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俳号
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{{出典の明記|date=2012年3月}} '''俳号'''(はいごう)あるいは'''俳名'''(はいめい、はいみょう)とは、[[俳諧]]あるいは後の[[俳句]]を作る際に用いる[[雅号]]のことである。現在は、[[俳人]]の雅号([[愛称]])という意味では「'''俳号'''」、「'''[[号]]'''」という呼びかたが主であり、「'''俳名'''」という場合は後述する[[歌舞伎]]役者が持つ異名を指すことが多い。 現代では俳号を持たない俳人もいるが、多くは句会で披講されるときに、選に入って自身の句が読み上げられると俳号を名乗る。 このほかに'''表徳'''(ひょうとく)ともいう。表徳とは表徳号のこと。古代中国で本名を呼ばれることを忌ることから付けられた別号のこと。日本では江戸期に[[通人]]が[[吉原]]などで本名を呼ばれることを嫌ってつけたもので、俳号、俳名とほぼ同じである。(『俳文学大辞典』角川書店) なお、現代の[[俳句団体]]では、団体によって差はあるが、常連メンバー同士が句会の際に用いる俳号だけでお互いを認識している場合がある。そういう意味で俳号は、[[オフラインミーティング]]を活発に行っている[[インターネットコミュニティ]]における[[ハンドルネーム]]に近い役割を担っていると言えよう(反対に、投句を機関紙に掲載する際には、俳号ではなく本名を掲載する団体もある)。 俳人以外でも俳号に由来する[[芸名]]もある。その代表的な例としては[[大橋巨泉]](本名:大橋克巳)がある。これは元々[[早稲田大学]]在学中に俳人として名乗ったものであるが、のちに芸名とした。 ==歌舞伎の場合== [[江戸時代]]、歌舞伎役者には素養として[[俳諧]]をはじめとする風流の道をたしなむ者が多く、もともとはそのための[[号]]として'''俳号'''が生れたわけだが、この文化的流行が歌舞伎役者に一般化するにつれて'''俳名'''に変化し(現代の俳優名に発展)、'''俳名'''が役者の[[愛称]]として、[[舞台]]に声を掛ける際などにも使われるようになった。江戸時代後期に入ると名題以上の役者は、[[屋号]]、[[芸名]]のほかに、俳句を作る作らないに関わりなく必ず'''俳名'''を持つようになり、後にはその'''俳名'''が独立してひとつの[[名跡]]となることもあった。例えば[[市川團十郎]]([[市川宗家]])系統の[[市川三升|三升]]、[[尾上菊五郎]]系統の[[尾上梅幸|梅幸]]、[[尾上松緑|松緑]]、[[中村歌右衛門]]系統の[[中村芝翫|芝翫]]、[[中村梅玉|梅玉]]、[[片岡仁左衛門]]系統の[[片岡我童|我童]]、[[片岡我當|我当]]、[[片岡芦燕|芦燕]]などは'''俳名'''由来の名跡であるし、二代目[[市川猿之助]]が名乗った初代[[市川猿翁 (初代)|猿翁]]、八代目[[松本幸四郎]]が名乗った初代[[松本白鸚 (初代)|白鸚]]などはそれまで彼らが使っていた'''俳名'''を隠居名として[[名跡]]にしたものである。 [[役者]]たちのために作られる'''書抜き'''(台本のうちその役の科白だけを書抜いたもの)の表紙には、役名と俳名のみが書かれ、市川何某という芸名は記されないことが多い。名題役者に対する優遇の一つといえるだろう。ちなみに現在では俳名由来の名跡を継いだ役者にもそれとは別に俳名がある。例えば[[尾上梅幸 (7代目)|七代目尾上梅幸]]の'''俳号'''は「扇舎」であった。 == 関連項目 == *[[雅号]] *[[号]] *[[名跡]] {{DEFAULTSORT:はいこう}} [[category:歌舞伎用語]] [[category:称号]] [[Category:俳諧]] [[Category:俳句]]
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