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三遊亭好楽
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{{ActorActress| | 芸名 = 三遊亭 好楽 | ふりがな = さんゆうてい こうらく | 画像ファイル = 3tachibana 001.svg | 画像サイズ = | 画像コメント = 三ツ組橘は、圓楽一門の[[定紋]]である(ちなみに笑点では「[[カタバミ#家紋|八角かたばみ]]」を使用している)。 | 本名 = 家入 信夫 | 別名 = | 出生地 = {{JPN}}・[[東京都]][[豊島区]][[東池袋]] | 民族 = | 血液型 = B | 生年 = 1946 | 生月 = 8 | 生日 = 6 | 没年 = | 没月 = | 没日 = | ジャンル = | 活動時期 = 1966年- | 活動内容 = [[落語家]] | 配偶者 = | 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力--> | 受賞 = | その他 = 旧名・[[林家九蔵]]。<br/>[[三遊亭王楽]]は長男。 }} '''三遊亭 好楽'''(さんゆうてい こうらく、[[1946年]][[8月6日]] - 、本名、'''家入 信夫'''(いえいり のぶお))は、[[落語家]]。[[円楽一門会]]幹部の一人。 == 来歴・人物 == {{出典の明記|section=1|date=2014年1月23日 (木) 15:33 (UTC)|ソートキー=存1946年生}} [[出囃子 (落語)|出囃子]]は『ずぼらん』(或いは師匠[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]、及び師匠の直弟子である6代目円楽と同じ『[[元禄花見踊]]』)。[[演芸]]番組『[[笑点]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])の[[大喜利 (笑点)|大喜利]]メンバーとして知られる。前名は[[林家九蔵]]。長男の一夫は、落語家の[[三遊亭王楽]]で、弟弟子にあたる。このほか、一般人の長女と[[雑司が谷]]で店を開いている次女がいる(いずれも王楽の姉)。 [[競馬]]ファンとしても知られており、[[報知新聞]]に予想記事を掲載していたがまったく当たらず、何度かクビになっている。 『笑点』の共演者である[[林家木久扇]]は、[[林家彦六|8代目林家正蔵(後の彦六)]]一門にいた当時の兄弟子でもある。 元々、5代目圓楽の惣領弟子になることを希望していた時期があったが、新聞で楽松(後の[[三遊亭鳳楽]])が惣領として弟子入りしたことを知り、考え直した末、2代前の圓楽であった、当時の8代目正蔵(後の[[林家彦六]])の落語を聞き、彦六門下に志願することにしたと語っている。 師匠・彦六は、早逝した息子・信男と同じ読みで子供の頃に父親を亡くしている好楽(当時・九蔵)を実の息子のように可愛いがっていたという。なお、彦六は王楽の本名(家入一夫)の名付け親となっている。意識不明で入院していた彦六の横で「師匠、死んじゃ嫌だ」と絶叫し、後に意識回復した彦六が「あんなに泣かれたら起きるしかあるめえ」と言ったエピソードもある。 その反面、前座時代は[[三遊亭鳳楽]](当時・[[三遊亭楽松|楽松]])・[[三遊亭圓橘#6代目|6代目三遊亭圓橘]](当時・朝治)ら同期で飲んだくれては叱られていた様で、兄弟子[[春風亭柳朝 (5代目)|5代目春風亭柳朝]]と一緒に師匠正蔵に謝ってもらったりと、その失敗談の数々を聞いた[[林家たい平]]曰く「よく破門にならなかったと思うくらい豪快」。実際のところは、行きつけの[[スナックバー (飲食店)|スナック]]で溜めたツケの請求を勝手に師匠に回したなどの理由で、本人曰く23回も破門されているというが、いつもしばらくすると済し崩し的に復帰が認められていたという<ref>『[[競馬最強の法則]]』([[KKベストセラーズ]])2010年11月号、pp.123 - 125。</ref>。 現在も酒豪で、[[新幹線]]乗車時間1時間に対し、ひとり頭5本は[[ビール]]を買ってくる<ref>林家たい平『笑点絵日記』ぴあ、2007年。</ref>。