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'''ルマン(Le Mans)''' #[[フランス]]の[[ル・マン]]市。 ##同市で毎年開催される[[ル・マン24時間レース]]の略称 ###'''日本のレーシングチーム。以下で述べる。'''ル・マン24時間から。 ##同市サッカークラブ・[[ル・マンUC]]の通称。に本拠を置く #[[大韓民国|韓国]]・大宇自動車(現・[[韓国GM]])が製造していた乗用車、[[GM大宇|デーヴ]]・[[:en:Daewoo LeMans#Second generation (1994–1997)|ルマン]]。→[[オペル・カデット]] #[[ダンロップ]]のタイヤブランド。現在ではスタンダードコンフォートタイプに位置付けられている。 ---- {{基礎情報 会社 |社名 = 株式会社ルマン |英文社名 = Le Mans Co., Ltd. |ロゴ = |種類 = [[株式会社]] |市場情報 = |略称 = |国籍 = |郵便番号 = 150-0012 |本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]]広尾3-2-15 |設立 = [[1967年]]4月 |業種 = |統一金融機関コード = |SWIFTコード = |事業内容 = 自動車及び自動車部品の輸入・輸出 他 |代表者 = |資本金 = 1,500万円 |売上高 = |総資産 = |従業員数 = |決算期 = |主要株主 = |主要子会社 = 株式会社チームルマン |関係する人物 = |外部リンク = http://www.lemans.co.jp/ |特記事項 = }} {{レーシングチーム | チーム名 = Team Le Mans | 画像 = No.6 ENEOS SUSTINA RC F at 2014 SUPER GT SUZUKA TEST.JPG | 画像説明 = [[SUPER GT]]に参戦する[[JX日鉱日石エネルギー|ENEOS]] SUSTINA <br />[[レクサス・RC|RC F]](2014年) | 国籍 = {{flagicon|JPN}} [[日本]] | 本拠地 = [[静岡県]][[御殿場市]] | 創設者 = | チーム代表 = [[土沼広芳]] | 関係者 = [[黒澤琢弥]]<br />[[服部尚貴]]ほか | 活動期間 = 1969年 - 現在 | カテゴリ = [[全日本F2000選手権|全日本F2000]]、[[全日本F2選手権|全日本F2]]、[[全日本F3000選手権|全日本F3000]]、[[フォーミュラ・ニッポン|FN]]、[[スーパーフォーミュラ|SF]]、[[全日本F3選手権|全日本F3]]<br />[[富士グランチャンピオンレース|富士GC]]<br />[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|JSPC]]<br />[[全日本GT選手権|JGTC]]、[[SUPER GT]] | チームズタイトル = FN 2(1996,1999)<br />JGTC 1(2002) | ドライバーズタイトル = 全日本F2 1(1979)<br />FN 2(1996,1998)<br />全日本F3 1(1986)<br />富士GC 3(1983,1988,1989)<br />JGTC 1(2002) | ライダーズタイトル = | 公式サイト = [http://www.teamlemans.co.jp/index.html チームルマン] | 備考 = | 参戦中1 = [[2014年のスーパーフォーミュラ]] | エントリー名1 = [[キグナス石油|KYGNUS]] [[日本サン石油|SUNOCO]] Team Le Mans | レーサー1 = 7. {{flagicon|JPN}} [[平川亮]]<br />8. {{flagicon|FRA}} [[ロイック・デュバル]] | マシン1 = 7. ACHIEVEMENT Team KYGNUS SUNOCO [[ダラーラ・SF14|SF14]]・[[トヨタ・RI4A|トヨタ]]<br />8. Team KYGNUS SUNOCO [[ダラーラ・SF14|SF14]]・[[トヨタ・RI4A|トヨタ]] | タイヤ1 = [[ブリヂストン]] | 参戦中2 = [[2014年のSUPER GT]] (GT500) | エントリー名2 = [[レクサス|LEXUS]] TEAM Le Mans [[JX日鉱日石エネルギー|ENEOS]] | レーサー2 = {{flagicon|JPN}} [[大嶋和也]]<br />{{flagicon|JPN}} [[国本雄資]] | マシン2 = 6. ENEOS SUSTINA [[レクサス・RC|RC F]] | タイヤ2 = ブリヂストン | 参戦中3 = | エントリー名3 = | レーサー3 = | マシン3 = | タイヤ3 = }} [[File:ENEOS Sustina SC430 2011 Super GT Fuji 250km.jpg|200px|thumb|ENEOS SUSTINA SC430(2011年)]] '''株式会社ルマン'''({{Lang-en-short|''Le mans Co., Ltd.''}})は、[[東京都]][[渋谷区]]に本社を置く自動車部品メーカー。[[1967年]]設立。当初の社名はルマン商会。主にレース用のチューニングパーツの開発・販売や、海外のレーシングカーの輸入販売等を手がける。また'''ガレージルマン'''としてレーシングカーコンストラクター業務も行ったことがある。 レース参戦時は'''チームルマン'''を名乗る([[2000年]]にレース部門を株式会社チームルマンとして子会社化)。チーム名の由来は[[ル・マン24時間レース]]から。 == チームルマン == [[1969年]]にルマン商会のレース部門として設立。1970年代より日本のトップチームのひとつとして多様なカテゴリーで活動している。 [[フォーミュラカー|フォーミュラ]]レースでは、[[1976年]]以降に[[全日本F2000選手権|全日本F2000]] → [[全日本F2選手権|全日本F2]] → [[全日本F3000選手権|全日本F3000]] → [[フォーミュラ・ニッポン]]と続く国内トップカテゴリーに継続して参戦している。特に[[2002年]]以前は[[レイナード]]の国内総代理店を務めており、全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンにおいてレイナードの事実上のワークスとして強さを誇った。1991年には[[フォーミュラ1|F1]]デビュー前の[[ミハエル・シューマッハ]]が全日本F3000にスポット参戦し、1996年には弟の[[ラルフ・シューマッハ]]がフォーミュラ・ニッポンの初代チャンピオンになっている。 [[グループC]]では自社マシンを開発。また、[[日産自動車|日産]]系チームとしてル・マン24時間レースなどにも参戦した経験がある(その際、チーム名が「チームルマン」だったため、海外のエントランスに名前をすぐ覚えてもらえたという)。 2000年代以降は[[トヨタ自動車|トヨタ]]との関係が深く、[[SUPER GT]]では[[レクサス・SC|レクサス・SC430]]を走らせている。 [[2012年]]に[[野田英樹]]が設立した「NODAレーシングアカデミー高等学院」と協力関係にあり、チーム代表の土沼広芳など数人のエンジニアが同学院の講師を務めている<ref>[http://www.noda-racing-academy.org/life/lecturer/ 講師紹介] - NODAレーシングアカデミー高等学院</ref>。 ==レース参戦実績== === 全日本F2000選手権・全日本F2選手権 === [[全日本F2000選手権]]には[[松本恵二]]を擁して1976年より参戦。松本は1978年に[[全日本F2選手権]]のチャンピオンを獲得し、1987年までチームに在籍した。また、海外から[[ジャック・ラフィー]]、[[ケケ・ロズベルグ]]、[[パトリック・タンベイ]]、[[リカルド・パトレーゼ]]らF1ドライバーがスポット参戦し、パトレーゼは1977年の[[JAFグランプリ]]で優勝した。 1980年代にも[[ステファン・ヨハンソン]]、[[テオ・ファビ]]、[[クリスチャン・ダナー]]などのF1予備軍の外国人ドライバーが参戦した。 === 全日本F3000選手権 === [[エマニュエル・ピロ]]、[[ジョニー・ハーバート]]、[[服部尚貴]]らが在籍。