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京極高清
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{{基礎情報 武士 | 氏名 = 京極高清 | 画像 = | 画像サイズ = | 画像説明 = | 時代 = [[室町時代]]後期 - [[戦国時代 (日本)|戦国時代]]前期 | 生誕 = [[寛正]]元年([[1460年]]) | 死没 = [[天文 (元号)|天文]]7年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]([[1538年]][[2月18日]])? | 改名 = 乙童子丸(幼名)、秀綱(初名)、高秀、高清 | 別名 = 六郎(仮名) | 戒名 = 環山寺殿梅叟宗意大居士 | 墓所 = [[滋賀県]][[米原市]][[徳源院]] | 官位 = [[従五位|従五位下]][[中務省|中務少輔]]、飛騨守 | 幕府 = [[室町幕府]][[飛騨国|飛騨]]・[[出雲国|出雲]]・[[隠岐国|隠岐]]・[[近江国|近江]][[守護]] | 主君 = | 氏族 = [[京極氏]] | 父母 = 父:[[京極勝秀]]、養父:''[[京極政経]]'' | 兄弟 = [[京極孫童子丸|孫童子丸]]、'''高清''' | 妻 = 正室:[[斎藤妙純]]の娘 | 子 = '''[[京極高延|高延]]'''、'''[[京極高吉|高吉]]'''<sup>※</sup>、[[京極高峯|高峯]]、[[京極景重|景重]]、[[京極実高|実高]]<br/>(※一説によれば高吉は[[京極材宗]]の子で養子とされる。) }} '''京極 高清'''(きょうごく たかきよ)は、[[室町時代]]末期から[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]初期の[[武将]]、[[守護大名]]([[戦国大名]])。[[飛騨国|飛騨]]・[[出雲国|出雲]]・[[隠岐国|隠岐]]・[[近江国|近江]]守護、後に近江[[半国守護]]で[[北近江]]の大名。[[京極勝秀]]の子で、[[京極持清]]の孫。叔父・[[京極政経]]の養子となり、京極氏の家督を継いだという説がある。 家中を2分した[[お家騒動]]を収めたが、自分の2人の息子を巡る別のお家騒動を止められず、京極氏の弱体化と近江国人の台頭を招いた。 == 生涯 == === 応仁の乱 === [[応仁の乱]]での京極氏は、[[管領]]・[[細川勝元]]が率いる東軍に属して祖父・持清や父・勝秀が参戦し、近江にて同族で西軍の[[六角高頼]]([[六角政頼]]?)と戦う。幼子であった乙童子丸(高清)は参戦していなかったが、[[六角氏]]との戦いの最中に父を[[応仁]]2年([[1468年]])7月に、祖父を[[文明 (日本)|文明]]2年([[1470年]])8月に相次いで病で失う。 その後、持清の次男・[[京極政光|政光]]が西軍に、持清の3男・[[京極政経|政経]]が東軍となり[[京極騒乱]]と言われるお家騒動が起こる。 === 家督相続争い === 京極氏は、当主持清と嫡男の勝秀が立て続けに病死した為、六角氏との戦いを辞め北近江へ撤退を余儀なくされる。持清は嫡孫である勝秀の次男[[京極孫童子丸|孫童子丸]]よりも勝秀の長男乙童子丸を溺愛していた為、後々まで禍根を残す事になる。 家督を巡り、勝秀の嫡子孫童子丸派と勝秀の庶子乙童子丸派の間で争いが起こる。孫童子丸派には政経と一族出の近江[[守護代]][[多賀高忠]]が付き、乙童子丸派には政光と飛騨守護代[[多賀清直]]が付いて、京極家中を巻き込んだ事態へと発展する。 祖父・持清の従弟であり、[[侍所]]所司代を勤めた高忠の[[室町幕府]]や管領・細川勝元への働きかけによって、叔父・政経を後見役に孫童子丸が家督を継ぎ近江・飛騨・出雲・隠岐守護職に補任される。孫童子丸が幼かった為、幕府は[[江南|南近江]]の[[六角政堯]]を守護職補佐として付ける。それに対して乙童子丸派の政光と清直は反発し、文明2年9月に西軍へ寝返り、六角高頼(政頼?)と和睦して孫童子丸派を江北([[湖北]])から追放しようとする。 翌年の文明3年([[1471年]])に孫童子丸が夭折し、新たな跡目争いが起きる。同年に幕命により六角政堯が近江守護職を補任するが、従弟の六角高頼(政頼?)に敗れ自害する。孫童子丸派の勢力は弱まり、乙童子丸派の清直が孫童子丸派の高忠へ攻勢をかける。幕府の後押しを受けて高忠は反撃、文明4年([[1472年]])9月頃までに国人衆を押さえて湖東・湖北を掌握した。 