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加藤一二三
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{{Infobox 将棋棋士 |image = |caption = |名前 = 加藤一二三 |棋士番号 = 64 |生年月日 = {{生年月日と年齢|1940|1|1}} |没年月日 = |プロ年度 = 1954年8月1日 (14歳7ヶ月、史上最年少記録) |出身地 = [[福岡県]][[嘉穂郡]][[稲築町|稲築村]](現・[[嘉麻市]]) |師匠 = [[剱持松二]]九段 |永世 = |タイトル = |段位 = 九段 |タイトル合計 = 8期 |優勝回数 = 23回 |最多最優秀棋士賞 = |作成日時 = 2011年5月28日 }} '''加藤 一二三'''(かとう ひふみ、[[1940年]][[1月1日]] - )は、[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]。実力制6人目の[[名人 (将棋)|名人]]。[[剱持松二]]九段門下(当初は[[南口繁一]]九段門下)。[[棋士 (将棋)#棋士番号|棋士番号]]は64。 [[棋界]]最古参棋士であり、[[戦前]]生まれの[[名人 (将棋)|名人]]経験者最後の存命者である。'''「1分将棋の神様」'''・'''「神武以来の天才」'''の異名を持つ。 == 略歴 == 現役棋士生活59年超、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位(更新中)であり、[[1950年]]代、[[1960年]]代、[[1970年]]代、[[1980年]]代、[[1990年]]代、[[2000年]]代の各年代で[[順位戦]]最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である(他には大山康晴が[[1940年代]]から1990年代までA級在籍。6つの[[デケイド|ディケイド]]でのA級在籍はこの二人のみ)。 史上最年少(14歳)でプロ棋士になった記録は半世紀以上過ぎた今もなお破られていない。 [[大山康晴]]十五世名人、[[中原誠]]十六世名人、[[米長邦雄]]永世棋聖を相手に、それぞれ100回以上対局([[百番指し]])。 == 人物 == 1940年1月1日、[[福岡県]][[嘉穂郡]][[稲築町|稲築村]](現・[[嘉麻市]])生まれ。[[カトリック教会|カトリック]]教徒であり、1986年に[[聖シルベストロ教皇騎士団勲章]]受章。[[紫綬褒章]]受章(2000年)。 [[早稲田大学]][[第二文学部]]西洋史学専修中退。 同年代の棋士からの愛称は「ピン(一)さん」。[[ファン]]からは「ヒフミン」の愛称で親しまれている。また自身の[[洗礼名]]にちなんだ「パウロ先生」という愛称もある<ref>[http://ch.nicovideo.jp/hifumi/blomaga/201401 ニャンとも言えない加藤一二三伝説 Vol.45] - 加藤一二三チャンネル</ref>。 盤上・盤外においての独特なこだわり、その強烈な個性と言動は老年においてなお話題を欠かせない棋士であり数多くの[[逸話]]([[伝説]])を残し続けている。 ==戦績== ===神武以来の天才=== 1954年に'''史上最年少棋士'''・'''史上初の中学生棋士'''<ref group="注">加藤一二三がプロになったのは中学3年のときで、[[谷川浩司]]は中学2年でプロになっているが、加藤が早生まれで谷川が4月生まれのため、史上最年少は加藤である。</ref>となる。「加藤一二三四段」という、漢数字の並びが話題となった。 さらには、同年度から[[順位戦]]で4年連続昇級して18歳でA級八段となるという偉業を成し遂げ、「'''神武以来の天才'''」と呼ばれた。A級順位戦の1年目は負け越したが、2年目(1959年度)で第19期[[名人戦 (将棋)|名人戦]](1960年)の挑戦権を得、20歳でタイトル初挑戦。七番勝負は[[大山康晴]]名人に1勝4敗で敗れた。 ===タイトル戦での大山・中原との対決=== 1960年代は、上記の名人戦を含めタイトル戦に7回登場したが、相手はいずれも大山であった。当時は大山の全盛期であり、毎年全部ないしはほとんどのタイトルを大山が占めていた。しかし、6度目のタイトル挑戦となった1968年度の第7期[[十段戦 (将棋)|十段戦]]において、大山十段(名人を含む四冠)をフルセットの接戦の末に破り、プロ15年目にして、ついに初のタイトル獲得を果たした。 1970年代から1982年にかけては、一転して[[中原誠]]との対決の時代となる(将棋界が「大山時代」から「中原時代」に移行したことも意味する)。 中原との対戦成績は一時1勝19敗という大差であったが、本人は特に苦手意識はなかったという。この期間、タイトル戦に14回登場したが、そのうち中原との対決は9回にも上った。当初は、1973年度の名人戦、および、1976年度・1977年度の十段戦で、中原の前に3回連続で敗退した。ところが、1977年度の第3期[[棋王戦]]では、前年に[[大内延介]]から奪った棋王位を、中原五冠王を相手に3-0のストレートで防衛し、六冠独占を阻止した。1978年度の[[王将戦]]では中原から王将位を奪取し、(直後に棋王戦で[[米長邦雄]]に敗れるまでの束の間ではあるが)自身初の二冠王となった。1980年度の十段戦では中原から4-1で奪取、翌年度も米長を相手に防衛を果たす。 ===名人獲得とその後のタイトル戦=== 3度目の挑戦となった1982年の第40期名人戦では中原に挑戦、4勝3敗・1持将棋・2千日手(実質十番勝負)という名人戦史上に残る空前の名勝負の末、初挑戦から苦節22年、念願の名人位を初めて手中にした<ref group="注">[[谷川浩司]]は、この名人戦最終局の解説会(東京・将棋会館)で解説役を務めていた。