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'''五経正義'''(ごきょうせいぎ)とは、[[中国]]・[[唐]]の[[太宗 (唐)|太宗]]の勅を奉じて、[[孔穎達]]等が太宗の[[貞観 (唐)|貞観]]年間より[[高宗 (唐)|高宗]]の[[永徽]]年間にかけて撰した「[[易経|周易]]」「[[尚書]]」「[[毛詩]]」「[[礼記]]」「[[春秋左氏伝]]」の'''五経'''の疏である。180巻。[[南宋|宋代]]には経注と合刻されて『[[十三経注疏]]』に収められた。 [[儒教]]の[[経書|経典]]を研究する[[経学]]においては、[[漢]][[魏 (三国)|魏]]が、本文としての「'''経'''」に対する「'''注'''」の時代であり、[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]が、その「注」に対する「[[注疏|義疏]]」の学問が盛行した時代である。[[南朝 (中国)|南朝]]と[[北朝 (中国)|北朝]]とでは、それぞれ奉ずる注が異なっており、諸説紛紛たる様であった。 太宗は、儒教の盛大なる様を誇示し、なおかつ南北の諸説を統一しようという意図を持って、孔穎達に代表される多くの学者を動員して、「'''五経義訓'''」(後の正義)を撰せしめた。その意図するところは、南北諸説の統一にあったのだが、結果的には南人の奉ずる注・疏を多く採用することとなった。 また、本書が出現したために、[[科挙]]を受験する諸生は専らこれを暗記するのみとなってしまい、他の注や義疏が忘れ去られる結果となり、かえって唐代の経学は本書によって停滞してしまったと言える。 対象とした注と底本は以下の通りである。 {| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0" style="text-align:center" |- style="background:#efefef;" ! width="70px"|書名||width="150px"|注||底本 |- |周易正義||[[王弼]]注・[[韓康伯]]注||底本なし。[[チョ仲都|褚仲都]]『周易講疏』、[[張譏]]『周易講疏』、[[周弘正]]『周易義疏』、[[何妥]]『周易講疏』を適宜参照。 |- |尚書正義||偽[[孔安国]]伝||[[劉シャク|劉焯]]『尚書義疏』、[[劉炫]]『尚書述義』 |- |毛詩正義|| [[毛亨]]・[[毛萇]]伝、[[鄭玄]]箋||劉焯『毛詩義疏』、劉炫『毛詩述義』 |- |礼記正義||[[鄭玄]]注||[[皇侃]]『礼記義疏』、[[熊安生]]『礼記義疏』 |- |春秋正義||[[杜預]]『[[春秋経伝集解]]』||劉炫『春秋述義』、[[沈文阿]]『春秋経伝義略』 |} {{DEFAULTSORT:こきようせいき}} [[category:経書]] [[Category:注釈書]] [[Category:7世紀の書籍]]
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