追い詰められた政光は、[[美濃国|美濃]][[代官|小守護代]]の[[斎藤妙椿]]に援助を要請して、9月末に西軍の京極乙童子丸・京極政光・多賀清直・[[多賀宗直]]・六角高頼(政頼?)・斎藤妙椿ら連合軍は孫童子丸派を破り、政経・高忠らを[[越前国|越前]]へ敗走させる。政光を後見役に乙童子丸が家督を継ぎ飛騨・出雲・隠岐守護職となるが、幕命により近江守護職は政堯の養子・[[六角虎夜叉]]が補任されていた。同年に後見役だった政光が病死し、守護代の多賀清直・宗直父子が乙童子丸を補佐する。 翌年の文明5年([[1473年]])に幕府より乙童子丸の飛騨・出雲・隠岐守護職の解任と、政経への飛騨・出雲・隠岐守護職を補任する命が下る。分国の出雲へ落ち延びていた政経と高忠は、文明7年([[1475年]])9月に出雲の国人衆を率いて上洛し、[[延暦寺]][[僧兵|僧徒]]と[[信濃国|信濃]]の[[小笠原家長]]ら東軍の支援を受けて近江へ進攻し、[[観音寺城]]下で西軍の六角高頼(政頼?)・京極高清(乙童子丸)・多賀清直・多賀宗直の連合軍と再び戦い大勝する。敗れた六角勢は観音寺城へ籠城し、京極勢は江北へ撤退する。この勝利によって幕命が下り、六角虎夜叉の近江守護職は解任され、政経が近江守護職に補任される。 同年10月に美濃守護[[土岐成頼]]と越前・[[尾張国|尾張]]・[[遠江国|遠江]]守護[[斯波義廉]]の援軍が近江へ到着し、西軍の反撃が始まる。高清は西軍の六角高頼・斯波義廉・土岐成頼・斎藤妙椿ら連合軍と共に政経・高忠らを破り、高忠を京都に敗走させるも一進一退の攻防は応仁の乱後も続く。文明18年([[1486年]])8月に出雲に下向していた政経が上洛、高清の家臣多賀宗直が政経に通じて反乱を起こした為、高清は近江[[甲賀郡]]へ逃れたが、10月に反撃して宗直を破り、翌[[長享]]元年([[1487年]])5月に美濃から江北へ戻った宗直を討ち果たす。 一方、六角高頼は六角氏の権力強化を強める為に近江国内の公家・寺社の[[荘園]]や幕臣の所領を押領し、幕府に対して反抗的な態度を示した。9代[[征夷大将軍|将軍]][[足利義尚]]は長享元年8月に、幕府の威信回復を目指し自ら六角氏へ征伐に乗り出す([[長享・延徳の乱]])。 高清は征伐軍に加わったが、六角征伐の最中の長享2年([[1488年]])8月に政経・[[多賀経家]]らが挙兵、高清は近江松尾で戦い破り、政経と経家を[[伊勢国|伊勢]]梅津へ敗走させたが、翌[[延徳]]元年([[1489年]])に近江国人衆の支援を得た政経に敗れて追放、延徳2年([[1490年]])に美濃の実力者・[[斎藤妙純|斎藤利国]](妙純)を頼り越前敦賀、次いで近江[[坂本 (大津市)|坂本]]へ逃れるが、政経は10代将軍[[足利義材]](のちの義稙)の怒りを買い失脚、[[明応]]元年([[1492年]])に家督(京極氏惣領職)交代を認められる。 これにより、翌明応2年([[1493年]])には高清も北近江に復帰する。また同年4月には[[明応の政変]]によって将軍義材が失脚し、新たに[[足利義高]](初め義遐)が11代将軍に就任する。これを機に、その義高から[[偏諱]](「高」の字)を賜って、初名の'''秀綱'''(ひでつな)から'''高秀'''(たかひで)(のち'''高清''')と改名したのもこの頃と思われる(義高は文亀2年([[1502年]])には「義澄」に改名するのでそれまでのこととなる)<ref>また、元々[[京極氏]]の[[通字]]でもあった「高」の字を名前に用いるようになったことで、高清以降の当主もそのまま「高」の字を代々名前に用いるようになった。</ref>。 しかし、明応6年([[1497年]])に庇護を受けていた斎藤妙純が戦死すると高清も没落、美濃海津に寄留する。翌明応8年([[1499年]])に京極氏重臣・[[上坂家信]]の助力により江北へと帰還、政経は出雲の守護代[[尼子経久]]を頼り下向し、[[永正]]2年([[1505年]])に政経の子で従弟の[[京極材宗]]と和睦し、35年続いた家督争いを終える。同年に[[上平寺城]]を居城とし、2年後の永正4年([[1507年]])に材宗を自害に追い込んで領国統一を成し遂げ、上坂家信の元で北近江の統治を行う。 この時に、高清は政経の養子となり、正式に家督を譲り受けたという説もある。 === 北近江守護 === 応仁の乱と家督相続の混乱で、出雲・隠岐・飛騨・北近江の4ヶ国あった京極氏の領地は、高清の治世時には北近江(近江半国)のみとなってしまった。出雲・隠岐は同族で守護代の尼子経久に押領され、飛騨は[[国司]]・[[姉小路済継]]と同族の[[三木直頼]]に支配され失ってしまった。 