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'''信託統治'''(しんたくとうち、trusteeship)は、[[国際連合]]の[[信託]]を受けた国が、[[国際連合総会]]および、[[信託統治理事会]]による監督により、一定の非独立地域を統治する制度である。国連憲章第75条に規定された制度である<ref>国連憲章76条b項「信託統治地域の住民の政治的、経済的、社会的及び教育的進歩を促進すること、各地域及びその人民の特殊的事情並びに関係人民が自由に表明する願望に適合するように、且つ、各信託統治協定の条項が規定するところに従って、自治または独立に向かってその住民の斬新的発達を促進すること」が定められている。</ref>。 [[国際連盟]]における[[委任統治]]制度を発展させて継承したもの。 国際連合の信託を受けて統治を行う国は'''施政権者'''という。施政権者は、1か国の場合が多いが2か国以上の共同でもよい。また、国際連合自身が施政権者となることも認められている。しかし、まだ実例はない。 == 信託統治地域 == 信託統治制度が適用される地域は、'''信託統治地域'''または、'''信託統治領'''という。信託統治地域は以下の 3 つの類型がある。 # [[国際連合憲章]]の発効時、([[1945年]][[10月24日]])において委任統治されている地域。 # [[第二次世界大戦]]の結果、敗戦国から分離される地域。 #: 実例は、旧[[イタリア]]領のソマリランドのみ。 # 海外領土を有する国が自発的に信託統治制度に移行させた地域。 #: 実例なし。 以下の 11 地域が信託統治地域とされた。括弧内が施政権者である。1994年10月の[[パラオ]]独立を最後に信託統治領は存在しない。 * [[ナイジェリア|西カメルーン]]([[イギリス]]) * [[カメルーン|東カメルーン]]([[フランス]]) * [[イタリア信託統治領ソマリア|ソマリランド]](イタリア) * [[タンザニア|タンガニーカ]](イギリス) * [[英領ゴールドコースト|西トーゴランド]](イギリス) * [[トーゴ|東トーゴランド]](フランス) * [[ルアンダ=ウルンディ]]([[ベルギー]]) * [[サモア|西サモア]]([[ニュージーランド]]) * [[太平洋諸島信託統治領|太平洋諸島]]([[アメリカ合衆国]]) * [[ナウル]](イギリス、[[オーストラリア]]、[[ニュージーランド]]) * [[パプアニューギニア|ニューギニア]](オーストラリア) 委任統治領は、原則として全て信託統治領に移行したが2つの例外がある。1つは、[[南アフリカ共和国]]が受任国となっていた旧ドイツ領'''南西アフリカ'''(現在の[[ナミビア]])である。 南アフリカは、信託統治への移行を拒絶し、委任統治制度も国際連盟の解散により消滅したものとして南西アフリカを植民地として扱った。これに対して、1960年に[[国際連合総会]]は、委任統治の継続を認定した上でその終了を決議する。1968年には、国際連合ナミビア委員会の統治下におく旨を決議した。しかし、南アフリカは、ナミビアが1990年に独立するまで占領を続けていた。 もう1つは、イギリスが受任国となっていた旧[[オスマン帝国]]領の[[イギリス委任統治領パレスチナ]]である。[[ユダヤ人]]と[[アラブ人]]に対する二枚舌外交が第二次世界大戦後に破綻してイギリスに対するテロ攻撃が激化したために、イギリスはパレスチナの統治を断念してこれを国際連合に委ねた([[パレスチナ問題]])。このため、パレスチナは信託統治に移行しなかった。イギリスの委任統治の期限切れとなる[[1948年]][[5月14日]]に、国際連合決議に従って[[イスラエル]]が建国を宣言。その結果、[[第一次中東戦争]]が勃発した。 === 西カメルーン === 施政権者はイギリス。委任統治前は[[ドイツ]]領。住民投票の結果、北部(北カメルーン)は、[[1961年]][[6月1日]]に西隣りの[[ナイジェリア]]に編入。南部(南カメルーン)は、同年[[10月1日]]に東隣りの[[カメルーン]](カメルーン共和国)に編入した。 === 東カメルーン === 施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。[[1960年]][[1月1日]]に独立してカメルーン共和国となる。1961年にイギリス信託統治領の[[南カメルーン連邦共和国|南カメルーン]]と合併して'''カメルーン連邦共和国'''となるが、1972年に連邦制を廃止して1984年に'''カメルーン共和国'''に改称した。 === ソマリランド === [[イタリア領ソマリランド]]は、イタリアの施政権による植民地であった。第二次世界大戦に敗れたため、信託統治領への移行を余儀なくされた。なお、他のイタリアの植民地は、[[エリトリア]]がイギリス領に、[[リビア]]が英仏共同統治領になり、[[エチオピア]]は1941年に独立を回復した。1950年より[[イタリア信託統治領ソマリア]]となり、1960年[[7月1日]]に独立して北西に位置するイギリス保護領(同年[[6月26日]]独立)と共に'''ソマリア共和国'''となった。1969年、'''ソマリア民主共和国'''に、1991年、[[ソマリア]]に改称。しかし、旧イギリス領はソマリランド共和国([[ソマリランド]]を参照)として一方的に独立を宣言した。旧イタリア領内も分裂状態となっている。 === タンガニーカ === 施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。