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'''六朝'''(りくちょう)は、中国史上で[[建康 (都城)|建康]](建業)に都をおいた、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の[[呉 (三国)|呉]]、[[東晋]]、[[南北朝時代 (中国)|南朝]]の[[宋 (南朝)|宋]]・[[斉 (南朝)|斉]]・[[梁 (南朝)|梁]]・[[陳 (南朝)|陳]]の総称。 呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代([[222年]] - [[589年]])を'''六朝時代'''(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に'''六朝文化'''(りくちょうぶんか)と称することもある。 == 宗教 == 六朝時代は、中国における宗教の時代であり、六朝文化はこの時代に興隆した宗教を基に花開いた。一方では、[[後漢]]代に盛行した神秘的傾向の濃厚な[[讖緯説]]・[[陰陽五行説]]の流れの延長上に位置づけられる。また、後漢末より[[三国時代 (中国)|三国]]に始まる動乱と社会の激変に伴う精神文化の動揺が、従来の[[儒教]]的な[[聖人]]を超越した原理を求める力となったものと考えられる。 === 儒教・老荘 === 儒教では、[[魏 (三国)|魏]]の[[王弼]]が、[[五行説]]や讖緯説を排した立場で、[[経書]]に対する注を撰した。それと同時に、[[老荘思想]]の影響を受けた解釈を『[[易経]]』に施したことで、その後の[[晋 (王朝)|晋]]および[[南朝 (中国)|南朝]]に受け入れられることとなった。その一方で、[[北朝 (中国)|北朝]]では、後漢代の[[鄭玄]]の解釈が踏襲され、[[経学]]の南北差を生じさせるに至った。 魏晋の[[貴族 (中国)|貴族]]社会は、[[清談]]が尊重された時代であり、王弼や[[何晏]]が[[無為]]の思想に基づいた清談を行い、それが「[[正始 (魏)|正始]]の音」として持て囃された。次いで、[[竹林の七賢]]が、思想的・文学的な実践によって、それを更に推進した。その後、[[郭象]]が老荘の思想([[玄学]])を大成した。 === 仏教・道教 === 仏教の伝来は、後漢代のこととされる。但し、伝来当初は、外来の宗教として受容され、なかなか浸透しなかった。六朝代になると、後漢以来の神秘的傾向が維持され、老荘思想が盛行し、清談が仏教教理をも取り込む形で受け入れられたことから、深く漢民族の間にも受容されるに至った。そこで重要な役割を果たしたのは、[[仏図澄]]、[[釈道安]]であり、道安は[[鳩摩羅什]]の[[長安]]への招致を進言し、その仏教は門弟子である[[廬山]]の[[慧遠 (東晋)|慧遠]]の教団に継承された。慧遠は「[[沙門不敬王者論]]」を著して、覇者の[[桓玄]]に対抗した。 [[道教]]は、後漢代の[[五斗米道]]に始まる。その教団が三国の魏によって制圧されると、一時、その系統は表には現われなくなるが、[[4世紀]]初頭に、[[葛洪]]が現われ、『[[抱朴子]]』を著わして[[不老不死]]を説く道教の教理体系を整備した。この時代の道教信徒として知られるのは、書聖の[[王羲之]]である。その系統は、南朝梁の時代の[[陶弘景]]に受け継がれ、茅山派(上清派)道教の教団が形成された。一方、北朝では、[[寇謙之]]の新天師道が開創され、やはりその制度面での整備が、仏教教理も吸収する形で行なわれた。 == 六朝の一覧 == *[[呉 (三国)|呉]]([[222年]] - [[280年]]) *[[東晋]]([[317年]] - [[420年]]) *[[宋 (南朝)|宋]]([[420年]] - [[479年]]) *[[斉 (南朝)|斉]]([[479年]] - [[502年]]) *[[梁 (南朝)|梁]]([[502年]] - [[557年]]) *[[陳 (南朝)|陳]]([[558年]] - [[589年]]) ==関係した時代== '''[[魏晋南北朝時代]]'''([[184年]]-[[589年]])も参照のこと。 *[[三国時代 (中国)|三国時代]]([[220年]] - [[280年]]) *晋([[265年]] - [[420年]]) **[[西晋]]([[265年]] - [[316年]]) **[[五胡十六国時代]]([[304年]] - [[439年]]) *[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]([[439年]] - [[589年]]) == 参考文献 == *[[森三樹三郎]]著『六朝士大夫の精神』(同朋舎、1986年)ISBN 4810405176 *[[川勝義雄]]著 『魏晋南北朝』([[講談社学術文庫]]、2003年) **『六朝貴族制社会の研究』([[岩波書店]] 1982年) {{DEFAULTSORT:りくちよう}} [[Category:魏晋南北朝]] [[Category:南京]] [[Category:名数6|ちよう]]
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