木久扇も著書にて「大の酒好き」、「なかなかの豪快な[[九州男児]]」と記している(※正確には好楽の両親が[[熊本県|熊本]]出身([[2009年]][[1月5日]]に96歳で急逝した実母は、現在の[[菊池郡]][[菊陽町]]の生まれで、笑点の大ファンであると公表している)であり、好楽自身は[[東池袋]]生まれ)。 [[1971年]]11月に[[落語家#二つ目(ふたつめ)|二つ目]]に昇進しているが、この時彦六(当時は8代目正蔵)に「女が出来たのか、その女と一緒になる気か」と聞かれ、「はい」と答えると「前座で祝言挙げるんじゃ格好がつくめぇ」と言われて二つ目に昇進させてもらうこととなったが、九蔵を二つ目にするためには[[香盤#落語界における意味|香盤]]上他に10人も二つ目に昇進させる必要があった。彦六の一面から見ると横暴とも見える弟子思いぶりが伺えるエピソードではある<ref>『落語家面白名鑑』[[かんき出版]]、1982年、pp.97。なお現在圓楽一門会で同門の鳳楽・圓橘もこの時二つ目に昇進している</ref>。 新幹線の発車1時間前にはホームに行く彦六(たい平著参照)と、笑点収録の集合時間の1時間半前には楽屋入りを済ませる5代目圓楽(『笑点諸国お笑い漫遊記』参照)と、せっかちな師匠2人についた好楽は、事前行動が早いようで、最年少メンバーで最初に楽屋入りするべきのたい平よりも収録に早く来てしまう。ただし、前述の酒好きのため、九蔵時代と好楽になってから間もない頃は、何度か寝過ごしては注意を受け、[[列車]]での[[車両基地]]入りも経験している。 [[2012年]]、自身の半生を振り返る「好楽日和。」を[[晶文社]]から上梓<ref>{{Cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/trad/20121105-OYT8T00614.htm|title=好楽 半生振り返った一冊 2012年11月12日付読売新聞|accessdate=2013年3月8日}}</ref>。[[2013年]]には自らの高座や若手(主に好楽の弟子)の育成を目的に、自宅を新築して寄席「池之端しのぶ亭」をオープンさせた。収容人数は40〜50人と寄席としては狭いが、[[マイク]]無しで落語が聞ける<ref>{{Cite web|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/tradition/CK2012122302000151.html|title=好楽の寄席が正月オープン 「若手の勉強の場に」 2012年12月23日付東京新聞|accessdate=2013年3月8日}}</ref>。 == 大喜利メンバーとして == * [[1979年]]から[[三笑亭夢之助]]の後任としてメンバー入りし、[[1983年]]10月に古典落語の修業に専念するため卒業、4年半の[[ブランク]]を経て30年近くに亘り出演している。好楽(当時・九蔵)を笑点に誘ったのは、現師匠・[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目三遊亭圓楽]]。『笑点』40周年を記念して発売したオフィシャル本では、『笑点』の前身番組『[[金曜夜席]]』のファンだったので、いずれは『笑点』に出演したいと勝手に思い込んでいたと語っている。 * 着ているピンクの着物から、「ピンクの小粒[[コーラック]]」とも称される[http://woman.nikkei.co.jp/culture/lecture/lecture.aspx?id=20060101se004se]。小圓遊急逝後、古今亭朝次加入以降、1983年の一時降板までは現在小遊三が着用している水色の着物を着用していた。なお、『笑点』の公式HPでは、好楽が歴代のピンクの着物を着用した落語家は出演期間が短いというジンクス(これを、'''「呪われたピンクの着物」'''と称している)を破り、'''「平成のラッキーカラー」'''になったのかもしれないとしている。 * [[1988年]]に笑点復帰後、僅か1ヶ月で座布団10枚を獲得した。復帰した当時は司会席のすぐ隣に座っていたが、答えた後に「師匠どうでしょう」と聞くなど司会の5代目圓楽への遠慮が見られたため、1992年4月に隣の小遊三と席を入れ替えた。 * 九蔵時代は木久扇(当時・木久蔵)の弟弟子として「[[与太郎]]その2」的な役割を持ち、若く元気な印象が強かったが、5代目圓楽一門への移籍を機にキャラクター転換をしており、メンバーの中で一歩引いたポジションに収まっていた。 * なお、5代目圓楽は笑点オフィシャル本中のインタビューで、大喜利での好楽について、日本でも人気となったアメリカのテレビドラマ「[[コンバット!]]」