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レモンストラント派
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'''レモンストラント派'''とは、狭義では、[[ヤーコブス・アルミニウス|アルミニウス]]により唱えられ、その死後[[1610年]]に五箇条の反対意見書('''Remonstrantie''')にまとめられた信条を支持する[[神学者]]たちを指す。その五箇条とは #神は御子[[イエス・キリスト]]を信じ、信仰に留まる者に救いの決定を適用したもう。 #キリストはすべての人の救いのために死にたもうた。 #[[聖霊]]は真実に善なることをしようとしている者を助ける。 #神の救いの恵みは不可抗的ではない。 #キリスト者が恵みから脱落することはあり得る。 というものである。これは[[ジャン・カルヴァン|カルヴァン]]の[[予定説]]を修正しゆがめる見解として攻撃され、[[ドルトレヒト会議]]で決定的に斥けられた。 ==広義のレモンストラント派== 広義のレモンストラント派とは、[[オランダ]]における[[改革派教会]]の支配に反対する精神運動を指す。[[デジデリウス・エラスムス|エラスムス]]によりヨーロッパに広まった、理性による聖書批判と宗教上の寛容を受け継ぎ、17世紀オランダの学者・文人に大きな基盤を持った伝統だった。「聖職者に対する世俗権力の優位」を認め、オランダの貴族層に支持された。 しかし、アルミニウスの教説が引き起こした論争が政治闘争へと発展し、神学論争は[[1618年]][[ドルトレヒト会議]]で、政治闘争は[[1619年]][[アルミニウス主義]]を支持した政治家[[ヨーハン・ファン・オルデンバルネフェルト|オルデンバルネフェルト]]が[[オランダ総督|総督]][[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]に処刑されることで、それぞれ一応の決着がつけられる。レモンストラント派であるとみられた[[フーゴー・グローティウス|グロティウス]]は投獄され、追放された。 しかしこの派の影響力はその後復活し、[[ソッツィーニ派]]・[[ルネ・デカルト|デカルト]]の哲学が普及するのを助け、オランダを思想的自由の避難場所・[[啓蒙思想]]の中心地とした。 == 外部リンク == === 英語 === * [http://www.remonstranten.org/introduction/index.html Remonstrant Church] - オランダのレモンストラント教会。 {{DEFAULTSORT:れもんすとらんとは}} [[category:キリスト教の教派]] [[Category:オランダ]]
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