谷川の夢は中原名人に勝って名人位に就くことであった。谷川は当時の心境について「加藤先生には申し訳ないが、中原先生に名人のままでいてもらわなければ困ると思った。(解説役を務める立場なのに)加藤先生の勝ちとなったときには呆然とした。」との旨を語っている([[別冊宝島]]380「将棋王手飛車読本」)。翌年、谷川がA級1年目で加藤名人への挑戦権を得て、‘中原名人’ではなく加藤名人から名人位を初奪取することとなる。</ref>。また、十段と合わせ自身2度目の二冠制覇でもあった。 中原とのタイトル戦での対決は、中原が5回獲得、加藤が4回獲得という結果であり、全盛期の中原に対して大善戦した<ref group="注">中原との対局が最も多かった棋士といえば[[米長邦雄]]であるが、中原の全盛期にあたるこの期間(1970年代 - 1982年)に関して言えば、中原を相手にして米長がタイトルを獲得した回数は3回のみである。</ref>。1983年以降、両者はタイトル戦で相まみえることはなかった。 その後は、1984年度の第25期[[王位戦]]で[[高橋道雄]]から奪取するが、翌年に高橋に奪回され、以降、タイトル戦の舞台から遠ざかっている。一般棋戦の優勝は1993年度の[[NHK杯将棋トーナメント]] が最後である(2014年3月末現在)。なお、この優勝により、、[[1950年代]]、[[1960年代]]、[[1970年代]]、[[1980年代]]、[[1990年代]]の各年代で一般棋戦優勝を達成。五つのディケイドでの一般棋戦優勝は中原誠・谷川浩司らを上回る史上1位の記録である。 ===順位戦=== A級在籍期数(名人在位を含む)は通算36期であり、大山が44期、中原が29期であることを考えれば、非常に多いことがわかる。しかし、大山と中原が初のA級からの連続在籍であるのに対し、加藤の場合はA級とB級1組の間の往復がある。A級への復帰を決めたB級1組順位戦の期は、第16期(1961年度)、第21期(1966年度)、第23期(1968年度)、第51期(1992年度)の4回(= 4往復)である。このうち最初の3往復は、A級陥落から1期での即復帰である。 しかし、2002年度以降は陥落の道を歩む。2002年度の64期順位戦でB級2組に陥落が決定。2006年度は最終戦までB級1組昇級争いに絡んだが、2007 - 2008年度に棋士人生で初となる[[順位戦#クラスと昇級・降級#降級と降級点|降級点]]を2年連続で喫し、C級1組へ降級する。加藤が順位戦のC級で指すことになるのは、プロデビューから2年目の1955年度以来、53期・54年ぶりである。 2012年2月7日、第70期順位戦において降級点なしでC級1組の残留が決まり、このため2016年度まで順位戦に在籍可能となった。第71期順位戦では全敗で降級点を喫した(名人経験者の順位戦全敗は非常に珍しい)。第72期順位戦でC級2組への降級が決定。 名人経験者として順位戦のB級2組・C級1組・C級2組に陥落したのは史上初である。 加藤は2017年1月1日で満77歳を迎えるため、仮に2017年2月以降、加藤が引退宣言(またはフリークラスへ降格・定年による引退)して引退棋士となれば、[[丸田祐三]]の持つ最年長引退記録(77歳0か月)を更新することになる。 ===1000勝と1000敗=== 1989年8月21日、大山に次いで史上2人目の通算1000勝([[特別将棋栄誉賞]])を達成。さらに勝ち星を重ね、2001年には史上3人目の通算1200勝達成。棋士会において、自身が‘九段昇段後の1000勝’を達成したことを示し、(タイトル称号の「十段」ではなく)段位としての「十段」の新設を提案した。 2011年11月1日、史上3人目の1300勝を達成<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2011/11/1300.html 加藤一二三九段、1300勝を達成!(日本将棋連盟)]</ref>。2012年7月26日、通算勝数歴代2位の中原誠に並ぶ1308勝を達成<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/07/1308.html 加藤九段、通算勝数歴代2位に並ぶ1308勝を達成!(日本将棋連盟)]</ref>。2013年2月15日、東京・将棋会館で行われた王将戦1次予選で[[藤森哲也]]四段に勝ったため、公式戦通算成績が1309勝(1098敗)となり、通算勝数が歴代単独2位になった<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2013/02/1309.html 加藤九段、通算勝数歴代単独2位の1309勝を達成!(日本将棋連盟)]</ref>。 一方、2007年8月22日の[[朝日杯将棋オープン戦]]予選、[[戸辺誠]](当時四段)との対局において、史上初の通算1000敗を記録する(1261勝1000敗<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2007/08/-1000.html 加藤一二三九段 公式戦通算1000敗を記録(日本将棋連盟)]</ref>)。これは、加藤のキャリアの長さもさることながら、トーナメント戦(1敗すれば終わり)以外の対局、すなわち、タイトル戦の[[番勝負]]や挑戦者決定リーグ戦に数多く登場したことをも表す。なお、本人はテレビでこの話題に触れられた際、「150局くらいは逆転負けでした」と述べている。ちなみに、同日時点での通算敗数の史上2位は、[[有吉道夫]]九段の955敗(1061勝)であり、その後、有吉も通算1000敗を記録した。 その後、2013年3月12日の第71期名人戦・順位戦C級1組10回戦、[[阿部健治郎]]五段との対局において、通算1100敗を記録した。