コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
吉備団子のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
吉備団子
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
{{Otheruses|'''岡山市'''の銘菓|'''北海道'''で販売されている菓子|日本一きびだんご}} [[画像:kibidango01.JPG|thumb|200px|right|吉備団子(きびだんご)]] '''黍団子'''(きびだんご)は、文字通り「[[キビ|黍]]」(きび)を粉にしてこしらえた団子で、遅くとも15世紀末には用例がある<ref name="kojien1">{{Harvnb|新村|1991|loc=『広辞苑』}}. "【黍団子】キビの実の粉[の]団子。〈日葡〉"</ref><ref name="yamashina-raiki"/>。[[桃太郎]]の[[おとぎ話]]では犬・キジ・猿に「きびだんご」を与えてお供を得ることが知られるが、[[元禄]]の頃までは「きびだんご」ならず「とう団子」等だったという考察がある<ref>{{Harvnb|小池|1967|p=21}}</ref>。 '''吉備団子'''(きびだんご)は、[[岡山県]]の[[土産]]として有名な[[餅]][[菓子]]の一種。[[江戸時代]]末期(19世紀中葉)に考案された<ref name="kojien2">{{Cite book|editor-last=新村|editor-first=出|editor-link=新村出|title=[[広辞苑]]|edition=4版|year=1991|quote=【吉備団子】求肥(ぎゆうひ)を..丸め、白砂糖をまぶした団子..}})</ref>。餅米の粉を混ぜて[[求肥]]を作り、これを整形して小さく平な円形(碁石形)に仕上げる。黍の粉を混ぜて風味づけするものもあるが、使わないものもある<ref group="注">山月堂は「黍」を使っていないを謳ってきた。(後述)</ref>。ただ、岡山名産「きびだんご」については、当初から桃太郎の黍団子も[[吉備国]]で製される団子もひっくるめての呼称として使われてきた経歴がある<ref>{{Harvnb|Kahara|2004|p=43}} "When used to refer to a local specialty of Okayama, [K]ibi-dango has always meant both millet dumplings of the Momotaro story and a dumpling of the Kibi region"</ref>。 ==黍団子== [[File:Momotaro Hasegawa cover 1886.jpg|thumb|200px|right|犬に「きびだんご」を与える桃太郎。 David Tomson 英訳 ''Momotaro'' (1886年)]] 早期の記述としては、『山科家礼記』には [[1488年]]([[長享]]2年)3月19日に「黍團子」の記述がある<ref name="yamashina-raiki">{{citation|和書|editor-last=飯倉|editor-first=晴武|editorlink=飯倉晴武|title=山科家禮記第 4|publisher=続群書類従完成会|origyear=1972|year=2012|url=http://books.google.co.jp/books?id=jaPTAAAAMAAJ|series=史料纂集|volume=22|page=}}</ref><ref> また、『[[日本国語大辞典]]』「きび‐だんご」の項</ref> 。『[[日葡辞書]]』にもキビダンゴは「黍の団子」と定義される<ref name="kojien1"/><ref group="注">ポルトガル語の原典の記述は"qibidango[?]"(未確認)だが、フランス訳辞書には"Kibidango キビダンゴ boulettes de millet"とある。典拠:{{citation|last=Pagés|first=Léon|title=Dictionnaire Japonais-Français: Traduit du Dictionnaire Japonais-Portug. composé par les missionnaire de la compagnie de Jésus et imprimé en 1603, à Nangasaki|publisher=Benj. Duprat|year=1868|url=http://books.google.co.jp/books?id=2-RGAAAAcAAJ&pg=PA483|page=483}}</ref>。 ===吉備津神社=== [[吉備国]]、特に[[吉備津神社]]<ref group="注" name="kibitsuhiko-momotaro">吉備津神社で祭られている大[[吉備津彦命]](おおきびつひこのみこと)が[[桃太郎]]だったという説もある。