で[[リック・ジェイソン]](スマートでクールなキャラクターのヘンリー少尉役を演じた)の路線で落ち着いてやると良い、とコメントしている。 * 池之端しのぶ亭を開いて以降、主に6代目圓楽から、師匠・5代目圓楽が開設した寄席「[[若竹]]」の末路になぞらえて、しのぶ亭がもうすぐ閉鎖・潰れた・解体工事をしている、などとネタにされることが多々ある。 == 略歴 == *[[1962年]] - [[京華商業高等学校]]入学。 *[[1966年]]4月 - [[林家彦六|8代目林家正蔵(後の彦六)]]入門。[[林家九蔵]]を名乗る。 *[[1971年]]11月 - [[二つ目]]昇進。 *[[1979年]] - 『笑点』のメンバーになる。 *[[1980年]] - [[三遊亭小圓遊#4代目|4代目三遊亭小圓遊]]死去により高座着がピンクから水色に変更(新加入の[[桂才賀#7代目|古今亭朝次]]がピンクの高座着を引き継ぐ)。 *[[1981年]]9月 - 真打昇進。 *[[1982年]] - 師匠彦六死去。 *[[1983年]]4月 - 彦六の死に伴い、[[三遊亭圓楽 (5代目)|5代目圓楽]]門下に移籍。"好楽"への改名はこの時。同時に[[落語協会]]から[[円楽一門会|大日本落語すみれ会(現在は円楽一門会)]]へ移籍。 *同年10月 - 『笑点』卒業(入れ替わりに加入したのが[[三遊亭小遊三]]で水色の高座着を引き継ぐ)。 *[[1988年]] - [[桂才賀#7代目|7代目桂才賀]]の卒業に伴い『笑点』に復帰(ピンクの高座着が復活)。 *[[2005年]] - [[荒川区]]で始まった無料落語会(席亭は区長の[[西川太一郎]])を協力、支援。 *[[2006年]] - 芸歴40周年、還暦祝いも含めたゲスト多数の落語会『好楽ちゃん祭り』を数日開催(※企画は王楽)。 *[[2010年]] - 初の落語集CD『三遊亭好楽 落語集 好日楽語(よきひにらくご)』をリリース。 *[[2012年]] - 『好楽日和。』を出版。 *[[2013年]] - 自宅を[[台東区]]に移し、自宅の一角に寄席『池之端しのぶ亭』をオーブン。 == TVなどの出演歴 == <!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 --> * 『[[笑点]]』([[日本テレビ放送網|日テレ]]系列) * 電話バラエティー何でもリクエスト([[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]、レギュラー出演。) == CM == 《現在》 *[[野村證券]](株券電子化篇-株券預けて安心篇-) *日本薬師堂(グルコンEX) 《過去》 *[[サザエ食品]]「十勝おはぎ」(北海道ローカル) *[[としまえん]]「木馬の会」 *パチンコ「ダイエー」(新潟ローカル) *御菓子城加賀藩「名物加賀福」 (北陸地区ローカル) *[[テンジンヤ]](静岡ローカル) *[[パナソニック電工|松下電工]]「あかりごっこ」 == 一門弟子 == *[[三遊亭好太郎]] *[[三遊亭兼好]] *[[三遊亭好の助]]([[ナポレオンズ|ボナ植木]]の子息) *三遊亭好吉 *三遊亭鯛好 *[[三遊亭こうもり]](旧名:末高斗夢) *三遊亭なな好 *三遊亭ろこう == 関連項目 == *[[円楽一門会]] *[[三遊亭王楽]] *[[雑司が谷]] *[[笑点]] *[[ナポレオンズ]] == 脚注 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} == 外部リンク == *[http://www4.ocn.ne.jp/~h.kikaku/pr002.html 星企画 プロフィール] *[http://www.acc-arakawa.jp/arakawa/041 荒川の人 -三遊亭 好楽-] {{笑点}} {{Rakugoka-stub}} {{DEFAULTSORT:さんゆうてい こうらく}} [[Category:落語家]] [[Category:笑点]] [[Category:東京都出身の人物]] [[Category:円楽一門会]] [[Category:1946年生]] [[Category:存命人物]] [[Category:日本の競馬に関する人物]]
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