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他力本願
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'''他力本願'''(たりきほんがん) #[[仏教用語]]で、[[阿弥陀如来|阿弥陀仏]]が衆生を救済する本願のはたらき。[[浄土教|浄土教・阿弥陀信仰]]の根本となる教義である。[[#用法1]]を参照。 #人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。[[#用法2]]を参照。 == 概説 == 上記の双方の意味とも、『[[大辞林]]』・『[[広辞苑]]』などの[[辞書]]に採録される語意である。 本来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の本来の用法からして誤解である」<ref>「(略)世間一般には、自己の主体性を放棄して他人の力だけを当てにしてものごとを成し遂げようとする依存主義・頼他主義に関して用いられることがあるが、これは語の本来の用法からして誤解である。」(『岩波仏教辞典』第二版、p.689、「他力本願」)</ref>、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」<ref>「(誤用が定着したものか)俗に、自分の努力でするのではなく、他人がしてくれることに期待をかけること。人まかせ。」(『大辞泉』「他力本願」)</ref>と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書<ref>「他人の力に頼って事をなすこと。他人まかせにすること。」(『大辞林 第二版』「他力本願」)</ref>もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「本来は~」として用法1の意味を解説する辞書<ref>三省堂「新明解四字熟語辞典」[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98/m0u/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98/]</ref>もある。 == 用法1 == 「他力本願」のうち、「'''他力'''」とは他人の力をあてにすることではなく阿弥陀如来の力を現す言葉であり、「'''本願'''」とは人間の欲望を満たすような願いのことではなくあらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことである。<ref>親鸞さまの教えってなあに? |宗祖親鸞聖人|み教えについて |本願寺(西本願寺)[http://www.hongwanji.or.jp/mioshie/shuso/oshie.html#leaf_01]</ref> 「[[正信念仏偈|正信偈]]」に {{quotation| 彌陀佛本願念佛 邪見憍慢惡衆生 信樂受持甚以難 難中之難無過斯 (訓読) 弥陀仏の本願念仏は 邪見憍慢の悪衆生 信楽<ref>信楽…教えを聞いて信じ喜ぶこと、ひたすら信じて疑わず、おのずから心に歓喜が生じることをいう。(中略)浄土教では、弥陀の本願を深く信じて疑わず、救済されんことを願うことをいい(後略)。(『岩波仏教辞典』第二版、 p.565)</ref>受持<ref>受持…〈受〉は受領。〈持〉は憶持の意。〈受け持(たも)つ〉と訓戒し、教えを受けて記憶すること。(『岩波仏教辞典』第二版、p.500)<br />憶持…記憶して心に持つこと。心に記憶して忘れないこと。翻訳語としては、憶念と同一。(『岩波仏教辞典』第二版p.114)<br />憶念…(略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い。(『岩波仏教辞典』第二版、p.114)</ref>すること 甚だ以って難(かた)し 難の中之(の)難 斯(これ)に過ぎたるは無し}} と述べ、「邪見<ref>邪見…真実に背いたよこしまな考え方。</ref>」や「憍慢<ref>憍慢…自ら思い上がり、他を見下して満足する心。</ref>」の心にとりつかれている私たちを「悪衆生」とし、その悪衆生が、本願の念仏を素直に喜び、いただき続けていくことは、「邪見」や「憍慢」が妨げとなり、はなはだ困難であり、困難なことの中でも、最も困難なことであって、これに過ぎた困難はない、つまりこれ以上の困難はないと述べている。そして親鸞は、「正信偈」の上記部分に続く「依釈段」で[[七高僧]]の教えを説き、このような悪衆生たる私たちだからこそ、自らの力による修行によらない、阿弥陀仏の本願による他力の信心が、私たちに差し向けられていて、また本願にかなうとしている。<ref>『正信偈の教え』上、pp.200-204。『親鸞聖人に学ぶ 真宗入門』pp.189-190。『浄土文類聚鈔 入出二門偈頌』pp.43-44。</ref> <!-- この項目で、宗派による差異が見られる点については、出典を明記した上でその詳細を記述してください。 --> 浄土教ことに浄土真宗の見解としては、縁あって修行の実践により自らの力で悟りを開こうとする人(難行道・聖道門を選ぶ人、修行仏教)や、その教義を否定するものではない。しかし自らの力で悟りを開こうとすることは、不可能に近いくらい難しいと捉える。 == 用法2 == 主に宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」、「他人依存」、「第三者に任せっきりにして自分の手を一切汚さずに物事を完遂する」、「(太陽の働きや雨や風や空気、そのほかの自然の働きなどによる)成り行き任せ」などの意味で使用される。 浄土真宗では、この意味で「他力本願」の語を用いることを誤解であるとする<ref>浄土真宗では、〜を誤解であるとする。