(1309勝1100敗<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2013/03/1100-1.html 加藤一二三九段、史上初の通算1100敗に(日本将棋連盟)]</ref>) 1954年8月1日に四段となってからの現役棋士生活58年超は、大山(1940年四段 - 1992年現役のまま死去)、[[関根茂]](1953年四段 - 2002年引退)や有吉道夫(加藤より9か月遅れて1955年に四段、2010年引退)、史上最年長の[[丸田祐三]](戦争によるブランクもあるが1946年四段 - 1996年引退)らを押さえて歴代1位であり、なお更新中である。 ==棋風== 半世紀にわたる棋士人生を通して[[将棋の戦法一覧#居飛車|居飛車]]党を貫き、数々の定跡の発展に貢献してきた。また、よいと思った戦型は何度も何度も採用し続ける傾向にある。[[羽生善治]]は「作戦が立てやすいことは立てやすいが100%同じ戦法で来るとなると不気味でもある。一つの戦法を突き詰めていくのも一つの生き方だし、一局一局が確実に次への知識になる。悪いことばかりでもないようだが、作戦が読まれて相手の研究にはまる危険性を考えると現実にそういう人はほとんどいない。だが加藤先生は全然恐れておられないようだ」と書いている(羽生善治「羽生善治 好機の視点」小学館文庫、初出は月刊[[将棋マガジン]])。 対[[振り飛車]]戦の居飛車では、特に[[大山康晴]]との戦いの経験を生かして作り上げた[[居飛車舟囲い急戦]]の各種の定跡において、加藤の創案が多い。対[[三間飛車]]急戦も、加藤の創案した仕掛けが多い。基本的に振り飛車には急戦で立ち向かうが、大山康晴にタイトル戦で挑戦した際に居飛車穴熊を採用したことが2回ほどある。 相居飛車戦では、[[矢倉3七銀#加藤流|矢倉▲3七銀戦法]]や、[[中飛車]]に対する[[袖飛車]]からの[[急戦]]は「'''加藤流'''」と呼ばれ、多くの棋士が採用している。 何と言っても有名なのは、「'''加藤[[棒銀]]'''」と呼ばれるほど棒銀戦法の採用率が高いことである。[[四間飛車]]に対して[[居飛車穴熊]]が流行してもなお、加藤は棒銀で挑み続けている。また、相居飛車の一つである[[角換わり]]の将棋においても、加藤は棒銀を採用する傾向にある(棒銀よりも[[腰掛け銀|腰掛銀]]を採用する棋士が多い)。 また、[[ひねり飛車]]や[[横歩取り]]3三桂のような空中戦も得意としている。横歩取り3三桂戦法も、一時期後手番で採用した。さらに、その後は、後手番では矢倉中飛車を多用した。 ;長考派・1分将棋の神様 :常に最善手を探すタイプのため、序盤からたびたび長考することが多い。有名なのは[[1968年]]の[[十段戦 (将棋)|十段戦]]第4局で、一手に7時間も考えたことである(休憩時間も含む)。長考するため終盤では持ち時間がなくなり、秒読みに追い込まれることが多い。しかし、そこからがまた強く、「秒読みの神様」あるいは「1分将棋の神様」の異名を持つ<ref group="注">ただし、中原誠は、「加藤さんが‘1分将棋の神様’、‘秒読みに強い’とは言っても、随分、手を間違えている。むしろ、1分将棋・秒読みに強いと感じさせるのは‘[[羽生世代]]’だ。」と述べている。([[別冊宝島]]380「将棋王手飛車読本」)</ref>。ただし、本人はクリスチャンであることから「神様」と呼ばれることには複雑で、「達人」と言ってもらいたいようだ。その強さは[[早指し]]の棋戦でも発揮され、[[NHK杯テレビ将棋トーナメント|NHK杯戦]]では羽生、大山に次いで歴代3位の優勝7回を誇り、他の早指し棋戦([[早指し将棋選手権|早指し選手権戦]]、[[JT将棋日本シリーズ|日本シリーズ]]、[[早指し王位決定戦]])でも数々の優勝をしている。ただしNHK杯戦においては、1993年の優勝以来、決勝の舞台に登場していない(もっとも、1993年当時53歳での優勝は大山には及ばないものの早指し戦としては際だった年長記録である)。 ;好きな駒は銀 :駒の中では「[[銀将]]」が好きだと述べている。前述のように棒銀戦法の使い手であり「銀は営業部長」と評している。鋭角的でどんどん前に出るから、うまくいけば良くなり、会社で言えば、営業部長で改革して業績を拡大するイメージがあるからとのこと<ref name="densetsu">(将棋ニュースプラス「ザ・加藤一二三伝説」本人談より)</ref>。 == 人物・エピソード == 加藤は将棋の内容以外のエピソードが多々ある。たとえば、[[2006年]]5月より「[[BIGLOBEストリーム]]」の「[[将棋ニュースプラス]]」では「ザ・加藤一二三伝説」が配信されている。また、2007年刊行の著書『一二三の玉手箱』([[毎日コミュニケーションズ]]刊)において、加藤自身が逸話のいくつかについて解説を加えている。 === 対局での流儀 === *右手で取った駒を左手に持ち替え、それを駒台に載せる前に、動かす駒を右手で盤にビシッと打ち付けるのが、加藤の独特のスタイルである。 *[[ネクタイ]]を[[畳]]に着きそうなくらい長く結ぶ。 *:対局中、時折、両膝をついたまま体を起こし、長く結んだネクタイを締め直すのも特徴。 *対局時の出前は、[[鰻重]]を毎回数年単位の長期にわたって、昼夜連続で取り続けていた。鰻重を食べる理由は以下の2点<ref name="densetsu" />。 *#すぐに届いて、すぐに食べられる。(鍋焼きうどんは冷めるまでに10分掛かり、昼食休憩時間60分の間に食べるには不向き。天麩羅定食を注文して届かなかったことが2回ある。などの過去の昼食に関する体験も語っている) *#対局中に他のことに神経を使いたくない。なお、NHKの科学番組で鰻重は短時間で滋養を得られる食事として紹介され、自信を持って食べているとのこと。 **ただし2013年現在は鰻重を注文することは少ない<ref>https://twitter.com/hifumikato/status/352755309619580930</ref>。