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'''井上 松五郎'''(いのうえ まつごろう、[[文政]]6年([[1823年]])-[[明治]]4年[[3月28日 (旧暦)|3月28日]]([[1871年]][[5月17日]]))は、[[幕末]]期の[[八王子千人同心]]石阪組世話役。幼名、松次郎。名は一俊。[[天然理心流]]。弟は[[新選組]]六番隊長の[[井上源三郎]]。また、次男の[[井上泰助]]も新選組隊士。 [[武蔵国]][[多摩郡]][[日野宿]]北原に八王子千人同心[[井上藤左衛門]]の次男として生まれ、[[天保]]15年([[1844年]])に22歳で家督を継ぐ。天然理心流[[近藤周助]]の弟子となり、[[弘化]]2年([[1845年]])に免許を取得。 [[文久]]3年([[1863年]])に14代目将軍[[徳川家茂]]の上洛に先立って出発した[[浪士組]]に弟源三郎を送り出し、自らは将軍を警護して上洛。滞京中は、弟が所属する[[壬生浪士組]]の同門[[近藤勇]]、[[土方歳三]]、[[沖田総司]]などとも交流があり、その時の日記を書き残している。同年7月に日野宿へ戻った。 [[慶応]]2年([[1866年]])に再び八王子千人同心として将軍警護を勤めて大坂へ向かったが、12月に家茂は死去。[[長州征伐]]は中断となる。 明治4年に病死。享年49。 {{デフォルトソート:いのうえ まつころう}} [[Category:幕末幕府の人物]] [[Category:江戸幕府幕臣]] [[Category:1823年生]] [[Category:1871年没]]
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