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'''冠松次郎'''('''かんむり まつじろう''', [[1883年]][[2月4日]] - [[1970年]][[7月28日]])は、[[日本]]の[[登山家]]であり、[[黒部峡谷]]の地域研究、山岳紀行文でも知られる。[[東京]]生まれ。 == 経歴 == [[1902年]]([[明治]]35年)頃より登山を開始し、[[奥多摩]]、[[日光連山|日光]]、[[富士山]]などの山を登った。[[日本アルプス]]の初登山は、[[1909年]](明治42年)。[[1911年]](明治44年)、[[白馬岳]]に登り、祖母谷を流れに沿って下り、初めて黒部峡谷に入る。その後、黒部の虜となり、本流を中心として支流・尾根を踏査し、秘境黒部の谷や山の全貌を明らかにした。[[1917年]]([[大正]]6年)、早月尾根より[[剱岳]]に登攀。[[1918年]](大正7年)には、[[立山]]一ノ越より御山谷を下降した。[[1919年]](大正8年)は、[[赤石山脈]]の[[聖岳]]にある[[遠山川]]西沢を初下降する。[[1925年]](大正14年)、黒部川[[黒部峡谷#下廊下|下廊下]]を鐘釣より平まで完全遡行に成功する。 その他にも、[[日本アルプス]]や[[奥秩父]]の渓谷の多くを遡行し、また優れた記録や紀行文を残してその魅力を広く紹介し、登山の中に[[沢登り]]という日本独自の分野を開いた。「黒部の父」とも呼ばれる。[[1953年]]([[昭和]]28年)、[[日本山岳会]]名誉会員。 == 著書 == * 『黒部渓谷』([[平凡社]]ライブラリー, [[1996年]]) ISBN 4-582-76145-3 * 『立山群峰』 * 『剣岳』 * 『渓』 * 『渓からの山旅』 * 『峰・渓々』 * 『山渓記』 ==外部リンク== *[http://www.books.or.jp/ResultList.aspx?scode=&searchtype=1&title=&series=&writer=%8a%a5%8f%bc%8e%9f%98Y&ymin=&ymax=&syuppansya=&isbn=&showcount=20&startindex=0 冠松次郎著書リスト] {{DEFAULTSORT:かんむりまつしろう}} [[Category:日本の登山家]] [[Category:山岳写真家]] [[Category:1883年生]] [[Category:1970年没]]
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