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'''京極 純一'''(きょうごく じゅんいち、[[1924年]](大正13年)[[1月16日]] - )は、[[日本]]の[[政治学者]]で、[[東京大学]]名誉教授。[[文化功労者]]。[[日本学士院]]会員。 == 来歴・人物 == [[京都市]]生まれ。[[高知県立中村中学校・高等学校|中村中学校]]四年修了、[[高知高等学校 (旧制)|旧制高知高等学校]]を経て、1947年[[東京大学法学部]]卒業。同大学院特別研究生などを経て、1952年東京大学法学部講師、1954年同助教授。1965年より東京大学法学部教授。その後は[[千葉大学]]法経学部教授、1988年から1992年まで[[東京女子大学]]学長を務めた。 [[1989年]](平成元年)[[紫綬褒章]]受章。[[1997年]](平成9年)12月12日[[日本学士院会員]]。[[1998年]](平成10年)[[勲二等]][[瑞宝章]]受章。[[2001年]](平成13年)文化功労者。 大学院時代の指導教官は[[堀豊彦]]。専門は政治意識論、日本政治論で、[[計量分析]]を取り入れて戦後の日本政治を考察した先駆者である。著書『日本の政治』では、日本の政治文化を「内と外」や「義理人情」など日本独自の感性で捉える日本特殊論を展開した。マスコミにたまに登場する時の飄々とした佇まいとは異なり、政治学の教師としてはきわめて厳格で、研究発表の場では鋭い質問でしばしば学生や若手研究者を立ち往生させたという。主な門下生として[[川人貞史]]、[[茅野修]]の他、法学部助手在任中に夭折した[[新井啓右]]がいる。 == 社会的活動 == * 財団法人野村国際文化財団理事 == 著書 == === 単著 === * 『植村正久――その人と思想』([[新教出版]], 1966年) * 『政治意識の分析』([[東京大学出版会]], 1968年) * 『現代民主政と政治学』([[岩波書店]], 1969年) * 『文明の作法――ことわざ心景』([[中央公論社]][[[中公新書]]], 1970年) * 『日本の政治』(東京大学出版会, 1983年) * 『日本人と政治』(東京大学出版会, 1986年) * 『和風と洋式』(東京大学出版会, 1987年) * ''The Political Dynamics of Japan'', trans. by Nobutaka Ike, (University of Tokyo Press, 1987). * 『日本人の秩序像――大きな政治と小さな政治』([[日本放送出版協会]], 1988年) * 『世のため、ひとのため』([[毎日新聞社]], 1998年) === 共著 === * ([[佐藤忠男]])『学校と世間――進学文明を超えるもの』(中央公論社[中公新書], 1975年) === 共編著 === * ([[福田歓一]])『南原繁先生古稀記念政治思想における西欧と日本(下)』(東京大学出版会, 1968年) {{DEFAULTSORT:きようこく しゆんいち}} [[Category:日本の政治学者]] [[Category:文化功労者]] [[Category:日本学士院会員]] [[Category:紫綬褒章受章者]] [[Category:東京大学の教員]] [[Category:東京女子大学の教員]] [[Category:千葉大学の教員]] [[Category:京都市出身の人物]] [[Category:1924年生]] [[Category:存命人物]]
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