[[ロス・チーバー]]はレイナード勢のエースとしてチャンピオン争いを展開した。1991年の第6戦[[菅生サーキット|菅生]]には当時[[メルセデスGP|メルセデス]]・ジュニアチームにしていた[[ミハエル・シューマッハ]]がスポット参戦し、チーバーに次ぐ2位を獲得した。 ===フォーミュラ・ニッポン=== ロックバンド[[X JAPAN]]がスポンサーとなり話題を呼ぶ。初年度の1996年は、[[ラルフ・シューマッハ]]と服部尚貴がチームメイト同士でタイトルを争い、ラルフが初代チャンピオンを獲得。1998年はX JAPANメンバーである[[hide]]のレーベル「LEMONed(レモネード)」がスポンサーとなり、本山哲がシリーズチャンピオンを獲得した。 [[2003年]]には、当時[[シアトル・マリナーズ]]に在籍していた[[佐々木主浩]]をオーナーとする「[[TEAM 22]]」の[[メンテナンス]](実質的なチーム運営)を担当。脇阪寿一をドライバーに起用し2勝を挙げた。 [[2008年]]は本山哲が10年ぶりに復帰して古豪復権を目指すも結果は出なかった。 長らく[[フォーラムエンジニアリング]]がメインスポンサーを務めていたが、2008年から[[キグナス石油]]と[[日本サン石油]]がメインスポンサーとなり、[[2011年]]から2年間は、加入した[[大嶋和也]]が別のオイルメーカーとスポンサー契約を結んでいたため、この2社をスポンサーとする側は「Team KYGNUS SUNOCO」として分離独立することになった(大嶋を放出した[[2013年]]からは再び一つのチームに戻っている)。 {| class="wikitable" ! 開催年 !! ドライバー !! チームランキング |- |1996年 |#24 [[服部尚貴]]<br />#25 [[ラルフ・シューマッハ]] |1位 |- |1997年 |#1 [[ノルベルト・フォンタナ]]<br />#2 エスティバン・トゥエロ→[[ミハエル・クルム]]→[[立川祐路]] |3位 |- |1998年 |#7 ノルベルト・フォンタナ<br />#8 [[本山哲]] |2位 |- |1999年 |#1 本山哲<br />#2 [[山西康司]] |1位 |- |2000年 |#7 [[野田英樹]]<br />#8 [[五十嵐勇大]] |5位 |- |2001年 |#7 [[アレックス・ユーン]]→山西康司<br />#8 五十嵐勇大 |9位 |- |2002年 |#7 [[影山正美]]→[[ドミニク・シュワガー]]<br />#8 [[土屋武士]] |5位 |- |2003年 |#7 [[金石年弘]]<br />#8 土屋武士 |4位 |- |2004年 |#7 [[脇坂寿一]]<br />#8 土屋武士<br />#25 [[片岡龍也]] |4位 |- |2005年 |#7 片岡龍也<br />#8 土屋武士 |5位 |- |2006年 |#7 片岡龍也<br />#8 [[高木虎之介]] |6位 |- |2007年 |#7 片岡龍也<br />#8 高木虎之介 |8位 |- |2008年 |#7 本山哲<br />#8 [[石浦宏明]] |7位 |- |2009年 |#7 [[国本京佑]]<br />#8 石浦宏明 |5位 |- |2010年 |#7 [[ケイ・コッツォリーノ]]<br />#8 石浦宏明 |5位 |- |} === 富士GC === [[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)では1983年に松本恵二がチャンピオンを獲得。1988年と1989年には[[ジェフ・リース]]が2年連続チャンピオンとなった(富士GCは1989年で終了)。 ===全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=== [[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権]]には、株式会社ユーピー(パナスポーツブランド)をスポンサーとして、1984年に自製の[[ルマン・LM04C|LM04C]]で参戦を開始した。1985年シーズン途中に[[ルマン・LM05C|LM05C]]に車両を変更し、WEC-JAPANでは2位入賞を果たした。