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北川博敏
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{{Infobox baseball player |選手名 = 北川 博敏 |所属球団 = オリックス・バファローズ |役職 = コーチ |背番号 = 85 |選手写真ファイル名 = OB-Hirotoshi-Kitagawa.jpg |写真のコメント = 現役時代(2008年6月8日、阪神甲子園球場) |国籍 = {{JPN}} |出身地 = [[兵庫県]][[伊丹市]] |生年月日 = {{生年月日と年齢|1972|5|27}} |没年月日 = |身長 = 180 |体重 = 95 |利き腕 = 右 |打席 = 右 |守備位置 = [[一塁手]]、[[三塁手]]、[[捕手]] |プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1994}} |ドラフト順位 = ドラフト2位 |初出場 = 1995年8月16日 |最終出場 = 2012年10月7日 |年俸 = 5,500万円(2012年) |経歴 = <nowiki></nowiki> * [[埼玉県立大宮東高等学校]] * [[日本大学硬式野球部|日本大学]] * [[阪神タイガース]] (1995 - 2000) * [[大阪近鉄バファローズ]] (2001 - 2004) * [[オリックス・バファローズ]] (2005 - 2012) |経歴補足題 = コーチ歴 |経歴補足 = <nowiki></nowiki> * オリックス・バファローズ (2013 - ) }} '''北川 博敏'''(きたがわ ひろとし、[[1972年]][[5月27日]] - )は、[[兵庫県]][[伊丹市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[捕手]])。 {{by|2013年}}より[[オリックス・バファローズ]]の二軍打撃コーチに就任。 == プレースタイル == [[三振]]が少なく粘り強い打撃が持ち味。勝負強い中距離[[打者]]だが、2003年、2004年をピークに[[長打]]は減少傾向で、[[併殺打]]もやや多めである。あまり機会はないが[[バント]]は高校時代に猛練習をしたこともあり自信を持っており、試合でも決めている<ref>[http://www.daily.co.jp/baseball/2011/04/25/0003997201.shtml 岡田マジックよ「5番にバント」][[デイリースポーツ]] 2011年4月24日</ref>。 守備範囲は多少狭いが[[グラブ (野球)|グラブ]]捌きは上手く、2007年は[[福浦和也]]の.995を上回るリーグトップの[[守備率]].998を記録している([[ゴールデングラブ賞]]は福浦が受賞)。 元々のポジションである[[捕手]]は長年務めていない。ただし、2004年には捕手を使い果たした試合で、[[梨田昌孝]]が「延長戦となったら北川を捕手で使うつもりだった。久々に北川の捕手が見られると思ったのに(同点に追い付けず敗れて)残念。」と語っている<ref>2004年9月13日[[サンケイスポーツ]] 5面記事 他。</ref>。 == 来歴 == ===プロ入り前=== [[兵庫県]][[伊丹市]]出身。中学1年のときに[[埼玉県]][[志木市]]へ転居。[[埼玉県立大宮東高等学校]]では3年時に主将を務め、夏の[[全国高等学校野球選手権埼玉大会|埼玉大会]]決勝戦では本塁打を放つなど、同校初となる[[第72回全国高等学校野球選手権大会|夏の甲子園]]出場に貢献。 卒業後、[[東都大学野球連盟]]所属の[[日本大学]]に進学し、一学年下の[[高根澤力]]と正捕手のポジションを争う。捕手としてレギュラーに定着した3年の春季リーグ戦で首位打者を獲得、ベストナインにも選ばれ、同年の[[日米大学野球選手権大会]]日本代表に選出された。4年時には主将を務め、日米大学野球日本代表に再選。リーグ通算75試合出場、244打数66安打、打率.270、4本塁打、33打点。 {{By|1994年}}の[[1994年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[阪神タイガース]]から2位指名を受け入団、背番号は'''9'''となった。 === 阪神時代 === 1年目の[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]でMVPを受賞するなど、打力のある捕手として期待されたが、チームには[[関川浩一]]・[[矢野燿大|矢野輝弘]]などが活躍しており、セールスポイントの打撃も一軍では結果を出せなかった。{{By|2000年}}には監督[[野村克也]]の息子・[[野村克則|カツノリ]]が加入したこともあり、出場機会に恵まれず7打数無安打に終わる。オフに[[湯舟敏郎]]・[[山崎一玄]]と共に、[[酒井弘樹]]・[[面出哲志]]・[[平下晃司]]との3対3のトレードで[[大阪近鉄バファローズ]]へ移籍、背番号は'''46'''となった。 === 近鉄時代 === {{By|2001年}}、この年は1月4日に藤井寺球場で自主トレを開始、「こんなにバットを振ったことはない」とコメントするほど練習した。