コンテンツにスキップ
メインメニュー
メインメニュー
サイドバーに移動
非表示
案内
メインページ
最近の更新
おまかせ表示
MediaWiki についてのヘルプ
特別ページ
Wikippe
検索
検索
表示
ログイン
個人用ツール
ログイン
三洋証券のソースを表示
ページ
議論
日本語
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
ツール
ツール
サイドバーに移動
非表示
操作
閲覧
ソースを閲覧
履歴を表示
全般
リンク元
関連ページの更新状況
ページ情報
表示
サイドバーに移動
非表示
←
三洋証券
あなたには「このページの編集」を行う権限がありません。理由は以下の通りです:
要求した操作を行うことは許可されていません。
このページのソースの閲覧やコピーができます。
'''三洋証券'''株式会社(さんようしょうけん、英訳社名'''Sanyo securities Company Limited.''')は、かつて営業していた[[日本]]の[[証券会社]]である。[[1997年]][[11月3日]]経営破綻。 [[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]]に本社を設け、国際証券(三菱証券、三菱UFJ証券を経て現在の[[三菱UFJモルガン・スタンレー証券]])、勧角証券(旧日本勧業角丸証券。[[みずほインベスターズ証券]]を経て[[みずほ証券]]に合併)、新日本証券(新光証券を経て現在の[[みずほ証券]])、[[岡三証券]]などとともに、いわゆる「準大手証券会社」の一角を担っていた。 なお、[[三洋電機]]及び[[三洋信販]]とは一切無関係であった。 ==バブル崩壊後の状況== オーナーだった土屋家の意向もあり、中小証券を相次いで合併し、1980年代後半には「[[ニュースステーション]]」「[[CNNデイウォッチ]]」を番組提供するなど、証券業界が活況に沸いた[[バブル経済|バブル期]]に積極経営を行い急速に業容を拡大していった。事業拡大の象徴として[[江東区]][[塩浜 (江東区)|塩浜]]に建てた[[東京証券取引所]]の1.8倍という世界最大規模のトレーディングルームは、大型ディスプレイが多数配備されるなど当時としては極めて斬新な施設であったが、一方でこうした積極的な設備投資は[[バブル崩壊]]後すぐに「過剰投資の象徴」へと変貌した。 一般にはこの本体の過剰な設備投資が経営難の主因として注目されたが、三洋証券にとって致命傷となったのは、債務保証先でもある[[ノンバンク]]の子会社「三洋ファイナンス」がバブル期に行った不動産関連融資だった。融資の多くが[[不良債権]]化していたが、三洋証券自身がバブル期に行った積極投資のツケに喘いでいる状況でもはや子会社を処分する体力はなく、市場の好転を期待して雪だるま式に債務が膨張するまま、いたずらに決断を先送りした。 ==再建計画== [[1994年]][[3月17日]]、旧[[大蔵省]][[証券局]]主導の下、[[護送船団方式]]による再建九ヵ年計画が策定された。 内容は[[メインバンク]]による金利減免、大株主である[[野村證券]]等による200億円の[[第三者割当増資]]引受けに加えて、[[奉加帳方式]]で[[生命保険]]会社からの200億円の[[劣後ローン]]を受け、9年間かけて不良債権を償却するものだった。本来ならこの時点で倒産していてもおかしくない切迫した財務状態であったため、これは全て大蔵省の意向で行われ、既に三洋側には経営上の主導権はなくなっていた。 しかし大蔵省の期待とは裏腹にこの計画はすぐに画餅に帰した。[[不良債権]]を償却しようにも、三洋本体は[[1992年]]3月期に赤字に転落して以降、[[1997年]]3月期の倒産に至るまで6期連続の赤字を計上するなど経営状態が一向に好転せず、膨大な保証債務を返済していく目途が全く立たなかったからである。 やがて、急降下した[[自己資本規制比率]]を、会計上は自己資本に参入される劣後ローンの期限延長を繰り返すことで凌いでいる状況は次第に誰の目にも明らかになっていった。免許制事業だった証券業は、自己資本規制比率(MOF規制)120%を割り込むと大蔵省の[[業務改善命令]]が発令される。経済各誌は誌上で、劣後ローンを含んでもなお表面上200%程度の自己資本規制比率を保つのがやっとという、三洋証券の経営を不安視するようになった。事実、三洋証券は生保から借りた劣後ローンを[[自己資本]]に繰り入れることで水面ギリギリの迷走飛行を続けていた。 [[1997年]]春頃には主力銀行が保有[[株式]]の持ち合い解消へと動き始め、ついには、いつ生保が劣後ローンの期限延長を断るかに衆目が集まるようになった。つまり「劣後ローン延長の中止」=「延命の中止(倒産)」である。元々、三洋証券とは関係のない生保各社は大蔵省主導の奉加帳方式に嫌々参加させられている立場であって、焦げ付く可能性の高い劣後ローン継続には当初より否定的だった。1997年7月の交渉時には生保側は3ヶ月の延長しか認めず、さらに「早急の新再建案の提示」の条件付という、事実上の「最後通告」を突きつけた。 ここに及んで自力再建はもはや困難と考えた大蔵省は、次策として国際証券(現・三菱UFJモルガン・スタンレー証券)による救済合併を画策した。対する国際証券側もこれに条件付で応じる構えだったが、1997年[[9月26日]]付け[[産経新聞]]に計画がスクープされ水泡に帰した。 そして、[[10月31日]]に劣後ローンの延長期限が終了。三洋はギリギリまで延長交渉を続けたものの生保側は[[株主代表訴訟]]リスクに耐えられないとして延長を認めず、この時点で倒産は不可避となった。 ==倒産とその後== 1997年[[11月3日]]、ついに[[会社更生法]]の適用を申請。