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別所長治
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 別所長治 | 画像 =Bessyo nagaharu.jpg | 画像サイズ =250px | 画像説明 = 「別所長治像」 [[兵庫県立歴史博物館]]蔵<ref>原本は、菩提寺である三木市法界寺蔵。[[狩野柳雪]]筆で、夫人像との対幅。掲載図は、法界寺本を元に博物館が制作した複製。</ref> | 時代 =[[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]] | 生誕 =[[永禄]]元年([[1558年]])※異説あり | 死没 =[[天正]]8年[[1月7日 (旧暦)|1月17日]]([[1580年]][[2月2日]]) | 改名 =小三郎([[幼名]])→長治 | 別名 =小三郎(通称) | 戒名 =英應院殿剛覚性金大居士 | 墓所 =法界寺(霊廟)、雲龍寺(首塚) | 官位 =[[従四位下]]・[[侍従]] | 主君 =[[織田信長]] | 氏族 =[[別所氏]] | 父母 =父:[[別所安治]]、母:[[浦上氏]] | 兄弟 ='''長治'''、[[別所友之|友之]]、[[別所治定|治定]] | 妻 =正室:'''[[波多野照子|照子]]'''([[波多野秀治]]の妹または娘) | 子 =竹姫、虎姫、千松丸、竹松丸 }} [[画像:Mikij8.jpg|250px|thumb|別所長治公像]] [[画像:Mikij19.jpg|250px|thumb|別所長治夫妻の首塚 / 雲龍寺]] '''別所 長治'''(べっしょ ながはる)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]・[[戦国大名|大名]]。[[別所安治]]の嫡男。通称は小三郎。正室の[[照子]](てるこ)は[[波多野秀治]]の[[妹]](娘とも)。 == 生涯 == [[元亀]]元年([[1570年]])、父・安治の病死により[[叔父]]の[[別所吉親|吉親(賀相)]]・[[別所重宗|重宗(重棟)]]を後見役に若くして[[家督]]を継ぐ。 [[別所氏]]は早くから[[織田信長]]に従っており、家督を相続した長治も[[天正]]3年([[1575年]])10月に信長に謁見<ref>年齢的にこの頃の[[元服]]であり、「長」の1字も信長から拝領したものとみられる。</ref>、翌年も年頭の挨拶に訪れている。[[天正]]5年([[1577年]])に信長が[[紀州征伐]]へ出陣すると、長治もこれに加勢した。しかし、信長が[[中国地方]]の[[毛利氏]]を制圧しようとすると、それに呼応して先鋒の役を務めようとしたが、中国方面総司令官が成り上がりの[[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]であることに不満を感じ、[[妻]]の実家である[[丹波国]]の波多野秀治と呼応して信長に反逆した<ref>信長に背いた理由は、長治本人も不満を抱いていたようだが、叔父である別所吉親の影響力が最も大きかったとされる。</ref>。多くの周辺勢力が同調、従わなかった勢力も攻め、[[播磨国|東播磨]]一帯が反織田となる。 これにより長治は、信長の命を受けた秀吉の軍勢に攻められることとなる。長治は[[三木城]]に籠もって徹底抗戦して秀吉を手こずらせ、さらに[[荒木村重]]の謀反や毛利氏の援軍などの好条件も続いて、一度は織田軍を撃退したものの、やがて秀吉の「[[三木合戦|三木の干し殺し]]」戦法に遭い、[[神吉城]]や[[志方城]]などの支城も落とされ、毛利氏からの援軍も途絶えて、遂に籠城してから2年後の天正8年([[1580年]])、城兵達の命を助ける事と引き替えに妻子兄弟と共に自害した。介錯は家臣の[[三宅治忠]](みやけ はるただ)が行った。享年23だが、『[[信長公記]]』では26とされている。 なお、別所重宗の[[嫡子]]で後の[[八木藩]]主・[[別所吉治|吉治]]が実は長治の子であるとする系図も伝えられており、落城の際に連れ出され落ち延びたものとしている。 また「北摂三田の歴史」([[北康利]]著)等で紹介される『上津畑ノ庄茶臼山記』と言う史料によると、家臣の[[後藤基国]](ごとう もとくに、[[後藤基次|後藤基次(又兵衛)]]の父)が、長治の千代丸という8歳の子を乳母、家来とともに[[上津城]]に逃がし、同城落城後は千代丸は帰農したとされている。 [[辞世]]は「''今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば'' 」。三木城跡の上の丸公園には、辞世の歌碑と、近年地元の[[ライオンズクラブ]]が寄贈した長治の騎馬武者石像が立てられている。 == 墓所・霊廟 == *雲龍寺([[首塚]]):[[三木市]]上の丸町 *:毎年[[祥月命日]]の[[1月17日]]には法要が営まれ、飢餓に喘いだ城兵が藁を食したという故事にちなんで藁に見立てたうどんが振る舞われる。 *法界寺([[霊廟]]、別所家[[菩提寺]]):三木市別所町東這田 *:月命日にあたる[[4月17日]]に追悼法要が営まれており、当時の合戦の様子を語る「三木合戦絵解き」が行われている。 その他、毎年[[5月5日]]には長治を偲ぶ「別所公春祭」が催され辞世の歌碑を前にした歌碑祭の他、[[時代行列|武者行列]]などのイベントが行われる。 == 関連事項 == ; 史料 *「[[別所長治記]]」(別所方文献、来野弥一右衛門著) *「[[信長公記]]」(織田方文献、[[太田牛一]]著) ; 小説 *「雑賀の舟鉄砲」(短編集「軍師二人」「言い触らし団右衛門」に収録。[[司馬遼太郎]]著) *「武門の意地」(短編集「西国城主」に収録。[[野中信二]]著) *「裏切り涼山」([[中路啓太]]著) *「一矢参らすべし」(短編集「青雲士魂録」に収録。[[津本陽]]著) *「今はただ恨みもあらず-別所長治」(短編集「滅びの将」に収録。[[羽山信樹]]著) ; テレビドラマ *[[おんな太閤記]] - 1981年、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[久世龍之介]] *[[秀吉 (NHK大河ドラマ)|秀吉]] - 1996年、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[伊藤高]] *[[功名が辻 (NHK大河ドラマ)|功名が辻]] - 2006年、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[平田康之]] *[[軍師官兵衛]] - 2014年、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[入江甚儀]] == 脚注 == {{Reflist}} == 関連項目 == {{Commons|Category:besho nagaharu}} *[[三木合戦]] *[[滝山城 (摂津国)#滝山城の戦い|滝山城の戦い]] *[[東大寺大仏殿の戦い]] {{先代次代|[[別所氏]]当主|1570 - 1580|[[別所安治]]|[[別所重宗]]}} {{DEFAULTSORT:へつしよ なかはる}} [[Category:別所氏|なかはる]] [[category:戦国大名]] [[Category:織豊政権の大名]] [[Category:播磨国の人物]] [[category:三木市の歴史]] [[Category:1558年生]] [[Category:1580年没]]
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