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吉田喜重
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{{存命人物の出典明記|date=2014年6月}} {{ActorActress| | 芸名 = 吉田 喜重 | ふりがな = よしだ よししげ / きじゅう | 画像ファイル = | 画像サイズ = | 画像コメント = | 本名 = | 別名 = | 出生地 = {{JPN}} [[福井県]][[福井市]] | 国籍 = | 民族 = | 生年 = 1933 | 生月 = 2 | 生日 = 16 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | 職業 = [[映画監督]]、[[演出家]]、[[脚本家]] | 活動期間 = [[1955年]] - | 配偶者 = [[岡田茉莉子]] | 家族 = | 公式サイト = | 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力--> | ブルーリボン賞 = | トニー賞 = | 日本アカデミー賞 = | その他の賞 = | 備考 = }} '''吉田 喜重'''(よしだ よししげ、[[1933年]][[2月16日]] - )は日本の[[映画監督]]。名は「'''きじゅう'''」と音読みされることが多い。 ==略歴== [[1933年]]、[[福井県]][[福井市]]佐佳枝下町で生まれる。[[1945年]]に順化小学校を卒業後、旧制の[[福井県立藤島高等学校|県立福井中学]]に入学。同年8月、[[福井大空襲]]で家が焼失する。[[1947年]]春に一家で東京へ転居し、田園調布の自宅から都立城南中学に通う。同校は吉田の在学中、[[学制改革]]により[[東京都立城南高等学校|城南高校]]となる。この頃、[[フランス語]]を習うため[[アテネ・フランセ]]へ通い、フランス映画をよく観ていた。またNHKラジオに詩を投稿して賞金を貰ったり、演劇部には入らなかったものの、自作の演劇脚本を文化祭で上演するなど、早くも高校時代から才能を顕していた。 [[1951年]]、[[東京大学]][[文学部]]仏文科入学。哲学科志望であったが、吉田を外交官にしたい父の意向に従い仏文科に進む。同科には[[矢島翠]]、[[宮川淳]]、[[石堂淑朗]]、[[種村季弘]]らが在学していた。 [[1955年]]、大学卒業とともに石堂と[[松竹大船撮影所]]に入社。[[木下惠介]]などの助監督を経て、[[1960年]]に『[[ろくでなし]]』で監督デビュー。[[大島渚]]、[[篠田正浩]]らとともに[[日本ヌーヴェルヴァーグ|松竹ヌーヴェルヴァーグ]]の旗手として活躍する<ref>勝田友己によるインタビュー、山田洋次「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『[[毎日新聞]]』 2010年1月25日、13版、5面。</ref>。『[[秋津温泉]]』(1962年)、『嵐を呼ぶ十八人』(1963年)などの映画を手がける<ref>{{cite web|url=http://news.mynavi.jp/news/2010/09/08/082/|title=松竹ヌーヴェル・ヴァーグの旗手、吉田喜重監督の作品を43本上映|work=マイナビニュース|date=2010-09-08|accessdate=2014-06-17}}</ref>。[[1964年]]に[[俳優|女優]]の[[岡田茉莉子]]と結婚。新婚旅行中に、監督6作目の『日本脱出』(1964)のラストシーンを松竹により無断でカットされたため退社。[[1966年]]に独立プロの「現代映画社」を設立する。 [[1973年]]の『[[戒厳令 (1973年の映画)|戒厳令]]』を最後に映画界を離れ、テレビドキュメンタリーを数多く制作、[[1986年]]の劇映画『人間の約束』により、13年ぶりに映画監督として復帰。[[1988年]]の『嵐が丘』は自身初となる[[第41回カンヌ国際映画祭|カンヌ国際映画祭]]のコンペティション部門への出品を果たし、一部の批評家から高い評価を受ける。<ref>樋口泰人『カンヌ映画祭の50年』 284ページ。</ref> [[1999年]]、著書『小津安二郎の反映画』で[[芸術選奨]]文部大臣賞。[[2003年]]にフランス政府より[[芸術文化勲章]]オフィシエ章を贈られる。 [[2003年]]、15年ぶりの監督作となる『鏡の女たち』を発表。 [[2008年]]、オムニバス映画『ウェルカム・トゥ・サンパウロ』に参加する<ref>{{cite web|url=http://www.asahi.com/showbiz/movie/TKY200811270096.html|title=吉田喜重監督、ブラジルとの深い「縁」語る|work=朝日新聞|date=2008-11-27|accessdate=2014-06-17}}</ref>。 == 監督作品 == === 長編映画 === * [[ろくでなし(映画)|ろくでなし]] (1960年) * [[血は渇いてる]] (1960年) * [[甘い夜の果て]] (1961年) * [[秋津温泉]] (1962年) * [[嵐を呼ぶ十八人]] (1963年) * [[日本脱出]] (1964年) * [[水で書かれた物語]] (1965年) * [[女のみづうみ]] (1966年) * [[情炎]] (1967年) * [[炎と女]] (1967年) * [[樹氷のよろめき]] (1968年) * [[さらば夏の光]] (1968年) * [[エロス+虐殺]] (1969年) * [[煉獄エロイカ]] (1970年) * [[告白的女優論]] (1971年) * [[戒厳令 (1973年の映画)|戒厳令]] (1973年) * [[BIG1物語 王貞治]](1977年) * [[人間の約束]] (1986年) * [[嵐が丘 (1988年の映画)|嵐が丘]] (1988年) * [[鏡の女たち]] (2003年) === 短編映画 === * ウェイトレス(2008年) - 『[[ウェルカム・トゥ・サンパウロ]]』 === テレビ === * 美の美(1974年 - 1977年) * 吉田喜重が語る小津安二郎の映画世界(1993年) * 夢のシネマ 東京の夢(1995年) ==著書== * 自己否定の論理・想像力による変身(1970年、 [[三一書房]] ) * 見ることのアナーキズム 吉田喜重映像論集(1971年、[[仮面社]]) * メヒコ 歓ばしき隠喩 旅とトポスの精神史(1984年、[[岩波書店]]) * [[小津安二郎]]の反映画(1998年、岩波書店、2011年、[[岩波現代文庫]]) ==参考文献== *吉田喜重の全体像(2004年、 [[四方田犬彦]]編、[[作品社]]) *吉田喜重 変貌の倫理(2006年、[[蓮實重彦]]編、[[青土社]]) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == * {{jmdb name|0075450|吉田喜重}} * {{IMDb name|0948950|Yoshishige Yoshida}} {{DEFAULTSORT:よした よししけ}} [[Category:日本の映画監督]] [[Category:日本の脚本家]] [[Category:松竹の人物]] [[Category:福井県出身の人物]] [[Category:芸術文化勲章受章者]] [[Category:東京大学出身の人物]] [[Category:1933年生]] [[Category:存命人物]]
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