[[1961年]][[12月9日]]独立。1964年4月26日、[[ザンジバル人民共和国]]と合併して'''タンガニーカ・ザンジバル連合共和国'''になる。同年10月29日、[[タンザニア|タンザニア連合共和国]]に改称。 === 西トーゴランド === 施政権者はイギリス。委任統治前はドイツ領。[[1957年]][[3月6日]]、西隣りの'''イギリス領ゴールドコースト'''と共に[[ガーナ]]として独立。1960年に共和国となる。 === 東トーゴランド === 施政権者はフランス。委任統治前はドイツ領。[[1960年]][[4月27日]]に独立して[[トーゴ|トーゴ共和国]]となる。 === ルアンダ=ウルンディ === 施政権者はベルギー。委任統治前はドイツ領。[[1962年]]7月1日、北部は[[ルワンダ|ルワンダ共和国]]として、南部は'''ブルンジ王国'''として分離・独立した。1966年、ブルンジ王国は、[[ブルンジ|ブルンジ共和国]]になった。 === ナウル === 施政権者はオーストラリア、ニュージーランド、イギリス。委任統治前はドイツ領。[[1968年]][[1月31日]]独立、[[ナウル|ナウル共和国]]となる。 === ニューギニア === 施政権者はオーストラリア。委任統治前はドイツ領。[[ニューギニア島]]の北東部と、ビスマーク諸島、ソロモン諸島の[[ブーゲンビル島]]からなる。1949年、ニューギニアの信託統治を維持したまま、ニューギニア島南東部のオーストラリア領パプアと行政単位を統合して'''パプアおよびニューギニア准州'''とした。1972年、'''パプアニューギニア准州'''と改称。[[1975年]][[9月16日]]、独立して[[パプアニューギニア]]となった。 === 西サモア === 施政権者はニュージーランド。委任統治前はドイツ領。1962年1月1日独立。1997年7月3日、[[サモア|サモア独立国]]に改称。 === 太平洋諸島 === 施政権者はアメリカ合衆国。委任統治前はドイツ領で、委任統治時代の受任者は[[日本]]。[[マリアナ諸島]]([[グアム島]]を除く)、[[カロリン諸島]]、マーシャル諸島の3諸島で構成される。[[グアム]]島のみは、1898年から米国領であり、1941年から日本が占領していたが1944年に奪還された。以後、米国の直轄領(準州)である。 太平洋諸島信託統治領だけは、国際連合憲章82条以下に規定される「戦略区域」に指定された(戦略区域信託統治領)。他の信託統治領は国連総会の管轄下に置かれたのに対し、この太平洋諸島だけはアメリカ合衆国が拒否権を持つ[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の管轄下に置かれ、施政権者(アメリカ)の軍事的利用が認められ、また、他国の立ち入りを随時に制限することができた。 アメリカは当初、この地域を一括して'''ミクロネシア連邦'''として独立させる計画であった。そして1965年に住民自治立法機関であるミクロネシア議会を設立した。しかし、初めに、マリアナ地区(グアム島を除くマリアナ諸島)が、1978年1月9日に米国自治領([[コモンウェルス (米国自治連邦区)|コモンウェルス]]、自由連合州)の[[北マリアナ諸島]]となり分離。残った各地域のうちマーシャル地区(マーシャル諸島)とカロリン諸島のパラオ地区は1978年に起草された「ミクロネシア憲法」草案が住民投票により否決され、個別に独立を模索することとなる。このため残されたカロリン諸島のコスラエ・トラック・ポナペ・ヤップの4地区で改めてミクロネシア連邦自治政府を設立した。これらのうちマーシャル地区とミクロネシア連邦は比較的早い時期に米国と[[自由連合盟約]](Compact of Free Association、コンパクト)を結び、どちらも1986年には独立国としてアメリカとの自由連合体制に移行した([[マーシャル諸島共和国]]および[[ミクロネシア連邦]])。パラオのみは1981年に発布した非核憲法によりコンパクトの承認に時間を要し、前2国から8年後の1994年10月1日に[[パラオ|パラオ共和国]]として独立した。これをもって国際連合の信託統治制度は役割を終えた。 == 委任統治との相違 == # 監督権限の強化。施政権者に対する監督事務を行う信託統治理事会は、3年に1度、各地域を視察して住民に対する人権侵害や搾取がないか自治・独立に向けた施政が行われているかを調査することとした。 # 地域住民から国際連合への請願制度を創設。委任統治では、住民からの請願を受理するのは受任国の役目で、国際連盟は関与しなかった。これに対し、信託統治では、住民からの請願を国際連合が受理することで、施政権者の不正を察知してこれを正すことが可能となった。 # 軍事利用の許可。委任統治では、地域の軍事利用は禁止されていたが信託統治では「戦略地区」の指定を受けることで、国際平和を目的とした軍事利用が認められる。 == 脚注 == <references /> == 参考文献 == == 関連項目 == *[[主権]] *[[国家の独立]] == 外部リンク == * [http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/unsintaku.html 委任統治領・信託統治領] [[Category:国際連合|しんたくとうち]] [[Category:信託統治|*]]
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