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今川範政
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 今川範政 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]] - [[室町時代]]前期 | 生誕 = [[正平 (日本)|正平]]19年/[[貞治]]3年([[1364年]]) | 死没 = [[永享]]5年[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]([[1433年]][[6月14日]]) | 改名 = | 別名 = 五郎 | 諡号 = | 戒名 = 今林寺殿慶堂道賀大禅定門 | 墓所 = | 官位 = [[従四位]]下、[[上総国|上総]]介、[[民部省|民部]]大輔 | 幕府 = [[室町幕府]]征夷[[副将軍]]・[[駿河国]][[守護]] | 主君 = [[足利義持]]→[[足利義量|義量]]→[[足利義教|義教]] | 氏族 = [[今川氏|駿河今川氏]] | 父母 = 父:[[今川泰範]]、母:[[上杉朝顕]]の娘 | 兄弟 = '''範政'''、[[今川泰国|泰国]]、[[今川範信|範信]] | 妻 = 正室:'''[[上杉氏定]]の娘'''、継室:'''[[上杉持定]]の娘''' | 子 = [[今川範豊|範豊]]、'''[[今川範忠|範忠]]'''、[[今川範満 (室町時代)|範満]]、[[小鹿範頼]]([[小鹿範満|範満]]の父) | 特記事項 = }} '''今川 範政'''(いまがわ のりまさ)は、[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]から[[室町時代]]前期にかけての[[守護大名]]。[[駿河国|駿河]][[今川氏]]の第4代当主。 == 生涯 == [[1409年]]、父・泰範の死により家督を相続する(泰範の没年には異説が多く、それ以前に家督を継いだとも考えられている)。 [[1416年]]に[[上杉禅秀の乱]]が起こると、[[上杉禅秀]]の攻撃を受けて鎌倉から逃亡してきた[[鎌倉公方]]・[[足利持氏]]を保護した。そして将軍・[[足利義持]]の命を受けて軍を率いて[[上杉房方]]らと共に鎌倉に攻め入り、禅秀らを討って乱を平定した。この折の功により範政は幕府の信任を得て、副将軍の重職に任ぜられることとなった。 その後、将軍が代替わりして[[足利義教]]の代になると、義教からの寵愛を受けて重用された。京都の義教と鎌倉の持氏との対立が深まったときには、鎌倉の監視役を務め、[[1432年]]には[[富士山]]を遊覧してきた義教を駿府にて饗応している。 しかし最晩年に末子の千代秋丸を溺愛して家督を譲ろうとしたため、これが原因で千代秋丸と嫡男の範忠の間で熾烈な家督争いが発生する。この争いの最中で、失意のうちに永享5年(1433年)5月27日に死去した。[[享年]]70。死後、家督は幼少の千代秋丸が継ぐことで鎌倉公方の干渉を受けることを恐れた義教の裁定によって、成人していた範忠が継承することとなった。 武将としては一流で、禅秀の乱をはじめ多くの功績を挙げている一方で、和歌や書にも秀でた才能を示した教養人でもあり、[[源氏物語]]の[[梗概書]]『[[源氏物語提要]]』などの著書がある。 {{今川氏歴代当主|駿河今川氏|第6代|1409年 - 1433年}} {{DEFAULTSORT:いまかわ のりまさ}} [[Category:今川氏|のりまさ]] [[Category:守護大名]] [[Category:室町時代の人物]] [[Category:室町・安土桃山時代の歌人]] [[Category:駿河国の人物]] [[Category:1364年生]] [[Category:1433年没]]
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