[[梨田昌孝]]に認められて一軍に定着し、[[4月28日]]にプロ初本塁打を記録。[[5月27日]]は29歳の誕生日だったが、生まれて初めて[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]安打を放ち、[[お立ち台]]で涙を流した。その後2週間後にもサヨナラ打を放ち、9月24日の対西武戦では代打として出場し、[[松坂大輔]]から本塁打を放ち勝利に貢献している<ref>『サヨナラ近鉄バファローズ』P50</ref>。これでチームは優勝へのマジックナンバーを1とした。そして、[[9月26日]]の対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]戦で代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、チーム12年ぶりのリーグ優勝を決めた([[#代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打]]も参照)。続く[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]との[[2001年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では1勝4敗と敗れたが、全試合に出場して14打数7安打、打率.500の好成績を残した。 {{By|2002年}}は[[オープン戦]]で負傷し、43試合・打率.266・1本塁打・8打点と精彩を欠いた。 {{By|2003年}}、[[5月25日]]に不振の[[中村紀洋]]に代わって自身初の4番に座り、いきなり4安打3打点の大活躍をするなど、打率.309、13本塁打、50打点の成績を残した。 {{By|2004年}}、打撃を活かすため内野手へ転向する。開幕前に[[吉岡雄二]]が負傷したこともあって開幕スターティングメンバーに名を連ね、この年もアテネ五輪に出場した中村の代わりに4番に座っている<ref>『さらば大阪近鉄バファローズ』P33</ref>。この年、在籍する近鉄とオリックスとの球団合併問題が浮上。9月の[[プロ野球ストライキ|ストライキ]]のあった2試合を除く133試合にフル出場、打率.303・20本塁打・88打点の自己最高成績を収めた<ref>同年のパ・リーグで全試合出場を果たしたのは、北川・[[中島裕之]]・[[川崎宗則]]の3人だけだった。</ref>。シーズン最終戦だった9月27日の対オリックス戦では、4回表に[[具臺晟]]からソロ本塁打を放ち、これが近鉄球団最後の本塁打・打点となった。シーズン終了後、近鉄球団の合併消滅に伴い発足した新球団・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]との[[選手分配ドラフト]]でオリックスに所属することとなり、背番号も'''23'''となった。 === オリックス時代 === {{By|2005年}}、5番・一塁手として開幕スタメンに名を連ね、第2戦の対西武戦では7回表にオリックス・バファローズ第1号本塁打となる3ラン本塁打を[[長田秀一郎]]から放った。チームの主軸・[[ムードメーカー]]としての期待に応え、成績は前年に比べて打率こそ落ち込んだものの、チームトップの打点をマークするなど、主軸としての活躍を見せた。 {{By|2006年}}も開幕から中軸打者として活躍したが、シーズン中盤の試合中にダイビングキャッチを試みた際に、右肩を損傷。右肩関節唇損傷で選手生命を左右するほどの重傷と判明するが、[[8月13日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦まで強行出場した。その後、一軍登録抹消されて同月17日に手術を受け、残りの試合は欠場した。 {{By|2007年}}、選手会長に就任し、故障も癒えて引き続き主軸として5番を任された。チームは3年ぶりの最下位と低迷したものの、9本塁打を放ち、右肩の故障からの復活を果たした。 {{By|2008年}}、春季キャンプ中に[[肉離れ]]をおこし、開幕2軍スタートとなった。[[4月29日]]の対楽天戦より1軍に合流。ラロッカの離脱に伴い、三塁手で起用されることとなった<ref>本人のブログによると、三塁を守るのは約12年ぶりのことだった。</ref>。合流直後はそこそこの活躍を見せ、[[5月16日]]の対ロッテ戦では、[[渡辺俊介]]から2打席連続本塁打を放ち、自己最多の1試合6打点を記録した。しかし、夏場以降は調子を落とし、復帰直後は5番だった打順も終盤は6・7番あたりに下げられるケースが多くなる。得点圏打率も.244と伸び悩み、規定打席にも2年ぶりに到達しないなど、自身にとって不本意なシーズンとなった。一方で、2005年以来の2桁本塁打を放ち、2年連続で[[犠牲フライ]]数がリーグトップを記録した。 {{by|2009年}}、[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]の加入、ラロッカの復調により前年より更にスタメン出場が困難になった。主に右の代打を務めつつも、外国人4人が次々に戦線離脱したため、シーズン最後までスタメンに名を連ねた。しかし、打率以外のほとんどの面で前年の成績を下回り、本塁打は2本に終わった。 {{by|2010年}}、開幕戦を4番DHのスタメン出場で迎えた。