</ref>と「黍団子」という食べ物のとあいだには、少なくとも17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていた。これは[[俳人]][[志田義秀]]「日本の伝説と童話|」([[1941年]])に紹介される一首一句から判明する<ref>{{Harvnb|志田|1941}}</ref><ref name="fujii"/>。 まず[[細川幽斎]]([[1610年]]没)が「備中吉備津宮にて詠める」と詞書で前置きした[[狂歌]]「神はきねがならはしなれば先づ搗きて団子にしたき吉備津宮かな」がある。『[[古今夷曲集]]』([[寛文]]6年([[1666年]])刊)に撰されている。この歌では「きね」は「巫女」と「杵」をかけており、黍粉に砕くためか黍餅を練るためかは不詳だが、ともかく「きびだんご」の製法は、杵で搗かれる手順があることが言及される。おそらく参詣者には「きびだんご」がふるまわれたことがあったのだろうが、「当時すでに吉備津神社売られていた」とまで言い切る書籍もある<ref name="tarora">{{citation|和書|last=太郎良|first=裕子||title=岡山の和菓子|publisher=日本文教出版|year=2001|url=http://books.google.co.jp/books?id=Gv2xAAAAIAAJ|page=33|series=岡山文庫|volume=209}}</ref>。 年代は下るが、似た内容の[[俳句]]に[[備中国]]の信充が吉備で詠んだ「餅雪や日本一の吉備だんご」があり、こちらは『[[崑山集]]』([[慶安]]4年([[1651年]])成立)に所収される。志田は、「日本一の吉備だんご」の一句が大昔から桃太郎にはつきものと信じきっているゆえ、この俳句が桃太郎を指すことは「動かしがたい」と納得しているが、それは誤認であり、実際には「日本一」どころか「きびだんご」すらも、俳句より数十年経た系統本でないと桃太郎の話にあらわれないという考証を[[小池藤五郎|小池]](後述)が行っている<ref name="koike-momotaro-dates">{{Harvnb|小池|1967|pp=21, 30-31}}</ref>。 ===桃太郎=== [[草双紙]]の研究家である[[小池藤五郎]]が諸本を比べて結論したところでは、初期の頃の桃太郎物語には「きびだんご」は登場しなかった。[[元禄]]頃([[1688年]]から[[1704年]])の桃太郎は「とう団子(十団子)」であり、その他、「黍団子」以前の古い話には「大仏餅」・「いくよ餅」が出てくるという。また、黍団子に「日本一」がつくのは[[元文]]頃([[1736年]])だという<ref name="koike-momotaro-dates"/>。[[島津久基]]なども、「日本一の黍団子」の成句が当然、室町時代より桃太郎伝説で成立していたとみていたが、小池はそれに反駁したのである。 == 吉備団子 == ===起源=== 岡山の名物菓子は、廣榮堂が[[安政]](1854年-1859年)のはじめに考案したのというのが定説になっている<ref name="nihondaihyakkazensho">{{citation|contribution=吉備団子|work=日本大百科全書|publisher=小学館|year=2001}} </ref><ref group="注">なお、{{Harvnb|志田|1941|loc=『日本の伝説と童話』、312頁}}は、廣榮堂から得た情報として、[[1853年]]([[嘉永]]6年)頃に作り始められ、[[1855年]]([[安政]]2年)頃に吉備団子の名が付いたことを紹介している。</ref>。ただ、正確を期すならば、「廣榮堂の祖先」らが合作したものが先駆けであった<ref name="oka">{{Harvnb|岡|1986|pp=142-144}}</ref><ref name="ichikawa">{{citation|和書|last=市川|first=俊介||title=おかやまの桃太郎|publisher=日本文教出版|year=2005|url=http://books.google.co.jp/books?id=ojjjAAAAMAAJ|pages=83-85|series=岡山文庫|volume=233}}</ref><ref name="150年">[http://www.koeido.co.jp/150years_top.html きびだんご・和菓子 廣榮堂本店:廣榮堂のきびだんご150年のあゆみ] 廣榮堂本店、2013年5月3日閲覧。</ref>この廣榮堂は、以後、廣榮堂本店と廣榮堂武田に分かれて現在に至っている<ref>{{Harvnb|Kahara|2004|loc=42頁、脚注8}}</ref>。郷土史家の岡長平の著書に詳しいが、それによると経緯は次のようなものである。 [[1855年]](安政2年[[乙卯]]年)に[[岡山城]]下の町人が鳩首して、赤色の[[おかき|かきもち]]風の四角形の和菓子を茶請け用として製造した。