本人曰く「医者から脂っこいものを控えるように言われている」とのことで、現在は「ざるそばと冷やしトマト」がお気に入り<ref>[http://www.nicovideo.jp/watch/sm22081493 ひふみん昼の新定跡] - ニコニコ動画</ref><ref>[http://photozou.jp/photo/show/3008244/193362715 今日はこれから収録へ。その...] - フォト蔵</ref>。また[[勝又清和]]によれば「昼はコンビニかスーパーでサンドイッチや果物を買う」ことが多いという<ref>https://twitter.com/katsumata/status/265705333429788674</ref>。 *甘いものが好きで、対局中に板チョコをばりばり食べる(特に[[明治製菓]]のものを好む)。[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]で放送された「[[大逆転将棋]]2007」における米長との「[[はさみ将棋]]名人戦・最終章・[[元湯・陣屋|陣屋]]決戦」でも、通常の対局のときのように持参してきた板チョコを対局中に食べ始め(同時にVTRにコミカルなBGMが流れ始め)、スタジオでVTRを見ていた出演者達の笑いを誘った。米長は「俺にも食べさせてくれないか」と申し出て、加藤から分けてもらって食べた。ちなみに[[カマンベールチーズ]]も好物である。 *NHK杯戦で優勝した際、優勝セレモニーの祝辞で当時の[[日本将棋連盟]]会長・[[二上達也]]九段に、「[[アマチュア]]の人が(加藤の対局中の奇行を)真似すると困るのでマナーに気を付けて欲しい」と言われた。もっとも二上は著書で、そのようなしぐさは本人が形勢の容易でないと思っているときに出るもので、対局相手にとっては良い兆候だったと述べている<ref>二上達也著『棋士』(晶文社、2004年)</ref>。 *箱根の旅館での対局時に人工の滝の音が耳障りであったため、滝を止めさせた。また天童では庭の水車を止めさせた。なお、羽生がタイトル戦で地方を回った際、加藤が滝を止めたと聞いた場所で自分も止めたという話を羽生から聞いたとのこと。また羽生は、加藤が過去5回は滝を止めた話を人から聞いたとのことだが、加藤の記憶にあるのは前述の2回である<ref name="densetsu" />。 === クリスチャンとして === * 1970年12月25日に[[洗礼]]を受ける。 * 1986年に[[ローマ教皇|ローマ法王]][[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]から[[聖シルベストロ教皇騎士団勲章]]を受章。有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない、と、将棋観戦記者である[[東公平]]に語ったのは、[[湾岸戦争]]の話をしていた時であった<ref>{{Cite book ja-jp | author = 東公平 | title = 熱闘!100番勝負 将棋・珍プレー好プレー | year = 1996 | publisher = 朝日ソノラマ | pages = 40}}</ref>。 * 自戦記などを書くとき、必ずと言っていいほど[[キリスト教]]のことに触れる。「キリスト教について」という章名を入れることさえある。「[[将棋世界]]」誌で自戦記を連載した際も、毎回必ず冒頭にキリスト教の話題を持ち出した。 * 対局中の望ましい態度として、「元気いっぱい、明るい気持ちで、前向きに積極的に、快活で、勇気を持っていること(ひるんだり、弱気になったり、落ち込むのは良くない)」が大事であり、いい状態を持続させるために祈ったり歌を歌ったりする<ref name="densetsu" />。 * 奥さんと一緒に四谷のキリスト教会([[聖イグナチオ教会]])でカップル相手に結婚相談を行っている<ref>『こんなツレでゴメンナサイ。』(望月昭著、[[文藝春秋]]、p165)</ref>。 === テレビでの解説役として === *ハイトーンの早口が特徴的で、人によっては慣れるまで聞き取りづらいこともある。NHK[[将棋講座 (NHK)|将棋講座]]の講師を務めたときも、やはり早口であった。2008年の第66期名人戦第3局の立会人を務めた際にNHK衛星放送の中継でゲスト解説も行ったが、解説に熱が入るあまり中継終了間際まで話し続け、司会者や放送解説の[[井上慶太]]らを慌てさせた。 *自分の勝った対局など、自慢エピソードについても遠慮せずに積極的に語ることが多い。 *両手でボディーランゲージをしながらしゃべる。両手を高い位置から下ろすときに、大きな丸を描きながら下げるのが癖である。 *数字の発音が特徴的である。たとえば、「△5三銀」の発音は「ごーさんぎん」が一般的であるが、加藤は「ごさんぎん」と発音する。「△6八銀」を「ろくはちぎん」ではなく、「ろっぱちぎん」などと言うのもしばしばである。 *2007年10月14日放送のNHK杯戦([[羽生善治]]対[[中川大輔]])で解説役を務めた際、最終盤で中川の玉のトン死(急転直下で羽生の勝ち)の筋に気づき、「あ、あれー!? あれ、あれ、待てよ、あれ、あれ、おかしいですねぇ? あれ、もしかしてトン死? えっと、こういって、あれれ、おかしいですよ。あれー、あれ、あ、歩が三歩あるから、あれ、トン死なのかな? えー。これトン死? トン死なんじゃないですかねー? ありゃ?あれ?あ、いや、これトン死かもしません。なんと…いやーこれ、銀、桂、歩が…歩が三つありますからね、いやまてよ、歩の数ちょっと計算が……こう行って歩行って取って打って、あ、ピッタリ間に合いますからこれは、大逆転ですね。たぶん。これは……詰ん、詰んでますよ。んー、ですねきっと。ピャアーッ」と驚嘆の声を連発した。さらには「NHK杯戦史上に残る大逆転、……じゃないかな?」と評した。 *2008年6月22日放送のNHK杯([[石田和雄]]対[[北浜健介]]戦)では北浜のことを何度も「北野さん」と誤って呼んだ。感想戦でも、ボヤくことで知られる石田とともにしゃべりまくった。 === トラブル === *当初の師匠は[[南口繁一]]九段であったが、1998年に、[[剱持松二]]八段の門下に変わった(変えた)。剱持とは以前から懇意にしており、また、剱持の師匠である[[荒巻三之]]九段(1993年に死去)とは家族ぐるみの付き合いだったという縁もあった。南口については「私が奨励会に入る時の師弟関係は親が勝手に決めた名目上のことで、私は師匠から一切世話にならなかった。私の師弟関係は無効であるにも関わらず、あたかも関係があったかのように扱われて、不名誉な思いをしてきた。また妻や妻の親戚の人達に長年にわたり不名誉で不快な思いをさせてきた。」との旨を述べている<ref>『将棋世界』1998年11月号</ref>。 *第13期[[銀河戦]]の[[阿部隆]]戦(2005年5月26日放映)の終盤で、桂馬を成らずで動かし、いったん指を離したが、直後に持ち直して成りに指し直してしまった。当初は対局者阿部の指摘で30秒経過し持ち時間を使って指したとみなし、持ち時間が減らされただけで勝敗の記録自体は加藤の勝ちのまま変更はなかった。後日、視聴者から「待った」ではないかとの指摘があり理事会で検討した結果「待った」の反則と確認された<ref>http://www.kansai-shogi.com/webmagazine/05-8-1.html</ref>。加藤への処分として対局料没収の上、罰金が科せられ次期の銀河戦は出場停止になった<ref>[http://www.shogi.or.jp/osirase/news/2005-06-2.html お知らせ(日本将棋連盟)]</ref>。([[銀河戦#備考|銀河戦の項]]参照)。 *将棋会館の暖房は音がして気が散るため、電気ストーブを好んでいる。電気ストーブを用いた際に相手も寒くないようにと等距離に配置したものの顔に当たり熱かったため、嫌がらせと誤解を受け、位置を是正した<ref name="densetsu" />。 *記録係の置いた将棋盤の位置を変えようとして、先に着席していた相手ともめたことがある。加藤はくじ引きを提案したが、相手が反対したため、手合係の仲介により先輩である加藤の顔を立てる案が提案をされ、また加藤が将棋盤の位置にこだわる理由(部屋の中央に置いた方が安定し、お互いに気持ちよい)を説明をした結果、相手は納得したが、今度は加藤が「対局場に入った場合は四段も名人も関係ない真剣勝負の場であるから、後輩が先輩の顔を立てるのは不本意であり、お互いに我慢をするのは良くない」とのことにより、結局くじ引きを行われ、当初の位置に落ち着いた<ref name="densetsu" />。 *棋聖戦で相手棋士からの申し入れにより、理事会から空咳(咳払い)をしないように指導されたことがある。(なお空咳をするときは絶好調であり、また空咳は体の中に溜まったストレスを体の外に出すという心理が働いていたと述べている。)<ref name="densetsu" /> *2008年12月、自宅マンションそばで[[野良猫]]を餌付けしたため、ふん尿をまき散らされるなどの被害を受けたとして、マンションの他の住人や管理組合から、餌やり中止と慰謝料など約645万円の賠償を求める訴訟を起こされた<ref>{{cite web |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081211/trl0812111202005-n1.htm |title=野良猫に餌やりでトラブル 訴えられた将棋・加藤元名人の「言い分」 |accessdate=2009-03-01}}</ref><!-- better citation wanted -->。2010年5月13日、東京地裁は原告の訴えを認め、加藤に餌付け中止と慰謝料204万円の支払いを命じた。<ref>[http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=80280&hanreiKbn=03 東京地方裁判所立川支部 平成20年(ワ)第2785号 猫への餌やり禁止等請求事件 平成22年5月13日判決]</ref><ref>[http://www.asahi.com/national/update/0513/TKY201005130260.html 野良猫餌やり、加藤・元将棋名人に慰謝料204万円命令] - asahi.com、2010年5月13日</ref>本人は「猫に長く生きてもらいたいと思ってした行動なのに、理解できない」と控訴する意向を示していたが、26日、控訴しない方針を明らかにした。毎日新聞の取材に加藤は「判決文を熟読すると、猫の命を大切にするという私の取ってきた行動を認めてくれている。私の主張は変わらないが、判決なのでルールとして受け入れる」と述べた。加藤自身は以前から、周辺住人の協力によらず、ほぼ一人で避妊や去勢手術を漸次施しているため、現在では4匹前後にまで野良猫は減っていたと報道されている。 === その他 === *[[昭和]]50年代のトップアマ棋士との駒落ち将棋に強く、昭和の真剣師[[小池重明]]にも角落ちで勝利している。金銀の使い方のうまさから下手泣かせとして知られた。 *[[1998年]][[11月6日]]の対[[土佐浩司]]戦(棋聖戦)から[[1999年]][[10月2日]]の対[[丸山忠久]]戦(A級順位戦)にかけて、'''21連敗'''した。トップ棋士であるはずのA級棋士が21連敗したことは、[[河口俊彦]]「新対局日誌」(「[[将棋世界]]」誌に連載)などで話題にされた。 *2009年の名人戦(羽生-郷田)第2局で立会人を務めた際、羽生の封じ手が収められた封筒に対局者だけでなく自らもサインし、また、翌朝の封じ手開封の時には自分が封じ手を見る前に郷田に封じ手用紙を渡して見せるという趣向を見せた。