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保科正光
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 保科 正光 | 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[江戸時代]]前期 | 生誕 = [[永禄]]4年([[1561年]]) | 死没 = [[寛永]]8年[[10月7日 (旧暦)|10月7日]]([[1631年]][[10月31日]]) | 改名 = 甚四郎<ref name="戦国人名事典688">阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P688</ref>(幼名)→正光 | 別名 = | 諡号 = | 戒名 = 信厳道義大宝寺<ref name="戦国人名事典688"/> | 墓所 = [[長野県]][[伊那市]][[高遠町]]の建福寺<br />[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[虎ノ門]]の天徳寺 | 官位 = [[従五位]]下、[[肥後国|肥後]]守<ref name="戦国人名事典688"/> | 幕府 = [[江戸幕府]] | 主君 = [[武田勝頼]]→[[徳川家康]]→[[徳川秀忠|秀忠]]→[[徳川家光|家光]] | 藩 = [[下総国|下総]][[多胡藩]]主→[[信濃国|信濃]][[高遠藩]]主 | 氏族 = [[保科氏]] | 父母 = 父:[[保科正直]]、母:[[跡部氏]] | 兄弟 = '''正光'''、[[保科正重|正重]]、[[保科正貞|正貞]]、[[北条氏重]]、[[栄姫]]([[黒田長政]]継室)、[[安部信盛]]正室、貞松院([[小出吉英]]正室)、[[加藤明成]]正室 | 妻 = [[正室]]:[[真田昌幸]]の娘 | 子 = 養子:''[[保科正重|正重]]''、''[[保科正貞|正貞]]''、''[[保科左源太|左源太]]''、'''''[[保科正之]]''''' | 特記事項 = }} '''保科 正光'''(ほしな まさみつ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]前期にかけての[[武将]]・[[大名]]。[[下総国|下総]][[多胡藩]]主、後に[[信濃国|信濃]][[高遠藩]]の初代[[藩主]]となる。 == 生涯 == 永禄4年(1561年)、[[甲斐国|甲斐]][[武田氏]]の家臣・保科正直の長男<ref name="戦国人名事典688"/>として生まれる。天正10年([[1582年]])の武田氏滅亡後は、勝頼の人質になっていたのを[[井深大|井深茂右衛門重吉]]によって救出されて[[徳川家康]]に従い<ref name="戦国人名事典688"/>[[高遠城]]を預かった。天正12年([[1584年]])の[[小牧・長久手の戦い]]や[[天正]]18年([[1590年]])の[[小田原征伐]]にも参加し<ref name="戦国人名事典688"/>、家康の関東入部に伴って下総国多胡に1万石の領地を与えられた<ref name="戦国人名事典688"/>。天正19年([[1591年]])の[[九戸政実]]の反乱鎮圧にも参加し<ref name="戦国人名事典689">阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P689</ref>、天正20年([[1592年]])からの[[文禄・慶長の役]]においても家康に従って[[肥前国|肥前]][[名護屋城]]に在陣した<ref name="戦国人名事典689"/>。 [[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では、東軍に属して[[遠江国|遠江]][[浜松城]]を守備する<ref name="高遠藩15">長谷川『シリーズ藩物語、高遠藩』、P15</ref><ref name="戦国人名事典689"/>。戦後2ヶ月ほどは越前[[北之庄城]]に城番して[[法興寺]]の寺規定め、貢租の収納方法を定めるなど内政に尽力した<ref name="高遠藩15"/>。その功績により、戦後の11月に旧領に戻されて高遠藩2万5,000石を立藩する<ref name="高遠藩15"/><ref name="戦国人名事典689"/>。慶長8年([[1603年]])2月に[[森忠政]]の川中島領を預かり、[[松代城]]や[[飯山城]]の城番を担当した<ref name="高遠藩16">長谷川『シリーズ藩物語、高遠藩』、P16</ref>。慶長11年([[1606年]])の[[江戸城]]石垣普請や、慶長16年([[1611年]])の江戸城堀普請などでも功績を挙げた<ref name="高遠藩16"/><ref name="戦国人名事典689"/>。 