証券会社としては戦後初の倒産であった。積極経営によって「嵐に窓を開ける」ことになった三洋証券はバブル崩壊に伴う証券不況に全く抗うことができずに消えていった。この倒産劇自体はそれほど世間の注目を浴びたわけではなかったが、その後の金融市場に与えた影響は計り知れないものがある。 1997年[[11月4日]]には三洋に対する[[裁判所]]の資産保全命令によりインターバンクの[[コール市場]]と債券レポ市場で[[債務不履行|デフォルト]](債務不履行)が発生。戦後初の金融機関のデフォルトとなり、コール市場が疑心暗鬼・大混乱に陥った。 この信用収縮の余波を受け、綱渡りで運転資金をやりくりしていた都市銀行の[[北海道拓殖銀行]]が同年[[11月15日]]に経営破綻、続いて[[11月24日]]には四大証券の一角で「[[飛ばし]]」による多額の簿外債務を抱えていた[[山一證券]]が自主廃業することになり、翌年の[[日本長期信用銀行]]・[[日本債券信用銀行]]などと共に事態は一気に金融恐慌の様相を呈してゆく。 [[1998年]]に再建スポンサーとして名乗り出ていた[[三井住友海上火災保険|三井海上火災保険]]が同社の業務継承へ向けての動きを活発化させたが、結局話し合いがまとまらず、この年の[[6月]]に自力での経営再建を断念し、同[[8月]]に従業員全員を解雇、[[1999年]][[12月]]、会社更生法を取り下げ、[[破産]]宣告を受けた。2009年3月25日に破産手続終結<ref>官報 2009年4月6日 第5045号 19ページ</ref>の決定をもって、法人は消滅となった。 なお、同社が建てたトレーディングルームは現在[[TIS (企業)|TIS]]の[[データセンター|インターネットデータセンター]]となって現存<ref>[http://www.tis.co.jp/news/2000/__icsFiles/afieldfile/2011/04/14/000823.pdf インターネットデータセンターに東洋情報システムが参入] 株式会社東洋情報システム(現・TIS株式会社)プレスリリース 2000年8月23日 2013年8月25日閲覧</ref>、子会社の[[三洋投信委託]]は一時期[[古倉義彦]]に経営権が移るものの、[[プラザアセットマネジメント]]として現在に至る。また、一部業務継承の計画があった[[三井住友海上火災保険|三井住友海上(旧・三井海上)]]と親密な[[SMBCフレンド証券]](当時は明光証券)には、その流れで同社元社員の一部が採用されている。 [[山梨県]]の[[山中湖]]畔にあった三洋証券の保養所は、現在でも取り壊されず廃墟のまま放置されており、廃墟を扱うホームページでも度々取り上げられている。 == 沿革 == {{節stub}} *[[1910年]] - 「土屋鋭太郎商店」として創業。 *[[1943年]] - '''「土屋證券株式會社」'''へ法人改組。 *[[1944年]] - '''「日東證券株式會社」'''に商号変更。 <!--*?年 [[角〆証券]]を吸収合併。--> *[[1971年]] **4月 - 湘南証券を[[合併 (企業)|吸収合併]]。 **10月 - 江口證券および大一呉証券を吸収合併、「'''江口日東証券株式会社'''」に商号変更。 *[[1973年]] **1月 - 「'''三洋証券株式会社'''」と商号変更。総合証券会社となる。 **5月 - [[東京証券取引所]]・[[大阪証券取引所]]・[[名古屋証券取引所]]第2部市場に上場(使用していた[[証券コード]]:8605)。 *[[1975年]]11月 - 上記3[[証券取引所]]の第1部銘柄に指定替え。 *[[1988年]]4月 - 江東区に本社別館(ディーリングルーム)を竣工<ref>[http://www.nikkenren.com/activity/bcs/detail.html?r=1989&ci=426 一般社団法人日本建設業連合会 BCS賞受賞作品 第30回受賞作品]</ref>。 *[[1997年]] **11月3日 - [[会社更生法]]の適用を申請し、経営破綻。 **[[11月4日]] - 群馬中央信用金庫(後の[[ぐんま信用金庫]]、現在の[[しののめ信用金庫]])が三洋証券に貸し付けていた約10億円が焦げ付き、無担保コール市場が大混乱に陥る。 *[[1998年]] **[[3月13日]] - 三井海上火災保険(現在の[[三井住友海上火災保険]])が一部業務の承継を検討していたが、これを断念。 **[[6月24日]] - 更生管財人により、経営再建を断念すると発表。 **[[8月31日]] - 全従業員解雇。 *[[1999年]][[12月28日]] - [[破産宣告]]を受ける。 *[[2009年]][[3月25日]] - 破産手続終結の決定を受け、法人消滅。 == 脚注・出典 == <references /> == 外部リンク == *[https://www.boj.or.jp/announcements/press/danwa/dan9711a.htm/ 日本銀行総裁談話・三洋証券について 1997年11月3日] - 三洋証券の経営破綻に関するコメント。 {{DEFAULTSORT:さんようしようけん}} [[Category:野村ホールディングス]] [[Category:MS&ADインシュアランスグループ]] [[Category:かつて存在した日本の証券会社]] [[Category:かつて存在した東京都の企業]] [[Category:第30回BCS賞]]
このページで使用されているテンプレート:
テンプレート:節stub
(
ソースを閲覧
)
三洋証券
に戻る。
検索
検索
三洋証券のソースを表示
話題を追加