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千住大橋
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{{Ja_Route_Sign|4|align=left}} [[ファイル:Senjuōhashi -01.jpg|thumb|300px|千住大橋(2011年7月31日)]] [[ファイル:Senjyu ohashi_old.jpg|thumb|300px|竣工当時の千住大橋]] '''千住大橋'''(せんじゅおおはし)は、[[隅田川]]にかかる[[橋]]で、[[国道4号]]([[日光街道]])を通す。北岸は[[足立区]][[千住|千住橋戸町]]、南岸は[[荒川区]][[南千住]]六丁目。旧橋(下り方向)・新橋(上り方向)の二橋で構成されており、旧橋の上流側に[[東京都]]水道局の工業用水道専用橋である千住水管橋がほぼ並行する。 == 場所 == [[京成本線]][[千住大橋駅]]から徒歩2分程の位置にある。 == 現在の橋の概要 == '''旧橋''' * 構造形式 鋼タイド[[アーチ橋]] * 橋長 91.6m * 幅員 24.2m * 竣工 [[昭和]]2年(1927年)12月12日 * 施工主体 東京市復興局 * 設計 [[増田淳]] * 施工 [[IHI|石川島造船所]] '''新橋''' * 構造形式 3径間連続鋼箱[[桁橋]] * 橋長 502.5m *: 南千住交差点をオーバーパス出来る陸橋部が含まれている。 * 竣工 昭和48年(1973年)2月 * 施工主体 東京都 新橋は[[軽車両]]の通行が禁止されており、軽車両は両方向とも旧橋を通る。歩行者は旧橋・新橋共に通行出来るが、新橋は螺旋階段を昇降することになる。 == 橋の歴史 == [[ファイル:100 views edo 103.jpg|thumb|150px|[[歌川広重]]作 [[名所江戸百景]]より「千住の大はし」]] 最初に千住大橋が架橋されたのは、[[徳川家康]]が[[江戸]]に入府して間もない[[文禄]]3年([[1594年]])11月のことで、隅田川最初の橋である。当初の橋は現在より上流200mほどのところで、当時「[[隅田川の渡し|渡裸川の渡し]](戸田の渡し)」とよばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所と推測される。 架橋を行ったのは関東代官頭の[[伊奈忠次]]。橋長66間(120m)、幅4間(7m)の橋で、土木工事の大家だった伊奈忠次でも難工事だったようで、[[熊野権現]]に祈願してようやく完成したといわれた。 伊奈忠次が祈願したとされる熊野権現は南千住6丁目に現存しており、この故事が元となって橋が架け替えられるたびに社殿を橋の余材を使って修理、祈願をしたといわれる。また祭礼では橋の南北で橋長と同じ長さの66間の綱をつかって綱引きをして吉凶を占う行事があった。 架橋後は単に「[[大橋]]」とよばれ、それまで現在の[[白鬚橋]]付近にあった[[隅田川の渡し|橋場の渡し]]を経由していた[[佐倉街道]]、[[奥州街道]]、[[水戸街道]]の街道筋が、この橋に移った。幕府は江戸の防備上、隅田川にはこの橋以外の架橋を認めなかったが、後に[[明暦の大火]]等もあり交通上、安全上のため[[両国橋]]等が完成してから「千住大橋(小塚原橋とも)」と呼ばれていたようである。 千住大橋は何度も改架、改修が行われ、[[正保]]4年([[1647年]])、[[寛文]]6年([[1666年]])、[[天和 (日本)|天和]]4年([[1684年]])、[[享保]]3年([[1718年]])、[[宝暦]]4年([[1754年]])、[[明和]]4年([[1767年]])の計6回に及ぶ。なお、明和の架け替えの際に、ほぼ現在の位置に架け替えられた。最初の架橋から明治18年([[1885年]])[[7月1日]]の台風による洪水まで、流出が一度も無く江戸300年を生き抜いた名橋と言われる。明治18年の流出の際、下流の橋を守るために多くの[[水防夫]]が活躍した。 その後、二重の太鼓橋様式の木橋として再架橋され、[[関東大震災]]後の震災復興事業の一環として、昭和2年([[1927年]])に現在の鉄橋が架橋された。タイドアーチ橋としては日本最古のものである。昭和48年に交通量増大のために、下流側にぴったり接して新橋が架橋された。 == 千住小橋と親柱復元 == [[File:Senjyu kobashi.jpg|thumb|200px|足立区側橋下をくぐる千住小橋(2008年5月)]] 平成16年([[2004年]])8月に北岸足立区側の橋下をくぐる全長約31m、幅員2.6mの歩行者専用の「千住小橋」が作られた。以前は橋により堤防テラスが東西で分断されていたが、これにより通過が可能になっている。橋の下ということで[[ホームレス]]等の侵入・占拠を防ぐ目的として夜間は施錠され閉鎖される。 千住大橋の上流側には親柱が一部残されており、平成17年([[2005年]])1月に橋全体の塗装補修工事が行われた際に、あわせて親柱の復元改修が行われた。使用不能のままになっていた電灯が再設置されるなど架橋当時をできるかぎり復元したものである。 == 高野槇の橋杭 == はじめの千住大橋の橋杭材は[[伊達政宗]]が陸中南部地方から水に強くて朽ちにくい高野槇([[コウヤマキ]])の材木を寄進し、明治期の洪水によって流されるまで使われ続けたという根強い言い伝えがある。当時の古い[[川柳]]にも 「''伽羅よりもまさる、千住の槇の杭''」 と詠まれた。実際、流されてしまった後も住民たちが槇の杭を拾い集め、火鉢にしたり、仏像に加工して守り神として祀るなど、半ば伝説化していた。その後の調査によってこの高野槇の橋杭が千住大橋の橋下に残っていることが確認され、前述の千住小橋の橋上から、その遺構を確認することができる。 == 千住大橋を描いた作品 == * [http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/1434_20710.html 幸田露伴「水の東京」] * [http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/42265_19222.html 寺田寅彦「猫の穴掘り」] * [http://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/45493_23371.html 岡本綺堂「夢のお七」] * [[中村光 (漫画家)|中村光]]「[[荒川アンダー ザ ブリッジ]]」 == 路線バス == * [[都営バス]] ** [[都営バス千住営業所#草43系統|草43]] [[浅草]][[雷門]] - [[浅草公園六区]] - [[三ノ輪駅]] - [[都営バス千住営業所|千住車庫]] - [[足立区|足立区役所]] == 隣の橋 == * [[隅田川]] : (上流) - [[東京電力隅田川送電橋]] - [[千住水管橋]] - '''千住大橋''' - [[隅田川橋梁 (常磐線)|隅田川橋梁]] - [[隅田川橋梁 (首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線)|隅田川橋梁]] - (下流) == 関連項目 == {{Commonscat|Senju-ōhashi}} * [[千住]] * [[千住大橋駅]] * [[東京都の橋一覧]] * [[東京上野憲兵隊事件]] * [[もう半分]](千住大橋近くの居酒屋を舞台とする落語) {{隅田川の橋}} {{国道4号}} {{Coord|35|44|22|N|139|47|51|E|display=title|region:JP_type:landmark}} {{DEFAULTSORT:せんしゆおおはし}} [[Category:東京都区部の橋]] [[Category:足立区の橋]] [[Category:日本百名橋]] [[Category:千住]] [[Category:荒川区の交通]] [[Category:南千住]] [[Category:隅田川の橋]]
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