うち1人は、[[岡山市]]古京町の[[唐津焼]]商売の[[蔵屋敷|名代]]の伴呂翁は{{Refn|group="注"|2人目は、岡山市・旧[[田町 (岡山市)|高砂町]]の[[信楽焼]]商売の名代で<ref name="oka"/>同じ滋賀県物産である[[伊吹山]]のモグサも商っていたらしい<ref name="ichikawa"/><ref name="150年"/>。3人目は、岡山市紙屋町の笹野一方(篠野一方とも。通称「腮鬚長(あぎとのひげなが) 」)という狂歌師<ref name="ichikawa"/><ref name="150年"/>。}}、廣榮堂を創立した武田家の一門(武田伴蔵の祖父)であった。この「かきもち状」の菓子は、嗜み用の非売品であったが、「無銘も如何かと、種々考えた結果、国称を付して《吉備だん粉(きびだん粉)》と名づけて吹聴」したのが今の吉備団子の起源である、と、ここまでが明治の風俗史研究家、紅の家お色(紅廼家お色)<!--紅迺屋-->「きびだんご考」に記されているという<ref name="oka"/><ref name="ichikawa"/><ref name="150年"/>。 最初は知人・親戚に配っていただけだが、本格的な商売にしたところ、城下町で評判となる。武田伴蔵(1901年に81歳で没)は「相歓堂」という店を構えて、妾に売らせていた<ref name="oka"/>{{Refn|group="注"|岡長平の記述:「この相歓堂は、「武伴」の隠居〈十代目武田伴蔵秀治(明治34年[1901年]歿、年81)〉の雅号で妾に商売さしてたことが判っ た(福田梅子刀自聞書)」<ref name="oka"/>。}}。ここで「少し細長い餡をかけた」黍製の団子を売っていたとの報告もあるが、ほんとうは「掻餅だろう」と岡長平は否定する{{Refn|group="注"|岡長平は、まず黍の団子では(まずくて日持ちがしないから?)商売には不向きだし、土産用にならないとする。また、歌人[[藤原忠朝]](1893年没)が書いた相歓堂の宣伝を読んでも掻き餅だと判るとする。<ref name="oka"/>。}}「相歓堂」の女主人の死後、伴蔵の親族である廣榮堂の初代、武田浅次郎が商売を引継いだ<ref name="oka"/>。 今日の[[求肥]]製のやわらかい箱詰めの「きびだんご」になったのは、この武田浅次郎の代の出来事であると、[[西尾吉太郎]](『[[山陽新報]]』創設者)談にある<ref name="oka"/>。浅次郎自身の著書にも、明治維新以降になってから、四角(短冊形)だったものを、碁石2個ぐらいの丸形を箱に30個詰か50個詰にするよう改めた、としている<ref>{{Harvnb|武田|1895|p=3}}</ref>。求肥式の考案については、(元)備前池田藩家老で、茶人の伊木三猿斎([[伊木忠澄]]が隠居後[[1869年]]に名乗った雅号。[[1886年]]没)の指導のもと、昔から吉備津神社にあった黍団子に着想して創り出されたという記述も見られる<ref name="tarora"/>。 その後、[[1885年]](明治18年)に明治天皇が岡山に行幸の際、旧池田藩の者から献上され、たいへん美味ということで「日本にふたつとあらぬ吉備団子/むべあじわいに名をえしや是」の一首を賜り、この[[御製]]を菓子箱に刷り込むようになった<ref name="tarora"/><ref>{{Harvnb|武田|1895}}</ref>。 ===異説=== 異説としては、江戸初期に、吉備津神社の祭礼においての供え物を「御直会」と称して酒宴の席で関係者に振舞った慣例があり、その参拝土産品が、「吉備団子」に発展したという見解を、[[岡山大学]]教授であった[[谷口澄夫]]などが挙げている<ref name="谷口澄夫">{{citation|和書|last=谷口|first=澄夫|authorlink=谷口澄夫|others=[[児玉幸多]]監修|title=岡山県の歴史|publisher=[[山川出版社]]|year=1970|url=http://books.google.co.jp/books?id=Gv2xAAAAIAAJ|page=64|series=<県史シリーズ>}} ; 1984年、付録46頁。</ref><ref>{{citation|和書|last=市川|first=俊介||title=おかやまの桃太郎|publisher=日本文教出版|year=2005|url=http://books.google.co.jp/books?id=ojjjAAAAMAAJ|pages=83-85|series=岡山文庫|volume=233}}</ref>。 同じく岡山大学教授で吉備津神社宮司の家系である[[藤井駿]]は、『備中往来』や[[石井了節]]の『備中集成志大全』([[1753年]]([[宝暦]]3年))において、吉備津神社門前町周辺で販売されたと紹介される「宮内飴」が吉備団子のヒントとなったのではないかと述べている<ref name="fujii">藤井駿 『吉備地方史の研究』 山陽新聞社、1980年、91-92頁。