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'''勘定吟味役'''(かんじょうぎんみやく)は、[[江戸幕府]]において、[[勘定所]]の職務すべてを監査を担当した役職である。 == 概要 == 勘定吟味役は、[[勘定所]]に設置され、[[旗本]]・[[御家人]]から起用された。勘定所内では[[勘定奉行]]に次ぐ地位であったが、勘定奉行の次席ではなく[[老中]]直属の機関である。御定員数(おさだめいんずう、定員)は4~6名。格式石高500石、他に[[役料]](職務手当)300俵。平素は[[江戸城]]の中の間(なかのま)に詰めた。 勘定所は、幕府財政の収支、[[天領]]での[[年貢]]徴収、[[長崎貿易]]、[[郡代]]・[[代官]]の勤怠、貨幣[[改鋳]]など財政に関する事務一切を扱ったが、勘定吟味役はこれら職務すべてを監査した。財政支出を決定する際には必ず勘定吟味役の賛同を要した。老中直属であるから、勘定奉行を含め勘定所下僚に不正があった場合、直ちに老中に報告する権限を有していた。 はじめ[[徳川綱吉]]が設置し、元禄期に[[荻原重秀]]が独断で廃止してしまったが、[[新井白石]]が再度設置。享保期に財政担当と訴訟担当の吟味役に分離し、その後宝暦期には[[徳川家重]]の下命により、直属の部下13名をつけられ、独立した検査監査機構としての体制が整った。 幕臣は勘定吟味役になると、[[六位]]となり[[布衣]]が許される。[[享保の改革]]で[[足高の制]]ができて以降、下級幕吏が到達できるほぼ最高のポストとなり、これ以上の昇格は非常にまれとなる。 == 年表 == * [[1682年]]([[天和 (日本)|天和]]2年) :設置 * [[1699年]]([[元禄]]12年):廃止 * [[1712年]]([[正徳 (日本)|正徳]]2年) :再設置 * [[1721年]]([[享保]]6年) :公事方と勝手方に分離 * [[1758年]]([[宝暦]]8年) :吏員が増加し、機構が整う * [[1867年]]([[慶応]]3年) :廃止 == 関連項目 == *[[会計検査院]] {{DEFAULTSORT:かんしようきんみやく}} [[Category:江戸幕府の職制]] [[Category:勘定吟味役|*]]
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