/>)は86'''で全国3位と述べられている<ref>『おまえはバカじゃない』28・46~47頁、『やっぱりおまえは』29・48頁、『だからおまえは』98頁、『だからおまえは決定版』46頁</ref>が、模試の成績表は示されておらず、そもそも'''1986年12月17日は平日(水曜日)であり、代々木ゼミナールで模試は開催されていない'''<ref>1986年12月に開催された代々木ゼミナールの模試は、12月6日・7日に東大模試、12月14日に共通1次プレテスト、12月21日に第6回全国総合模試、12月31日に南山大模試である(蛍雪時代1986年11月臨時増刊号A197頁の代々木ゼミナールの広告より)。</ref>。また、これ以外に、最後の国語の偏差値について'''旺文社の模試で92、駿台の模試<ref>厳密には、名前を出してはいけないと言って、「んんだい」と表現している。</ref>で87~88'''を取った<ref name="tvnet1">代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第1回』</ref>とも発言しているが、吉野が受験生だった年の'''旺文社と駿台の私大型全国模試は11月9日と11月16日に終了'''している<ref>1986年の旺文社の模試は、11月9日の「第5回全国模試」と11月30日の「共通1次最終模試」が最後である(蛍雪時代11月号23頁直前の広告より)。また、同年の駿台の全国模試は、11月2日(共通一次型)と11月9日(二次私大型)に「公開全国模試」があり、11月16日に「私大全国模試」があるのが最後で、残りは11月30日に早大模試、12月に東大・京大・東工大・一橋大の各模試があるだけである(蛍雪時代11月号210頁直後の駿台予備校の広告より)。</ref>。これに対して、1991年の著書では「11月の模試では、国語が65」<ref>『おまえはバカじゃない』82頁、『やっぱりおまえは』88頁</ref>と述べていた。 *1日の勉強時間について、90年代、「'''22時間'''」<ref name="bishou">微笑(祥伝社)23巻4号(1993年2月2日発売)61頁</ref>および「'''20時間は勉強'''」<ref>『おまえはバカじゃない』32頁、『やっぱりおまえは』34頁</ref>と表現していたが、2006年の著書では「'''一日20時間勉強した日も少なくない'''」となり<ref>『よく聞け』123頁</ref>、2008年の著書では「'''一日20時間近い日もあった'''」という表現になっている<ref>『頑張れないヤツ。』28頁</ref>。また、連続で寝なかった時間についても、'''86時間'''<ref name="bishou"/>と書かれているものと'''70時間'''<ref>『だからおまえは』41頁、『だからお前は落ちるんだ、やれ!決定版』43頁</ref><ref>『おまえはバカじゃない』43頁、『やっぱりおまえは』44頁</ref>と書かれているものがある。 *大学受験を決意したときには小学校で扱う内容のことも知らなかったことが書かれている(例「『ミナモトノヨリトモ?誰ですか、それ』『1192年?何かあったんですか』。ふざけているわけじゃなく、ほんとうに知らないのだ」<ref>『だからおまえは』38頁</ref>)が、2008年の著書には「小学校のときは天才と言われていた」<ref>『驚くほど』15頁</ref>、2009年の著書にも「小学校までオレはものすごく成績が良かった。クラスのいちばんっていえば、オレか、もしくはその藤田って、まあそういう関係だった」として小学時代には成績が良く中学受験(栄光学園と述べている<ref>http://smpy.jp/%e5%90%89%e9%87%8e%e6%95%ac%e4%bb%8b/2/</ref>)をしたエピソードがある<ref>『だからおまえは決定版』230頁</ref>。 *著書で、12月の最終模試が終わっても学力が伸びることを述べる際、自身の学力について「12月の時点で、日本史の偏差値は55。(中略)最後の模試といったって、それで終わりじゃない。そこからが勝負だ。今から思えば、もし2月に模試を受けていたら、日本史も偏差値75は超えていたはずだ」<ref>、『だからおまえは』44頁、『だからおまえは決定版』47頁</ref>と'''仮定に基づいて推測していた'''が、別の機会では「日本史なんか、最後75までいった」<ref name="tvnet10"/>「日本史もね75,6はいったんだよね、最後」<ref name="tvnet1"/>と発言するなど'''既成事実になっている'''。なお、「日本史は、安土桃山時代はあまり出ないから教科書くらいしかやらなかった」とも述べている<ref>『吉野塾』137頁</ref>。 *上記の12月17日の模試で国語が全国3位だったと書かれている<ref>『だからおまえは』44頁、『大好きに』46頁</ref>が、最近の著書では「生まれて初めて書いた小論文が全国で3番だった」<ref>『何のために』163頁</ref>とも書かれている。 *1月15日の成人式のパーティに参加せず勉強したというエピソードに関して、90年代の著書では「アキノブの家に行って、パーティのことを忘れるように、ただ勉強に打ち込んだ」<ref name="seijin">『おまえはバカじゃない』48頁、『やっぱりおまえは』49頁</ref>「15日には、オレはパーティのことを忘れるために、塾で友だちになった伊藤章伸のところで勉強することにした」<ref name="seijin2">『だからおまえは』49頁、『だからおまえは決定版』52頁</ref>と'''友人宅で過ごしていた'''内容であったが、2008年の著書では「おれは成人式に行くのをやめた。