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'''内廷皇族'''(ないていこうぞく)とは、独立した[[宮家]]を持たない宮廷内部の[[皇族]]を指す語である。具体的には、[[皇后]]、[[太皇太后]]、[[皇太后]]、[[皇太子]]とその家族、未婚の皇子女を指す。[[天皇]]を含めて彼らが営む独立の生計を「内廷」と称することから、天皇を除いた内廷の構成員を「内廷皇族」と呼ぶ。[[宮内庁]]では、正式には「内廷にある皇族」と呼んでおり「内廷皇族」は略称である。 ==内廷皇族の変遷== ===昭和時代前期=== [[Image:Showa-family1941_12_7.jpg|thumb|200px|昭和16年の天皇一家。ここに写っているうち、天皇を除く全員が内廷皇族に該当する。]] 戦前[[昭和時代]]前期においては、[[昭和天皇]]の母である[[貞明皇后]]、皇后良子([[香淳皇后]])と所生の皇子女たる[[東久邇成子|照宮成子内親王]]、[[久宮祐子内親王]]、[[鷹司和子|孝宮和子内親王]]、[[池田厚子|順宮厚子内親王]]、皇太子[[明仁|継宮明仁親王]]、[[常陸宮正仁親王|義宮正仁親王]]、[[島津貴子|清宮貴子内親王]]が内廷皇族であった。成子内親王は[[1943年]]([[昭和]]18年)[[10月13日]]に[[東久邇宮盛厚王]]との婚姻により、内廷皇族から内廷外皇族に移った(後に東久邇宮家の[[臣籍降下]]により皇族の身分を離れる)。 ===昭和時代後期=== 戦後の[[昭和時代]]中期~後期には昭和天皇の内廷は大きく変化した。[[1950年]]([[昭和]]25年)[[5月21日]]孝宮和子内親王が[[鷹司平通]]との婚姻により、皇族の身分を離れた。[[1951年]](昭和26年)5月17日には貞明皇后が崩御した。 [[1952年]](昭和27年)[[10月10日]]順宮厚子内親王が[[池田隆政]]との婚姻により、内廷皇族及び皇族の身分を離れ、一方で[[1959年]](昭和34年)4月10日には[[皇后美智子|正田美智子]]が皇太子明仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、[[1960年]](昭和35年)[[2月23日]][[皇太子徳仁親王|浩宮徳仁親王]]が明仁親王第一男子として出生した。同年[[3月10日]]清宮貴子内親王が[[島津久永]]との婚姻により内廷皇族、皇族の身分を離れた。1964年(昭和39年)9月30日には義宮正仁親王が[[正仁親王妃華子|津軽華子]]と結婚し[[常陸宮]]家を興し独立する。翌[[1965年]](昭和40年)11月30日には第二男子[[秋篠宮文仁親王|礼宮文仁親王]]が、[[1969年]](昭和44年)4月18日には第一女子[[黒田清子|紀宮清子内親王]]が誕生、内廷皇族に加わった。 ===平成以降の変遷=== [[1989年]](昭和64年)1月7日、[[明仁|皇太子明仁親王]]は天皇即位に伴い、内廷皇族ではなくなった。この時点においては天皇の母である香淳皇后、皇后美智子、皇太子徳仁親王、礼宮文仁親王、紀宮清子内親王が内廷皇族であったが、[[1990年]][[6月29日]]に文仁親王が[[文仁親王妃紀子|川嶋紀子]]との結婚により[[秋篠宮家]]を創設し独立、[[1993年]][[6月9日]]には小和田雅子が皇太子徳仁親王との婚姻により内廷皇族に加わり、[[2000年]][[6月17日]]香淳皇后が崩御して内廷皇族から外れ、[[2001年]][[12月1日]]に愛子内親王が誕生し内廷皇族に加わり、[[2005年]][[11月15日]]紀宮清子内親王が[[黒田慶樹]]との婚姻により内廷皇族及び皇族の身分を離れた。 [[2010年]]3月現在の構成は次のとおり。 *[[皇后美智子]](もと正田美智子) *:皇后は所生の皇子たる皇太子が天皇に即位すると皇太后となり、崩御すると太皇太后となり終生、内廷皇族に留まる。 *:皇后は離婚によって皇籍を離れることはできない。 *[[皇太子徳仁親王]](第一皇子。皇位継承順位第1位) *:皇太子およびその長男たる親王は、即位するまで内廷皇族の身分に留まる。皇太子の長男は、父である皇太子が即位するとともに皇太子となり独立の生計・組織を有するようになるが、身分上は内廷皇族のままである。 *[[皇太子徳仁親王妃雅子|皇太子妃雅子]](もと小和田雅子) *:皇太子妃は皇太子との婚姻によって内廷皇族に加わる。離婚もしくは皇太子との死別を受けての皇室会議の決定によって皇族の身分を離れない限り、内廷皇族の身分に留まる。 *[[愛子内親王|敬宮愛子内親王]](徳仁親王の第一女子) *:内親王は皇位継承資格、宮家を創設する資格ともにないため、降嫁([[親王妃]]、[[王妃]]となる場合も含む)しない限り内廷皇族の身分に留まる。ただし内親王が長期間内廷皇族の身分に留まる例はごく少ない。 ==関連事項== 天皇または皇太子の次男以下の親王は、誕生から独立して宮家を興すまで、内廷皇族の身分に留まる。 ==内廷皇族と内廷外皇族の子女の身位== 内廷皇族たる皇子、[[皇孫]]男子は例外なく[[親王]]である。内廷外皇族の男子は直宮家当主の子以外は[[王]]。内廷皇族の皇女、皇孫女子は例外なく[[内親王]]である。内廷外皇族の女子は直宮家当主の子以外は[[女王]]。 == 関連項目 == *[[内廷費]] {{DEFAULTSORT:ないていこうそく}} [[category:日本の皇室]]
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