([http://www.tomo-net.or.jp/book/word/41_05.html 東本願寺 - 仏教語 - 他力本願]。本多弘之監修『知識ゼロからの親鸞入門』幻冬舎、p.75。坂東浩監修『うちのお寺は真宗大谷派』双葉社、p.85。を参照)</ref>。 <!--要出典 この意味で使用された初例は明治末期のことであり、-->[[キリスト教]]における「[[三位一体]]」同様、現在の日本語の中で、元々の宗教的概念や意味合いとは異なって使用されることのある用語の一つである。<!--要出典 が、意味の転用が良い意味に使われないために、公的な用語として成立しているかどうかは議論が分かれるところである。--><!--要出典 主として口語の場面で--> === 抗議に至った事例 === 現在では、用法2の意味も辞書に掲載される一般的な用法である。しかし用法2の意味で使った事例に対して、浄土真宗各派から抗議が行われることがある。以下にその事例を挙げる。 *[[1968年]]には、当時の[[倉石忠雄]]農相が日本の軍備に触れ、「今の世界は<!--親鸞のような-->他力本願では生きていけない」との意味の発言をして[[浄土真宗]]各派から抗議されている。 <!-- 「他力本願」を用法2の意味で使ったことそのものが辞任の原因であるか、「軍備を他人に頼ってはいけない」との用法2の意味とした場合の発言趣旨が辞任の原因であるかは不明。浄土教各宗各派の公式な抗議声明・野党が上記いずれで抗議したかについての当時の新聞記事等の出典が見つかるのであれば追記が望ましい。 なお、野党からの追求もあり、最終的には辞任している。「親鸞のような」と形容した事から{{要出典}}[[浄土真宗]]各派の抗議を招いたのも一因である。 --><!-- 要出典 浄土教各宗各派の公式な抗議声明・それを報じた新聞記事等の出典が必要。 *[[1999年]]8月、石原慎太郎東京都知事がテレビで田原総一郎氏を相手に「他力じゃだめだ」という発言を繰り返し浄土真宗関係者から抗議を受けた。90年代から、度々人まかせではダメであるという意味で「他力本願」を、コメントや文章に使用することを繰り返している。 --> *[[2002年]]5月、オリンパス光学工業株式会社(現在の[[オリンパス]]株式会社)が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。それに対し[[真宗教団連合]]が「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をしている。その後オリンパスは配慮が足りなかった点を謝罪した<ref>『朝日新聞』2005年5月28日号。</ref>。 == 脚注 == {{Reflist}} ==関連項目== {{Wiktionary}} *[[悪人正機]] *[[十二落抬]] == 参考文献 == *{{Cite book|和書 |author=[[多屋頼俊]] |coauthors=[[横超慧日]]・舟橋一哉 編 |year=1995 |title=仏教学辞典 |edition=新版 |publisher=[[法藏館]] |isbn=4-8318-7009-9 }} *{{Cite book|和書 |author=[[中村元 (哲学者)|中村 元]] |coauthors=[[福永光司]]・[[田村芳朗]]・[[末木文美士]]・今野 達 編 |year=2002 |title=岩波仏教辞典 |edition=第二版 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=4-00-080205-4 }} *{{Cite book|和書 |author=河野法雲 |coauthors=雲山龍珠 監修 |year=1994 |title=真宗辞典 |edition=新装版 |publisher=法藏館 |isbn=4-8318-7012-9 }} *{{Cite book|和書 |author=[[瓜生津隆真]] |coauthors=細川行信 編 |year=2000 |title=真宗小事典 |edition=新装版 |publisher=法藏館 |isbn=4-8318-7067-6 }} *{{Cite book|和書 |author=古田和弘 |year=2008 |title=正信偈の教え |publisher=真宗大谷派宗務所出版部 |isbn=978-4-8341-0397-7 |volume=上 }} *{{Cite book|和書 |author=一楽 真 |year=2007 |title=親鸞聖人に学ぶ‐真宗入門 |publisher=真宗大谷派宗務所出版部 |isbn=978-4-8341-0373-1 }} *{{Cite book|和書 |author=浄土真宗教学編集所 聖典編纂監修委員会 編纂 |year=2009 |title=浄土文類聚鈔 入出二門偈頌 |publisher=本願寺出版社 |series=浄土真宗聖典 |isbn=978-4-89416-277-8 |volume=現代語版 }} *{{Cite book|和書 |author=本多弘之 監修 |year=2009 |title=知識ゼロからの親鸞入門 |publisher=[[幻冬舎]] |isbn=978-4-344-90148-3 }} *{{Cite book|和書 |author=坂東 浩 監修 |year=2005 |title=うちのお寺は真宗大谷派 |publisher=[[双葉社]] |isbn=4-575-29813-1 }} {{浄土教2}} {{Buddhism2}} {{DEFAULTSORT:たりきほんかん}} [[Category:浄土教]] [[Category:浄土宗]] [[Category:浄土真宗]] [[Category:慣用句]]
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