これに関して[[NHK衛星第2テレビジョン|NHK BS2]]の中継で司会を担当していた[[後藤理]]アナウンサーに問われると、「私がタイトル戦に出ていた当時は、第三者である立会人もサインしていた」「封じ手を最も見たい人に先に封じ手を見せたのは、私の‘新手’です」と自慢した。 *[[日本放送協会|NHK]]でかつて放送されていた[[音楽の広場]]にゲスト出演した時には、対局中に相手の側に立って自陣を反対から眺めるというエピソードが紹介されたが、それを極めて早口で説明したために、早口で鳴らす司会の[[黒柳徹子]]から「将棋の棋士なのに早口でいらっしゃるんですね」と感心されてしまう。対して加藤は「将棋はじっくり考えるんですがしゃべるのは早いんです」と応じた。 *2012年第25期竜王戦(渡辺-丸山)第1局2日目、[[ニコニコ生放送]]で解説を務めた際、初手からの丁寧な解説中に丸山が投了、解説が現局面に追いつかないまま対局が終了するという異例の事態となった。多くの昔話を交えながら解説する加藤のスタイルと、封じ手が88手目という1日目からの早い進行、そして14時頃という竜王戦史上最も早い終局時刻が重なったことによって起きた珍事であった。なおこの回のニコニコ生放送は、13時の解説開始から間もなく終局を迎えたこともあり、対局終了後30分間の休憩を挟んで、視聴者からのメールに答えるという趣旨で16時過ぎまで放送が続行された。 *2014年の第3回電王戦(COMソフト"ツツカナ"-森下)第4局の解説で、[[森下卓]]九段の勝勢を主張していたが、熱弁しているうちに指し手の先後が分からなくなり最後に「ですから、ツツカナさんの圧勝です」と言ってしまった(結果はツツカナの勝利)。 *ファンからの愛称は「ひふみん」で、本人も気に入っているという。<ref>[http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E4%B8%80%E4%BA%8C%E4%B8%89 ニコニコ大百科 加藤一二三の記事]</ref> ==語録== *その人に対して愛情がないと、正しく評価することはできない。 *いざ戦いの場に入ったら名人も四段も関係ないんです。 *人々に感動を与えるものを芸術と呼ぶならば、私の将棋は芸術でもあります。 *棒銀が弱いんじゃない、自分が弱いんです。 *あの滝は止まりませんか? *私から闘いを取ったら何が残るといえよう。勝負師である限り、命が尽きるまで勝負に明け暮れるのが棋士のさだめだ。 ==昇段履歴== *[[1951年]] 3級([[奨励会]]入会) *[[1952年]] 初段 *[[1954年]][[8月1日]] 四段(プロ入り、史上初の中学生棋士) *[[1955年]][[4月1日]] 五段([[順位戦]]C級1組昇級) *[[1956年]]4月1日 六段(順位戦B級2組昇級) *[[1957年]]4月1日 七段(順位戦B級1組昇級) *[[1958年]]4月1日 八段(順位戦A級昇級) *[[1973年]]11月3日 九段(九段昇格規定 30点) == 主な成績 == ;2014年4月1日までの通算成績 :対局数2435(歴代1位)、1315勝(現役1位)、1119敗(歴代1位)、タイトル戦の[[持将棋]]1 ===タイトル=== {| border="1" class="wikitable" |- align="center" style="background-color: #ccf;" |タイトル||[[番勝負]] |獲得年度 |登場 |'''獲得期数''' |連覇 |- align="center" |'''[[竜王戦|竜王]]'''||七番勝負<br/>10-12月 |- |<!---登場年度メモ--->- |<!---獲得--->- |<!--連覇--->- |- align="center" |'''[[名人戦 (将棋)|名人]]'''||七番勝負<br/>4-6月 |align="left"|82(第40期) |<!---登場年度メモ 60,73,82,83--->4 |<!---獲得--->'''1期''' |<!--連覇--->- |- align="center" |'''[[十段戦 (将棋)|十段]]'''||七番勝負<br/>(終了棋戦) |align="left"|68(第7期), 80-81 |<!---登場年度メモ 68,69,76,77,80-82--->7 |<!---獲得--->'''3期''' |<!--連覇--->2 |- align="center" |'''[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]'''||五番勝負<br/>6-7月 |- |<!---登場年度メモ 79前,81後 --->2 |<!---獲得--->- |<!--連覇--->- |- align="center" |'''[[王位戦|王位]]'''||七番勝負<br/>7-9月 |align="left"|84(第25期) |<!---登場年度メモ 63,84,85--->3 |<!---獲得--->'''1期''' |<!--連覇--->- |- align="center" |'''[[王座戦 (将棋)|王座]]'''||五番勝負<br/>9-10月 |- |<!---登場年度メモ--->- |<!---獲得--->- |<!--連覇--->- |- align="center" |'''[[棋王戦|棋王]]'''||五番勝負<br/>2-3月 |align="left"|76(第2期)-77 |<!---登場年度メモ 76-78 --->3 |<!---獲得--->'''2期''' |<!--連覇--->2 |- align="center" |'''[[王将戦|王将]]'''||七番勝負<br/>1-3月 |align="left"|78(第28期) |<!---登場年度メモ 61,66,67,78,79 --->5 |<!---獲得--->'''1期''' |<!