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佐和山城
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{{日本の城郭概要表| img =ファイル:The Mt Sawa is looked at from Hikone Castle Shiga,JAPAN.jpg| img_capt =[[彦根城]]より佐和山を望む| img_width =300px| tower_struct = 五層(三層説あり。非現存)| name = 佐和山城| pref = 滋賀県| ar_called = | struct = 連郭式山城| builders = 伝・[[佐保氏]]| build_y = [[鎌倉時代]]| revamp = [[石田三成]]| rulers = 佐保氏、[[小川氏]]、[[磯野氏]]<br />[[丹羽氏#児玉丹羽氏|丹羽氏]]、[[石田氏]]、[[井伊氏]]| reject_y = [[慶長]]11年([[1606年]])| remains = [[石垣]]、[[土塁]]、[[堀]]、[[曲輪]]、ほか| location = {{ウィキ座標2段度分秒|35|16|46.2|N|136|16|8.13|E|scale:60000}}| }} [[ファイル:Sawayama-jyo01.jpg|thumb|290px|『佐和山城図』 [[文化 (元号)|文化]]11年([[1814年]])、紙本著色。個人蔵。石田三成入城後、改修が加えられた後のものと推測されている。]] [[File:Sawayama Castle Site.jpg|thumb|290px|本丸跡の佐和山城跡碑]] '''佐和山城'''(さわやま じょう)は、[[日本]]<!--WP:POV-->の[[城]]。[[中世]]中期から[[近世]]初期にかけて、[[近江国]][[坂田郡]]<ref>右列に表示した『佐和山城図』に見える「[[江州]]坂田郡佐和山」に基づく。</ref>(現・[[滋賀県]][[彦根市]])の佐和山に存在した[[山城]]である。現・佐和山城址。 坂田郡および直近の[[犬上郡#犬上郡(古代〜近世)|犬上郡]]のみならず、近江支配の重要拠点であり、[[16世紀]]の末には[[織田信長]]の腹心[[丹羽長秀]]、[[豊臣秀吉]]の奉行[[石田三成]]が居城としたことでも知られる。 == 歴史 == === 佐々木・六角・浅井・織田の時代 === 佐和山城の歴史は、[[鎌倉時代]]、近江[[守護|守護職]]・佐々木荘[[地頭]]であった[[佐々木定綱]]の六男・[[佐保時綱]]が築いた[[要塞|砦]]が始まりとされ、[[建久]]年間([[1190年|1190]]- [[1198年]])の文書にその名が見える。 [[室町時代]]の[[応仁]]年間([[1467年|1467]]- [[1468年]])は、[[六角氏]]家臣の[[小川祐忠]]が在城した{{要出典|date=2010年4月}}。 [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]が後期に入ると、北近江における六角氏勢力は衰退し、それにともなって佐和山城は新興勢力である[[浅井氏]]の支城となった。 [[元亀]]年間には時の城主・[[磯野員昌]]が[[織田信長]]らと8ヶ月におよぶ激戦を繰り広げた。しかし、[[1571年]](元亀2年)2月に員昌は[[降伏]]し、代わって[[織田氏]]家臣の[[丹羽長秀]]が入城。浅井氏旧領と[[朝倉氏]]の旧領南部、すなわち、北近江六郡と[[若狭国]]の支配拠点とした。 === 羽柴・豊臣の時代 === [[天正]]10年([[1582年]])6月の[[本能寺の変]]の後に行われた[[清洲会議]]では、[[明智光秀]][[征伐|討伐]]に功があった[[堀秀政]]に与えられ、秀政は翌年に入城した。これ以降は事実上、[[豊臣政権]]下の城となってゆく。堀秀政の留守中は弟の[[多賀秀種]]が城代を務めた。天正13年([[1585年]])には、[[転封]]となった堀家に替わって[[堀尾吉晴]]が入城。さらに、天正18年([[1590年]]。時期については異説あり)には[[五奉行]]の一人である[[石田三成]]が入城した。三成は、当時荒廃していたという佐和山城に大改修を行って山頂に五層(三層説あり)の[[天守]]が高くそびえたつほどの[[近世]]城郭を築き、人をして「'''治部少'''(じぶのしょう。三成のこと)'''に過ぎたるもの二つあり [[島清興|島の左近]]と佐和山の城'''」と言わしめた。