本職である一塁手は[[アレックス・カブレラ]]・[[T-岡田]]に奪われ、DHでの出場が多かったが、打撃ではハイアベレージを記録。6月2日の対[[中日ドラゴンズ]]戦では、7点ビハインドの8回裏に3点返したあとの無死満塁の打席で、[[高橋聡文]]から同点満塁本塁打を放ち、チームの逆転サヨナラ勝ちに貢献した。その後も主力打者として活躍し続けたが、8月13日から登録抹消はされなかったものの10試合を欠場した。これは、7月14日のロッテ戦で左脛に自打球を当てた影響で、蜂窩(ほうか)織炎による発熱を発症したためであった。復帰後は、9月に100本塁打、1000本安打と節目の記録を次々と達成した。最終的には119試合に出場して打率.306、12本塁打61打点の成績を収めた。 {{by|2011年}}、キャンプ中に左腓骨骨折と肉離れを併発する。その後震災の影響で開幕が遅れたこともあり、開幕戦の復帰には間に合ったものの、完治していない状態で強行出場することとなる。主に5番指名打者・代打で出場し、6月12日の巨人戦では8回裏に[[澤村拓一]]から決勝2ランを放つ活躍も見せた。しかし、6月26日のロッテ戦で、7回表の先頭打者で、左翼線に二塁打性の打球を放ったが、二塁への走塁中に左足を負傷。左翼手の[[南竜介]]からの返球が逸れた事で、辛うじて一塁へ帰塁できたものの、そのまま立てなくなり担がれて退場<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=C8IVrrhTxnc&feature=related YouTube - 『故障発生です!』 北川が負傷も根性の走塁 6月26日 ロッテ-オリックス]</ref>。診断の結果、全治6ヶ月の[[アキレス腱断裂]]の大怪我であったため、翌日手術をした。この結果、残りシーズンを棒に振った。 {{by|2012年}}も開幕一軍入りし、[[6月5日]]の対ヤクルト戦(京セラドーム)で8回裏に[[押本健彦]]からアキレス腱断裂後初の本塁打を放つ。試合後のヒーローインタビューは「2対0からだったから」と辞退し、報道陣が集まった事に対しては「まるで引退する時みたい。まだやめませんよ」とコメントしたが<ref>[http://www.daily.co.jp/baseball/2012/06/06/0005113284.shtml オリ北川、アキレス腱断裂から復活弾]デイリースポーツ 2012年10月10日閲覧</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/06/06/kiji/K20120606003404460.html 北川 アキレス腱断裂から復帰後初本塁打「記憶に残る」]スポーツニッポン 2012年10月10日閲覧</ref>、結果としてこれが現役最後の本塁打となった。[[7月16日]]に登録抹消され、この時「もう潮時かな」という気持ちになった事を引退試合後の会見時に述べている<ref>[http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/2693.html 北川博敏選手、引退会見]オリックス球団公式サイト</ref>。[[10月3日]]、現役引退を発表し<ref>[http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/2686.html 北川博敏選手現役引退のお知らせ]オリックス球団公式HP 2012年10月3日配信</ref>、10月7日の本拠地最終戦の対西武戦(京セラドーム)を引退試合として5番・一塁として先発出場、5回裏の第3打席で2死2塁の場面で[[菊池雄星]]からレフトオーバータイムリーを放っている<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20121007-1029287.html 【オリックス】北川引退試合で適時打!]ニッカンスポーツ 2012年10月7日</ref>。 === 引退後 === [[11月4日]]、2013年からオリックスの2軍打撃コーチに就任する事が発表された<ref>[http://www.buffaloes.co.jp/news/detail/2732.html 2013年度コーチングスタッフ発表のお知らせ]オリックス球団公式サイト</ref>。 == 人物 == 常に笑顔を絶やさず[[阪神タイガース]]時代から'''スマイリー'''の愛称を持ち、顔が似ていることから'''[[アンパンマン (架空のキャラクター)|アンパンマン]]'''とも言われている。また自身のヒッティングマーチにもあるように近鉄時代の優勝を決めた[[サヨナラゲーム#代打逆転サヨナラ満塁釣り銭なし優勝決定本塁打|代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打]]のインパクトの強さから「奇跡を呼び込む男」ともいわれている(具体的にはヒッティングマーチの歌詞がこの一打により、翌2002年から上記のフレーズが入ったものに変更になった。結果的に一振りで歌詞が変わってしまうという極めて稀な事が起こったのである)。 兵庫県伊丹市出身のスポーツ選手で結成されている[[NPO]]法人「[[伊丹アスリートクラブ]]」に所属し、シーズン中は「北川ホームラン基金」、シーズンオフにはイベントを行っている<ref>[http://www.iac-npo.net/athleteprof.html]伊丹アスリートクラブ公式サイト</ref>。 