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'''元井和一郎'''(もとい わいちろう、[[天保]]14年([[1843年]]) - 没年不明)は、[[越後国]][[刈羽郡]][[粕崎]]出身で、極短期間のみ[[新選組]]に所属。後、[[衝鉾隊]]隊士。兵糧方。本名'''熊七郎'''。 名主[[元井森右衛門]]の子として生まれたが、兄・鯛蔵と仲が悪く、[[安政]]5年([[1858年]])5月に家出して、上野伊勢崎の伯父・栄吉のもとに住み着く。[[文久]]元年([[1861年]])、今度は縁戚・乕吉のもとに移り、文久3年([[1863年]])には[[江戸]][[神谷町]]の商家[[越後屋]]万吉のもとを訪ねた。 [[元治]]元年([[1864年]])10月、新選組局長[[近藤勇]]による隊士募集に応じて一時新選組へ入隊するが、[[京都]]へ向かう前に脱退。越後屋の紹介で神奈川奉行所管轄の見廻方に就任し、和一郎と名乗る。 [[戊辰戦争]]が勃発すると、[[徳川幕府]]が崩壊して給料が得られなくなってしまったため、帰郷を決意。途中、[[佐野藩]]で[[古屋佐久左衛門]]率いる一隊(後、衝鉾隊)に遭遇し、なかば強制的に所属させられる。 会津に着くと、正式に兵糧方を任され、各地に従軍。[[仙台]]で[[榎本武揚]]艦隊と合流して[[蝦夷地]]へ渡った。この時、兵糧方頭取に昇格。 [[箱館戦争]]降伏後、[[静岡藩]]預かりとなり、[[明治]]3年([[1870年]])3月、赦免。以後の消息は不明となっている。 {{DEFAULTSORT:もとい わいちろう}} [[Category:新選組隊士]] [[Category:戊辰戦争の人物]] [[Category:箱館戦争の人物]] [[Category:1843年生]] [[Category:没年不明]]
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