上坂家信の死後は、家信の嫡子・[[上坂信光]]を頼りに統治をしていたが、[[大永]]3年([[1523年]])に跡継ぎを巡り、長男[[京極高延|高広]](高延)を押す[[浅見貞則]]・[[浅井亮政]]ら国人衆と、次男[[京極高吉|高吉]]を押す高清と信光らに家中は二分する。結果、京極氏の跡目争いが再び起こり、大永4年([[1524年]])に高広派の国人衆(浅見貞則・浅井亮政ら)と高吉派の高清・上坂信光らは戦い([[国一揆|国人一揆]])へと及び、敗れた高清と信光らは尾張へと逃れる。 同年、盟主・浅見貞則の専横的な領国支配に対して、浅井亮政を旗頭に国人衆が貞則一族を江北から追放する。その後、江北の実権を握った浅井亮政に不満を募らせた高広は、家督相続で対立した高清と和解し、[[六角定頼]]の支援を受けて反亮政派の国人衆と共に亮政に対決姿勢を取る。 === 下克上、晩年 === 京極氏を立てながらも、江北支配を固める浅井亮政に敗れた高清は、天文3年([[1534年]])、高広と共に亮政の居城である[[小谷城]]へ招れて饗応を受け和解する。こうして、江北の実質的な支配は[[下克上]]により京極氏から[[浅井氏]]へ移る。しかし、高吉は浅井氏の後見を否定し、六角定頼を頼った。実質上六角氏の江北進攻の旗頭となる。 高清・高広父子は、浅井氏の居城である[[小谷城]](京極丸)にて暮らすが、後に高清のみ上平寺城へ移り天文7年(1538年)に没した。[[享年]]79。没年には諸説あり、『[[寛政重修諸家譜]]』に掲載された京極氏系図、『浅井日記』・『浅井軍記』では永正14年([[1517年]])[[2月16日 (旧暦)|2月16日]]に没したとされているが、天文7年[[9月16日 (旧暦)|9月16日]]の京極氏家臣の書状に高清を弔うことが書かれているため誤りである。『天文日記』・『東浅井郡志』では1月9日と推定されている。 高吉は六角氏の支援の下、尚も近江奪回を目論むが、[[永禄]]3年([[1560年]])に敗北、江北の支配権を完全に失った。後に高吉の子、[[京極高次|高次]]は[[織田信長]]に取り立てられ大名復帰を果たす。 == 略歴 == *1460年(寛正元年):守護大名・京極勝秀の子・乙童子丸として誕生。 *1471年(文明3年):兄・孫童子丸の死後、京極氏跡目を巡り叔父・京極政経との争いに敗れ越前国敦賀へ逃れる。 *1472年(文明4年):六角高頼の庇護の下、家臣・多賀宗直らと共に京極政経・多賀高忠らを破る。 *1475年(文明7年):京極政経・多賀高忠・延暦寺の僧兵らに観音寺城へ攻められ敗れるが、土岐成頼・斯波義廉の援軍で勝利。 *1486年(文明18年):家臣の多賀宗直が反乱を起こした為、近江甲賀へ逃れる。 *1487年(長享元年):北近江へ復帰して多賀宗直を討ち取る。 *1488年(長享2年):六角征伐の最中に挙兵した京極政経・多賀経家らを近江松尾の戦いで破る。 *1490年(延徳2年):京極政経が北近江に復帰した為、越前敦賀へ逃れる。 *1492年(明応元年):将軍・足利義材から家督(京極氏惣領職)を認められて北近江守護となる。 *1497年(明応6年):庇護を受けていた斎藤妙純が亡くなり、江北を追われて美濃海津に寄留する。 *1499年(明応8年):京極氏重臣・上坂家信の助力により北近江に復帰する。 *1505年(永正2年):京極政経の子で従弟の京極材宗と和睦し、家督争いを終え領国統一を成し遂げる。 *1523年(大永3年):跡継ぎを巡り長男・高延派の国人衆と、次男・高吉派の高清らに家中は二分する。 *1524年(大永4年):高延派の浅見貞則ら国人衆と戦いに敗れ、上坂信光らと尾張へと逃れる。 *1534年(天文3年):高延と共に浅井亮政の居城である小谷城へ招れて和解する。 *1538年(天文7年):晩年を過ごした上平寺城にて没する(享年79)。 == 脚注 == {{Reflist}} == 参考資料 == *浅井三代記 *戦国人名辞典 *戦国武門記 * [[今谷明]]・[[藤枝文忠]]編『室町幕府守護職家事典(上)』[[新人物往来社]]、1988年。 * [[宮島敬一]]『[[人物叢書]] 浅井氏三代』[[吉川弘文館]]、2008年。 == 関連項目 == *[[佐々木氏]] *[[六角氏]] *[[京極氏]] *[[船田合戦]] {{京極氏歴代当主}} {{DEFAULTSORT:きようこく たかきよ}} [[Category:室町時代の人物]] [[Category:守護大名]] [[Category:戦国大名]] [[Category:京極氏|たかきよ]] [[Category:近江国の人物]] [[Category:1460年生]] [[Category:1538年没]]
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