--連覇--->- |- |colspan="6" align="center"|登場回数合計24、 獲得合計'''8期'''([[棋戦 (将棋)#タイトル獲得記録|歴代9位タイ]]) |- |} (2013年度終了現在。最新は1985年度の王位失冠。) === 一般棋戦優勝 === * [[王座戦 (将棋)|王座戦]](非タイトル戦時代) 1回(1962年度=第10回) * [[NHK杯将棋トーナメント]] 7回(1960年度=第10回、1966、1971、1973、1976、1981、1993年度) * [[早指し将棋選手権]] 3回(1977年度後期=第10回、1981年度=第15回、1990年度=第24回) * [[JT将棋日本シリーズ]] 2回(1983年度=第4回、1987年度) * [[天王戦]] 1回(1985年度=第1回) * [[名将戦]] 1回(1982年度=第9期) * [[東京新聞社杯高松宮賞争奪将棋選手権戦|高松宮賞争奪選手権戦]] 3回 ・・・ 優勝2回(1956年度=第1回、1964年度)、高松宮賞1回(1966年度) * [[日本一杯争奪戦]] 2回(1958年度=第2回、1960年度) * [[六・五・四段戦]] 1回(1955年度=第1回) * [[早指し王位決定戦]] 1回(1959年度=第6回) * その他優勝 1回 :優勝合計23回 ===在籍クラス=== 竜王戦と順位戦のクラスは、''[[将棋棋士の在籍クラス]]'' を参照。 === 将棋大賞 === *第 4回(1976年度) 最多勝利賞・連勝賞・技能賞 *第 5回(1977年度) 殊勲賞 *第 6回(1978年度) 殊勲賞 *第 8回(1980年度) 殊勲賞 *第 9回(1981年度) '''最優秀棋士賞'''・連勝賞 *第12回(1984年度) 最多勝利賞・最多対局賞 *第29回(2001年度) 東京将棋記者会賞 === 記録(歴代1位のもの)=== *最年少プロ棋士 14歳7ヶ月 *最年少勝利 14歳7ヶ月 *最年少A級 18歳 *最年少名人挑戦 20歳 *順位戦でのデビューからの4期連続昇級(加藤の他には中原のみ) *A級順位戦最多勝利 149勝 *A級順位戦最多対局 313局 ;珍記録 *最年少A級陥落 21歳 *最多A級昇級(降級) 5回 *最年少A級返り咲き 22歳<ref group="注">A級昇級年少記録全体で見ても、[[谷川浩司]]の19歳に次ぎ3位。</ref> *62歳A級(大山に次ぐ史上2位) === タイトル戦全成績 === {| border="1" class="wikitable" style="font-size:89%" |- align="center" style="background-color: #ccf;" |年度||タイトル||勝敗||相手||備考 |- |1960||[[名人戦 (将棋)|名人]]||○●●●千●||[[大山康晴]]|| |- |1961||[[王将戦|王将]]||●●●||大山康晴||指し込み |- |1963||[[王位戦|王位]]||○●○●●●||大山康晴|| |- |1966||王将||●●○●●||大山康晴|| |- |1967||王将||●●○●○●||大山康晴|| |- style="background-color:#ffcccc" |1968||[[十段戦 (将棋)|十段]]||●●○○●○○||大山康晴||奪取 |- |1969||十段||●●○○千●千●||大山康晴||失冠 |- |1973||名人||●●●●||[[中原誠]]|| |- |1976||十段||●○千●●○○●||中原誠|| |- style="background-color:#ffcccc" |1976||[[棋王戦|棋王]]||○○○||[[大内延介]]||奪取 |- |1977||十段||○●○●●○●||中原誠|| |- style="background-color:#ffcccc" |1977||棋王||○○○||中原誠||防衛、中原の六冠独占を阻止 |- style="background-color:#ffcccc" |1978||王将||●○○○○||中原誠||奪取、束の間の二冠王 |- |1978||棋王||●●○○●||[[米長邦雄]]||失冠 |- |1979||[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]]・前||●○●●||中原誠|| |- |1979||王将||●●○●○●||大山康晴||失冠 |- style="background-color:#ffcccc" |1980||十段||○●○○○||中原誠||奪取 |- style="background-color:#ffcccc" |1981||十段||●○●○○○||米長邦雄||防衛 |- |1981||棋聖・後||●●●||[[二上達也]]|| |- style="background-color:#ffcccc" |1982||名人||持●○●○千○●千○||中原誠||奪取、「十番勝負」、二冠王 |- |1982||十段||●○●○●●||中原誠||失冠 |- |1983||名人||●●●○○●||[[谷川浩司]]||失冠 |- style="background-color:#ffcccc" |1984||王位||○●●○●○○||[[高橋道雄]]||奪取 |- |1985||王位||●●●●||高橋道雄||失冠 |} == その他表彰 == *[[1977年]] - [[将棋栄誉賞]](通算六百勝達成) *[[1978年]] - 現役勤続25年 *[[1982年]] - [[将棋栄誉敢闘賞]](通算八百勝達成) *[[1986年]] - [[聖シルベストロ教皇騎士団勲章]] *[[1989年]]- [[特別将棋栄誉賞]](通算千勝達成) *[[1993年]] - 現役勤続40年 *[[2000年]][[4月29日]] - [[紫綬褒章]] *[[2001年]] - 