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内藤信旭
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 内藤 信旭 | 時代 = [[江戸時代]]中期 | 生誕 = [[延享]]元年([[1744年]]) | 死没 = [[宝暦]]12年[[6月17日 (旧暦)|6月17日]]([[1762年]][[8月6日]]) | 改名 = | 別名 = 貞一郎、三左衛門 | 諡号 = | 戒名 = 隆徳院栄誉俊厳了義 | 墓所 = [[新潟県]][[村上市]] 光徳寺 | 官位 = 従五位下[[豊前国|豊前]]守 | 幕府 = [[江戸幕府]] | 主君 = | 藩 = [[越後国|越後]][[村上藩]] | 氏族 = [[内藤家 (信成系)]] | 父母 = 父:[[内藤信興]]、母:[[奥平昌成]]の娘 | 兄弟 = '''信旭'''、[[内藤信凭|信凭]]、[[内藤頼尚|頼尚]] | 妻 = [[毛利匡敬]]の娘 | 子 = 養子:'''''[[内藤信凭|信凭]]''''' | 特記事項 = }} '''内藤 信旭'''(ないとう のぶあきら)は、[[越後国]][[村上藩]]の第4代藩主。第3代藩主・[[内藤信興]]の長男。 == 経歴 == 延享元年(1744年)[[江戸]]で生まれる。宝暦8年([[1758年]])12月1日、15歳で[[徳川家重]]に[[御目見]]し、12月18日従五位下豊前守となる。同11年([[1761年]])5月25日、父・信興の隠居によって家督を継ぎ、8月11日[[村上市|村上]]に入部する。 翌12年(1762年)6月17日、村上において卒去した。享年19。嗣子がなかったため、異母弟の[[内藤信凭|信凭]]がその跡を継いだ。 葬地は[[新潟県]][[村上市]]の光徳寺(以上「[[寛政重修諸家譜]]」新訂13巻202および203頁の記述に拠る)。現在の墓所も同じである。 == 特記事項 == *忌日を6月17日とするのは「寛政譜」の他「藩翰譜続編」(『新編 藩翰譜』2巻129頁)および「越後村上 内藤家譜」である。『村上郷土史』は5月28日と記す(116および80頁系図)。 *同じく『村上市史 通史編2』は5月28日死亡説をとり、(1)[[参勤交代]]の途上に会津坂下宿で病死した (2)相続願の受理まで家臣が死を隠した (3)これを「たぐい稀なる知謀の侍也」と「諸人舌を巻いて咄し」と記す「坂下宿の記録」があった、としている(362から363頁)。 *『村上郷土史』は法名を「'''英誉'''俊厳了義」と記している(80頁)。 == 出典 == *『新訂寛政重修諸家譜』13巻 続群書類従完成会、1984年 *『新編 藩翰譜』2巻 新人物往来社、1977年 *東京大学史料編纂所所蔵「越後村上 内藤家譜」(請求番号:4175-665)※[http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller 東京大学史料編纂所データベース]から検索・閲覧可能。 *『村上郷土史』村上本町教育会、1931年 *『村上市史 通史編2』村上市、1999年 {{先代次代|[[内藤家 (信成系)|内藤家(信成系)歴代当主]]|8代 |7代:[[内藤信興]]|9代:[[内藤信凭]]}} {{村上藩主|内藤氏|4代|1761年 - 1762年}} {{デフォルトソート:ないとう のふあきら}} [[Category:内藤家 (信成系)|のふあきら]] [[Category:村上藩主]] [[Category:譜代大名]] [[Category:1744年生]] [[Category:1762年没]]
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