ひょうきんな性格で知られ、現在のテーマ曲は[[逆転イッパツマン]]([[タイムボカンシリーズ]])のテーマである(2009年よりチャンス時のみ)。2002年は「KC&ザ・サンシャイン・バンド」の「That's the way (I Like It) 」だった。 趣味は釣り・[[ザリガニ]]飼育で、オフには自身のブログにその様子を掲載している。 球団では「きたがわびっクリあんぱん」と「キタガワビッくりームパン」を発売している<ref>[http://itami-city.jp/mp/kitagawa/?sid=139]伊丹市ポータル「いたみん」[伊丹市トップ]</ref>。 好きなアーティストは[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]で、2009年から自身のテーマ曲にもスピッツの楽曲を使用している。またライブにも度々訪れている。メンバーの[[草野マサムネ]]とは交流も深く、ブログにも登場している。 === 代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打 === [[2001年]][[9月26日]]、チーム135試合目、本拠地大阪ドームでの同年度最終戦となる対オリックス・ブルーウェーブ戦。近鉄は1回に先制するも、先発[[ショーン・バーグマン]]が5回までに[[吉岡雄二]]の2失策もあり4失点と打たれ、7回に[[憲史|川口憲史]]の本塁打も出たが、9回表には[[岡本晃]]が[[相川良太]]に本塁打を打たれ、9回表終了時点でのスコアを5対2とした。 オリックスは8回途中から守護神[[大久保勝信]]を送り、3点リードされた9回裏、近鉄は先頭の吉岡が出塁、続く川口がニ塁打、代打[[益田大介]]が四球を選んで無死満塁とした。ここで最初から監督の[[梨田昌孝]]は「アイツしかいない。今年のアイツは何かをやる」として<ref name="SN07828">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_september/KFullNormal20070828150.html 【9月26日】2001年(平13) 近鉄最後のV 決まり手は代打逆転サヨナラ満塁弾]スポーツニッポン 2012年10月11日閲覧</ref>、この試合三打席凡退の[[古久保健二]]の代打として北川を打席に送る。北川は後にこの時の状況を「益田さんが四球を選んで満塁となって困ったなぁと思いました」とコメント。理由として「塁が詰まると引っかけてゲッツーが多いから」とした。 コーチの[[真弓明信]]からは「思いきりいけばいい」と言われ、北川は「これで気持ちは楽になった」としている。 カウント2ストライク1ボールとなった4球目。大久保は「真っ直ぐ狙いのような気がした。スライダーで打ち取ろうと思った」として投じたスライダーが真ん中に入り<ref name="SN07828"/>、北川は「(大久保の手から)球が離れた瞬間、これはと感じて素直に振りぬいた」「打った瞬間、野手の間は抜けると思ったが、本塁打にはなるとは思ってなかった」とした打球はバックスクリーン左横に飛びこむ、プロ野球史上初となる「'''釣銭無しの代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打'''」を放っている。優勝決定とつかない場合でも45年ぶり2人目。「代打逆転サヨナラ満塁本塁打」としては6人目、近鉄では[[1984年]]の[[柳原隆弘]]以来2人目<ref>週刊ベースボール 2011年11月7日号P96</ref>。最終的なスコアは6対5、チームのパ・リーグ優勝が決定した<ref>この節のここまでの出典は特記ない場合、日刊スポーツ出版社発行『サヨナラ近鉄バファローズ』P50-53、及び、ベースボール・マガジン社発行『さらば大阪近鉄バファローズ』『週刊ベースボール別冊』2004年冬季号)P32-33とする</ref>。 : 打たれた側と打った側のそれぞれの監督である梨田と[[仰木彬]]はその年のオフ、両チームの監督を務めたこともある[[西本幸雄]]も交えて対談しており、この時の状況について、仰木は「オリックスの勝ちペースで今日は梨田の胴上げを見ずに済む」と考えていたが、「8回から雲行きがおかしくなった」として、「9回に満塁になった時はもう完全に予測できるくらい(笑)」とコメントしている。また試合前には「おめでとう、胴上げされても泣くなよ」と梨田に言っており、梨田も「今日は勝たせてくれるのかな」と思ったとしているが、仰木は「心情的にはあったかもしれないけど、最後は本気になって勝ちにいった」とコメントしている。一方の梨田は「『北川にホームランが出たら代打逆転サヨナラ満塁本塁打で優勝だな』という気持ちがほんのちょっとあった」としつつ、「大部分は『頼むからダブルプレーだけは勘弁してくれ』という気持ちだった」としている。西本はこの試合をスタンドで仕事として観戦しており「あんな絵に描いたような奇跡は起こるわけがないと思ってた」とコメント、北川の起用については「何度かサヨナラ打を打っているラッキーボーイ的存在で、いい人選だった」としている<ref>この段落における出典は『さらば大阪近鉄バファローズ』P100</ref>。 