(中略)近くの図書館に向かった。(中略)夜の8時まで図書館にいて家に帰った」<ref>『大好きに』70頁</ref>と'''図書館で過ごしていた'''内容に変化している。また、パーティに行かなくて済むように破ったというスーツに関しても、'''30万円'''と書かれているもの<ref name="bishou"/>と'''20万円'''と書かれているもの<ref name="seijin"/><ref name="seijin2"/>があり、さらに、90年代の著書では「'''1月14日'''、前日になってふと考え込んでしまった。(中略)オレは20数万円のスーツをビリビリに破いて燃やしてしまった」<ref>『おまえはバカじゃない』46~47頁、『やっぱりおまえは』48~49頁</ref>「'''1月14日'''、20万円の新調のスーツをズタズタに引き裂く」<ref>『だからおまえは』47頁、『だからおまえは決定版』50頁</ref>と書かれていたが、2007年の著書では「'''1月15日'''に、おやじとおふくろにダーバンのスーツを買ってもらった。(中略)気がつくと、オレはおやじとおふくろが買ってくれたスーツをハサミでズタズタに切っていた」<ref>『今日から始める』74頁</ref>と書かれており、1月14日時点でそのスーツは持っていなかったことになっている。さらに、スーツを調達した日についても、別の著書では「スーツも20万円ほどするような高級品を'''数カ月前から新調'''していた」<ref>『いつ変わるんだ』221頁。</ref>と変化している。 *著書では「国学院や明治の場合、合格最低ラインは190点から高くても200点くらいだと思うが(中略)日本史で90点以上は取れると思っていたし、国語では絶対に95点以上いくと思っていた。そうすると、2科目で190点くらいにはなるので、英語でほんの少し加えれば大丈夫という計算ができた」<ref>『おまえはバカじゃない』94頁、『やっぱりおまえは』99頁</ref>と書かれているが、吉野が受験した年の国学院(文・二部・文学科)の合格最低点は125点であり<ref>國學院大學学報昭和62年5月10日第3面(縮刷版第4巻1641頁)</ref>、そこまでの得点は必要ではない。 === 大学について === *90年代の著書では「'''立教'''・'''明治'''・'''法政'''ババババーっと合格の嵐だ」<ref>『やっぱりおまえは』63頁</ref>「立教の文B(小論文の試験)を受かった」<ref>『やっぱりおまえは』99頁</ref>「実際、'''学習院'''、明治、法政(すべて文学部の日文や国文)など、国学院よりも偏差値が高く、有名な大学にも受かった」<ref>『やっぱりおまえは』102頁</ref>「まだ早稲田の入試が残っている」<ref>『だからおまえは』136頁、『だからおまえは決定版』154頁</ref>「'''オレは8校受けた'''が、'''全部文学部'''だった」<ref>『おまえはバカじゃない』98頁、『やっぱりおまえは』103頁</ref>との記述があり、さらに「'''オレは結局、すべての大学に受かっていたのだ'''」<ref>『だからおまえは』136頁</ref>と、受験した8校すべてに受かったかのような記述がある。ほか具体的な大学名として、'''中央大学'''<ref>http://202.255.60.170/Blog/Blog/maruzen05/P/4173.aspx (丸善インタビュー。リンク切れ)</ref>と'''日本大学'''<ref name="tvnet10">代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第10回』</ref>にも合格した旨を公言している。しかし、最近の著書では、早稲田大学や専修大学の受験に失敗した記述があったり<ref>『大好きに』47頁</ref>、「3校に合格した」<ref>『いつ変わるんだ 』188頁</ref>との記述になったほか、上記の著書の2009年の改訂版では、「'''オレは結局、ほとんどの大学に受かっていたのだ'''」という記述に変わっている<ref>『だからおまえは決定版』154頁</ref>。なお、他大学の合格証書について、受験のきっかけとなった元交際相手の前で破った旨を述べている<ref>『吉野塾』86頁</ref>。 *くわえて、'''志望校決定時には「迷わず国学院を第一志望に決めた。それ以外では、明治や学習院などを受けることにした」という記述があり<ref>『だからおまえは』45頁、『だからおまえは決定版』48頁</ref>、国学院(文・一部)と学習院(文)の両方に合格したことになっている'''<ref>本文にあるように、学習院に関しては、すべて文学部を受験したという記述と、学習院に合格したとの記述がある。国学院に関しては、すべて文学部を受験したとの記述のほか、「国学院の試験を受け終わった直後、オレは血を吐いて倒れた。(中略)まだ早稲田の入試が残っている」との記述がある(『だからおまえは』136頁、『だからおまえは決定版』154頁)ところ、吉野が受験した年の入試日は国学院(文・一部)、早稲田(一文)、早稲田(二文)、国学院(文・二部)の順序であるため、国学院(文・一部)が前提とされている。ほか、本文にあるように、2月に国学院に合格した旨の記述があるところ、二部の合格発表は3月であるため、国学院(文・一部)が前提とされている。