通算千二百勝達成 *[[2003年]] - 現役勤続50年 *[[2012年]] - 第71回西日本文化賞<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/11/post-638.html 加藤一二三九段が第71回『西日本文化賞』を受賞(日本将棋連盟)]</ref> == 主な著書 == *加藤一二三名局集 現代将棋名局集5 (1981年1月、[[筑摩書房]]) *加藤流 矢倉+中飛車破り(1985年12月、筑摩書房、ISBN 4-480-67002-5) *楽しむ詰将棋(1992年12月、[[光文社]]、ISBN 4-334-71632-6) *加藤流 振り飛車撃破(2003年9月、[[毎日コミュニケーションズ]]、ISBN 4-8399-1236-X) *加藤流 最新棒銀の極意(2003年11月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1285-8) *加藤流 最強三間飛車撃破(2004年6月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1540-7) *加藤の振り飛車破り決定版(2005年3月、[[日本将棋連盟]]、ISBN 4-8197-0380-3) *一二三の玉手箱(2007年1月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-2277-2) *老いと勝負と信仰と(2011年4月、[[ワニブックス]]、ISBN 4-8470-6035-0) *将棋名人血風録 奇人・変人・超人(2012年5月、[[角川グループパブリッシング]]、ISBN 4-0411-0241-3) *羽生善治論 「天才」とは何か(2013年4月、角川グループホールディングス、ISBN 4-0411-0455-6) ==出演== ===テレビ番組=== *[[連想ゲーム]]([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) *[[音楽の広場]](NHK総合、1982年10月22日) *[[N響アワー]]([[NHK教育テレビジョン|NHK教育]]、2000年3月12日) *[[将棋講座 (NHK)|将棋講座]] 加藤一二三の大勝負この一手(NHK教育、2005年4月~9月) *[[アウト×デラックス]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]]、2012年~)準レギュラー(不定期出演) *[[たけしの等々力ベース]]([[BSフジ]]、2013年3月21日) *『神武以来の天才』加藤一二三(スカパー!、[[囲碁・将棋チャンネル]]、2013年8月3日) *[[FNS27時間テレビ 女子力全開2013 乙女の笑顔が明日をつくる!!]](フジテレビ、2013年8月3日) *[[くりぃむナントカ]]([[テレビ朝日]]、2013年11月29日) *今年スゴかった人全員集合テレビ2013(テレビ朝日、2013年12月31日)- ひふみんグッズがスゴい *『The GAME~震えた日~』(BSフジ、2014年1月2日) *[[開運!なんでも鑑定団]]([[テレビ東京]]、2014年1月14日) *将棋ウォーズカップ~芸能界最強決定戦(BSフジ、2014年4月26日・8月16日) ほか多数出演 ===ラジオ番組=== *[[日曜喫茶室]]([[NHK-FM放送|NHK-FM]]、2007年10月21日) *[[ラジオ深夜便]]([[NHKラジオ第1放送|NHKラジオ第1]]、2012年10月14日、10月15日) *[[吉田照美 飛べ!サルバドール]]([[文化放送]]、2013年7月29日) *[[荻上チキ・Session-22]]([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]、2014年5月6日) == 脚注 == {{Reflist|group="注"}} == 出典 == {{reflist}} ==関連項目== *[[将棋棋士一覧]] *[[棋戦 (将棋)]] *[[将棋のタイトル在位者一覧 (1)]] *[[棋風]] *[[名人 (将棋)]] ==外部リンク== * {{Twitter|hifumikato}} *[http://www.shogi.or.jp/player/kishi/katou.html 日本将棋連盟プロフィール] *[http://ch.nicovideo.jp/hifumi ニャンとも言えない一二三伝説] -ニコニコ公式ブロマガ *[http://hifumide.gozaru.jp/index.html 加藤一二三の魅力] *[http://www.newyorker.co.jp/magazine/feature/traditional_style/vol08/ 加藤一二三インタビュー] {{日本将棋連盟所属棋士}} {{将棋竜王戦}} {{将棋順位戦}} {{将棋大賞最優秀棋士賞}} {{Navboxes |title=タイトル(5冠)8期 |titlestyle=background-color:#FCF16E |list1= </span> {{名人戦 (将棋)|1期}} {{十段戦 (将棋)|3期}} {{王将戦|1期}} {{棋王戦|2期}} {{王位戦|1期}} }} {{DEFAULTSORT:かとう ひふみ}} [[Category:将棋棋士]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:福岡県出身の人物]] [[Category:日本のカトリック教会の信者]] [[Category:1940年生]] [[Category:存命人物]]
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