2010年に[[日本野球機構]]が、「最高の試合」「名場面・名勝負」を選んだときにいずれでも、この時の試合が「総合」2位などに選ばれた。ここで、北川の一打は「"特盛"の一打」と形容されている。打った北川と打たれた大久保や、北川を代打に出された古久保もこの場面に投票している<ref>日本野球機構『[http://fan.npb.or.jp/slogan/2010/game/score/2001092601.html ここに、世界一がある。2001年9月26日 大阪近鉄-オリックス 26回戦 (大阪ドーム)]』2012年6月21日閲覧</ref>。 == 詳細情報 == === 年度別打撃成績 === {| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}} |- |style="text-align:center;"|{{by2|1995}} |rowspan="6" style="text-align:center;"|[[阪神タイガース|阪神]] |13||21||16||1||2||0||0||0||2||0||0||0||2||0||3||0||0||4||1||.125||.263||.125||.388 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1996}} |28||32||29||4||6||1||0||0||7||1||0||0||0||0||3||0||0||5||0||.207||.281||.241||.523 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1997}} |2||2||2||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||1||0||.000||.000||.000||.000 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1998}} |8||19||18||1||1||1||0||0||2||1||0||0||0||0||1||0||0||1||0||.056||.105||.111||.216 |- |style="text-align:center;"|{{by2|1999}} |39||74||66||4||10||3||0||0||13||1||0||0||5||0||2||0||1||10||2||.152||.188||.197||.385 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2000}} |10||8||7||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||1||0||0||0||0||.000||.125||.000||.125 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2001}} |rowspan="4" style="text-align:center;"|[[大阪近鉄バファローズ|近鉄]] |81||229||200||27||54||14||1||6||88||35||2||0||1||1||25||0||2||29||13||.270||.355||.440||.795 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2002}} |43||99||94||7||25||7||1||1||37||8||0||0||0||0||4||0||1||16||2||.266||.303||.394||.697 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2003}} |99||359||317||57||98||23||1||13||162||50||5||0||1||3||37||0||1||38||7||.309||.380||.511||.891 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2004}} |'''133'''||580||508||75||154||27||0||20||241||88||7||2||4||2||62||3||4||70||15||.303||.382||.474||.856 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2005}} |rowspan="8" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]] |127||487||444||57||115||28||1||16||193||67||3||3||1||2||36||2||4||64||11||.259||.319||.435||.754 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2006}} |100||403||373||39||108||29||2||8||165||55||2||2||0||3||23||2||4||47||8||.290||.335||.442||.777 