</ref>が、そもそも'''1987年の国学院(文・一部)と学習院(文)'''(二部は存在せず)'''の入試日はともに2月17日であるため<ref name="asahi">朝日新聞1986年11月7日中面「'87私立大学案内」</ref>両方を受験することは不可能である'''。さらに、'''吉野が大学に入学した1987年の逗子開成高校も、学習院大学の合格者が0人であると発表している'''<ref>晶文社出版編集部編「高校受験案内首都圏昭和63年度用」(晶文社出版)768~769頁、声の教育者編集部編「高校受験案内昭和63年度用」(声の教育社)330頁</ref>。 *志望大学に関して、90年代の著書では「オレは、何がなんでも国学院と思っていたから、もし国学院がダメだったら、絶対に来年も受験しようと考えていた」<ref>『おまえはバカじゃない』61頁、『やっぱりおまえは』63頁</ref>「早稲田や東大には行けなかったけど、行けなくてよかった」<ref>『おまえはバカじゃない』62頁、『やっぱりおまえは』65頁</ref>など、国学院に対して強いこだわりを見せる記述が随所にあったが<ref>ほか、『おまえはバカじゃない』53頁、『やっぱりおまえは』55頁、『だからおまえは』45頁、『だからおまえは決定版』48頁</ref>、最近の著書では「オレは大学生活が終わったとき、なんか悔しかったね。それはやはり、国学院よりもいい大学に行きたかったからだ」<ref>『今日から始める』54~55頁、『何のために』57頁</ref>、「本当は早稲田に行きたかった。でも行けなかったから國學院に行った」<ref>『仕事の授業』167頁</ref>と書かれている。 *1991年の著書では「各大学の入試がすべて終わった'''2月'''、とうとう第一志望の国学院大学の合格発表の日がやってきた。(中略)俺の受験番号がある」<ref>『おまえはバカじゃない』29~30頁</ref>と書かれているが、彼が卒業したのは二部であり、入試と合格発表は'''3月'''である<ref>正確には、吉野が入学した年の文学部第一部は入試が2月17日、合格発表が2月26日である。それに対して、文学部第二部の入試は、出願締切が2月28日、入試が3月9日、合格発表が3月14日である(國學院大學学報昭和62年2月10日第3面(縮刷版第4巻1625頁))</ref>。また、「うちから大学まで1時間以上(中略)9時から朝1限始まるんで7時半には出ないと苦しい(中略)7時に目覚ましかけとく」と発言し<ref name="tvnet2"> 代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第2回』</ref>、また、緊張して学校を早退したという話では「今日の夜の10時、俺の一生が決まるんだと思うと、学校にいられなくなっちゃう。そわそわしちゃって。で、かーえろとか思って。速攻で家に帰るんだ。と、昼間の2時くらいに家に着いちゃうんだよ」<ref name="tvnet2"/> と発言していたが、彼が卒業したのは二部であり、授業は夕方開始である。また、彼の著作をVシネマ化した作品は「ノンフィクションドラマ」と銘打たれているところ<ref>{{ASIN|B000RHH5L8|title=だからおまえは落ちるんだ、やれ! DVD}}</ref>、その中で合格発表の際に映る受験票には一部にマルがついているが、彼が卒業したのは二部である。 *大学時代、成績が1番で'''特待生だった'''と述べており<ref>代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文(読解編)第2回』</ref>、授業料を免除されているにもかかわらず親から授業料として70万円預かってそれで豪遊した<ref name="tvnetdokkai9"/>旨を述べているが、國學院大學学報に記載されている昭和62年度から平成2年度の各年度における'''特待生の欄<ref >國學院大學学報昭和62年6月10日第4面(縮刷版第4巻1648頁)計42名、國學院大學学報昭和63年6月10日第4面(縮刷版第4巻1704頁)計47名、國學院大學学報平成元年6月10日第3面(縮刷版第4巻1753頁)計45名、國學院大學学報平成2年7月10日第2面(縮刷版第4巻1808頁)計42名</ref>に吉野敬介の名前は存在しない'''。また、父兄会が表彰する成績優秀者の欄にも名前が存在しない<ref>國學院大學学報平成3年3月10日第6面(縮刷版第4巻1842頁)</ref>。 *大学時代に古文を特に勉強したことに関して「大学にはいっても、テニスだスキーだコンパだと、青春を謳歌するといえば聞こえがいいが、いまさらそんなバカをやる気はなかった」<ref>『おまえはバカじゃない』172頁</ref>と述べていたが、別の機会では、4人のグループ交際でテニスに行ったという話<ref name="tvnetdokkai5"/>や、クラスで中の良い男女5人ずつ計10人で毎週のように飲んだり長期休暇には毎回のように軽井沢やスキーに行ったりした話<ref name="tvnetdokkai9">代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文(読解編)第9回』</ref>をしている。 === 代々木ゼミナールでの経歴について === *1991年の著書では「'''ふつう、代ゼミ講師になるのにテストはない'''。(いまは簡単なテストがある。ただしみんな落ちているが)」<ref>『おまえはバカじゃない』49~50頁。カッコ書きの中は、文庫化・加筆修正した『やっぱりおまえは』52頁で付け加えられた記述。</ref>「代ゼミはふつう、新卒の採用はしない。