慶長19年([[1614年]])の[[大坂の陣#大坂冬の陣|大坂冬の陣]]では、徳川方として[[淀城]]を守備し<ref name="高遠藩16"/><ref name="戦国人名事典689"/>、慶長20年([[1615年]])の[[大坂の陣#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]では[[天王寺・岡山の戦い|天王寺の戦い]]で武功を挙げ首級14を得たが、自らも槍傷3ヶ所、鉄砲傷1箇所を得た<ref name="高遠藩17">長谷川『シリーズ藩物語、高遠藩』、P17</ref>。このため、秀忠から祖父[[保科正俊|正俊]]や父正直に劣らぬ武功を受け継いだと賞賛されている<ref name="高遠藩17"/>。 [[元和 (日本)|元和]]2年([[1616年]])には[[越後国|越後]][[三条城]]城番を務めている<ref name="戦国人名事典689"/>。その後も慶長10年([[1605年]])と元和3年([[1617年]])の秀忠上洛、元和9年([[1623年]])と寛永3年([[1626年]])の秀忠・家光上洛に供奉し、秀忠の日光社参にも供奉した<ref name="高遠藩16"/>。また秀忠上洛の際、天皇と中宮の[[二条城]]行幸・行啓に勤仕した<ref name="高遠藩16"/>。 元和3年([[1617年]])、[[江戸幕府]]第2代将軍・[[徳川秀忠]]の庶子で、秘匿されて[[武田信玄]]の娘の[[見性院 (穴山梅雪正室)|見性院]]に預けられていた幸松丸(後の[[保科正之]])を[[養子縁組|養子]]として迎え、その養育に当たった。元和4年([[1618年]])には秀忠の上洛に従った功績として、5,000石を加増されて<ref name="戦国人名事典689"/>3万石の大名となる。元和6年([[1620年]])には[[大坂城]]番<ref name="戦国人名事典689"/>、元和9年([[1623年]])には[[伏見城]]番を務めた<ref name="戦国人名事典689"/>。 寛永8年(1631年)10月7日に死去した<ref name="戦国人名事典689"/>。享年71<ref name="戦国人名事典689"/>。 正光には養子として弟の[[保科正貞|正貞]]を迎えていたが、正貞とは不仲であったために(一説には正之に遠慮して申し出たとも)廃嫡し、同じく弟で養子の[[保科正重|正重]]も早世したため、遺言<ref group="注釈">遺言では養子左源次も廃嫡するが、左源次に十分な手当をするように命じている。</ref>で家督は正之に継がせている<ref name="戦国人名事典689"/>。 正室は真田昌幸の娘であるが、慶長15年([[1610年]])10月に早世している<ref name="真田昌幸p82"> 柴辻俊六 著『人物叢書‐真田昌幸』吉川弘文館、1996年、p.82</ref>。 == 人物 == 信仰心の厚い人物で、城内にあった諏訪神社を庶民が参拝できないからとして城外に移したり、多古の樹林寺の中にあった観音を模造して、同じ名前の寺を建ててそこに納めたりしている。秀忠からの信任は特に厚く、そのため正之の養育係を任されたとされる。養子の正之は正光の恩を忘れず、松平姓を名乗ることを許されても、終生保科姓を通し続けている。 == 脚注 == === 注釈 === <references group="注釈"/> === 引用元 === <references/> == 参考文献 == * {{Cite book|和書|editor=[[阿部猛]]|others=西村圭子|title=戦国人名事典コンパクト版|publisher=[[新人物往来社]]|date=1990年9月|isbn=4-404-01752-9}} * {{Cite book|和書|author=[[長谷川正次]]|title=高遠藩|series=シリーズ藩物語|publisher=[[現代書館]]|date=2005年11月|isbn=4-7684-7103-X}} * [[柴辻俊六]]『真田昌幸』[[吉川弘文館]](人物叢書)、1996年 ISBN 464205202X {{田子藩主|保科氏||1590年 - 1600年}} {{高遠藩主|保科氏|初代|1600年 - 1631年}} {{DEFAULTSORT:ほしな まさみつ}} [[Category:保科氏|まさみつ]] [[Category:戦国武将]] [[Category:譜代大名]] [[Category:高遠藩主]] [[Category:下総国の人物]] [[Category:信濃国の人物]] [[Category:1561年生]] [[Category:1631年没]]
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