[[1986年]]シーズンには日産からV6のVG30エンジンが供給されるが、LMシャシーではパワーを受け止めることができず、マーチ製の[[マーチ・86G|86G]]にマシンを変更した。LMシャシーにはトヨタエンジンが供給され、日産、トヨタエンジンでの2カーエントリーとなる。2台体制は翌87年も続き、WEC-JAPANでは和田孝夫に手により[[ポールポジション]]を獲得した。日産のCカーによる参戦は1991年まで続いた。1993年の[[鈴鹿1000km]]では[[ニスモ]]とジョイントで[[日産・R92CP]]で優勝を果たした。 ====参戦歴==== {| class="wikitable" ! 開催年 !! ドライバー !! マシン |- |1984年 |[[高橋健二 (レーサー)|高橋健二]]/[[中子修]]/[[鈴木利男]] |LM・04C/日産 |- |1985年 |[[松本恵二]]/中子修/[[森本晃生]] |LM・04C/日産<br />LM・05C/日産 |- | rowspan=2 |1986年 |松本恵二/[[鈴木亜久里]] |[[マーチ・86G]]/日産 |- |森本晃生/F・コンラッド |LM・06/トヨタ |- | rowspan=2 |1987年 |[[和田孝夫]]/[[アンデルス・オロフソン|A・オロフソン]] |マーチ・86G/日産 |- |中子修/M・S・サラ/[[佐藤浩二 (レーサー)|佐藤浩二]] |LM・07/トヨタ |- | rowspan=2|1988年 |和田孝夫/A・オロフソン |マーチ・86G/日産<br />マーチ・88G/日産 |- |鈴木利男/森本晃生 |マーチ・86G/日産 |- |1989年 |和田孝夫/森本晃生 |[[マーチ・88G]]/日産 |- |1990年 |和田孝夫/中子修 |[[日産・R89C]] |- |1991年 |和田孝夫/[[岡田秀樹]]/[[影山正彦]] |日産・R89C<br />[[日産・R90CP]] |} ===ル・マン24時間レース=== [[ル・マン24時間レース]]には、1987年に[[マーチ・86G]]/日産で初出場した。翌1988年には2カー体制で参戦した。以降日産のサテライトチームとして1990年まで参戦を続けるが、一度も完走を果たすことができなかった。 ====参戦歴==== {| class="wikitable" ! 開催年 !! ドライバー !! マシン |- |1987年 |A・オロフソン/A・フェルテ/P・ゴナン |マーチ・86G/日産 R |- | rowspan=2|1988年 |D・オンガイス/M・トローレ/鈴木利男 |マーチ・86G/日産 R |- |A・オロフソン/L・レオーニ/森本晃生 |マーチ・88G/日産 R |- |1989年 |和田孝夫/A・オロフソン/森本晃生 |マーチ・88G/日産 R |- |1990年 |和田孝夫/A・オロフソン/M・S・サラ |日産・R89C R |} ===全日本GT選手権・SUPER GT=== [[Image:2002 Esso Ultraflo Tom's Supra 01.JPG|250px|thumb|エッソウルトラフロースープラ(2002年)]] [[1999年]]より[[土沼広芳]]を監督に、[[野田英樹]]と[[ワイン・ガードナー]]とをドライバーに起用し、[[トヨタ・スープラ|スープラ]]で参戦。当初は'''エッソタイガースープラ'''を名乗り、虎をイメージさせたカラーリングをしていた。 [[2000年]]は前年同様の体制ながら、マシン名を'''エッソウルトロンタイガースープラ'''に変更。 [[2001年]]に[[童夢 (自動車会社)|童夢]]から脇阪寿一が移籍し、その年よりマシン名が'''エッソウルトラフロースープラ'''になった。この年は脇阪と野田英樹がドライブ。 [[2002年]]は野田に代わって飯田章がドライブし、シリーズチャンピオンに輝く。 [[2003年]]は2勝を挙げるなど活躍するが、最終戦では惜しくも日産勢に敗れた。 [[2006年]]は脇阪にかわって片岡龍也がドライブすることになった。また、ベースマシンが[[レクサス・SC|SC430]]、スポンサーが[[エクソンモービル]]のままだが、マシン名が'''Mobil 1 SC'''となった。 [[2007年]]は飯田がGT300クラスの[[RACING PROJECT BANDOH]]へ移籍し、代わって[[ビヨン・ビルドハイム]]が加入、スポンサーも[[フォーラムエンジニアリング]]へ変更され、マシン名は'''Forum Eng. SC430'''に変更された。 [[2008年]]は2007年GT500チャンピオンの伊藤大輔が[[ARTA]]より移籍し、ビヨン・ビルドハイムと共に参戦。スポンサーが[[新日本石油|ENEOS]]に変更され、マシン名も'''ENEOS SC430'''になりオレンジと赤のカラーリングになった。 ====活躍==== トヨタのワークスチームの中でもエース的存在で、チーム、ドライバーとも人気の高いチームである。2002年には、脇阪寿一、飯田章組がチャンピオンを獲得した。だが、翌年の2003年は、チャンピオン争いで優位に立っていたものの最終戦で失速し、3ポイント差で[[ザナヴィ・インフォマティクス|ザナヴィ]][[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]GT-Rに敗れ、2004年も最終戦までチャンピオン争いを展開するが、シーズン未勝利に終わる。 2005年には前半戦は新型のスープラの熟成に苦しみ不調、後半戦でなんとか調子を取り戻したものの、最終戦までチャンピオンの権利は得ていない。2006年からエースドライバーだった脇阪寿一が[[トムス]]に移籍。エースドライバーを失ったチームは徐々に低迷。第3戦・富士ではリストリクターの救済により2位を得たもののその他は予選・決勝を通じてチームは低迷した。2007年も3位表彰台を2回獲得するもトヨタワークスとしては下位でシーズンを終えている。2008年には伊藤大輔を据え復活に注目されている。 ====過去の参戦歴==== {| class="wikitable" ! 名称 !! 開催年 !! ドライバー !! チームランキング |- | rowspan=6|全日本GT選手権 |1999年 |[[野田英樹]]/[[ワイン・ガードナー]] |12位 |- |2000年 |野田英樹/ワイン・ガードナー |9位 |- |2001年 |[[脇阪寿一]]/野田英樹 |7位 |- |2002年 |脇阪寿一/[[飯田章]] |チャンピオン |- |[[2003年の全日本GT選手権|2003年]] |脇阪寿一/飯田章 |2位 |- |[[2004年の全日本GT選手権|2004年]] |脇阪寿一/飯田章 |3位 |- | rowspan=6|SUPER GT |[[2005年のSUPER GT|2005年]] |脇阪寿一/飯田章 |6位 |- |[[2006年のSUPER GT|2006年]] |飯田章/[[片岡龍也]] |12位 |- |[[2007年のSUPER GT|2007年]] |片岡龍也/[[ビヨン・ビルドハイム]] |9位 |- |[[2008年のSUPER GT|2008年]] |[[伊藤大輔 (レーサー)|伊藤大輔]]/ビヨン・ビルドハイム |8位 |- |[[2009年のSUPER GT|2009年]] |伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム |11位 |- |[[2010年のSUPER GT|2010年]] |伊藤大輔/ビヨン・ビルドハイム |4位 |} ==関連項目== *サンダー・LM39(初のガレージルマン製レーシングマシン。単座GC・F2兼用マシン) *[[日産・スカイラインターボC]](R30スカイラインGr.5ベースのフロントエンジンCカー) *[[LM・03C/日産]](日産エンジン搭載初の本格的Cカー) *[[LM・04C/日産]] *[[LM・05C/日産]](1985年[[WEC-JAPAN]]2位入賞) ==脚注== {{脚注ヘルプ}} {{Reflist}} ==外部リンク== *[http://www.lemans.co.jp/ 株式会社ルマン] *[http://www.teamlemans.co.jp/ Team Le Mans] {{2014年スーパーフォーミュラ出走ドライバー}} {{2014年TOYOTA・SUPER GTチーム}} {{Motorsport-stub}} {{デフォルトソート:るまん}} [[Category:日本のレーシングチーム]] [[Category:渋谷区の企業]]
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