採用するとき、テストをすることもない」<ref>『おまえはバカじゃない』167頁、『やっぱりおまえは』175頁</ref>とされ、「あとから聞いた話だが、代ゼミの竹村副理事長も、元暴走族のオレを採用するにあたり、不安があったらしい。テストを受ければ落ちるかもしれないから、それで不採用を納得してもらおうと思っておられたそうだ」<ref>『おまえはバカじゃない』168頁、『やっぱりおまえは』176頁</ref>という経緯が書かれているが、2年後の著書では他に受験生がいる描写となり<ref>『だからおまえは』191頁</ref>、その後も「オレが代ゼミの採用試験を受けたときも、'''300人くらい受けて受かったのは俺1人'''」<ref>『ROOKIES』145頁</ref>「古文の試験で300人」<ref name="tvnetdokkai6">代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文(読解編)第6回』</ref>と述べるなど、現在に至るまで代ゼミ史上最年少・過去最高得点で合格した肩書き<ref>『だからおまえは決定版』ほか、多数の著書の著者紹介欄</ref>となっている。 *上記と併せて、1991年の著書では「話はそう都合よく進まず、オレは講師採用のテストを受けなければならなくなった」<ref>『おまえはバカじゃない』166頁、『やっぱりおまえは』174頁</ref>と書かれていたが、2009年の著書では「じつは試験を受けなくても講師になることはできた。 オレはあくまで採用試験にこだわったのだ」<ref name="murasaki">『紫式部』100頁</ref>と、試験を受ける必要はないものの採用試験合格という肩書きを得るためにあえて受けたという旨が書かれている<ref name="murasaki"/>。 *大学4年時に代々木ゼミナールでチューターをやっており、開講したチューターガイダンスでは「200人入る教室は満席」<ref name="bakajanai194">『おまえはバカじゃない』194頁、『やっぱりおまえは』201頁</ref>と書かれていたが、別の本では「300人の教室が満杯」<ref name="ochirunda52">『だからおまえは』52頁、『だからおまえは決定版』55頁</ref>と変更されている。また、チューターガイダンスの時期も「大学4年の8月の終わりごろ」<ref name="ochirunda52"/>以降の話だったのが、別の機会では大学3年のときの話としている<ref name="dokkai12">『吉野のパロディ的中古文(読解編)第12回』</ref>。また、その開始時刻も「午後1時20分から」<ref name="bakajanai194"/><ref name="ochirunda52"/>としていたのが、別の機会では「3時10分から4時40分」としている<ref name="dokkai12"/>。さらにチューターを経験した影響として、「正式に代ゼミに採用されるまえから、チューターをやっていたことなどもあり、オレの授業を選んでくれる生徒も多かった」<ref>『おまえはバカじゃない』184頁、『やっぱりおまえは』190頁</ref>と書かれていたが、2008年の著書では「吉野敬介なんて、誰も聞いたことがない」<ref name="daisuki">『大好きに』178頁</ref>と、チューターとしての影響が無くなっている。 *さらに初めての授業の描写についても、「1年目の、初めての授業。'''400人を収容する教室'''で、おれの目の前にいる生徒はたったの'''5人'''だった」<ref name="daisuki"/>となっていたが、別の著書では「第1回目の授業は、'''15人ほどの小さな教室'''だった」<ref>『さらば』103頁、『自分で決められない!』105頁</ref>「第1回目の授業は、教室にわずか'''15人'''ほどしかいなかった」<ref>『砂漠』93頁</ref>と、教室の規模と受講生の人数が変更されている。 === 窃盗について === *2009年の著書では「'''物を盗むというのは、お店の人の生活に迷惑がかかるから、そういうことは俺はめったにやらなかった'''」<ref>『ROOKIES』31頁</ref>と書かれているが、90年代の著書では、以下のように窃盗・万引きの記述を頻繁に登場させていた。 :*1991年7月の著書には、「金がなくなると、西友とかニチイみたいなスーパーマーケットに行って、いろいろなものを万引きしてくる。それを友だちや後輩に売って、遊ぶ金を手に入れるのだ。ただ万引きするんじゃ面白くないから、誰がいちばん高いものをかっぱらってくるか競争する」<ref>『おまえはバカじゃない』113頁</ref>「ゲームセンターでは、(中略)カギを盗んで、タダで何度もやる」<ref>『おまえはバカじゃない』114頁</ref>「腹がへると、近くの店にパンを盗みに行く」<ref>『おまえはバカじゃない』116頁</ref>と、何度も窃盗の記述が登場している。 :*1993年の著書では複数の窃盗・万引きに関する記述があるところ、上記の2009年の「めったにやらなかった」と記述した著書が出た5か月後に出版した1993年著書の改訂版では、以下のように'''窃盗・万引きに関する記述をすべて削除している'''。以下、左が改訂前、右が改訂後。 ::*「ケンカや万引きはしょっちゅう」<ref>『だからおまえは』13頁</ref>→「しょっちゅうケンカしていて」<ref>『だからおまえは決定版』15頁</ref> ::*「バイクを盗んで乗り回したり」<ref>『だからおまえは』15頁</ref>→削除 ::*「そのままケンカをやりに行ったり、万引きで誰がいちばん高価なものを盗めるか競争したり」<ref>『だからおまえは』16頁</ref>→「そのままケンカをやりに行ったりしたものだ」<ref>『だからおまえは決定版』18頁</ref> ::*「バイク、ケンカ、シンナー、万引き……勉強するヒマなんてない」<ref>『だからおまえは』21頁</ref>→「バイク、ケンカ、タバコ……勉強するヒマなんてない」<ref>『だからおまえは決定版』23頁</ref> ::*「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、万引き、盗み、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・・」<ref>『だからおまえは』114頁</ref>→「オレは半端なワルじゃなかった。シンナー、暴走族、ヤクザがらみのかけマージャン、鑑別所・・・・・」<ref>『だからおまえは決定版』120頁</ref>。 :*同様に、2001年の著書では「バイク、シンナー、ケンカ、万引き・・・・・・、それがオレのすべて」<ref>『さらば』41頁、『自分で決められない!』43頁</ref>と書かれていたが、2011年にそれを大幅に加筆修正した著書では「バイク、集会、ケンカ、夜遊び・・・・・・」<ref>『砂漠』26頁</ref>と変更されている。 :*大学入学前、金がなくてセブン・イレブンで弁当を窃取したことを公言している<ref name="tvnet1"/>。また、大学時代、彼女に高価な誕生日プレゼントを渡すために、深夜にやっていたセブン・イレブンのアルバイトで店内の募金箱から金を窃取したことを公言している<ref name="tvnet2"/>。さらに、温泉旅行に行くために、セブン・イレブンの深夜のアルバイトで弁当を盗んで友人に売ってお金を稼いでいたと述べている<ref name="tvnetdokkai5">代ゼミTVネット『吉野のパロディ的中古文(読解編)第5回』</ref>ほかに、代々木ライブラリーのアルバイト中にレジにある飴やホールズがよく無くなっていたところ、心当たりがあるという<ref>代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第7回』、『吉野のパロディ的中古文(読解編)第12回』</ref>。 === 高校時代以前のエピソードについて === *2001年の著書では、実家が「貧乏だった」<ref name="saraba"/>として「オレにとって住まいとしての『家』の原風景は、四畳半一間に一家4人で暮らしていた家だ。もちろん、風呂はナシ」<ref name="saraba">『さらば』162頁</ref>など貧しかったエピソードが紹介されているが、2006年以後の著書では、父親のことは「慶應を出て、ある一部上場企業の部長」<ref>『よく聞け』26頁</ref>、母親のことは「月収150万、ボーナス300万もザラって人だった」<ref>『驚くほど』160頁</ref>と書かれている。 *2001年の著書では「ただし、いじめっていうのはやらなかった。だって、いじめって卑怯だろ」<ref>『さらば』38頁、『自分で決められない!』40頁</ref>、2007年の著書では「およそ考えられる人間の行為の仲で、この『いじめ』ほど、愚かで恥ずかしい行為はない」<ref>『そこのバカ親』174頁</ref>、2008年の著書では「だけど、イジメなんてものはしたことがなかった」<ref>『大好きに』195頁</ref>、と書かれている。しかし、別の機会には以下のような経験を述べている。 **1991年の著書で「技術家庭の作品や美術の絵は、パシリ(遣いっぱしりをやるヤツのこと)にやらせて、自分は名まえだけ書いて提出する」と書いていた<ref>『おまえはバカじゃない』115~116頁、『やっぱりおまえは』123頁</ref>。 **小学校時代、クラスにいた大嫌いな金持ちの同級生に対して、「授業中も先生が黒板に書いてる隙を狙って、消しゴムちぎって後ろからカーンと投げてやる。飯田に当たったら勝ちなんていうゲームあってな」と述べている<ref name="tvnet5"/>。また、その同級生について、「大嫌いなんだけど、1年に1回仲良くするんだ。いつ?飯田の誕生日な。なんで?うめぇもん食えるから」と述べ、その際「飯田の部屋からラジコンはかっぱらう、ドカベン全巻かっぱらう」という話を述べている<ref name="tvnet5">代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第5回』</ref>。 *1991年の著書では、高校で3回停学になったエピソードが随所に登場していた<ref>『おまえはバカじゃない』3頁、121頁、151頁、『やっぱりおまえは』3、128頁、159頁</ref>が、2009年の著書では「俺の母校は3回停学をくらうと退学になる、という決まりがあった」として、友人が3回停学になって退学になったエピソードが書かれている<ref>『ROOKIES』38頁</ref>。 *停学に至る自身の体験として、1991年の著書では「敵が'''40人'''いるにもかかわらず一人で仕返しに行き、オレの友だちをやっつけた奴を“病院送り”にしてしまったのだ」<ref>『おまえはバカじゃない』159頁</ref>と書かれていたが、同著を文庫化・加筆修正した版では「敵が'''5人'''いるにもかかわらず一人で仕返しに行き、オレの友だちをやっつけた奴を“病院送り”にしてしまったのだ」<ref>『やっぱりおまえは』159頁</ref>と人数が35人減っている。 *暴走族の特攻隊長として「最大時は'''1000台以上'''」<ref>『仕事の授業』3頁、『オマエだけの言葉』2頁</ref>率いてきたと述べているが、数年前は「'''3000人'''を率いるのだ。'''1500台'''で一気に駆け抜ければ」<ref>『さらば』72頁</ref>という表現で書かれており、さらにかつては「'''3000台'''」<ref>『だからお前は落ちるんだ、やれ!』74頁</ref>('''6000人'''<ref name="tvnet1"></ref>)と述べていた(この3000台のときの状況として、高校3年生(1984年)の9月に神奈川県中の暴走族が集まると述べている<ref>代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第12回』</ref>が、東京都でさえ暴走族構成員のピークは1980年の5379人である<ref>http://mainichi.jp/select/today/news/20120317k0000e040219000c.html (リンク切れ)。</ref>)。 *「行ける高校がなくて入ってくる、そんな高校だ」<ref>『だからおまえは』15頁</ref>「当時神奈川県でも最低ランクの高校」<ref>『やっぱりおまえは』17頁</ref>など、自身の出身高校がいかに落ちこぼれているかを著作で語っているが、1987年の逗子開成高校は、早稲田5人・慶応1人・上智2人・中央7人・明治5人・立教3人・法政9人・青山学院2人・東京理科2人との合格実績がある<ref>声の教育社『首都圏63年度用高校受験案内』330頁、晶文社『高校受験案内首都圏昭和63年度』768~769頁』</ref>。ほか、吉野の卒業年における同校の進路状況も、「進学(各種専修学校含む)80%、就職10%、その他10%」である<ref>学力増進会『高校受験案内:東京・神奈川・千葉・埼玉・茨城・栃木・群馬・山梨昭和61年度用』954~955頁</ref>。 === その他 === *2008年8月の著書で「俺はインターネットはやらない」と述べている<ref>『頑張れないヤツ』143頁</ref>が、2007年2月から個人ブログを開設している。 *大学時代から予備校講師最初の頃まで通算7年半ほどサオリという女性(1浪して1歳年下の同じ学年でミス青学になったという<ref name="tvnet2"/>)と付き合ったと述べている<ref name="tvnet2"/>が、該当する1987年から1990年まで(その前後も)ミス青学(正確にはミス青山)の中にサオリという名前の女性はいない<ref>青山学院大学新聞21号1987年11月20日、29号1988年11月15日、38号1989年11月15日、48号1990年号11月15日</ref>。 *杉村太蔵がブログに掲載した自殺未遂の内容が自身の著書の内容に酷似していたとして怒ったことが話題となり<ref name="sugimura"></ref>、直後の吉野の著書では杉村本人が寄稿文を寄せ<ref>『よく聞け』211頁</ref>、盗作騒動の顛末が語られている。他方で吉野は、貧乏の同級生がアーモンドチョコレートを初めて食べて「種が入ってる」という感想を述べた話をしている<ref name="tvnet5"/>が、その話は[[嘉門達夫]]の「哀歌~エレジー~」のネタと同一である。また、「中学のとき、担任からしょっちゅう『お前はうちの学校のゴミだ』って言われてたんだけど、その担任とこの前ばったり街中であったとき、『お前は私のホコリだ』ってほめられちゃった。『ゴミからホコリかよ。まあ、似たようなもんじゃねえの』とか言いそうになった」<ref>『驚くほど』155頁、『今やれよ!』157頁</ref>と述べているが、その話は[[島田紳助#芸能界入りまで|島田紳助の話]]と同一である。 *「株も嫌いだね。だって、誰かがトクをすると、誰かがソンするわけだろ。人を泣かして手にするカネなんて、おれはいらない」<ref>『大好きに』140頁</ref>と述べていたが、翌年の著書では「オレは昔から株と為替をやっていて、じつは今まで損をしたことがない」<ref>『紫式部』140頁</ref>と述べている。 *大学時代にやった家庭教師のエピソードに関して、「生徒は常時、5、6人。自分から求めたのではない」<ref name="bakajanai187">『やっぱりおまえは』187頁</ref>と書かれているが、別の機会では、多摩プラーザの高級住宅街でハガキに「“家庭教師します。時給応談。去年16人東大行きました”と嘘ばっかり書いて」、その地区に住んでいる同級生に託したという話をしている<ref name="tvnettango7">代ゼミTVネット『吉野の古文「単語&敬語」第7回』</ref>。また、「家庭教師料は『時価』。(中略)成績に比例して、自分で納得する程度の月謝を払ってくれればいいことにしていた」<ref name="bakajanai187"/>と書かれているが、別の機会では、駅から遠くボロボロの家で水しか出ず時給を値切られ生徒も宿題をやらない家庭教師先を5回目で辞めたという話をしている<ref name="tvnettango7"/>。 *自身の経営する塾の授業料(基本料金90分15,000円、医学部・歯学部受験コース90分30,000円)について、「おれはどんなに言われても絶対に授業料をまけない。内容に絶対的な自信があるからだ」<ref>『大好きに』139頁</ref>と述べていたが、その翌々年には「90分12,000円~」と値下げした<ref>http://www.yoshino-juku.jp/faq.html (リンク切れ)</ref>。 *インタビュー記事で、紹介欄に「趣味は競馬」<ref>DENiM(小学館)1993 3月号127頁</ref>と書かれているが、その2頁後には、人生がギャンブルだからという理由で「賭け事はほとんどやらない」<ref>DENiM(小学館)1993 3月号129頁</ref>と書かれている。 *{{要出典範囲|著書『今日から始める「やる気」勉強法(安河内哲也共著』の21頁で「自慢ではないが、24歳で年収3千万を超えた予備校講師というのはオレ以外いない」との記述がある|date=2014年6月}}が、後に出た「大好きに生きろ」の97頁には「1年目600万、2年目1800万、3年目3600万・・・自分に投資すればするほど年収は増えていった」との記載がある。そもそも彼が大学を卒業して講師になった時点で24歳で、二ヶ月後の6月には25歳になっていることから、この内容は全く辻褄があっていない。 == 著書一覧 (太字は本件記事の脚注内での略語)== === 単著 === ==== 学習参考書 ==== * 『吉野のピタリとでる古文単語』([[代々木ライブラリー]]、1996年)ISBN 9784896804294 * 『吉野のパロディ的中爆走古文"パテ古"(Part.1)Yozemi TV-net』([[代々木ライブラリー]]、1998年)ISBN 9784896804980 * 『吉野のパロディ的中爆走古文"パテ古"(Part.2)Yozemi TV-net』([[代々木ライブラリー]]、1998年)ISBN 9784896805352 * 『吉野の古文 スーパー敬語法』([[代々木ライブラリー]]、1999年)ISBN 9784896805710 * 『吉野の古典文法 スーパー暗記帖』([[学研ホールディングス|学研]]、1999年)ISBN 9784053007612 * 『吉野のセンター古文』([[学研ホールディングス|学研]]、2002年)ISBN 9784053014474 * 『吉野の古典文法 スーパー暗記帖 改訂版』([[学研ホールディングス|学研]]、2007年)ISBN 9784053024497 * 『吉野式 スーパー古文敬語 完璧バージョン』([[学研ホールディングス|学研]]、2007年)ISBN 9784053025685 * 『吉野式 爆走古文単語 完璧バージョン』([[学研ホールディングス|学研]]、2007年)ISBN 9784053025678 ==== 一般書 ==== * 『暴走族から予備校講師になったオレが言うんだ「'''おまえはバカじゃない'''」やればかならず合格する』([[ごま書房]]、1991年7月)ISBN 9784341014896 * 『'''だからおまえは'''落ちるんだ、やれ!』(ロングセラーズ、1993年7月)ISBN 4845404044 * 『'''やっぱりおまえは'''バカじゃない(小学館文庫)』([[小学館]]、1998年2月)ISBN 9784094161014 * 『'''さらば'''、借り物人生― 何も言わない受験生、何も言えない親たちへ』([[PHP研究所]]、2001年3月)ISBN 4569615546 * 『'''自分で決められない'''ヤツは受験するな!(PHP文庫)』([[PHP研究所]]、2004年7月)ISBN 9784569660264 * 『'''よく聞け'''!おまえはバカじゃない(小学館文庫)』([[小学館]]、2006年11月)ISBN 9784094161021 * 『'''そこのバカ親'''!あんたの子供じゃ受からない』([[小学館]]、2007年5月)ISBN 9784094161045 * 『今、'''頑張れないヤツ'''は一生頑張れない。』(世界文化社、2008年6月)ISBN 9784418086009 * 『'''大好きに'''生きろ!』([[東京書籍]]、2008年8月)ISBN 9784487802920 * 『半日で読む 源氏物語』(世界文化社、2008年10月)ISBN 9784418082261 * 『熱血! '''吉野塾'''勉強法』(ロングセラーズ、2009年3月)ISBN 9784845421442 * 『今、変わらなければ'''いつ変わるんだ'''、やれ! 』(ロングセラーズ、2009年4月)ISBN 9784845421459 * 『'''ROOKIES'''勝利学』([[集英社]]、2009年4月)ISBN 9784797671902 * 『爆走道化師 暴走族特攻隊長からカリスマ講師へ』([[東京書籍]]、2009年5月)ISBN 9784487803828 * 『'''紫式部'''にケンカは売るな! 吉野流「古典で学ぶ人生論」講義』([[講談社]]、2009年7月)ISBN 9784062156684 * 『'''だからおまえは'''落ちるんだ、やれ! '''決定版'''』(ロングセラーズ、2009年8月)ISBN 9784845408207 * 『学校では教えない古典』([[東京書籍]]、2009年8月)ISBN 9784487803606 * 『1日で読める源氏物語』 (PHP文庫)』([[PHP研究所]]、2010年9月)ISBN 9784569675343 * 『'''オマエだけの言葉'''で話してみろよ! 人をその気にさせる、吉野流会話術100』([[講談社]]、2011年1月)ISBN 9784062167109 * 『だからおまえは落ちるんだ、やれ!