</ref><ref group="注">しかし藤井駿は、今となっては宮内飴のレシピがわからないことなどから、自らこの考えを論拠が曖昧であるともしている。</ref>。 ===日清・日露戦争=== 吉備団子を全国的に有名にしたのは、[[山陽鉄道]]が[[日清戦争]]のための輸送を担ったことが大きく関係している<ref name="150年"/><ref name="鈴木">鈴木勇一郎 『おみやげと鉄道 名物で語る日本近代史』 [[講談社]]、2013年、47-52頁</ref><ref>{{cite journal|last=Kahara|first=Nahoko|title=From Folktale Hero to Local Symbol: The Transformation of Momotaro (the Peach Boy) in the Creation of a Local Culture|journal=Waseda Journal of Asian Studies|volume=25|year=2004|pages=35-|url=http://books.google.co.jp/books?id=ExAOAQAAMAAJ}}</ref>。当時山陽線は[[大本営]]が置かれた[[広島市]]まで開通していて、全国の兵士は山陽線を通って広島に集結し[[宇品港]]から戦地に向かった。この戦争の動員による人々の移動が「[[おみやげ]]」を生み出した<ref name="鈴木"/>。戦地に赴く兵士たちが出征する際には、郷土の親戚や知人らが餞別を贈るが、運よく無事に凱旋した場合には、それらの人々に「おみやげ」を配ることになったのである<ref name="150年"/><ref name="鈴木"/>。廣榮堂の主人・武田浅次郎は、自ら広島宇品港へ出かけ、桃太郎の扮装で『日本一の吉備団子』の[[のぼり]]を立て彼らを出迎え、積極的な拡販策を展開した。武田は、対外戦争に鬼退治というイメージを重ね、帰還してきた兵士たちを桃太郎になぞらえた。吉備団子は、兵士たちの多くが通過する[[岡山駅]]という地の利と、鬼を成敗した桃太郎というイメージ戦略とが複合することで急成長し、岡山を代表する名物として全国へその名を馳せるようになった<ref name="150年"/><ref name="鈴木"/>。 [[1897年]](明治30年)ごろまでにおいて、12軒の「本舗」を名乗る土産店が現出した<ref>{{Harvnb|岡|1986|pp=144}}。『[[山陽新報]]』に拠った市勢統計。</ref><ref name="谷口澄夫"/>。水廼家(水の家隆成)「日本一の吉備団子」([[1901年]])をみると、「廣榮堂の原料は、黍、糯、砂糖。山月堂は糯と砂糖」であって、山月堂の方は「黍」を使っていないので「かの日本一の吉備団子とは別物なりと自称」していた<ref>{{cite journal|last=水廼家|first=隆成|title=日本一の吉備団子|journal=風俗画報|volume=238|year=1901|}}{{NDLJP|1579667}}</ref><ref name="oka"/>。 ===近況=== [[室町時代]]に広まったとされる[[桃太郎]]の話と、[[和菓子]]としての吉備団子には直接的な関係はないが、岡山が地元を桃太郎伝説のふるさととして創出する一環として<ref>{{Harvnb|加原|2011|p=150}}、"現在,岡山の桃太郎伝説の三大根拠とされるのが,名物の吉備団子⑸と桃、そして、吉備津彦命の温羅退治伝説である"</ref><ref group="注" name="kibitsuhiko-momotaro"/>、現在は、駅販売で双方をリンクさせた宣伝がされ、桃太郎の絵がパッケージに印刷された製品も店頭に並ぶ。 最近の製品は黍の割合がかなり低く、使用していない商品もある。また整形も[[ファクトリーオートメーション|オートメーション]]化されていることが多い。 同じく岡山県の特産品である[[マスカット・オブ・アレキサンドリア|マスカット]]のシロップを包み込んだ「マスカットきびだんご」や、[[モモ|白桃]]のシロップを包み込んだ「白桃きびだんご」、吉備団子に[[きな粉]]をまぶした「きなこきびだんご」など、数種類のバリエーション商品がある。 [[B&B (お笑いコンビ)|B&B]]の漫才の中で広島の[[もみじまんじゅう]]と共にネタの一つになっていた。 ==脚注== ===補注=== {{Reflist|group="注"|2}} ===出典=== {{Reflist|3}} ==参考文献== {{Refbegin}} * {{citation|和書|last=志田|first=義秀|authorlink=志田義秀|chapter=下篇 2 桃太郞槪論|title=日本の伝説と童話|publisher=日本の伝説と童話|year=1941|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453466|pages=303-315}} *{{citation|和書|last=岡|first=長平|title=おかやま庶民史: 目で聞く話|publisher=日本文教出版|year=1960|url=http://books.google.co.jp/books?id=8VEqAAAAMAAJ|pages=142-144}} **{{citation|和書|last=岡|first=長平|title=岡山の味風土記|publisher=日本文教出版|year=1986 |url=http://books.google.co.jp/books?id=DD9JAAAAMAAJ|pages=142-144}} *{{cite journal|和書|last=小池|first=藤五郎|title=古文献を基礎とした 桃太郎説話の研究(上)|journal=立正大学文学部論叢)|volume=第 26号|year=1967|pages=3-39 (pp. 21, 30-31)|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110000477022|issn=0485215X}} {{NAID|110000477022}} *{{cite journal|last=加原|first=奈穗子|title=「伝説のふるさと」の創造── 岡山県の「吉備路」と桃太郎伝説 ──|journal=早稲田商学|volume=第427 号|year=2011|pages=147-|url=http://www.waseda.jp/w-com/quotient/publications/pdf/wcom427_06.pdf}} *{{citation|和書|last=志田|first=義秀|authorlink=志田義秀|chapter=下篇 2 桃太郞槪論|title=日本の伝説と童話|publisher=日本の伝説と童話|year=1941|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1453466|pages=303-315}} *{{citation|和書|llast=武田|first=淺次郎|title=山陽名所記|publisher=日本の伝説と童話|place=岡山|publisher=武田淺次郎|year=1895|url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1084841}} {{Refend}} ==関連項目== *[[桃太郎]] *[[吉備津彦命]] *[[キビ]] *[[ドラえもん]] - 「[[桃太郎印のきびだんご]]」という[[ひみつ道具]]がある。 *[[THE MOMOTAROH]] - 桃太郎のキビダンゴは筋力増強剤「ハイパー・キビダンゴ」という設定。 *[[日本一きびだんご]] *[[大手まんぢゅう]] - 吉備団子と並ぶ岡山市の銘菓 == 外部リンク == *[http://www.kibi-dango.co.jp/ 株式会社 広栄堂武田] *[http://www.dango.co.jp/ 株式会社 山脇山月堂] *[http://www.koeido.co.jp/ 株式会社廣栄堂(廣榮堂本店)] *[http://kibitujinja.com/ 吉備津神社] {{food-stub}} {{デフォルトソート:きひたんこ}} [[Category:団子]] [[Category:土産菓子]] [[Category:岡山県の菓子]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:Citation
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Cite book
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Cite journal
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Food-stub
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Harvnb
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:NAID
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:NDLJP
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Otheruses
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Refbegin
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Refend
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Reflist
(
ソースを閲覧
)
テンプレート:Refn
(
ソースを閲覧
)
吉備団子
に戻る。
検索
検索
吉備団子のソースを表示
話題を追加