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劉和
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{{Otheruses|前趙の第2代皇帝|[[後漢]]末期に活躍した[[劉虞]]の子で[[袁紹]]配下の将|劉和 (後漢)}} {{基礎情報 中国君主 |名 =廃帝 劉和 |代数 =第2代 |呼称 =皇帝 |画像 = |説明 = |王朝 =漢 |在位期間 =[[310年]] |都城 = |諱 =劉和 |字 =玄泰 |諡号 = |廟号 = |生年 =不詳 |没年 =[[河瑞]]2年([[310年]])7月 |父 =[[劉淵|光文帝]] |母 =武元皇后 |皇后 = |陵墓 = |年号 = |注釈 = }} '''劉 和'''(りゅう わ)は、[[五胡十六国時代]]の漢(後の[[前趙]])の第2代皇帝。後世の史家によって'''廃帝和'''とも'''帝和'''と称される。身の丈は8[[尺]]もあり、剛毅さもかねて凛とした容貌を持っていた。 ==生涯== 光文帝[[劉淵]]の長男で、生母は[[匈奴]]の名門である'''武元皇后呼延氏'''(元勲の[[呼延翼]]の娘)。同母弟に[[劉裕 (前趙)|劉裕]]と[[劉隆 (前趙)|劉隆]]がいる。幼少時から学問に励み、『[[詩経|毛詩]]』、『[[春秋左氏伝]]』、『[[鄭氏易]]』を熟読した<ref>『[[晋書]]』が引く『[[載記]]』より。</ref>。 父が漢王を称すると、劉和は[[大将軍]]に任ぜられた。父が帝位に即くと、[[大司馬]]を兼ねて梁王に封ぜられた。やがて[[皇太子]]に立てられた。 [[河瑞]]2年([[310年]])に父帝が崩御すると、その後を継いで皇帝に即位した。しかし、劉和は文武を好み優秀ではあったものの、嫉妬深い上に猜疑心が強かった。兵権を握る異母弟の楚王[[劉聡]]の武勇を恐れ、同母弟の劉裕・劉隆や異母末弟の[[劉乂]]に対しても警戒していた。そのために母方の叔父である[[太尉]][[呼延攸]]の進言もあり、弟全員を排除しようとした。 しかし、末弟の劉乂らが劉聡に内通したため、不意打ちに失敗してしまった。ただでさえ皇族の中でも最大の武力を誇る劉聡の楚王軍に対して、たちまち朝廷軍は総崩れとなった。乗り込んだ劉聡の手により、劉和は、同母弟の劉裕・劉隆を巻き込んで、叔父の呼延攸と共にまとめて殺害された。その在位はわずか1ヶ月だった。 == 脚注 == {{Reflist}} {{前趙の皇帝|310年|第2代|漢}} {{DEFAULTSORT:りゆう わ}} [[Category:前趙の皇帝|わ]] [[Category:3世紀生]] [[Category:310年没]]
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