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2007}} |'''144'''||602||557||60||156||23||1||9||208||61||4||2||0||'''7'''||31||1||7||79||23||.280||.322||.373||.696 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2008}} |105||399||343||41||91||24||0||13||154||49||4||2||2||'''10'''||37||3||7||51||8||.265||.340||.449||.789 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2009}} |103||302||267||29||73||18||0||2||97||31||0||0||4||6||19||1||6||37||9||.273||.329||.363||.692 |- |style="text-align:center;"|{{by2|2010}} |119||403||362||42||111||25||0||12||172||61||2||1||0||6||28||0||7||65||6||.307||.362||.475||.837 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2011}} |51||172||159||11||41||11||0||1||55||17||0||0||1||2||8||0||2||23||4||.258||.298||.346||.644 |- |style="text-align: center;"|{{by2|2012}} |59||159||140||9||31||6||0||1||40||11||0||0||0||2||17||0||0||23||3||.221||.302||.286||.588 |- !colspan="2"|通算:18年 |1264||4350||3902||464||1076||240||7||102||1636||536||29||12||21||44||337||12||46||563||112||.276||.337||.419||.756 |} * 2012年シーズン終了時 * 各年度の'''太字'''はリーグ最高 === 年度別守備成績 === {| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;" !rowspan="2"|年度!!colspan="6"|一塁!!colspan="6"|三塁 |- !試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率 |- |1996||colspan="6"|-||6||1||1||0||1||1.000 |- |1999||4||25||5||0||3||1.000||colspan="6"|- |- |2000||3||2||0||0||0||1.000||colspan="6"|- |- |2001||16||144||4||0||10||1.000||colspan="6"|- |- |2002||1||1||0||0||0||1.000||colspan="6"|- |- |2003||58||453||35||1||45||.998||colspan="6"|- |- |2004||133||1347||85||6||121||.996||colspan="6"|- |- |2005||121||1070||71||8||104||.993||colspan="6"|- |- |2006||76||706||62||0||60||1.000||colspan="6"|- |- |2007||140||1307||84||3||104||.998||colspan="6"|- |- |2008||24||117||10||0||8||1.000||87||37||129||10||10||.943 |- |2009||42||289||24||1||31||.997||35||26||46||5||7||.935 |- |2010||38||290||27||4||24||.988||colspan="6"|- |- |2011||6||41||0||0||5||1.000||colspan="6"|- |- !通算||662||5792||407||23||515||.996||128||64||176||15||18||.941 |} {| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;" |- !rowspan="2"|年度!!colspan="11"|捕手 |- !試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!捕逸!!守備率!!企図数!!許盗塁!!盗塁刺!!