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五山文学
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'''五山文学'''(ござんぶんがく)は、[[鎌倉時代]]末期から[[室町時代]]にかけて[[禅宗]]寺院で行われた[[漢文学]]である。 ==禅林文芸の興隆== [[北宋|宋]][[元 (王朝)|元]]禅林においても文学が占める位置は非常に大きかったが、入宋僧や入元僧らにより、その禅風が日本に伝来すると、日本の禅林においても文学志向が高揚することとなった。もっとも、禅僧の中でもこうした風潮を批判する者がいた。鎌倉時代に[[建長寺]]を創建した[[蘭渓道隆]]は「不立文字」を掲げて文学ばかり励んで禅行に励まない僧侶を厳しく批判したが、続いて来日した[[大休正念]]や[[無学祖元]]・[[一山一寧]]は文学を通じて[[北条時宗]]の信任を得るなど、禅僧の文学志向は収まることは無かった。特に一山一寧は門人希望者に[[偈頌]]作成を課した。これは権力の保護を受けた当時の禅林に多くの禅僧が集まったが、その中には破戒的な振舞いを行う者や仏教に関する知識も礼儀も備わっていない者が多数含まれており、他宗派からの攻撃の対象となっていた。一山一寧は禅行以前の問題としての仏教僧としての自覚を促す手段を文学に求めたのであった<ref>芳澤元「鎌倉後期の禅宗と文芸活動の展開」(所収:上横手雅敬 編『鎌倉時代の権力と制度』(思文閣出版、2008年) ISBN 978-4-7842-1432-7)</ref>。 ==五山文学の成立== 室町時代に入ると、[[鎌倉五山]]や[[京都五山]](京五山)では、幕府の外交文書を起草するという必要性も伴い、四六文を用いた法語や漢詩を作る才が重視されたことも関係して、五山文学が栄えることとなった。五山文学こそは、五山文化の中心であった。 禅の法語をはじめ、詩文、日記、論説などの分野に及ぶ。代表的な詩文集に、[[義堂周信]]の『空華集』、[[絶海中津]]の『蕉堅稿』などがある。また、漢文学の盛行に伴って、木版出版も起こった。とりわけ、[[14世紀]]後半、京都の[[天龍寺]]雲居庵や、臨川寺で、[[春屋妙葩]]らが盛んに出版活動を展開した。これらの木版印刷を[[五山版]]と呼ぶ。その大多数は、日本に伝わった宋版や元版を覆刻したものであり、古様を伝えるものも多く、[[版本]]学的な資料価値が非常に高い。 ==五山文学の主な担い手== *[[虎関師錬]](1278-1346) *[[寂室元光]](1290-1367) *[[雪村友梅]](1290-1347) *[[中巌円月]](1300-1375) *[[愚中周及]](1323-1409) *[[義堂周信]](1325-1388) *[[絶海中津]](1334-1405) *[[瑞渓周鳳]](1392-1473) *[[万里集九]](1428-?) *[[横川景三]](1429-1493) *[[策彦周良]](1501-1579) == 詩文集 == * 『五山詩僧 日本の禅語録 8』 [[玉村竹二]]訳注、[[講談社]] 1978年 * 『五山文学集 新[[日本古典文学大系]]48』 [[入矢義高]]校注、岩波書店 1990年 == 脚注 == <references /> == 関連項目 == *[[北山文化]] *[[五山]] *[[鎌倉五山]] *[[京都五山]] *[[相国寺]] *[[南禅寺]] *[[天龍寺]] {{DEFAULTSORT:こさんふんかく}} [[Category:禅籍]] [[Category:臨済宗]] [[category:仏教文学]] [[category:鎌倉時代の文学]] [[category:室町時代の文化]] {{lit-stub}}
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