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'''凡夫'''(ぼんぷ、prithag-jana प्रिथग् जन)の[[サンスクリット語]]の「prithag-jana」は「必栗託仡那」と音写され、「異生」と訳される。これは[[衆生]]の項に説明がある。''[[玄応音義]]''には「凡夫というは義訳なり」といって、「婆羅必粟託仡那」(bala-prithag-jana)と解釈している。 一般的に凡夫とは「凡庸なる士夫」の意味で、十分に[[四諦]]の[[道理]]を知らない人をいう。「凡夫は身見をもって性となす」といわれて、我見にとらわれている人をいう。自己に実の我があると考え、自と他とを区別し自分に執着して、その差別観の中に苦悩している者のことである。[[見道]](けんどう)以前のものを凡夫という。 この'''凡夫'''を内凡(ないぼん)・外凡(げぼん)・底下(ていげ)の凡夫などと区別する。'''内凡'''とは見道に直前する[[四善根]]の位にある人、'''外凡'''とはその前の三賢の位にある人、'''底下の凡夫'''とは外凡以前の人々をいうのである。[[六道]]に[[輪廻]]するものを[[声聞]]、[[縁覚]]、[[菩薩]]、[[仏]]の[[四聖]]に対して六凡という。 [[聖徳太子]]は、「[[十七条憲法]]」の第十条で、「われ必ずしも聖に非ず、かれ必ずしも愚に非ず。共に是れ凡夫のみ」といって、凡夫を「ただびと」といわれ、お互いに許し合って生きてゆく世界の根本をここにもとめられている。 [[親鸞]]は『''一念多念証文''』に「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり」と凡夫を[[煩悩]]具足としてとらえている。 サンスクリット語のバーラ(baala)を毛道(もうどう)と訳し、「毛道凡夫」などという経典があるが、これはbaala बालをvaala वालと読みちがえたものである。 {{DEFAULTSORT:ほんふ}} [[Category:仏教用語]]
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