阻止率 |- |1995||13||43||5||1||0||0||.980||13||11||2||.154 |- |1998||7||20||3||1||0||0||.958||2||1||1||.500 |- |1999||23||89||11||0||4||3||1.000||12||6||6||.500 |- |2000||1||1||0||0||0||0||1.000||0||0||0||- |- |2001||55||211||8||2||3||2||.991||30||25||5||.167 |- |2002||18||35||2||4||0||0||.902||12||12||0||.000 |- |2003||15||40||4||0||1||0||1.000||9||6||3||.333 |- !通算||132||439||33||8||8||5||.983||78||61||17||.218 |} === 表彰 === * [[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]MVP(1995年) * [[JA全農Go・Go賞]](最多二・三塁打賞:2006年8月) === 記録 === ; 初記録 * 初出場:1995年8月16日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]23回戦([[明治神宮野球場]])、9回裏に[[捕手]]として出場 * 初安打:1995年8月27日、対[[読売ジャイアンツ]]23回戦([[阪神甲子園球場]])、3回裏に[[槙原寛己]]から * 初先発出場:1995年8月20日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]17回戦([[横浜スタジアム]])、6番・捕手として先発出場 * 初打点:1996年8月16日、対[[中日ドラゴンズ]]18回戦([[ナゴヤ球場]])、9回表に[[中山裕章]]から * 初本塁打:2001年4月28日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]5回戦([[福岡ドーム]])、7回表に[[斉藤和巳]]から左越ソロ * 初盗塁:2001年6月20日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]16回戦([[西武ドーム]])、6回表に二盗(投手:[[青木勇人 (野球)|青木勇人]]、捕手:[[田原晃司]]) ; 節目の記録 * 1000試合出場:2009年8月6日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]13回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、5番・[[三塁手]]として先発出場 ※史上432人目 * 100本塁打:2010年9月11日、対東北楽天ゴールデンイーグルス23回戦([[宮城球場|クリネックススタジアム宮城]])、9回表に[[小山伸一郎]]から左越ソロ ※史上262人目 * 1000本安打:2010年9月21日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]23回戦([[札幌ドーム]])、9回表に[[武田久]]から中前適時打 ※史上261人目 ; その他の記録 * [[全球団から本塁打]]:2008年6月23日、対[[東京ヤクルトスワローズ]]4回戦([[明治神宮野球場]])、9回表に[[林昌勇]]から左越同点ソロ ※史上14人目 === 背番号 === * '''9''' (1995年 - 2000年) * '''46''' (2001年 - 2004年) * '''23''' (2005年 - 2012年) * '''85''' (2013年 - ) == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} <references /> == 参考資料 == * サヨナラ近鉄バファローズ(2004年、[[日刊スポーツ出版社]]発行)ISBN 4817252413 * さらば大阪近鉄バファローズ(『週刊ベースボール別冊』2004年冬季号。[[ベースボール・マガジン社]]発行) == 関連項目 == * [[兵庫県出身の人物一覧]] * [[日本大学の人物一覧]] * [[阪神タイガースの選手一覧]] * [[大阪近鉄バファローズの選手一覧]] * [[オリックス・バファローズの選手一覧]] == 外部リンク == {{オリックス・バファローズ}} {{阪神タイガース1994年ドラフト指名選手}} {{デフォルトソート:きたかわ ひろとし}} [[Category:日本の野球選手]] [[Category:日本大学硬式野球部の選手]] [[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]] [[Category:大阪近鉄バファローズ及びその前身球団の選手]] [[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]] [[category:野球指導者]] [[Category:兵庫県出身の人物]] [[Category:1972年生]] [[Category:存命人物]]
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北川博敏
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