ただし、三成は奉行の任を全うするために[[伏見城]]に滞在することが多く、実際に城を任されていたのは父の[[石田正継|正継]]であった。 三成は[[関ヶ原の戦い]]に万が一敗北した場合を考え、佐和山城での再戦を意図していたとされる。 === 佐和山城の戦い === [[慶長]]5年([[1600年]])[[9月15日 (旧暦)|9月15日]]の[[関ヶ原の戦い]]で三成を破った[[徳川家康]]は、[[小早川秀秋]]軍を[[先鋒]]として佐和山城を猛攻撃した。城の兵力の大半は関ヶ原の戦いに出陣しており、守備兵力は2800人であった。城主不在にもかかわらず城兵は健闘し、敵を寄せ付けなかったが、やがて城内で[[長谷川守知]]など一部の兵が裏切り、敵を手引きしたため、[[9月18日 (旧暦)|同月18日]]、奮戦空しく[[陥落|落城]]し、父・[[石田正継|正継]]や[[石田正澄|正澄]]、[[皎月院]](三成の妻)など一族は皆、戦死あるいは[[自殺#武士の自害|自害]]して果てた。 徳川方の兵士は「栄華を極めた三成はさぞ華美を尽くしたのだろう」と思い、我先にと城内に乱入したが、城の壁は粗壁であり、また、何の装飾もない質素な作りであったという。しかも、石田屋敷にあったものは[[豊臣秀吉]]から送られた感謝状のみであったと伝わっている(『[[甲子夜話]]』)。 === 徳川時代、そして、廃城 === [[石田氏]]滅亡の後、[[徳川四天王]]の一人である[[井伊直政]]がこの地に封ぜられ、入城した。三成は領地にて善政を敷き、領民からも大変慕われていたため、直政はその威光を払拭するべく、新たに[[彦根城]]築城を計画した。しかし、直政は築城に着手できないまま、慶長7年([[1602年]])に死去。計画は[[嫡男|嫡子]]の[[井伊直勝|直継]]が引き継ぐこととなり、[[大津城]]・佐和山城・[[小谷城]]・[[観音寺城]]などの築材を利用しつつ、[[天下普請]]によって彦根城を完成させている。佐和山城は慶長11年([[1606年]])、完成した彦根城天守に直継が移ったことにともない、[[廃城]]となった。なお、彦根城全体の完成は[[元和 (日本)|元和]]8年([[1622年]])のことである。 佐和山城の建造物は彦根城へ移築されたもののほかは徹底的に破壊されたため、城址にはほとんど何も残っていない。直政の死を三成の[[呪い]]と結びつけての一掃であったとする俗説もある。 しかしそれでも、[[石垣]]、[[土塁]]、[[堀]]、[[曲輪]]、その他施設が一部に現存しており、また、ときとして新たに[[遺構]]が発見される。 == 関連事項 == * [[佐和山藩]] :[[豊臣政権]]が近江国に立てた一[[藩]]で、佐和山城を藩庁とし、石田三成を藩主とする。[[徳川政権]]下で井伊氏に引き継がれたのち、[[彦根藩]]の立藩に替えて廃された。 * [[佐和山遊園]] :一個人によって石田三成の[[テーマパーク]]が構想され、[[1970年代]]半ばより建設され続けているが、事実上、廃園状態となっている。 * 佐和山一夜城復元プロジェクト :[[彦根城]]築城400年祭の[[イベント]]として、[[2007年]]([[平成]]19年)9月1日から16日までの期間限定で開催された。 * 佐和山城跡は、西側山麓にある[[龍潭寺 (彦根市)|龍潭寺]](彦根市古沢町1104)が所有しているが、好意により無料での入山が許可されており、境内に登山口がある。 == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{reflist}} == 関連項目 == {{Commonscat|Sawayama Castle}} * [[日本の城一覧]] * [[観音寺城の戦い]] * [[石田三成]] * [[彦根城]] * [[八幡山城]] == 参考文献 == * {{Cite book|和書 |author= [[城郭談話会]] |title= 近江佐和山城・彦根城 |date= 2007-08 |publisher= [[サンライズ出版]] |isbn= 4-883-25282-5 }} * [http://www.pref.shiga.jp/hodo/e-shinbun/ma07/20090721_1.html 佐和山城遺跡の発掘調査成果 - 滋賀県(公式ウェブサイト)] {{DEFAULTSORT:さわやましよう}} [[Category:滋賀県の城]] [[Category:彦根市の歴史]] [[Category:佐々木氏|城さわやま]] [[Category:石田氏|城さわやま]]
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