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佐野信吉
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{{基礎情報 武士 |氏名=佐野 信吉 |画像= |画像サイズ= |画像説明= |時代=[[安土桃山時代]] - [[江戸時代]]前期 |生誕=[[1566年]]([[永禄]]9年) |死没=[[1622年]][[3月30日]]([[元和 (日本)|元和]]8年[[2月19日 (旧暦)|2月19日]]) |改名=小吉郎(幼名)→富田信種(初名)→佐野政綱→信吉 |別名=信宣 |戒名=源忠 |墓所=[[東京都]][[板橋区]][[小豆沢]]の[[総泉寺]] |官位=[[従五位]]下、[[修理職|修理大夫]] |幕府=[[江戸幕府]] |主君=[[豊臣秀吉]]→[[豊臣秀頼|秀頼]]→[[徳川家康]]→[[徳川秀忠|秀忠]] |藩=[[下野国|下野]][[佐野藩]]主 |氏族=[[富田氏]]→[[佐野氏]] |父母=父:[[富田一白]]、母:[[黒田久綱]]の娘<br>養父:''[[佐野房綱]]'' |兄弟=[[富田信高]]、[[富田高定]]、'''信吉''' |妻=正室:[[佐野房綱]]の養女([[佐野宗綱]]の娘) |子='''[[佐野久綱|久綱]]'''(長男)、[[佐野公當|公當]](三男)、娘([[島村貫吉]]室) |特記事項 = }} '''佐野 信吉'''(さの のぶよし)は、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]前期の[[大名]]。[[下野国|下野]][[佐野藩]]主。 == 生涯 == [[富田一白]](長家)の五男。 天正20年([[文禄]]元年:1592年)9月22日、[[佐野房綱]]の養嗣子となって佐野政綱と名を改め、[[佐野氏]]の家督を継ぐ。[[小田原の役]]によって[[佐野氏忠]]が追放された後、[[豊臣秀吉]]の[[宇都宮仕置]]によって一族の房綱が佐野氏の名代(当主代行)となったが、後日正式な当主を改めて擁立することになっており、房綱の奔走により信吉が佐野氏の養子として跡を継ぐことになった<ref>荒川善夫『戦国期東国の権力と社会』、91頁。</ref>。同年、[[豊臣氏|豊臣姓]]を下賜された<ref>村川浩平『日本近世武家政権論』、40頁。</ref>。後年、[[豊臣秀吉]]より「吉」字の[[偏諱]]を受け信吉と改める。 [[慶長]]5年([[1600年]])の[[関ヶ原の戦い]]では東軍に与したため、戦後に所領を安堵された。 [[1614年]](慶長19年)3月に江戸で火災が起きた際、自領の下野佐野から江戸に急行し消火作業に活躍するが、これが逆に、無断参府として幕府に咎められた。豊臣家に縁深い大名が、江戸での変事にすぐに気付いて急行出来る場所に存在することを危険視されたと推察される。[[伊予国|伊予]][[宇和島藩]]主の兄[[富田信高]]の[[改易]]に連座する形で同年7月に[[改易]]され、慶長19年([[1614年]])、嫡男の久綱とともに[[信濃国|信濃]][[松本藩]]に預かりの身となった。 [[元和 (日本)|元和]]8年([[1622年]])に赦免され、江戸に移ったが、同年のうちに没した。 == 脚注 == {{reflist}} {{下野佐野氏当主|19代|1592年 - 1622年}} {{佐野藩主|佐野氏||1600年 - 1613年}} {{DEFAULTSORT:さの のふよし}} [[category:佐野氏|のふよし]] [[Category:富田氏|のふよし]] [[Category:戦国武将]] [[Category:織豊政権の大名]] [[Category:外様大名]] [[Category:佐野藩主]] [[Category:1566年生]] [[Category:1622年没]]
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