決定版(ロング新書)』(ロングセラーズ、2011年3月)ISBN 9784845408665 * 『'''砂漠'''から芽を出せ! (PHP文庫)』([[PHP研究所]]、2011年7月)ISBN 9784569675886 * 『一日で読める平家物語』([[東京書籍]]、2011年12月)ISBN 9784487805303 * 『20代で受けておきたい'''仕事の授業'''』(小学館集英社プロダクション、2012年3月)ISBN 9784796871099 * 『一日で読める徒然草』([[東京書籍]]、2012年10月)ISBN 9784487807086 === 共著 === ==== 一般書 ==== * [[安河内哲也]], 吉野敬介『'''今日から始める'''「やる気」勉強法』(ロングセラーズ、2007年6月)ISBN 9784845421084 * [[安河内哲也]], 吉野敬介『'''驚くほど'''伸びる!5日間「やる気」改革プログラム』(ロングセラーズ、2008年3月)ISBN 9784845421152 * [[安河内哲也]], 吉野敬介『'''何のために'''勉強するのか (ロング新書) 』(ロングセラーズ、2011年3月)ISBN 9784845408672 * [[安河内哲也]], 吉野敬介『'''今やれよ'''!』(ロングセラーズ、2013年5月)ISBN 9784845422845 == 出演 == === コマーシャル === *[[東進ハイスクール]]・[[東進ハイスクール#東進衛星予備校|東進衛星予備校]]([[2013年]] - )- 「生徒への檄文」篇 ===テレビ=== *[[ありえへん∞世界]](テレビ東京系列、[[2013年]][[5月28日]])- VTR紹介 === 講演 === * 早稲田大学企画集団便利舎主催 吉野敬介トークライブ「特講〜未然形からの脱却〜」(早稲田大学大隈大講堂、[[2008年]][[6月25日]]) * 学生団体SMPY主催 第59回 東京大学駒場祭 吉野敬介講演「頑張れないヤツ」(東京大学駒場キャンパス、[[2008年]][[11月23日]]) * デジタルハリウッド大学キャリアセンター/ビズハーツ主催『今変わらなければいつ変わるんだ』(デジタルハリウッド大学、[[2009年]][[2月1日]])<ref>デジタルハリウッド大学と東京大学駒場祭における講演は、TSUTAYAビジネスカレッジからDVDとして発売された。http://tsutaya-college.jp/blog/2009/04/post-4.html</ref> * [[島根県]][[雲南市]]教育委員会(2009年<ref>http://www.city.unnan.shimane.jp/www/contents/1260779793777/html/common/other/510dec51018.pdf#search='%E4%B8%89%E5%88%80%E5%B1%8B+%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B' </ref>、2010年<ref>http://www.city.unnan.shimane.jp/kyouiku/iinkai00-00115.html</ref>、2011年<ref>http://www.e-susano.net/blog/mitoya-chu/web/index.php?mode=oshirase_log&id=23</ref>)、2012年<ref>http://www.city.unnan.shimane.jp/www/contents/1346733840031/html/common/other/510e0725004.pdf#search='%E4%B8%89%E5%88%80%E5%B1%8B+%E5%90%89%E9%87%8E%E6%95%AC%E4%BB%8B' </ref>) * 中央大学学術連盟証券研究会主催「今、未来を変えろ!」(中央大学多摩キャンパス8201教室、[[2011年]][[11月12日]]) * [[福島県立いわき光洋高等学校]]主催・吉野敬介講演『頑張れないヤツ』(福島県立いわき光洋高等学校、[[2012年]][[5月31日]])<ref>http://www.iwakikoyo-h.fks.ed.jp/yoshino.html</ref> == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 外部リンク == * [http://www.toshin.com/teacher/detail.php?teacher_id=63 予備校の東進|実力講師陣を紹介 【吉野 敬介先生】] * [http://ameblo.jp/yoshino-keisuke/ 吉野敬介オフィシャルブログ「俺にまかせろ!」] - 公式ブログ {{DEFAULTSORT:よしの けいすけ}} [[Category:予備校講師]] [[Category:國學院大學出身の人物]] [[Category:神奈川県出身の人物]] [[Category:1966年生]] [[Category:存命人物]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:ASIN
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:独自研究
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:脚注ヘルプ
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:要出典範囲
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:記事名の制約
(
ソースを閲覧
)
吉野敬介
に戻る。
検索
検索
吉野敬介のソースを表示
話題を追加